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オペラ映画の「CARMEN (カルメン)」


Directed By FRANCESCO ROSI
1875年、パリのオペラ・コミーク座での公演に基づいて製作

CARMENのキャストとスタッフ

Carmen(タバコ工場で働くロマの女、カルメン)・・Julia Migenes Johnson(ジュリア・ミゲネス・ジョンソン、メゾソプラノ)

Don Jose(バスク人のアルカラ竜騎兵、ドン・ホセ)・・Placido Domingo(プラシド・ドミンゴ、テノール)

Micaera(ドン・ホセの許嫁、ミカエラ)・・Faith Esham(フェイス・エシャム、リリックソプラノ)

Escamillo(グラナダの闘牛士、エスカミーリョ)・・Ruggelo Raimondi(ルッジェーロ・ライモンディ、バリトン)

原作・・・プロスペル・メリメ
台本・・・アンリ・メイヤックとリュドヴィック・アレヴィ
作曲・・・ジョルジュ・ビゼー
演奏・・・ロリン・マゼール指揮、フランス国立管弦楽団
撮影・・・パスクァリーノ・デ・サンティス
美術・衣装・・・エンリコ・ヨーブ
舞踏振付・・・アントニオ・ガデス
監督・・・フランチェスコ・ロージー
製作年と国・・・1984年フランス・イタリア合作。
上映時間・・・158分
画面サイズ・・・ヨーロッパビスタ(1:1.66)
撮影原板・・・イーストマンカラー
音響効果・・・ドルビー・ステレオ サウンドシステム
DVD化は、フランスのゴーモン(Gaumont)製作
日本語版の製作・販売 紀伊國屋書店

トッポの感想

ぼくは高校生になった1960年頃から、学校から帰ると荒天を除いてほぼ毎日、大和川の堤防で5Kmほどのランニングした後で、自宅にあった真空管式のテーブルラジオで、NHKラジオが夕方に放送していた、アメリカ映画やフランス・イタリア映画などの映画音楽のサウンドトラック盤をよく聴いたものである。
「鉄道員」などは、映画音楽を担当した、カルロ・ルスティケッリのエンディング・テーマ曲の出だしに、「ボンジョルノ シニョーラ(お早う、奥さん)」というイタリア語の台詞も入る。

1960年当時の日本では、大阪ではFM放送がまだ開局していなかったが、大阪の朝日ラジオ放送と毎日ラジオ放送が協力して、クラシック音楽の「ステレオ放送」を夕食時のゴールデンタイムに実験的に行った時代で、我が家もラジオを一台増やして二台のラジオを並べてAM電波によるステレオ放送を聴いた記憶があるが、スピーカーが小さいので迫力はなかった。

ビクターさんからは、既に7万円台のHi-Fi(High Fidelity)・FMステレオチューナやLPレコードプレヤーとステレオアンプ、左右スピーカーがワンセットになったステレオ装置が発売されていて、洋楽にはステレオ録音のLPレコードも売られていて、欲しくてたまらなかったが、ぼくが生まれる前に祖父母が買った手回しの蓄音機で我慢した。Hi-Fi(High Fidelity =原音の高忠実再生)には、ほど遠かった。

その内に、映画音楽をRoad Show専門劇場の大きなスピーカーで聴ける本物の映画が観たくなって、お小遣いを貯めて映画館へ足を運ぶようになった。特定の映画俳優のファンになって、映画館へ行く人は多いと思うが、ぼくのように映画音楽を聴きに映画を観にいった人は少ないと思う。
そういう趣味だったので、洋画のミュージカル映画は、高校生の頃から大好きになり、最初に観たのが「南太平洋」で、「王様と私」、「ウエストサイド物語」、「サウンド・オブ・ミュージック」、「マイ・フェア・レディ」などを何回も映画館で観たが、南太平洋の主演女優ミッチー・ゲイナーは歌手、サウンド・オブ・ミュージックの主演女優ジュリー・アンドリュースも歌手であったが、殆どのミュージカル映画では、俳優の歌う部分が、吹き替えで不満があった。

そのもやもやした不満をパッと解消してくれたのが、1984年に公開された、仏伊合作のオペラ映画「カルメン」である。これで、スッキリした。
音楽家でオーケストラ指揮者のロリン・マゼールが、知り合いの映画作家のフランチェスコ・ロージーに、「カルメンを映画に出来ないか?」と打診されて、ロージーはその気になって、夢を実現したらしい。

主役と脇役に、オペラ界を代表するオペラ歌手が映画に出演し、エポックメイキングなシネマになった。 これが、紀伊國屋さんから日本語字幕付きのDVDとして販売され、すぐに買って、46インチの大型フルハイビジョン液晶テレビ(ブラビア)で観た。
音と映像が実に素晴らしい。大感激!新品で6,000円〜5,200円ほどするが、いつでも観られるように、ぜひ買っておきたい作品だ。

ところで、日本では、スペイン舞踊のフラメンコを踊る、「カルメン」という、恋多き気性の激しい女性の名はよく知られているが、オペラに登場するカルメンはスペイン人の女性ではない。ここが、この作品のポイント(要点)になる。
カルメンという名は、フランス人のプロスペル・メリメが書いた小説に登場する、「ボエーム(bohème:フランス語)」と呼ばれる、祖先が北インドのロマ系の漂浪民の女なのである。

彼らの特徴は、祖先から口伝えで伝承されてきた「ロマニ語」と、漂浪した国々の言語を混ぜて話すが、ロマの人々には文字の文化がなく、簡単な文書でも読み書きできないので、漂浪先の国民と文書でのコミュニケーションが非常に難しい。にも関わらず、欧州全域にロマのコミュニティーが現在でも散在している。 彼らは漂浪先の各国で、余所者として苛めや暴力的な迫害にあっても、決してそれを恨まず、ひたすら耐え忍んで来たらしい。

歌と踊り、タロット占いが好きで、旅芸人や占い師、鋳掛屋(いかけや:ナベやヤカンの修理)などを生業にして現物収入を得たり、牧場や農園の季節労働者として働き、日々の糧を得ていた。ヨーロッパ各地を幌馬車(現在はトレーラハウス)で移動し、テント生活しながら暮らしている。気候が温暖で、日々の糧が得やすく居心地が良い場所には定住した。
スペインの温暖なアンダルシア地方で盛んになった「フラメンコ」は、漂浪民のロマの音楽と踊りが発展し、近世になってメジャーな芸能として認められるようになったものである。

カルメンという小説やオペラは、そういうスペインの風土や1820年当時の時代背景から生まれた作品だ。
故国を知らない漂浪民のことを英語では、Gypsy:ジプシーと呼んでいて、日本中にも広く伝わっている。
Gypsyは、エジプシャン(Egyptian:英語でエジプト人)のEを省略した言葉である。Eを省略した理由は定かではないが、諸国の各地を転々とする漂浪民の代名詞を考えたのは、English(イギリス人)であることには、間違いない。

というのは、Eを除いたgyptianから派生したスペイン語では、ヒターノ(Gitano:男)、ヒターナ(Gitana:女)、フランス語では、ジタン(Gitan:男)、ジタンヌ(Gitannes:女)と呼ばれており、祖先がエジプト人系の漂浪民を指すようだ。但し数世紀に亘る、様々な人種による漂浪民の混血などで、ジプシーとボエーム(ロマ)の違いは明確ではない。

ジプシーとかボエーム(ボヘミアン)という言葉は、日本では、特定人種の路上生活者に対する”差別用語”だというので、オペラ映画「カルメン」の日本語字幕では、「ロマ」に書き換えられているが、カルメンが歌うハバネラのアリア「恋はなつかない鳥(恋は野の鳥)」では、主演のジュリア・ミゲネスが、ボエームと原作通りに歌っている。
その、気性の激しいカルメンに恋した男「ドン・ホセ(台詞では、ドン・ジョゼと発音)」も、小説やオペラ上の人物である。

ドン・ホセもスペイン人ではなくて、スペイン北西部のナバラ州やバスク州に住む少数民族の「バスク人(イベリア半島の先住民族)」であることは、日本人には殆ど知られていないと思う。
バスク人はバスク語を話す。フランコ政権の時、バスク人は、バスク語の使用を禁じられたため、スペインからの独立運動を武力蜂起した。これは鎮静されたが、現在でもバスク人の中には、スペインからの独立を謳っている者もおり、スペインの体制派から監視されている民族でもある。

つまり、カルメンの原作者メリメは、スペインを描きながら、ロマと呼ばれる漂浪民やスペインに抑圧されたマイノリティーのバスク人を大きく取り上げたところに、小説や演劇を通じて読者(観客)に、彼らのことを知って欲しかったのであろう。
カルメンという作品を観る上で、そういう予備知識が必要になる。

「カルメン」というメリメの小説を基本に、フランス人のアンリ・メイヤックとリュドヴィック・アレヴィがオペラの台本を書いて、原作にはない主要な登場人物のミカエラ(ドン・ホセの許嫁)とエスカミーリョ(グラナダのトレロ)を加えてリブレット(歌の作詞とト書)を書き、フランスの作曲家、ジョルジュ・ビゼーが作詞に合わせた曲を提供してオペラのカルメンが仕上がった。

オペラとは、演劇と音楽で構成された舞台芸術である。日本では歌劇と呼ばれている。
オペラは、ドラマの背景をセッティングした大きな劇場の舞台で、オペラ歌手や合唱団が歌い、管弦楽団(オーケストラ)の演奏で公演されるのが常識だが、イタリア人のフランチェスコ・ロージー監督は、原作のイメージに近いスペインのアンダルシア州のセビリヤに、電線や道路標識、広告看板のない1820年代当時の町を造り、アルカラ竜騎兵の制服やロマが着る衣装も作り、主要な俳優には現役バリバリのオペラ歌手を起用し、オール・ロケで製作した画期的な「オペラ映画」なのである。

この映画では、ピーカンの日でも、シャドウの補助光には、眩しい銀レフを使わず、巨大なデュフィーザーをセットした5KWスポット数基を照明用移動車に載せてキャメラ移動車と連動して移動撮影するなど、大掛かりな撮影が行われた。

一般的な映画では、撮影してから後で画を観ながら録音するのが常識なのだが、当作品ではその逆で、歌と演奏の録音は、映画製作の1年前に、設備の整った音楽ホールや録音スタジオで入念に行われたそうだ。
もちろん、ロケでも普通のセリフもあるので、同録が行われているが、埃っぽいロケ場所でオペラを朗々と歌うと喉を壊してしまう。だから、口の動きが分かるアップの撮影では、先録りしたテープと同期させるため、撮影にかなりの手間と時間が掛かったと思う。

実際のオペラのカルメンは、1875年(日本では明治8年になる)3月に、パリの「オペラ・コミック座」で初公演された。
ところが、オペラ・コミック座で主役のカルメンを演じることになったソプラノ歌手のセレスティーヌ・ガリ=マリーが、作曲家のビゼーに対し、カルメン登場時の見せ場である、ハバネラのアリア(民族音楽の独唱部分)があっさりし過ぎているので気に入らず、公演中にハバネラの修整をビゼーに13回も頼み、やっと今の「恋は野の鳥(歌詞では、恋はなつかない鳥)」が完成したらしい。
その過労が祟ったのか、開演3カ月目にビゼーは36歳の若さで天国に旅立った。・・・カルメンをパリのオペラ座で初めて演じた女も、役に成りきって、作曲家を死に至らしめるほど気が強かったようだ。

なお、カルメンのオペラには、二種類の公演形式があるらしく、パリのオペラ・コミック座で初演された、原典版(歌唱のない台詞部分がある)での公演と、ビゼーの死後、ギローによって作られたグランド・オペラ版(台詞語りも朗唱:レチタティーヴォ)で公演される場合があるので、観劇する前に、どちらの公演か知っておいた方がいいだろう。

ところで、スペイン人ダンサーや歌手、スペインのギタリストによる、本場のフラメンコを日本で観たい・・・そんな人もいる筈だ。
それが、いつでも観られるところがある。(※時々休演や日本人代演もあるので、主催者に事前確認が必要)

風光明媚な伊勢志摩国立公園内の三重県志摩市磯部町に、「パルケ・エスパーニャ(和訳で、スペイン公園)」という、近鉄レジャーサービス(株)が所有するリゾート・テーマ・パークがある。現在の運営管理は「(株)志摩スペイン村」が行っている。
ぼくは、スペインの文化と歴史を日本の美しい場所で再現したテーマ・パークに興味が湧いて、平成6年(1994年)4月22日の開園日に行きたかったのであるが、諸々の事情で訪れる機会を逃し、一度は訪ねたいと思っている内に、12年も経ってしまった。

個人的に伊勢志摩へ行く時は、写真を撮って回る箇所が方々に散在しているので、マイ・カーで行くことが多いのだが、昨今の近鉄には、「まわりゃんせ」という、リゾート施設入場券と連絡バス往復運賃、近鉄特急往復乗車券がワンセットになった特別企画乗車券が販売されていて、パルケ・エスパーニャのコースなら、60歳以上のシニアパスが、何と7000円でお得なプライスになっている。
だから、クルマで行くのを止めて「まわりゃんせ」で行くことにした。
2013年3月から新登場した観光特急「しまかぜ」に「まわりゃんせパス」があるのかどうかは、未確認である。

初めてパルケ・エスパーニャに行ったのは、2006年4月25日(火)だった。
近鉄上本町駅始発9時25分の賢島行特急「伊勢志摩ライナー」に乗った。
このダイヤの特急は、近鉄では甲特急と言って、大阪市内の鶴橋駅から三重県伊勢市の宇治山田駅までノントップ(※現在、大阪から賢島行の甲特急は土・日のみ運転で、近鉄難波駅始発10時20分の一本に変更)で、快適だった。

11時30分に志摩磯部駅で降り、三重交通のシャトルバスでパルケ・エスパーニャに向かった。
大阪を出発する時は曇りだったが、スペイン村の上空は紺碧の快晴だった。エントランス(玄関入口)で「特別企画乗車券」を見せて入園すると、園内には修学旅行の高校生達が大勢来ていた。

ここへ来た第一番の目的は、買ったばかりのCanon EOS5Dと、EF24-70mm f/2.8L USMとEF70-200mm f/2.8L IS USMのレンズテストの為だった。
園内のパレードで、スペインの民族衣装を着たスペイン人のスナップを撮った後で、二番目の目的である、フラメンコのライブを撮りたかったのだが、予想していたように、フラメンコショーのライブ中は撮影禁止・録音禁止だった。
カメラをバッグに了(しま)って、フラメンコショーを楽しんで観ることにした。

パルケ・エスパーニャには、「カルメン・ホール」があり、そこで、フラメンコのライブがパルケ・エスパーニャの営業日に1回又は2回行われている。入場料500円払ってホールに入り、空いた席に座って開演を待つ。客の入りは満員だった。

ここで生まれて初めて、スペイン人だけによるフラメンコショーの実演を観た。
フラメンコダンサーというのは、男は背が高く、足が長く背筋も伸びてカッコイイので、衣装も見栄えする。
女性は、ラテン系のグラマー美人である。
フラメンコは、歌・踊り・ギター伴奏の三つで構成され、踊り子は両手にカスタネットをはめ、利き手で高音用、反対側で低音用の音を鳴らす。
フラメンコギターとカスタネットの響き・・・息の合ったペアの踊りも良かった。

余談だが、フラメンコを観る時は、アンダルシア産のシェリー酒「マンサニーリャ:Manzanilla」を飲んで観るのが「通」らしい。食事の時に飲むワインで、よく冷やして、ストレートでもソーダー割でもイケルらしい。カップルでデートして、女性が「マンサニーリャを飲みたいわ」と、男に言えば、「今夜は帰りたくないの」。という意味らしい。いいじゃないですか。オペラ映画を観て、早速、洋酒専門店の成城石井へ、Manzanilla LA GITANA(マンサニーリャ・ラ・ヒターナ)を買いに行った。
パルケに行ったときは、そんな粋な意味があるなんて、全く知らなかった。

カルメンのオペラを観劇したことはないが、フランチェスコ・ロージー監督が、オペラ映画「カルメン」を作ってくれたお陰で、ジョルジュ・ビゼー作曲のオペラ「カルメン」を知ることができた。今作のオペラ演奏は、ロリン・マゼール指揮、フランス国立管弦楽団の演奏で、合唱はラジオ・フランス合唱団と児童合唱団である。

スペインのアンダルシア州で醸造される、シェリー酒のマンサニーリャ・ラ・ヒターナ
(MANZANILLA LA GITANA : ラ・ヒターナとはジプシー女という意味)

主演女優のカルメンに、多くのカルメン歌いの中から、ジュリア・ミゲネス=ジョンソン(メッゾソプラノ)が抜擢された。世界を代表するオペラ歌手のマリア・カラスもカルメンのハバネラを歌っているが、オペラには出演していない。その理由は、カルメンという女が「下品で」好きになれないそうだ。

この作品で、イタリアン・レアレズモ(リアリズム)を出したいフランチェスコ・ロージー監督は、1820年代のアンダルシアを再現するため、徹底的な時代考証に拘って、主役のカルメンを土臭いロマの女に見せるため、ブルネット(黒髪)のカールヘアにし、開(はだ)けたドレスから脇毛が見えるし、勿論ノーブラである。
衣装もアイロンが当たっていない、洗い晒しのドレスである。
ロマの男も接ぎの当たったズボンを穿いている。
(ロマのカルメンが、美しいブロンドで、貴婦人が着るようなドレスを着ていたら、可笑(おか)しい)

ジュリア・ミゲネス・ジョンソンは、1949年にアメリカのNY生まれで、両親はギリシャ人とアイルランド系プェルトリコ人の混血で、ラテン系のオペラ歌手だ。
舞台のミュージカル「南太平洋」、「ウェストサイド物語」、「屋根の上のヴァイオリン弾き」に出演して、歌唱力と演技力を身に付け、やがてミュージカルから本格的なオペラ歌手に転向して、1980年に、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」でムゼッタ役を演じ、この作品で、プラシド・ドミンゴと共演したことで、オペラ界の大御所・ドミンゴに歌唱力と演技力を認められ、その後フランス語のレッスンを受け、彼の推薦で、1984年製作の映画でカルメン役に抜擢されたらしい。ミゲネスのメゾソプラノも良いが、顔の表情、演技も素晴らしかった。

主演男優のドン・ホセに、プラシド・ドミンゴ(テノール)が出演。
ドミンゴは、ルチアーノ・パヴァロッティ、ホセ・カレーラスと並ぶ、オペラ界三大テナーの一人である。テレビで三大テナー共演を観たことがある。
1941年に、スペインのマドリードで生まれ、少年の頃にメキシコへ渡って音楽家(ピアニスト)を志したが、周囲から歌唱力の素質が高く評価され、オペラ歌手の道に進んだ。
その活躍ぶりは皆さんご存知の筈だ。永年にわたるオペラ歌手の才能と活躍がイギリスとフランスで認められて、2002年に、英国王室からナイト(騎士)の勲功爵と「Sir」の称号が与えられ、フランス政府からも、レジオン・ドヌール勲章が贈られた。

助演女優のミカエラに、フェイス・エシャム(リリックソプラノ)が抜擢された。
1948年に、アメリカのケンタッキー州で生まれ、両親が医者と看護婦という環境で、名門のNYジュリアード音楽院で学んだアメリカ育ちのオペラ歌手である。
当作品でのミカエラ役が、欧米諸国のオペラ興行界で注目され、舞台出演依頼のオファーが殺到。現在は現役を退き、声楽のプロフェッサー(教授)として英国で後進の指導に当たっている。

助演男優のエスカミーリョに、ルッジェーロ・ライモンディ(バリトン)が出演。
ライモンディは、1941年にイタリアのボローニャ生まれ。幼い頃からバリトンの声が注目され、16歳の時ミラノの音楽院に学び、オペラ歌手を目指す。
1964年には、スポレート国立若手オペラ歌手コンクールで優勝し、オペラ初出演のチャンスを得て、プッチーニの「ラ・ボエーム」でコッリーネ役を演じ、オペラ・デビューした。その後は順風満帆の活躍だ。
今回のオペラ映画では、ライモンディが初体験の闘牛や乗馬のシーンがあって、とくに乗馬のトレーニングに苦労したと語っている。

プロローグの闘牛シーンで、エスカミーリョが真剣を闘牛に突き刺す時の引きの画のシーンは、本物の闘牛士・サンティアゴ・ロペスがライモンディの代役を務めている。
なお、劇中の舞踏の振り付けは、フラメンコ振り付け第一人者のアントニオ・ガデスである。

オペラ映画の「カルメン」は、曲も、歌も、ダンスも良いし、ストーリーも分かりやすくて面白い。長い間に手直しされてきた成果だろう。
恥ずかしながら、還暦超えてから、初めてこの映画のDVD(紀伊国屋書店発売)を自宅で観て、久々に凄く感動した。個人的には、ミュージカル映画の常識を打破した大作だと思っている。とても気に入ったので、「アラビアのロレンス」と同じく、何回も繰り返して観ている。小難しい映画ではなく、プロローグからエピローグまで、理屈抜きに面白い。

因みに「カルメン」という名を冠した映画は多く、1948年にチャールズ・ヴィダーが監督した同名のDVDを持っているが、当時のコロムビア映画のドル箱セクシー女優、リタ・ヘイワースがカルメンを演じているが、台詞は英語で、ビゼーの音楽が使われていない。

ぼくは、カメラマンの仕事で飯を食ってきたので、映画を観る時は、カメラワーク(撮影技術)とライティング(照明技術)には、とくに注目する。
先ず、ヴィスコンティと組んだ「ベニスに死す」や「イノセント」で、長回しを得意とする?パスクァリーノ・デ・サンティスのカメラワークが良い。
今作のカルメンは4幕のオペラ映画で、幕間(まくあい・Entr'acte)は、静止画の映像を長々と流さず、男女がペアで踊るフラメンコのシーンなどが挿入されていて、幕間のシーンでも観客を楽しませてくれる。


ストーリー

この映画は、カルメンとドン・ホセ(台詞ではドン・ジョゼ)の性格を知るためには、歌詞の内容を理解することが重要なので、粗筋でなく、台本形式にしました。

プロローグ「前奏曲」が始まる。

プロローグのタイトルロールの背景には、スペインのアンダルシア州の高地にあるロンダの闘牛場で、騎馬闘牛士(ピカドール)によって3本の槍が背中に刺された闘牛のアップ。騎馬闘牛士の役割は、槍を突いて闘牛怒らせ、牛の体力を消耗させるだけの仕事なので、タフな闘牛は死なない。

仕留めるのは、トレロ(徒歩闘牛士)の中からマタドール(闘牛を仕留めることが許された最高の闘牛士)のエスカミーリョ(ルッジェーロ・ライモンディと彼の代役)がトロ(闘牛)にとどめの剣を突き刺して、観客から拍手喝采を受ける。

続いてのシーンは、アンダルシア州セビリャの聖堂(カトリック教会)で行われる荘厳な「セマナ・サンタ」の祭礼。
大勢の信徒がキリストを救えなかったナザレノ人の悔悛者(かいしゅんしゃ)に扮し、喪服である黒いマントと先の尖った細長い円錐形の頭巾(ずきん)を被り、先頭を歩く者は背丈ほどある長いロウソクを灯して行進し、その後の者は十字架を背負って行進し、キリスト受難の日々、キリストの死、キリストの復活を再現する。
大勢の信徒に担がれた山車(Paso)には、嘆きのマリア像が安置されている。キャメラは、嘆きのマリア像をアップして、悲しみのエピローグを暗示させる。

第一幕「広場にゃ色んな輩(やから)がいる」のコーラスから始まる。


セビリャ市に近いカルモナのタバコ工場前の広場の群衆のロングショット。
そこへ、タバコ工場に出勤する、凡そ五百人の若い女工たち。殆どがロマの女で、女工には乳幼児の子連れも多い。
花売りは、赤いカーネーションをテーブルの上に並べて待っている。殆どの女工達は赤いカーネーションの花を掴んで、結った髪に挿して、工場に吸い込まれていく。

タバコ工場と道路を挟んだ所に、アルカラの竜騎兵(銃で武装した騎馬兵)が駐屯する兵営がある。
ここでは、早番と遅番のそれぞれ10人の竜騎兵がシェスタ(昼寝の休み)の前に交代する。

ナバラ(バスク地方)から、お下げ髪姿の美しい村娘のミカエラ(フェイス・エシャム)が、竜騎兵伍長のドン・ホセを訪ねてやってくる。
カルモナを警備するアルカラの衛兵たちは、ドン・ホセは遅番の勤務だから、しばらく中で待つように説得するが、イケメンの衛兵5名に囲まれた貞淑なミカエラは、「中で待つのはダメです。出直します」と、きっぱり断って引き返す。


そして、竜騎兵交代の時間がやってきた。ドン・ホセ伍長(プラシド・ドミンゴ)を先頭に、10名が馬に跨り隊列を組んで兵営(へいえい:軍人が集団で居住する施設)の門に向かう。好奇心旺盛な腕白少年たちは、カッコイイ竜騎兵が大好きで、隊列の後を付きまとう。

竜騎兵交代儀式のあとで、上官のモラレス(フランソワ・ル・ルー)が、ドン・ホセにお下げ髪の美しい娘が名も告げず訪ねに来たと伝えると、ドン・ホセは、ミカエラのことだと察する。

(※この映画では、アンダルシア州のセビリャとナバラ州のパンプローナは、近いように描かれているが、実際は600km以上(神戸〜東京)ぐらい離れている。1820年代の頃なら、馬で一週間以上は掛かっただろう)

遅番の当直に就いたドン・ホセは、新任してきた上官のスニガ中尉(ジャン=ポール・ボガート)に、兵営の近くにあるカルモナのタバコ工場の様子を訊ねられ、
「この辺では名物のタバコ工場です。気の強い女工が、400〜500名ほど働いていて、男子禁制です。若い女工の中には半裸で仕事している者もいて、目のやり場に困ります」と答えると、
スニガ中尉は、「なるほど、隊のみんなが、タバコ工場を覗き見したがるのは、当たり前だな」と、ニタリとする。

スペイン独特のシェスタ(昼寝の休み)の時間になり、タバコ工場から大勢の女工が広場にやってくる。意中の女工らを待ちわびる男達とダンスに興じる。

しかし、男達の憧れの的は、カルメンシータ(Carmencitaのcita は、いい女に対する褒め言葉)だ。
カルメン(ジュリア・ミゲネス・ジョンソン)は、工場横に造られた、風呂代わりのプールに浸かって、気に入った仲間たちと水浴びしており、男達は覗き見する。


カルメン(カルメンシータ)は、自分目当てに、大勢の男達が来ていると知ると、洗い晒しのドレスを着てハバネラ(民族音楽)の「恋はなつかない鳥(恋は野の鳥)」を歌い始め、広場のみんなが踊り出す。ここのアリア(独唱)が、とても素晴らしい。

フランス語の歌詞

L'amour est un oiseau rebelle
Que nul ne peut apprivoiser
Et c'est bien en vain qu'on l'appelle
S'il lui convient de refuser

Rien n'y fait, menace ou prière
L'un parle bien, l'autre se tait
Et c'est l'autre que je préfère
Il n'a rien dit, mais il me plaît

L'amour L'amour L'amour L'amour

恋は、なつかない鳥。
誰が呼んでも、いくら呼んでも、
ご機嫌が悪いと、来やしない。
いくら脅そうが、いくら頼もうが、無駄なこと。
ある者はおしゃべりで、ある者は無口
無口な男の方が、私の好みだけど、
でも、好きになるには、見た目も大事。
ラムール(恋)、ラムール、ラムール、ラムール

カルメンが歌い続けるので、広場の方でみんなが踊り出し、騒々しいので、竜騎兵伍長のドン・ホセが職務をサボっている隊員を持ち場の警備に戻す為、階段を降りてやってくる。
カルメンはドン・ホセの前で、アカシアの樹から白い花を千切って後ろに隠し、

L'amour est enfant de bohème
Il n'a jamais, jamais, connu de loi
Si tu ne m'aimes pas, je t'aime
Et si je t'aime, prends garde à toi
Prends garde à toi
Si tu ne m'aimes pas, si tu ne m'aimes pas, je t'aime
Prends garde à toi
Mais si je t'aime, si je t'aime, prends garde à toi

恋は、ロマ(※ボエーム)の子。 
掟なんか、知っちゃいない。
あなたに嫌われると、私が好きになる。
私に好かれたら、せいぜい気をつけな!・・・(まだまだ続くが、以下省略)」
と歌う。

カルメンは自分に全く無愛想な、無口なドン・ホセが一目で気に入って、左手で隠していた白い花をドン・ホセに投げつける。群衆がどよめく。
女工達はシェスタ(昼休み)が終って工場へ戻っていく。


カルメンが投げた花を拾っているところに、カルメンとは性格が正反対の貞淑なミカエラがやってくる。
ミカエラは、ナバラにいるドン・ホセの母の言付けを届けにきたのだ。
ミカエラは、幼い頃が孤児だったので、優しいドン・ホセの母が我が娘のように育てた女性である。
その手紙には「私は年老いた。この手紙を預けたミカエラと早く結婚して、母を安心させておくれ」と書いてある。
ミカエラも、ドン・ホセを密かに愛し、その気になっている。ドン・ホセは、カルメンの投げた花が気になって、心の整理がつかないまま、
「息子は元気で働いていると、故郷の母に伝えて欲しい」と、ミカエラに伝言を頼む。
(ミカエラとドン・ホセの、長い二重唱が聴きどころ)


ミカエラが帰っていくと、タバコ工場で大騒ぎ。
カルメンが些細なことで、同僚のマヌエリータ(マリア・カンパノ)と喧嘩したのだ。事件の発端は・・・、
マヌエリータ:「私ね、良いロバを見つけて、買ったの」。1820年頃のロバの値打ちは、現在の軽自動車のようなもの。
カルメン:「それが、どうしたのよ? 私なら似合うけど、あんたには、ぜんぜん似合わないよ!」
マヌエリータ:「私に、喧嘩売る気?」
カルメン:「あんたが、ロバに乗ればハエがたかるよ」。
二人は取っ組み合いになって、カルメンはタバコの葉を切るナイフでマヌエリータの頬に切りつけた。
マヌエリータには非がない。



工場からの助けを求める声に、ドン・ホセは、傷害事件を起こしたカルメンを逮捕に行く。ふて腐れたカルメンは、両手を縄で縛られ、広場に連行された。スニガ中尉は、喧嘩の原因をカルメンに訊くと、
カルメンは歌い出し、「トラララ、トラララ・・・斬られようが、焼かれようが、私は何も喋らないよ」。
スニガ中尉は、カルメンの扱いに困惑し、ドン・ホセに、カルメンを兵営の牢屋に入れるように命じた。

兵営の牢屋で、二人きりになると、
カルメン:「ねぇ、逃がしてよ。あんた、バスク出身でしょ。(エスパーニャ:スペイン人が決めた掟なんて、どうだっていいじゃない)」。
ドン・ホセ:「そういうお前も、どこから見てもロマだ。・・・お前を牢屋に入れたのは、ここの規則だ」。
カルメンは、「あんた、私の投げた花をこっそり拾ってたでしょ・・・見たわ。もう、棄てな。棄てても私の魔力が効いている」。
そして、歌い出す。

「セビリャ城壁の傍の、リリャス・パスティア(ジュリアン・ギオマール)の店で、
セギディーリャ(ラ・マンチャ地方の民族音楽)を踊って、私を助けてくれる新しい恋人と、マンサニーリャを飲むの・・・」と歌って、ドン・ホセを色っぽく誘惑する。
気になっていた女から誘惑され、動揺したドン・ホセは、業務を忘れて・・・、
「おお、カルメン・・・俺は、あの時から、お前のことが気になっていた。お前の歌を聴いて、お前が好きになった」と言って、
カルメンの手を縛ったロープを解く。



その時に突然、スニガ中尉が現れ、ドン・ホセは大慌てで、カルメンの手を縛り続けているように誤魔化す。カルメンも縛られたように演技する。
スニガ中尉:「書類は出来た。明日、お前を裁判所へ連行するからな。それまで、ロマの歌でも歌っておけ!」
中尉が帰ると、カルメンは、
「明日、連行される時、私がロープを強く引っ張った時は、あんたは馬から落ちてね。後は私に任せて。リリャス・パスティアの店で待っているわ」。
ドン・ホセは、カルメンの策略にまんまと引っ掛かって、カルメン逃亡の手伝いをしてしまう。
逆に、ドン・ホセは営倉(えいそう:罪を犯した兵士の牢屋)に入れられる。

幕間の間奏曲が流れる。
夕暮れのセビリャの宮殿の広間で、若い男女がフラメンコを踊っている。
キャメラを引くと、貴賓席には、数名の公卿・貴族と、グラナダの闘牛士エスカミーリョがワインを飲みながら鑑賞している。

第二幕:ロマの歌「シストラムを振って」から始まる。

夕方のロマのテント。十張りほどの大きなテント内には油を使ったランプの明かりが灯っている。
大勢のロマたちが、焚き火を囲んで食事をしたり、後片付けしたり、ロマのテント生活が描写される。
そのテントの奥にリリャス・パスティアの居酒屋があって、キャメラは、その賑やかな店内に切り替わる。
カルメンは女友達のメルセデス(スーザン・ダニエル)、フラスキータ(リリアン・ワトソン)らと共に「ロマの歌」を歌い、店内は大いに盛り上がっている。


客の兵士の一人は、カルメンを持ち上げてテーブルの上に立たせると、カルメンはフラメンコを踊り出す。ジュリア・ミゲネスの演技の見せ場である。カルメンを気に入ったスニガ中尉も来店している。逃げたカルメンは無罪で、逃がしたドン・ホセは有罪。カルメンを気に入ったスニガは、カルメンにキスし、ドン・ホセが刑期を終えて今晩保釈されると、カルメンに教える。

やがて、夜の閉店時間になり、店終いを始めた時に、グラナダの闘牛士・エスカミーリョ(ルッジェーロ・ライモンディ)の一行が現れる。エスカミーリョは、4頭だての豪華なコーチ(Coach:7人乗り)から降りて、「トレアドール」を朗々と歌い、歓迎を受ける。
(エスカミーリョを演じた、ライモンディのバリトンが素晴らしい)

カルメンはイケメンで凛々しいエスカミーリョに一目惚れ。
鏡を使って、焚き火の反射をエスカミーリョに照らす。カルメンに気付いたエスカミーリョは、気に入ったカルメンらと再会を約束し去って行く。
(※「トレアドール」には、オペラ・カルメンのトレアドール(ビゼー作曲)と、バレエのドン・キホーテにもトレアドール(レオン・ミンクス作曲)がある。



エスカミーリョの一行が去ると、店主のリリャス・パスティアは、ダンカイロ(ジャン=フィリップ・ラフォン)の仲間を残して客を追い出し、密輸商品運搬の打ち合わせをする。密輸商人のボスで、カルメンのかっての情夫だったダンカイロが刑期を終えて帰ってきたのである。
ダンカイロは、カルメン、メルセデス、フラスキータに、ジブラルタルで密かに陸揚げした英国の密輸品を密売する仕事を手伝って欲しいと頼み込む。
しかし、カルメンは断る。

ダンカイロ:「なぜだ?理由を聞かせてくれ。お前も一緒に行かないと困るんだ。ニセ取引や詐欺のような危ない仕事には、(美人で機転の利く)女が必要なんだ」。
カルメン:「実はね、恋をしたのよ。その新しい恋人が、今晩やってくるの」。
ダンカイロ:「またか、どんな男なんだ?」
カルメン:「ドラゴン(竜騎兵)の伍長よ」。
ダンカイロ:「よし、その男もいざと言う時に役に立つかも知れん・・・一緒に連れて行こう。お前は仕事と恋をいつも両立できるからな」。
カルメン:「仕事より恋の方が大事な時もあるわ」。
ダンカイロ:「お前の恋は持って半年。どうせ、すぐに飽きるんだろ。その男を俺たちの仲間に引き付けろ!」
アルカラ竜騎兵の歌が聞こえる。
カルメン:「きっと、ドン・ホセよ。みんな、しばらく隠れてくれない」。
仲間達は、自分たちの部屋に散っていく。

ドン・ホセは、リリャス・パスティアの店にやってきて、カルメンと会う。嬉々としたカルメンは自分の部屋にドン・ホセを招き、熱いキスと抱擁を何度も繰り返す。
カルメン:「今日はお店で踊り疲れたけど、あなたのために、特別に踊ります」と言って、艶めかしく、「トラララ トラララ 、トラララ〜」と歌いながら、ストリップ・ショーのように、踊りながら上着とペティコートを一枚一枚脱いでいく・・・。
穿いたペティコートがラスト一枚になった時、帰営のラッパが聞こえる。

ドン・ホセ:「カルメン、帰営のラッパだ。今すぐ、帰らなければ」。
カルメン:「タラタタ〜、タラタタ〜、ラッパが鳴ったら、あんたは帰るの。あぁー、私は何とバカなんだろ!点呼の度に兵営に帰るなんて・・何でこんな無粋な男に惚れちまったんだろ。行っちまいな、カナリヤ!」と、ドンホセが脱いだ上着や帽子をドン・ホセに投げつけて怒り出す。
カルメン:「あんたは、自分の事の方が、私より大事なんだ。私のようなロマの自由な生活に加わりたくないのなら、私を本当に愛していないんだわ」とわめく。
ドン・ホセ:「そんなことは無い。お前が俺に投げた花は、肌身離さず大事に持っているよ。ほら、こんなに萎れて干からびても、この花は甘い香りを放っていた。営倉に入れられても、お前を恨まず、お前を愛する気持ちは変わらない」と歌い出す。
カルメン:「じゃあ、あんたの馬に私も一緒に乗せて。どこかで自由な暮らしをしましょ」。
ドン・ホセ:「おぉー、それはダメ、ダメ。軍隊から逃げるのは、男にとって不名誉なこと。そんなことはしたくない。」
カルメン:「・・・あんたとは、もう冷めてしまったわ。帰ってよ」。
ドン・ホセ:「お前とは、これっきりにしょう」。

ドン・ホセが帰り支度をして、カルメンが玄関まで見送ろうとすると、玄関でドアを激しく叩く音が・・・。
何と、スニガ中尉がカルメンを訪ねに来たのである。
中尉は、カルメンとドン・ホセを見るなり、
「厭な選択だな。上官の俺より、部下を選ぶなんて。身分の低い伍長は、サッサと帰れ」。
ドン・ホセは激高して、サーベルを抜く。中尉もサーベルを抜いて応戦する。

カルメンが大声で仲間に助けを求めると、ダンカイロらが出てきて中尉を抑え縛り上げる。
ドン・ホセは、上官に対しサーベルを抜いたことで、兵営に戻れなくなってしまい、仕方なくダンカイロの仲間に入って、彼らと行動を共にする決心をする。カルメンは機嫌を直し、ドン・ホセを自分の部屋に連れていく。
(※メリメの小説では、スニガ中尉はドン・ホセに殺される)

幕間(まくあい)の間奏曲が流れる。

上空に大きな鷲が獲物を探して旋回している。
その下を馬に乗ったミカエラが行方不明になったドン・ホセを探すため、山道を行く。
トレロのエスカミーリョも馬に乗って、旅に出たカルメンを探すため、山道を行く。

第三幕「聞けよ、仲間よ」のコーラスから始まる。

早朝にダンカイロ一味は、ロバには荷物を背負わせ、人は馬に乗って仕事に出る。そして、険しい山中の洞窟に野営する。
カルメンは元情夫で密輸団のボス・ダンカイロには従順なので、道中のドン・ホセのヤキモチぶりには辟易し、二人の仲は急速に冷えていく。カルメンは人から頼まれるのは厭わないが、人から頭ごなしに命令されたり、人に束縛されるのが大嫌いな女なのだ。

薪集めが済んだ休憩中に、メルセデスとフラスキータはトランプで占いをする。
二人がトランプで占うと、片方は年下の若いイケメンが現れて結婚し、毎晩情熱的に愛される恋愛運や、片方は年寄りの大金持ちと結婚して、すぐに夫が死んで、大金持ちの未亡人になれる金運が出て、二人は大喜びするが、カルメンがトランプ占いをすると、何度やっても、自分の死を暗示する凶の札が出る。
カルメンは不安に駆られて落ち込む。

ダンカイロの密輸団一行は、ドン・ホセを洞窟に見張り役として残し、荷物を運搬するため出掛けていく。
もう一方では、ドン・ホセが軍から逃亡して、お尋ね者になってしまった悪い噂はナバラにも伝わり、母は息子の身を案じ、ミカエラがガイドを雇ってドン・ホセの居場所を探しにいく。

そして、ミカエラは、一行のアジトを発見し、「何も怖れることはない」と歌い、ドン・ホセを魔性の女・カルメンから取り戻す決意をする。

洞窟で見張っていたドン・ホセは、馬の足音がしたので、銃をぶっ放す。
馬に乗っていたのは、トレロのエスカミーリョだった。エスカミーリョは、好きになったカルメンに会いにきたのだ。
ドン・ホセは、それを知って嫉妬し、カルメンを手にするには、俺に支払が必要だと、エスカミーリョにナバハ(短剣)での決闘を申し込む。
激しいナイフの闘い・・・そこへ、銃の音を遠くで聞いたダンカイロ一味は馬で駆け付けて、カルメンは二人の決闘を止めさせる。

エスカミーリョはドン・ホセに向かって、
「俺は闘牛士だ。俺の仕事は闘牛を剣で仕留めることで、人を仕留めることではない。お前が望むのなら、このカタ(決着)は、次の闘牛が済んでからにしよう。次の闘牛は、おれの奢りだ。
みんなで来てくれ。カルメンよ、お前が俺を好きになってくれるまで、俺は待つ」と行って、去っていく。カルメンの恋の相手は、100%エスカミーリョに傾いた。



この様子を岩陰からみていたミカエラは、一味に発見され、ミカエラは自分からドン・ホセに近づいていく。
ミカエラ:「あなたのお母さんが病気で危篤なの、私と一緒に早くナバラに帰りましょう」。
ドン:ホセ:「母上が危篤、・・・帰るしかないな。カルメン、また会おう」。
カルメン:「そうしな。あんたは、ウチらの仕事には用がない。また会う?何言ってんのよ、あんたとはお別れよ」。


幕間の間奏曲が流れる。

ロンダ闘牛場前のロングショット。
ロンダ闘牛場の主催者(プレジデント)の部屋で、トレロ(徒歩闘牛士)のエスカミーリョが、闘牛士の正装をし、礼拝室に一人で入って、聖母マリアにお祈りする。

第四幕「さぁ、たった、2クァルトだよ」のコーラスから始まる。

闘牛開催日とあって、オレンジ売りや扇子売りの露店が並ぶ。
カルメン、メルセデス、フラスキータは着飾って、馬車で闘牛場にやってくる。


ここで、闘牛について簡単な説明・・・スペインの闘牛には伝統的なルールがあり、出場者には役割と階級がある。
馬に乗って入場するのは、槍を持った騎馬闘牛士(ピカドール)。闘牛を槍で突いて怒らせる役目で、闘牛(トロ)の闘争心と体力の疲れ加減をコントロールする。どんな優秀な闘牛士でも、無傷の闘牛を剣の一突きで仕留めることはできない。

続いて登場するのは、真剣とムレタ(赤い布)を持った徒歩闘牛士(トレロ・最高位がマタドール)で、闘牛主催者から、闘牛を仕留める権利を与えられた者である。剣の一突きで、闘牛の心臓に近い動脈か静脈の血管を切って仕留めるのが、マタドールやトレロの仕事だ。
徒歩闘牛士は、マタドール、トレロ、昇級したてのトレロの3人が出場し、制限時間10分以内に、一人で1頭を仕留め、1日に一人の闘牛士が2回ずつ出場して、合計6回の闘牛を行うのが決まりだが、10分以内に仕留められない場合は、その回の闘牛は10分で中断し、仕留められなかったトレロは降格し、次回から出られなくなる。大変厳しい世界なのだ。

闘牛のルーツは、ローマ帝国時代に遡る。奴隷とライオンを闘わせた見世物があった。その派生で闘牛という文化が生まれたが、日本で行われる闘牛は、闘牛同士で闘わせる。



身支度の整った3名のトレロが、顔見せのため砂場に入場すると、大観衆の歓声が場内に響き渡る。
カルメンは勝負服の真っ赤なドレスで観客席に座ると、エスカミーリョは、「この一戦を俺が愛するカルメンに捧げる。見事に仕留めて、君の自慢する男になる」。と言って、投げキッスを贈る。



一緒で観戦にきた、メルセデスとフラスキータは、席の近くにドン・ホセを発見する。
カルメンの親友達:「カルメン、ここにいない方がいいよ。ドン・ホセが後ろに来ているよ。心配だわ」
カルメン:「私は逃げないよ。あんな奴怖くないよ。今日こそ、話をつけてやるわ」。
カルメンは闘牛をそっちのけで、ドン・ホセに近づき、闘牛場裏の広場に向かう。



二人は広場の真ん中に立って、
カルメン:「みんなから気を付けろといわれたけど、脅しに怯えるような女ではないわ」。
ドン・ホセ:「脅しではないよ。お前と仲直りに来た。お前が言ってたように、どこか遠くの土地で一緒に自由な暮らしをしょう」。
カルメン:「もう、あなたとの関係は完全に終ったのよ。これからは、私の前に現れないで」。
ドン・ホセ:「カルメン、まだ間に合うぞ。俺はお前を愛している。お前だって俺を愛してくれたじゃないか。あの頃に戻ろう。一緒になって俺を救ってくれ」。
カルメン:「もう、潮時よ。あんたの言うことは、もう、聞き入れられないわ」。
ドン・ホセ:「カルメン、俺を愛してくれ。俺の魂の救いを無くさないでくれ・・・」。
カルメン:「何度、愛しているって言われても、こっちは、もうその気がないんだから」。
ドン・ホセ:「あの男を愛しているんだな」
カルメン:「そうよ。あの人から招待されて、応援するために来たのよ」。
ドン・ホセ:「俺に、諦めろ、というのか?お前が、あの男といちゃついて、二人で俺をバカにして笑っている姿を思うと・・・俺には耐えられない」。
カルメン:「私には、あんたとの関係は、もう終ってしまったことなの」。
ドン・ホセ:「カルメンよ、お前を離したくない。あの男に渡したくない」。
カルメン:「話は、もう終わりよ」。



丁度その時、エスカミーリョは闘牛を倒し、闘牛場に大歓声が沸き上がる。
カルメンは、エスカミーリョを称えたいので、観客席に向かおうとする。
ドン・ホセはカルメンの前に立ちはだかり、行く手を阻む。
ドン・ホセ:「もう、俺を愛してくれないんだな。あの男に渡すぐらいなら、お前を殺す」。
カルメン:「あんたに、私を殺せるもんですか。そうそう、あんたに貰った指輪返すわ!やれるなら、やってみなさいよ」。


ドン・ホセはカルメンに抱きつき、エスカミーリョとの決闘用に持っていたナバハ(短剣)で、カルメンの腹部を2回突き刺す。
カルメンは砂場に仰向けに倒れる。
カルメンの帰りが遅いので、心配したメルセデスとフラスキータは闘牛場裏の広場に駆け付ける。
カルメンの息は既に切れて、安らかに眠っていた。
ドン・ホセは、半狂乱になって、
「俺がカルメンを殺した。逮捕してくれ。あぁー、カルメン、カルメン・・・」。と泣き叫ぶ。

エピローグ「恋はなつかない鳥」

短剣で刺されて倒れたカルメンの俯瞰のストップ・モーション。製作者のエンドロールが流れる。カルメンが歌っていたハバネラ、「恋はなつかない鳥」が流れる。
エンド・ロールが終わると、闘牛のシーンが長々と続く・・・これは、観客が涙を拭く時間だ。

バスク人のドン・ホセは、苦労して掴んだスペイン兵士の仕事を真面目に勤めて伍長に昇格し、母が許嫁(いいなずけ)に認めたミカエラと結婚して幸せな生活を送り、母を安心させる筈だったが、その人生設計は、ロマの女・カルメンとの衝撃的な出会いで、人生の歯車が完全に狂わされてしまい、最後は報われぬ愛が憎悪に反転して、悲惨な結末。カルメンも幸せの直前で全てを失ってしまう。
ドン・ホセとカルメンの生き様は、他人事(ひとごと)ではない。オペラの創作とは言え、誰が、この二人を嘲笑(わらえ)るだろか。

2012年5月30日 尾林 正利

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