上のスケッチは、今は無くなった道頓堀の芝居小屋、中座(なかざ:1999年に廃業して解体、レジャービルに建て替え)の玄関前を通る今宮戎神社への十日戎詣に、賑々しく芸妓(げいぎ、げいこ)さんを乗せた3挺の宝恵駕籠参詣隊の巡行光景を1994年1月にフィルムカメラでスナップ取材して、そのプリントを参考にして描いたものです。
平日の夕方に京都の祇園や先斗町(ぽんとちょう)で、お茶屋さんが軒を連ねる通りを歩いていると、芸妓(げいこ)はんや舞妓(まいこ)はんと出会うのは、別に珍しくはありませんが、大阪では心斎橋筋を歩いていても、日本髪を結った芸子さんの姿は殆ど見掛けません。
でも、1月の十日戎には南地花街 (宗右衛門町界隈)の芸妓さんと、一般募集で選ばれた福娘さん達が、十日戎の神事にご奉仕しており、6月の住吉大社の御田植神事には植女(うえめ)役に新町の芸妓さんたちが神田(しんでん)の中に造られた舞台で舞をご奉仕しますし、6月30日〜7月1日の愛染祭には、今里の芸妓さんが神事に奉仕し、大阪市内にも京都の祇園のような花街があるということが分かります。
「お茶屋遊び」は、月末〆精算・翌月支払の商売なので、一見さんはお断りなのは言うまでもありません。政財界の要人や豪商、裕福な文化人が遊びにいくところですが、昨今では、一見客でも「お茶屋遊び」を体験できるお店もあるようです。
1994年1月10日には、3挺の宝恵駕籠が宗右衛門町の料亭「大和屋(やまとや:現在は料理旅館)」さんの玄関前から、今宮戎神社に向けて出発しました。
近年は長い景気の低迷で、芸者の乗る宝恵駕籠は1挺だけで巡行するようになりました。道頓堀の戎橋近くでは、有名芸能人やプロ野球選手、歌舞伎役者、福娘の代表も宝恵駕籠に乗りますが、これはテレビニュース番組や夕刊に載せるプレス用サービスのためで、有名人は今宮戎神社の拝殿までは乗りません。
大阪での正月明けの年頭行事は、1月4日(土・日が重ならない場合)に、大阪証券取引所で行われる大発会(だいはっかい)や1月6日(2008年)の「消防出初め式」がありますが、一般庶民が参加する華やかなお祭といえば、やはり、「十日戎」が初めの祭になるでしょう。
大阪では、十日戎の祭礼を「えべっさん」と、親しく呼びます。えべっさんは曜日には関係なく、毎年1月9日から11日まで行われ、今宮戎神社例祭の本戎になる10日には、通例では南地花街の芸者を乗せた宝恵駕籠参詣隊の行列が中央区宗右衛門町(そうえもんちょう)の老舗料亭「大和屋」さん前から大勢の南地花街の芸者衆を集めて賑々しく出発します。これが、十日戎のハイライトですね。
大阪市内には、ミナミの今宮戎神社とキタの堀川戎神社の二つがありますが、今宮戎神社の方が祭礼が華やかです。
宝恵駕籠参詣隊は、掛け声を囃し立てながら行進します。
「ほえかご、ほえかご、ほえかご、ほえかご 年の始めのえべっさん、商売繁盛で笹もってこい!商売繁盛で笹もってこい!」
今宮戎神社の境内は威勢のいい掛け声が響きます。宵えびす(9日)、本えびす(10日)、残りえびす(11日)に約100万人の参詣者が訪れるそうです。
上のスケッチは、1991年1月10日にスケッチ用の写真取材をして、それを参考に7月から仕事の合間に下絵を描いて7月24日に色付けしたものです。
芸妓(げいこ又は、げいぎ)を乗せた宝恵駕籠が、道頓堀の中座(歌舞伎の芝居小屋)の前を通る様子を描いています。
残念ながら、伝統ある中座は14年前に取り壊しが決まって、その解体中に火災を起こして全焼し、火の手は法善寺横町の飲食街にも及び、数軒が延焼しました。中座の跡地は商魂逞しい、けばけばしいゲームセンターに変貌し、往時の文化を偲ぶ面影はありません。
スケッチ制作:尾林 正利 1991年に制作
絵のサイズ:48×54.5cm
記事の更新は2014年12月7日
上の絵をご購入される方は原画を忠実に再現した「四つ切」プリントをステンレス調の額に入れて17,000円
(送料込み) で販売しておりますので、ご希望の方フォームに「お名前」、「メールアドレス」、「 ほえかご 」と、ご記入してください。
フォームに記入する作品名:えべっさん