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上の写真は、奈良県五條市大津町 (おおづちょう) にある真言宗の念仏寺 (正式には念佛寺) で、毎年1月14日に行われる修正会 (しゅしょうえ) の結願法要 (けちがんほうよう)である「鬼走り(おにはしり)」の行事です。この行事では、阿弥陀如来に仕える3人の鬼が主役になりますが、これは節分の行事では無いので、豆撒きをしません。 大阪では、祖父母と一緒に暮らすような家庭では、2月3日の節分の日には、家族全員が揃っているときに玄関の扉を開けて、家長の父親が豆撒き(後で撒いた豆を年齢の数だけ拾って食べるので煎り大豆を使用:千葉では名産の落花生で代用?)をするのが昔からの習わしなんですが、今でも子供たちが「鬼は外!福は内!」と叫んで、家の中に潜んでいる見えない鬼を自宅から追い出す行事をしているところもあるでしょうね。でも、部屋に撒き散らした豆を拾って食べるようなことはしてないと思いますよ。歳の数だけ食べる豆は枡に残しておいて、子供たちが撒いた豆はお母さんが電気掃除機で吸い取っている筈です。 今 (2015年) から57年も前、ぼくがまだ中学生だった頃に、祖母が煎った豆を一升枡
(いっしょう ます) に入れて、実家で豆撒きをやった記憶があります。そのころのぼくには衛生観念がなく、床に落ちた豆を小皿に回収して13粒〜15粒ぐらいでOKなのに、歳の3倍ぐらいは食べていました。 邪鬼を追い払うという行事は、宮中で始まった追儺 (ついな=厄払い) の行事が民間に広まったもので、「大儺(だいな、おにやらい)」とも呼ばれ、近年では平安神宮で、平安時代の大儺に忠実な行事が再現されているそうです。 飛鳥時代に中国王朝から「周礼(しゅうれい:古代中国王朝の法律)」が伝来し、平安時代の醍醐天皇の御代に制定された「延喜式」では、追儺の行事は大晦日に宮中で行われることが決まり、舎人
(とねり:下級役人) の中から悪鬼が選ばれ、鬼退治する方相氏 (ほうそうし) も舎人の中から選ばれていたそうです。昔は鬼役が悪鬼の面をかぶり、鬼を追っ払う方相氏役は"四ツ目”のお面を被り、手に矛と盾を持ちます。悪鬼を追うのは方相氏だけでなく、群臣や侲子
(しんし:こどもたち) も後に続き、弓矢を放ちますが、追儺の行事は、象徴的な儀式なので、矢を空に向かって放ちます。 この取材は、炎が勢いよく燃える松明の間近で撮影しましたので、火の粉と水飛沫がカメラに飛んできて、我慢の撮影でした。 奈良県五條市新町の写真です。五條新町は文化庁の「重要伝統的建造物群保存地区」に2010年12月に制定され、伝統的な商家が軒を連ねる区域が保存されています。五條市の特徴は、柿(甘柿+渋柿)
の生産量が日本一らしく、とくに「富有柿」が有名で、市内に「柿博物館」があるほどです。 JR和歌山線の五条駅 (五條駅ではない) 近くの本町の街並みです。大阪市平野区の旧平野郷や旧喜連郷区域でも、虫籠窓(むしこまど) の商家が数十軒みられますが、伝統的建造物の軒数では、五條市新町や橿原市今井町にはとても及びません。ぼくは車を駐車場に停めて、1時間ほど町の中を歩きました。五條市新町界隈は、派手に観光地化されていないので好感が持て、のんびりと散歩が楽しめました。 五條市大津町(おおづちょう) 念佛寺陀々堂 (だだどう:清流の吉野川の東南岸にある) 五條市大津町にある念佛寺というお寺は、本尊を安置する本堂が珍しい茅葺きです。浄土真宗と真言宗のお寺です。現在は住職が住んでおらず、鬼はしり保存会の方々が、念佛寺の管理と、「柴燈護摩供(さいとう ごまく)」や「鬼はしり」の伝統行事を守っています。柴燈護摩供や鬼はしりには、火を使いますので、1月14日の夕方には五條市の消防車がやってきて、茅葺き屋根に30分間ほど放水して、屋根を濡らしてから護摩焚きを行いました。日が暮れると屋根が凍って真っ白に...。カメラを持つ手が悴むほど寒かったですね。 元旦から続く修正会の結願法要のため、近隣のお寺から念佛寺に来られたお坊さんです。念佛寺堂内の天井や壁は、鬼はしりの松明の煙で煤だらけでした。煤によって防虫効果があるんでしょうね。個人的には、わずか260余文字の般若心経を未だに暗誦できません。左の段ボール箱には「護摩木」が1000枚入っていました。それを開封して、読経しておられました。 念佛寺の伝統行事を引き継ぐ、旧・阪合部村(さかあいべむら:阪合部とは領主の名前で、1889年に12村を合併した村名にされましたが、1957年に五條町と合併して五條市になる)
の子供たちです。大太鼓や法螺貝の練習をして、鬼はしりの行事に参加します。忍者のようなユニフォームが良いですね。上と下の写真は、鬼はしりの行事に参加する子供たちが、500年も続く町の伝統を練習している様子をモンタージュしました。 鬼はしりで重要なサウンドは、「棒打(ぼうだ)」と呼ぶ、板を激しく叩く音なんです。カタカタカタカタカタ・・・バンバンバンバンバン・・・棒打のリズムで、三人の鬼は、60kgの燃え盛る松明を左手に抱えて、陀々堂の堂内を三周しますので、気合いを入れて激しく鳴らす必要があって、子供たちは、大人の棒打の振付を見て、真剣に練習していました。 上のお面は、左から、子鬼面 (茶鬼)、母鬼面 (青鬼)、父鬼面 (赤鬼)で、木製のお面です。子鬼は右手に木槌を持ち、母鬼は右手に如意棒を持ち、父鬼は右手に斧を持ちます。それだけなら、健康な成人男性なら誰でも出来そうですが、三名の鬼役になる方は、左手に重さ60kgの火の点いた大松明を持ち上げますので、重量挙げ選手並の怪力の人でないと鬼役が務まりません。鬼面は、五條市の文化財に指定されています。 鬼はしりの行事は、棒打や大太鼓の音に合わせて、3人の鬼が火の点いた大松明を持って堂内を三周しますので、廊下には火の粉が飛び散って、かなり危険な行事なんです。だから、夕方4時頃に、予行演習を念入りに行います。3人の鬼に、それぞれ一人ずつの「佐(すけ)」と水天(カワセ:水を張った手桶と笹の葉を持った人)という、阿吽の呼吸のアシスタントが付き添い、水天 (カワセ) は松明の火の勢い調節を行い、佐 (すけ) は鬼が火の点いた大松明を床に落とさないように、素早く下から持ち上げる役をします。鬼はしり行事の開始を告げる火天 (カッテ) 1名、鬼3名、、佐 (スケ) 3名、水天 (カワセ) 3名になる人は、行事の一週間前から水垢離(みずごり:滝行など)して身を浄め、大役の精神集中に励みます。 奈良県五條市は奈良県吉野郡吉野町と隣接していて、吉野山にある金峯山寺蔵王堂に近いです。大峯山で修行した修験者が法螺貝を吹きながら、柴燈護摩供の行事に参加します。護摩焚きに使う火は、陀々堂の須弥壇裏で種火を起こした清浄な火を使います。 柴燈護摩供 (さいとう ごまく: 護摩焚き) 念佛寺陀々堂の近くに、伐り採ったばかりの瑞々しい4本の青竹を立てて厳粛な結界を囲み、弓矢を放って厄払いし、刈り取って直ぐの新鮮な檜葉 (ひば) を積み重ねて清浄な火で檜葉と護摩木を一緒に焚きあげます。火の勢いが強くなると、ご先祖の名前や願い事を書いた護摩木を火の中に投げ込みます。護摩木が燃える火の粉は上空に舞い上がりますので、願い事が天に届くというお呪いなのです。山伏さんは、柴燈から外れた護摩木を丁寧に拾って、柴燈の中に放り込み、皆の願いが天に届くようにします。 護摩焚きが終わると、いよいよ「鬼はしり」の本番です。先ず、保存会一番の怪力男が「火天 (カッテ)」の役になって、「火伏せ(ひぶせ) の行」を披露し、60kgの大松明を頭上に持ち上げて「水」という文字を書きます。この時に火の粉が、堂外にも飛び散ります。写真を見ると、読経するお坊さんも怖がっておられますね。ぼくも怖かったです。目の前に火の粉が・・・。 火天(カッテ) のパワフルなパフォーマンスが済むと、いよいよ、父鬼が登場します。父鬼の後ろの人が「佐(すけ)」で、佐が松明に火を点けて、鬼に松明を渡した直後です。まだ父鬼は、右手に斧を持っていないようですね。法螺貝吹きは、堂の左右に二人づつ並んで演奏します。 鬼はしりのクライマックスです。3人の鬼が陀々堂の中を走る一周目は、床から湯気は立ちませんが、水天 (カワセ) 役が、濡れた笹の葉で炎に水飛沫をかけて、鬼がヤケドしないように火の勢いを調節します。三周目になると、外気温が氷点下になった床に、暖まった水飛沫が床に溜まって、床からもうもうと水蒸気が立ち上り、迫力満点の写真になりました。父鬼に続いて母鬼、子鬼もこの場所に立ちましたが、父鬼出番の時が、フォトジェニックだったので、ファインダーを覗いていて感動しました。 |
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