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今回は奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)前から、崇神天皇陵(すじん てんのうりょう)までの「山辺の道」を歩いたときのフォトエッセイをトップページに掲載しました。2007年11月14日、11月21日、12月6日に尾林正利が取材し、2014年11月25日にエッセイを再編集しました。


奈良時代に編纂された古事記と日本書紀に、日本最古の神社とされる大神神社(おおみわじんじゃ)が記載されています。鳥居の左には書家の福田青山氏が揮毫した「幽玄(右から読む)」の案内板が掲げてありますが、幽玄については本文をお読み下さい。ここの広場は「山辺の道」と共用で、大神神社と彫刻した石柱を左に向かって歩いていくと、「山辺の道」が奈良市の白毫寺まで続きます。右に向かって歩くと、長谷寺まで続きます。


大神神社では、毎年11月14日に新酒の「醸造安全祈願祭 (酒まつり) 」が行われます。当日は朝から醸造業界の代表者や重役たちが集まり、宮司さんの祝詞朗誦(のりと ろうしょう)、巫女の神楽舞 (かぐら まい) が拝殿で披露されます。大神神社は歴代の天皇・皇后両陛下がご親拝され、皇室と深い由緒がある格式の高い神社なのです。下の写真で巫女さんが持っているのは、新酒が出来たことを報せる、杉玉を作る原料の杉の葉です。

写真の著作権は作者に帰属し、当サイト(作者)の許可無く、写真の複製や転用を禁止します。


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上に掲載した「酒まつり」の神事は、2007年11月14日に取材

カメラ:Canon EOS 5D、 レンズ:EF24-70mm f2.8L USM



下に掲載した「山辺の道」は、2007年11月21日と12月6日に取材


大神神社から山辺の道を北に向かって進むと、狭井神社(さい じんじゃ) 近くに、大美和の杜 (おおみわのもり) というベンチを設置した休憩のできる展望台が出来て、早速、奈良盆地の西南部を眺めてみました。写真のように見晴らしがとても良く、背後に大阪府と県境になる金剛山・葛城山・二上山が一望できます。
(画面中央にある大鳥居の左奥に大和三山の耳成山、さらに左奥には畝傍山が見られますが、香久山はさらに左にあるので、画面に写っていません)


山辺の道は、景観の変化に富んでいて、ハイキングが楽しいです。時々風が吹いて、ザーッと枝を揺らし、木の葉が舞うシーンは素敵です。


上の写真は、12月6日に撮ったもので、十羽ほどの渡り鳥が飛来してきた井寺池です。 11月21日に来た時は鳥を見掛けませんでした。この場所から眺める三輪山の姿は美しいです。無風の時は、ご神体が水面に映る筈です。この池の周りには、万葉歌人の句碑 (文人が揮毫したもの)が数カ所に設置されています。


井寺池の近くの「山辺の道」沿いに大神神社の摂社「桧原神社(ひばらじんじゃ)」が鎮座されています。独特の三つ鳥居が建てられていますが、現在は拝殿がありません。白砂の後ろから立って礼拝します。中央の鳥居は、皇祖神の天照大御神を祀り、右の小鳥居はイザナミ(伊弉冉:女神)、左の鳥居にはイザナギ (伊弉諾:男神) をお祀りしています。崇神天皇の皇女「豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)」が、皇祖神の天照大御神を皇居から遷宮させる斎王(いつきのみこ) に父から任じられたので、桧原神社は元伊勢と呼ばれているそうです。このような由緒から、皇女が伊勢神宮の斎王を務めるのは、現在も続いているようです。


桧原神社の注連柱。二上山がセンターになる設計で、意味があるのでしょうね。


桧原神社から「山辺の道」を外れて西に進み、巻向(まきむく) や箸墓古墳 (はしはかこふん) の方へ寄り道してみました。途中で三輪特産の素麺製造会社に行って、作業中の素麺工場の中を取材させて戴きました。桧原神社の位置も、やや高い位置にあって、二上山 (にじょうざん:死火山) の見晴らしが良いですね。二上山の手前右側に、卑弥呼伝説がある「箸墓古墳」が見えます。


景行天皇陵の南東端から見た三輪山です。山辺の道には所々に万葉歌人が呼んだ句を日本を代表する書家が揮毫した句碑が設置されています。
とくに、井寺池の周りには、句碑が集中しています。

管理人室

山辺の道

(やまのべ の みち)

トップページの更新 2014年11月26日更新:フォトエッセイ 尾林 正利
大神神社「酒まつり」の写真取材:2007年11月14日、山辺の道の写真取材:2007年11月21日、12月6日
カメラ:Canon EOS 5D
レンズ:EF 24-70mm f2.8L USM、EF 70-200mm f2.8L IS USM

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2014年の〆として、12月のトップページには、7年前の2007年11月14日、同年11月21日、12月6日に取材した「山辺の道」のフォトエッセイ(2007年に当サイトに掲載) を編集しなおして掲載することにしました。

取材してから、もう7年も経ってしまいましたが、山辺の道の周辺は昭和45年(1970年) から、大和青垣国定公園に指定されていますので、自然の景観は8年前とそれほど変わっていないと思います。
因みに、"青垣"とは、奈良盆地の四方を囲む山々のことですが、主に奈良市・天理市・桜井市の東部山麓地帯のことを示しています。

山辺の道で、写真取材したことを忘れかけていた2014年11月17日に、天皇・皇后両陛下が、「全国豊かな海づくり大会」の式典ご出席のため、奈良県をご訪問され、桜井市にある「大神神社(おおみわ じんじゃ:日本最古の神社)」拝殿にも御親拝されたニュースをテレビで拝見しました。

実は、大神神社境内 (神域) の西端を南北に通る道が歴史街道の「山辺の道(やまのべのみち)」なのです。
大神神社へお詣りするときに、「下乗札 ( げじょうふだ:馬車や人力車、自動車から降りること)」が立っている鳥居から奥の拝殿と三輪山は、神域になります。
下乗札の左に「幽玄」と書いた書家・福田青山氏の揮毫があり、
「探幽入玄談玄口不開不言大教言外の教即随神の大道也」と書かれているそうで、判りやすく言うと、「これより神域に入るには、神前に近づく心構えとして言葉を慎み、五体に感じるもの全てが大神様(おおみわさま)の教えである」という意味らしいのです。
3回も大神神社に取材したときは、漢詩を殆ど勉強していないので、そういうことが書かれていたなんて気が付きませんでしたね。

大神神社とは、奈良時代に編纂された記紀 (きき:古事記と日本書紀 ) に記載された日本最古の由緒のある神社で、11月14日になると、ここで新酒の「醸造安全祈願祭 (酒まつり) が行われると知って、事前に社務所で撮影許可を取って、写真取材に出掛けました。
愛車で行ったので、4斗樽を鏡開きした時は、近くにいたのですがお酒は飲めませんでした。

当日は、酒造メーカーの代表者や重役が拝殿に昇殿して、式典に用意された椅子に着席し、宮司さんの祝詞 (のりと) と、四人の巫女が和楽器の演奏で神楽を舞うシーンを重点的に撮影しました。
大神神社には、神社建造物としての本殿はなく、拝殿の奥 (東側) に「三つ鳥居」が建てられていて、そこから全山が松・杉・檜で覆われた標高467mの三輪山 (大神神社の御祭神 ) が聳えており、この山は神が鎮まる山(神奈備山)として、古代の人々から崇敬されてきたようです。

3〜4世紀頃の、わが国原初の神祀りの形態を21世紀の今に伝えています。
大神神社の前を通る山辺の道は、東海自然歩道に指定されていますが、所々に車道と併用区間もあります。
しかし、殆どクルマが通らないので高齢者でも安心して歩きやすく、三輪から柳本辺りまでのハイキングなら、疲れは翌日に残らないと思います。

11月〜12月の初冬のハイキングでも、山辺の道には起伏があり、日が照っていると1時間ほど歩くと結構汗をかきますので、ペットボトルのミネラルウォーターとかジュースを携行しておいた方が良いでしょう。山辺の道の傍には自販機なんてありませんよ。

個人的には、3回とも大阪市平野区から愛車を利用して、桜井市の大神神社に行き、JR三輪駅に近い大神神社の駐車場に愛車を停めて、大神神社前を通る山辺の道を北に進んで崇神天皇陵まで歩き、帰りは国道169号線の柳本のバス停を南下する路線バスを利用して、大神神社の駐車場に戻りました。山辺の道は、桜井市の長谷寺から奈良市の白毫寺までの区間らしいですが、全区を歩くのは今の僕には無理ですね。歩きたい区間だけで十分です。

12月は夕方になるのが早く、陽が沈むと奈良県は保温効果のある大阪市内と違って、急に冷え込みますので、冬用の上着を用意した方が賢明です。
山辺の道では、途中で寄り道するのも楽しく、コースから外れて、箸中では地場産業の素麺工場を取材したり、巻向では、箸墓古墳にも立ち寄り、12月6日でも紅葉の美しい穴師坐兵主神社(あなし にます ひょうずじんじゃ) や相撲神社にも寄り道しました。

ぼくは、古代史の専門家でないので、古代のことは詳しく知りません。
今でも謎の多い箸墓古墳は、第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ:日本書紀のエッチな箸墓伝説では、大物主神の妻=美麗な小蛇:おろち)の墓とされていますが、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の可能性が否定できません。

三輪山の山麓西方に第10代・崇神天皇 :すじんてんのう=御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)の御陵 (みささぎ、陵墓) があって、崇神天皇の皇居であった磯城瑞籬宮 (しきのみずがきのみや) が三輪山の山麓にあったと日本書紀に書かれているそうで、磯城の地名は桜井市など奈良東南部山麓部の古名で、考古学的にも実在性の高い最古の天皇だとされています。
大神神社 (わが国原初の神祀りの形態)、大神神社の摂社・桧原神社 ( 崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)を祀る:皇女は皇祖神の天照大神 (あまてらす おおみかみ) の斎王(いつきのみこ) に任じられたので、桧原神社は元伊勢と呼ばれている ) が集まっているところから、日本の始まりは北九州かも知れませんが、国の始まりは奈良からでしょうね。

2006年の取材は、小春日和を選んで取材し、桜井市へ行ったついでに多武峰の談山神社にも紅葉の写真を撮りにいきましたが、2006年11月はあいにく工事中で、堂塔に建築用足場が取り付けてあって、お見せできるような写真を撮れませんでしたが、ここの土産店で売っていたヨモギ入りの餡こ餅が美味しかったですね。

談山神社の境内でハイアマチュアの方と知り合って、彼の愛用していた望遠ズームのEF100-400mmをぼくのEOS5Dに取り付けて撮ってみましたが、EF70-200mm f2.8L IS USMの方がシャープでしたね。2014年11月現在では、2015年にEF100-400mmの新型が出るそうなので楽しみです。

2014年の年末は、衆議院解散と選挙・・・新年の準備で身辺が忙(せわ)しくなりますが、年末の小春日和に晩秋の山辺の道を歩くのも、気分転換に良いかも...。


三輪の名産品「三輪素麺」


上の写真は箸墓古墳近くの製麺工場で撮った素麺の乾燥工程です。工場の職人さんのお話では、昔は表で干していたのですが、ホコリや衛生面を配慮して、現在は乾燥室で乾かしているそうです。
素麺は最初から細いのではなく、うどんのような弾力のある麺を機械で徐々に伸ばしていくワケです。大阪では、三輪素麺のブランドは高級品で、夏期の「お中元」の進物用によく買われています。夏に需要が高い季節商品ですが、三輪では素麺の需要を増やすため、冬は「煮麺(にゅうめん)」として食されています。


上の写真は、大神神社鳥居前の南側にある、「お食事処・福神堂」の、にゅうめん


大神神社鳥居前の北側にある、「そうめん処・森正」の、釜揚げにゅうめん (柿の葉寿司とセットの定食あり) 三つ葉が良いですね。

初稿:2014年11月25日 尾林 正利
写真:2007年11月14日 (大神神社の酒まつり)、11月21日と12月6日は山辺の道を徒歩で取材

写真と記事の無断転載を禁じます。尾林 正利

 
 
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