mail
PhotoEssay Camera Photography sketch_osaka shigoto blog cinema

上の鯉のぼりは1981年5月5日に自宅で撮ったものです。使用カメラは、ハッセルブラッド500EL/Mで、レンズは、カール・ツアイス製のTスターコーティングを施したプラナー100mm f3.5です。ハッセルの500C/Mとか、500EL/Mというのは、ピントグラス面に、日本のMinolta 製の「アキュートマット・フォーカシングスクリーン採用という意味なんでしょう。Cは、Cレンズという意味で、コンパー製レンズシャッターをレンズ鏡胴に組み込んだタイプを意味します。ハッセルにはフォーカルプレーンシャッター機のHasselblad 1000Fというモデル (標準レンズは、KODAK Ektar 80mm f2.8)もありましたが、スタジオでは大型ストロボを使いますので、中判でフォーカルプレーンシャッター搭載カメラは、シャッター幕が全開するスピードが遅いので、コマーシャルフォトグラファーは敬遠...プロで1000Fを使っていた人をみたことがありません。但し、コダック製のCommercial Ektarレンズは超優秀で、4×5インチ判の標準レンズ (150mm前後) の発色がキレイ。ハッセルの標準モデルは、フィルムバック交換式で、しかも引き蓋を引き抜いて撮影しますので、差し込み口に直射日光やストロボライトが当たると「光線かぶり」が起きやすいので、引き蓋を抜いた時は、パーマセルのブラックテープを貼って,フィルムの光線被りを防いでいました。

500EL/Mや500EL/Xでは、パーフォレーション付きの70mmフィルムを使えるのですが、このフィルムを使う仕事が来た1992年2月当時は、70mmマガジンが17万円もし、大阪でレンタルしているところが無くて、撮影料が7桁の仕事だったので買いました。フィルムは ハッセル70mmマガジン用のEktachrome 64 70mm (E-6処理)で、パトローネ (100ft巻?) に入っています。露出テストではASA50ぐらい。EPRよりもやや軟調です。新品の70mmマガジン (フィルムバック)を買うと、空のスプール付きパトローネがマガジンの中に入っていますので、生の70mmフィルムをパトローネからベロ出しして、撮影済みをそれに巻き取ります。現像は一般のラボでは無理で、イマジカさんでやってもらいました。このフィルムバックは,大阪では使い道がなくて半年後に売却しましたので、タバコの缶入りピースのような、フィルムの空き缶が残っているだけで、23年前の記憶が曖昧です。
上の作例写真は、使用したフィルムはKODAK Ektachrome EPRで、スキャナーは2011年に買ったEPSON GT-X970です。

最近は住宅事情から、都会の自宅で鯉のぼりを揚げている家庭は少なくなりましたね。大阪上空でもスカッとした五月晴れの日はありますよ。
ブロニーフィルムの6×6判12枚撮り一本撮って、一番マシなカットを掲載しました。風がもう少し強ければ、鯉のぼりに勢いが出たのですが...。
ハッセル500EL/Mは6×6判用のモードラで、シャッター速度500分の1秒が最速で凡そ2秒1コマ連写のスピードなので、動きの速いスポーツ取材は無理で、フォトスタジオでのモデル撮影などに適した中判カメラです。1980年頃は、1200W/sのストロボのフルチャージ2秒と同じタイミングなので、ファッション撮影によく利用されました。個人的にはスポンサー立会の取材に使いました。500EL/Mは専用電池使用で不便でしたが、500ELXになってから単三アルカリ電池4本で駆動でき、すぐに買い換えました。このカメラは一眼レフですが、左右逆像の折り畳み式ウエストレベルファインダーが標準仕様なので、オプション販売の左右正像のアイレベルプリズムファインダーと、モードラ用のピストルグリップが別途必要になりますね。


1979年 (昭和54年) 5月1日〜5月3日の連休中に撮影。奈良県生駒郡斑鳩町 (いかるがちょう) にある、世界遺産の「法起寺」です。ゴールデン・ウィーク頃のレンゲ畑がいいですね。ここは私有地なので畦道から眺めましょう。レンゲソウは観光客のためにではなく、稲作前 (田植え前) の土壌改良のためにレンゲのタネを蒔くそうですよ。
カメラは、リンホフ スーパーテヒニカV4×5インチです。レンズはシュナイダー製のジンマー240mm、フィルムは、KODAK Ektachrome EPRです。


大阪では田圃が激減して、現在では田植え前の野原にレンゲソウが見られるのは、奈良県斑鳩町、桜井市、宇陀市、明日香村ぐらいでしょうね。小学生の頃はレンゲ畑の中に寝転んで幸せな気分に浸ったものです。
カメラは、リンホフ スーパーテヒニカV4×5インチです。レンズは、シュナイダー製のスーパーアンギュロン90mm f8で、テヒニカのレンズベッド(蓋部分)を下げて、前枠で"ティルトあおり"を使って、パンフォーカス撮影をしています。フィルムは、KODAK Ektachrome EPRです。


2007年4月29日に撮った、新緑に埋もれる奈良県桜井市にある長谷寺五重塔です。ここの新緑は美しいので、1963年の写専時代から5〜6回はボタンを見に訪れています。最近では長い回廊を登って本尊をお詣りするのがきつくなってきました。
カメラは、Canon EOS 5DでレンズはEF70-200mm f2.8L IS USMです。


長谷寺と言えば、ボタンの花が有名ですが、写真家泣かせの花なんです。肉眼でキレイだと思っても、フィルムでも、デジタルでも、思っていたほどにキレイには写らないのです。 理由は花弁にシワのある品種が多く、写真に撮るとティッシュや造花に見えるんです。この花を美しく撮れる人は、そう多くはいないでしょう...。
上の写真は、Canon EOS 5Dで、レンズはEF24-70mm f2.8L USMです。赤い花の輪郭が切り抜き合成のようになって立体感がありません。


こちらは、1981年5月5日にハッセルブラッド500ELMにプラナー100mm f3.5を装着して撮りました。使用したフィルムはKODAK Ektachrome EPRで、スキャナは、EPSON GT-X970です。
個人的な好みでは牡丹の花は、上の白のような、花弁にシワの少ないシンプルな花弁の方が気品があっていいですね。


こちらは、1981年5月5日にハッセルブラッド500ELMにプラナー100mm f3.5を装着して撮りました。スキャナは、EPSON GT-X970です。


こちらは、1981年5月5日にハッセルブラッド500ELMにプラナー100mm f3.5を装着して撮りました。スキャナは、EPSON GT-X970です。真紅のボタンは カルメンのような情熱的なイメージの花ですね。牡丹は、デジタルで撮るより、フィルムの方が立体的に写るようです。


2008年5月15日に、奈良県高市郡明日香村稲渕で、野良仕事を手伝っていたぼくの少年時代の光景を思い出して撮ったスナップです。子供の頃に大変お世話になった植木屋の小父さんに面影が似ていたのでモデルになって頂きました。五月晴れの明日香村は、新緑がとても鮮やかで、心に溜まったストレスが癒されました。カメラはEOS5D、レンズは24-70mm f2.8L USMです。

五月晴れ、新緑の季節


■トップページのアーカイブ

明日香秋色 | 秋は見所いっぱいの唐津・伊万里・有田へ | 洛北・鞍馬の紅葉 | 桜井市・山辺の道 | 五條市・鬼走り | 和歌山県南部町・京都北野天満宮 | 京都・奈良・大阪造幣局のさくら | 大阪市平野区のさくら | 五月晴れ・新緑の季節 | 梅雨入り・アジサイ紀行 | 那智の火祭り | 青森ねぶた祭 | 大阪岸和田だんじり祭 | 高山の八幡祭 | 東吉野村の小川祭と丹生川上神社例祭 | 冬の旅...35年前の能登半島取材の記憶 | お正月:おいなりさん詣でと、えべっさん詣で | 今年の大阪は寒い | フォトイラストレーション制作01 | 春眠暁を覚えず | 新緑 | 梅雨入り

記事と写真:尾林 正利 2015年4月13日編集

五月晴れ...

五月晴れ....まさか、"ごがつばれ"と読む人はいないと思いますが、念のために各月の陰暦名称で五月が「皐月(さつき)」になり、五月晴れを「さつきばれ 」と読みます。快晴の澄み切った青空のことです。
大阪から近い田園地帯... 具体的には奈良県生駒郡斑鳩町 (法隆寺や法起寺) 周辺や高市郡明日香村では、五月晴れの下に、鯉のぼりがそよ風に翻り、田植え前の野原にはレンゲソウが咲き乱れ、柿の葉の新緑が美しいシーズンを迎えます。

ゴールデン・ウィーク中は外出が楽しくなるシーズンです。 ぼくの記憶に残るゴールデン・ウィーク中の小旅行は、大阪からマイカーをドライブして、富山県の「砺波 (となみ) チューリップ公園」へ1971年頃に行って満開のチューリップを見たことです。もちろん、写真を撮りましたが、44年前に撮ったので、少し褪色しています。

上の写真は1971年のゴールデン・ウィークに富山県砺波市のチューリップを大阪からマイカーをドライブして見に行きました。当時は北陸自動車道がなく、名神高速彦根インターから国道8号線で北上しました。掲載した写真はアサヒペンタックス67にSMCタクマー55mmを装着してエクタクロームで撮ったもので、中央部を拡大トリミングしています。44年前なので、原板は褪色していますが、こういうメルヘンチックな光景をみたら、女性たちは感激すると思いますね。
砺波チューリップ公園は、JR富山駅から西へ凡そ30km離れており、JR在来線の北陸本線「高岡駅」で砺波方面行きの「城端線」に乗換えするのがいいみたいです。

ぼくが初めて砺波に行った44年後に、北陸新幹線が出来たので、2015年4月23日〜5月6日までの「となみチューリップフェア」に訪れる方が多いと思いますね。
ここは、近年では650品種250万本の色とりどりのチューリップが植えられているそうで、きっと見応えがありますよ。

花見などに出歩くとお腹が空きます。富山は「鱒寿司」が駅弁として超有名ですが、ぶり、白 (しろ) えび、ホタルイカ、魚介の干物や昆布巻カマボコも有名で、JR富山駅の食堂街でにぎり寿司を食べた記憶があります。

富山から足を伸ばして能登半島の輪島へ行けば、輪島塗などの美術工芸品が見られますし、輪島市内の西に大沢地区・上大沢地区の海岸部には「ニガタケ」、集落内は「マダケ」という竹を並べて木材のフレームに固定し、防風柵(間垣)にした集落があり、一見の価値があります。寄り道も後で役立つことがあります。

ところで、「さつき」と言えば、競馬好きの人には、JRA (日本中央競馬会)が中山競馬場 (千葉県船橋市・芝2000m) で開催する「皐月賞(さつきしょう)」というG1レースがあるので、「さつき」を読み間違える人はいないと思いますね。
このレースが決まった初期の数年間は、暦通り毎年5月に皐月賞レースが中山で行われていたんですが、ワケがあって4月に行われるようになったんです。

というのは、梅雨に近い6月に開催していた、13万人以上 (甲子園球場の4倍) の大観衆が入る「日本ダービー (東京優駿) 」を晴天の日が多い5月下旬の良馬場の府中競馬場(東京都府中市:芝2400m)で開催したいという競馬関係者の要望から、皐月賞の開催が1カ月早めて4月中に行われることになったようです。

1ヶ月の間隔を空けたワケは、日本ダービーでは、皐月賞で4着以内に入った馬がダービーに出場できますので、大きなレースでは次の出走まで、各馬の体調に万全を期して凡そ20日〜1ヶ月の休養期間と調教が必要なんです。それで、皐月賞レースの開催が4月に前倒しになったようです。

ぼくは、競馬、競輪、競艇にさほど興味がなかったんですが、個人的に馬券を買ったのは、1973年頃で、「ハイセイコー」がブームの頃でした。1頭の駿馬見たさに13万人の観衆が府中に詰め掛ける・・・凄いことなんですよ。

ぼくの知り合いには、競馬好きの方も数名いたので、ついでにハイセイコーが絡む連勝複式を買ってもらったことがありますが、予想は外れてしまいました。
大穴狙いで「万馬券(まんばけん:馬券の最低購入額1枚100円に10,000円以上の配当がある)」に当たったという話しは、身の回りでは聞かなかったですね。

昭和の時代に馬券を買うには、競馬開催中の競馬場へ行くか、大阪市内では、梅田と難波にあった場外馬券売場で売っていたんですが、現在はインターネットの競馬サイトで馬券を買えるみたいです。

最近話題になったのは、40代 (2009年当時は30代半ば) の男性がインターネットでの馬券購入に2005年〜2009年に約35億1千万円の馬券を購入して、36億6千万円の配当を得ましたが、2007年〜2009年分を申告しなかったので税務署から調査が入り、当たり馬券のみを必要経費として認め、8億1千万円が課税されました。
競馬配当金を「配当所得」扱いではなく、「一時所得 ( 控除額50万円 )」として課税された方が、外れ馬券も必要経費だとして課税額から控除するように訴えた方もいました。2015年4月24日の大阪高裁の結審は、大阪国税局側が大幅に譲歩し、課税額を8億1千万円→6千万円!に減額し、裁判長は男性の告訴を却下するように求め、ぼくの知らない世界で大金が動いているようです。(2015年4月24日更新)

テレビでは年末恒例のG1「有馬記念:中山で芝2500m」を関テレの競馬中継で観るぐらいで、競馬とは殆ど縁が無かったんですが...、関西では有馬とゆうたら有馬温泉...つまり、園田のレースだと長い間誤解していたんですが、日本中央競馬会の理事長、有馬頼寧(ありま よりやす:1930年代の近衛内閣で農林大臣 伯爵で選出、貴族院議員)氏の日本競馬界への功績を称えて、年末に行われる〆のG1レースになったワケで、兵庫県尼崎市の園田競馬場でななく、千葉の中山競馬場で開催されます。

ファン投票で選ばれた人気馬を始め、実績のある16頭の一流の駿馬がゴール前で鞭が入り、先頭争いする様は写真的にも迫力がありますね。

上の写真は1987年6月13日〜14日に、北海道日高郡にあるサラブレッドの生産地に行ってきました。広報掲載用ではアサヒペンタックス67で取材しましたが、上の掲載写真は予備のスナップ用として持っていったCanon newF-1で撮ったものです。使用したフィルムは、FUJICHROME RDPです。
北海道の6月中旬は、大阪の5月中旬頃の気候(気温)で、北海道に梅雨はないと中学や高校で習いましたが、場所によっては、北海道でも6月に雨が降りやすいところもありますよ。

サラブレッド (略して、サラ)とは、18世紀のイギリスで、競馬用に品種改良された、脚の速い馬です。
イギリスでは1779年5月14日に、第12代ダービー伯爵家のエドワード・スミス=スタンリー卿が自分の領地「オークス」に競馬場を造り、自分が育てたサラ牝馬(ひんば: メス馬)三歳と、友人らの所有する牝馬とどちらが速いかの競馬が行われ、馬主がダービー卿の「ブリジット:Bridget」が優勝しました。
日本では幕末の1860年頃に、横浜にあった外国人居留区で競馬場が作られ、明治維新より7年前の1861年から馬券が発行される競馬が行われるようになりました。
母に寄り添う仔馬がカワイイですね。

写真取材の場所は、北海道日高郡新ひだか町にあるJR日高本線の本桐 (ほんきり) 駅の近くにある、競走馬生産のM牧場です。

大阪の伊丹空港 (いたみくうこう) からANA (全日空) 機で札幌近くの千歳空港まで飛び、千歳空港でレンタカーを借りて、スポンサーさん、ライターさん、ドライバー兼フォトグラファー (ぼく) の3名が、日高郡の様似方面(襟裳岬)へ向かいました。
牧場は本桐駅の近くなのでJR日高本線 (単線) も利用出来ますが、北海道は朝夕のラッシュ時を過ぎると、列車本数が少ないのでレンタカーの方が便利なんです。 レンタカーはAT車が圧倒的に多いのですが、当時のぼくはMT車しか運転したことがなくて、MT車にして貰いました。

日高の放牧地は、苫小牧に近い鵡川(むかわ)から、襟裳岬に近い様似(さまに)まで、JR日高本線に沿って日高山脈側に競走馬の放牧場が多いです。
国道235号線の右に太平洋、左に日高山脈山麓の放牧地帯を眺めながらドライブしました。
6月の北海道は、大阪の5月の気温と同じぐらいで、ちょっと肌寒かったですね。

新ひだか町三石本桐から襟裳岬までは、地図上で凡そ70kmで1時間半ほどですが、仕事なので取材が終わると、襟裳岬の観光もせずに引き返しました。勿体ないですね。日高昆布の産地でもあり、襟裳街道を南下中に途中の寿司屋で食べた寿司は、ネタが大きく新鮮で美味しかったです。

訪問した牧場は、厩舎にサラブレッドの母馬に寄り添う生後数ヶ月の甘えん坊の仔馬がいて、許可を取って真っ先にツーショットを撮影しました。馬産場を象徴するカットを撮っておかないと、ライターさんに言われますからね。

先にスポンサーさんが牧場オーナーに日頃のお礼を述べられ、続いてライターさんがオーナーにインタビューされ、記事にしたいことをメモと、ボイスレコーダーで録音...ぼくは傍で聞いていました。
つまり、記事の内容とマッチした写真を撮らないとダメなんで、フォトグラファーもオーナーの話を聞く必要があるワケです。
インタビューが済んで緊張が解けた頃に、オーナーさんの顔写真を撮り、広い牧場に放牧されるサラブレッドを撮りました。牧草を食 (は) んでいるシーンより、本当は牧場を走っているようなところを撮りたかったのですが、馬産の牧場はトレセンではないので無理でしたね。 甘えん坊の仔馬には触れるんですが、血統によっては超高価な商品ですので、写真だけ撮ることにしました。

現在のJRAは、G1で優勝した日本の競走馬に武豊氏のような騎手が騎乗して、フランスの重賞レースに出走できるようになりましたが、その見返りに、日本のG1レースにも、フランス人の騎手、フランスで生産された競走馬が出走できるようになりました。
有馬記念では、JRAが認定した外国馬6頭に出走枠が与えられています。 外国の馬がG1で優勝して2億円と副賞を持って行かれたら...。
日本の競走馬の生産者にとっては、資本力のある外国の馬主や外国産馬を持ち込んでG1に出ることには、ビジネス的に気になるところでしょうね。

さて、5月はぼくが一番好きな季節だったのですが、近年は花粉症の症状に悩んでいます。 目が痒く、鼻水が止まらない...。これがなければ、快適なんですが、古稀にもなれば、体調管理に気を使います。
2006年2月末に平野へ引っ越して、2年間は、日本の祭をテーマに、自費を使って青森県から佐賀県まで東奔西走の取材をしましたが、現在はガス欠(取材費欠乏)で休止です。 したがって、撮り溜めた写真をTOPページに公開しています。 今回は奈良県の長谷寺や斑鳩の新緑を掲載しました。

写真と記事:2015年 4月13日 尾林 正利

写真と記事の無断転載を禁じます。尾林 正利

PhotoEssay Camera Photograph sketch_osaka shigoto blog cinema
mail

Photographs and Written by Masatoshi Obayashi
Copyright (C) 2003-2016 Maxim Photography.All Rights Reserved.