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上の写真は、2006年7月14日の早朝5時に、国民休暇村・南紀勝浦(当時は紀伊勝浦)のぼくが泊まった客室のベランダから撮った神々しい「熊野灘の日の出」です。
7月14日と言えば、現在ぼくが住んでいる大阪市平野区では、「杭全神社例祭・平野郷夏まつり(7/11〜7/14の4日間)」の本宮の祭礼が盛大に行われる日と重なるのですが、それは後々の機会に掲載することにして、今回は2006年7月14日に取材した、熊野那智大社の例大祭...地元では扇会式(おうぎえしき)、県外の人々から"那智の火祭り”と呼ばれている神事のハイライトをトップページに掲載しました。"那智の火祭り"は、12柱の扇御輿が渡御する飛瀧参道(ひろうさんどう)を12本の大松明 (60 kg) の浄火でお清めする儀式なんです。
取材に使ったカメラはCanon EOS 5D、レンズはEF24-70mm f2.8L USMとスピードライトは580EXです。
この撮影取材では、事前に熊野那智大社さまに書面で扇御輿渡御の撮影取材の許可を頂いて、大松明の間近で撮影でき、良い写真が撮れたように思います。本当にありがとうございました。


熊野灘沿岸に迫る那智山一帯は、紀元前の神話時代に遡る悠久の原生林に覆われ、その山腹から轟々と流れ落ちる那智の滝・・・那智の火祭り前日に、ロケハンを兼ねて、先ず、空が晴れている間に那智の滝を撮影しておきました。和歌山の民族学者、さらに粘菌学者である南方熊楠 (みなかた くまぐす)も那智の原生林で珍しい植物の発見や粘菌の研究に没頭したそうです。
那智の滝は、神道に於ける自然崇拝 (清らかな水は人間が生きて行くのに必要不可欠なもの、だから自然の恵みに感謝) の対象にされており、那智の滝が熊野那智大社の「本殿」なのです。桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)にも本殿がなく、それは神社の東に聳える三輪山が本殿になっているからなのです。この三輪山の山腹からも清らかな水が湧出しています。
近畿地方の屋根・大台ヶ原を含む南紀地方は、原生林で覆われた山岳部がいきなり海岸に面し、雨雲が発生しやすくて、日本でも有名な年間降雨量が断トツな地域なので、撮影にはカメラやレンズを守る雨対策が必要です。
本番の7月14日の3時頃に俄雨が降って、レインコートは車の中・・・スピードライトの580EX が雨に濡れて故障しました。火祭り取材時は雨が降っていなかったのですが、松明の火を弱める水飛沫がカメラに容赦なくかかって、カメラの調子も...。ま、修理で直りましたが、プロ野球球団優勝時のビール掛けと、火祭り(鞍馬の火祭も同じ)の撮影は、水飛沫対策をしないと、機材の故障は念頭に置かなければなりませんねぇ。


下の写真は熊野那智大社の境内にある「青岸渡寺」です。明治維新政府は、国学者を登用して国民の求心力を高めるため、飛鳥時代の大連(おおむらじ)・物部尾輿(もののべのおこし) の一派がやったように、百済から伝わった外来宗教の仏教を禁教にし、天皇(すめらみこと)を現人神 (あらひとがみ) とする国家神道を国教にしました。
明治初期の過激な廃仏毀釈(はいぶつきしゃく) 運動のため、多くの寺院や仏像が破壊され、国宝級の仏像や仏画が海外に流失し、寺を失った多くの僧侶は還俗 (げんぞく) しました。しかし、熊野三山 (熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社) は、熊野十二権現を信仰する神仏習合の聖地なので、青岸渡寺は存続できました。因みに熊野那智大社の主祭神は、「熊野牟須美神 (くまのむすみのかみ) 」で、仏教の阿弥陀信仰の流布によって「千手観音」とされ、青岸渡寺では「如意輪観音菩薩」を本尊にしています。熊野那智大社の周辺は、2004年にユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録されました。


上の写真は、2006年7月13日に撮影した青岸渡寺です。那智の滝を眺められる素敵な場所に建てられています。


上の写真は、那智の滝の滝壺にある、飛瀧神社(ひろうじんじゃ:熊野那智大社の別宮)の傍に建てられた看板で、例大祭のスケジュールが書かれています。
下の写真は、熊野那智大社(本社)です。本社の場所は観光客用駐車場から階段を400段上った所にあって、那智詣でには、400段の階段を上れる体力が必要です。因みに讃岐の金比羅山さんの階段は1368段もあり、その3分の1やと思って上りましょう。
本社の前に柵が立てられていますが、これは12柱の「扇御輿」を立て掛ける柵なんです。


報道関係の撮影許可証は、本社右側の社務所で受取ります。前回は火祭りの準備の様子も載せましたが、今回は神事のハイライトに絞りました。

上の写真は、本社の宮司さん一行が、本社での扇御輿渡御祭を済ませて、別宮の飛瀧神社に向かうところです。ここの階段は「飛瀧参道」と呼んでいます。


午後2時から「御火行事」が始まり、最初は成人男子二人が、小松明に火を点けて参道を浄めたあと、12本の大松明(重さ約60kg)を掲げた力持ちの男が参道を浄めます。



上の写真:大松明は重いだけでなく、火が点くと非常に熱いんです。痛いという感覚です。


下の写真:大松明は火力が強いので、手桶に入った水をぶっかけて、火勢を調整します。付き添いは柄杓で水を汲んで口にも含み、炎に吹きかけます。このときに、カメラにも容赦なく水がかかります。


大松明を持つ男たちが「御火行事」をやっているときは、階段上では扇御輿が渡御の出番を待って待機しています。御火は、参道階段を上ったり下ったりして、炎乱舞のパフォーマンスを観客に披露します。


濡れタオルで、汗だらけの顔を拭く、祭礼の補佐役の人です。


下の写真は、参道の中間で、輪舞する大松明です。


下の写真は、江ノ電(えのでん:江ノ島電鉄) の極楽寺駅〜長谷駅間のトンネルから出た、鎌倉行きの下り電車です。
因みに、江ノ電の本社は藤沢市片瀬海岸、つまり、江ノ島駅にあって、藤沢市側が起点)になります。江ノ電は全線単線運転の路線ですが、列車交換駅でタブレットの交換を見掛けなかったですね。駅構内の分岐ポイント (転轍機) の切替が自動化されているのでしょう。日中は上り列車と下り列車とも12分間隔のダイヤですが、駅以外の同じ場所に立っていると、単線なので凡そ5分間隔で上り・下りの電車が交互に走っています。
アジサイが見頃の鎌倉は、京都の観光地のように観光客が多く、日中の江ノ電はほぼ満員状態で4両編成でした。江ノ電の一部の区間は、線路の傍にアジサイが植えられていて、「撮り鉄さん」たちの絶好の撮影ポイントになっていました。ぼくも、鉄ちゃんたちに混じり込んでパチリ!


上の写真は、大松明輪舞のパフォーマンスがフィナーレになって、扇御輿の渡御が始まります。国の安全、護国豊穣を願って、扇を揺らして神霊を招(お)ぎ、悪霊を追い払います。



上の写真は扇御輿の列です。扇は、招ぐともいって、神霊を招く意味があり、神事の時は巫女さんも手に扇を持ち、冠に扇の飾りを付けます。


下の写真は、御本社から那智の滝の前に置かれた、12柱の扇御輿です。


「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」の前で行われた、熊野那智大社の宮司さんによるご祈祷です。鳥居の背後には、御本社から渡御した熊野権現十二柱の扇神輿が並べられています。
取材した日は、午後2時半過ぎから、時々スコールに見舞われましたが、雨が降っても神事が中断されることなく、午後3時に那智瀧での神事は無事終了しました。ここでは、奉納の舞楽も行われましたが、カメラがびしょ濡れになるので、撮影を断念しました。

今回の撮影では、一応雨対策の装備を用意して車に積んでいたのですが、神事の途中に雨が降ってきたので、ぼくは車に戻れず、ずぶ濡れになってしまいました。EOS5Dとフラッシュの580EXはちょっと濡れて心配しましたが、小雨の中でも正常に撮影できたので、よかったです。

那智の火祭り

正式名は「熊野那智大社例大祭」、別名で「扇祭、那智の火祭り」


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記事と写真:尾林 正利 2015年6月24日編集

初夏に火祭りを撮る...

2015年1月のトップページ、奈良県五條市大津町念佛寺で行われた「鬼走り」は、2008年1月14日に撮影取材したのを編集し直して再掲しましたが、今回も2006年7月13〜14日に和歌山県東牟婁郡(ひがしむろぐん)那智勝浦町にある熊野那智大社の「那智の火祭」を再編集して掲載しました。
一般的に知られる那智の火祭とは、正式には「熊野那智大社例大祭」のことで、地元の那智勝浦町では、「例大祭」とか「扇祭(おうぎまつり)」とも言われているようです。

例大祭は、曜日に関係なく毎年7月14日に、熊野那智大社(御本社:ごほんしゃ)と別宮・飛瀧神社(ひろうじんじゃ)の間で、熊野十二所権現 (ごんげん) に見立てた十二柱の「扇神輿(おうぎみこし)」の渡御が行われ、扇神輿が御本社から約500段の石段を下りて、別宮に向かう飛瀧参道の終点付近で、大松明を使った「御火行事」で、参道のお浄めが行われます。

この浄めの儀式と、別宮の主祭神・飛瀧大神(ひろうのおおかみ)の神霊を奮い起こす儀式に使われるのが、十二本の大松明の炎であって、絵になる勇壮な儀式なので、和歌山や大阪のテレビ局各社や各新聞社、写真家、アマチュアカメラマン、見物客や観光客が県内外から大挙してやってきます。

良いアングルで撮影する場所が限られるので、神社例祭撮影の場所取りは極めて重要で、ぼくは事前に熊野那智大社から撮影許可を頂く手配をしました。
那智大社から撮影許可を得ても、同じ許可を貰った者に、良いアングルの場所を先取りされたら困るので、前日に行った別宮周辺のロケハンの結果、ぼくは御本社で行われる午前中の神事の取材を断念して、午後2時から別宮・飛瀧神社(ひろうじんじゃ)の参道で行われる、「那智の火祭」の撮影に専念することにしたのです。

カメラポジションの場所取りは、荷物や三脚で代行することは、基本的に禁じられています。
許可を得た人がその場所にいないとダメらしい。したがって、ぼくは午前8時半に撮影現場に到着して、5時間半も現場で待機することにした。それが、功を奏したのです。
この神事は、ビジュアル的に目立つ大松明(おおたいまつ)の炎が主役ではなく、熊野十二所権現に見立てた十二柱の扇神輿が主役になっています。
扇は「招ぐ(おぐ)」と言って、神霊を招く「招ぎ代(おぎしろ)」になるのです。十数名ほどの「囃し方:はやしかた」が「日の丸」の扇を煽って、国の繁栄と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願します。

神社の中には、山や田、滝、川、海などの自然を対象にした信仰が根強くあって、例えば、奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)では、三輪山を御神体として尊崇されています。こうした大自然の中に存在するの神霊を招ぐ信仰の慣習が現在に連綿と伝承されているようですね。
このような自然崇拝的な神社の例祭や行事を写真に撮ることになったのは、四十歳半ば過ぎになってからのことで、昨今ではぼくの「ライフワーク(生涯学習)」の一つとして取材活動を進めていますが、昨今は製作費の資金難で、大資本のメディアのように、新規取材が次々にできない状況です。
そのためにフォトイラストレーションやスケッチ作品のプリントを販売しているワケです。

大阪市内から、「那智の火祭(扇祭)」の行われる熊野那智大社へ行くには、JR西日本の在来線特急列車を利用するのが一番便利でしょう。JR西の紀勢本線(きのくに線)の「紀伊勝浦駅」で下車します。新大阪から丁度4時間掛かります。紀伊勝浦駅から那智大社までは、路線バスが連絡しています。
但し、平日でJR新大阪7時33分発(天王寺7時59分発)の新宮行き「特急くろしお」は、紀伊勝浦駅に11時33分に着くので、2時からの「那智の火祭」には時間的に間に合いますが、正午頃には既に飛瀧神社参道付近は、満員の見物客で混雑しており、那智大瀧の近くには入れないかも知れません。

間近で那智の火祭を見たい方は、前日に那智大瀧に来て下見をし、祭りの前夜は勝浦温泉などに宿泊した方が賢明だと思いますね。例大祭の当日は、那智大瀧へは遅くても午前9時半ごろに着かないと、一般向けに開放された良い場所からの見物や撮影ができないです。

紀伊勝浦駅から熊野那智大社までは約11kmほど離れているので、参詣客や観光客用に熊野交通の路線バスが運行しています。路線バスで行くと20分ぐらいかかるそうですが。往路は途中の大門坂(だいもんざか)から急な登り道になるので、紀伊勝浦駅から徒歩で熊野那智大社へ行くのは、ラストに500段の階段があるので、ちょっとキツイと思いますね。

また、7月14日は、まだ梅雨明けでもない頃なので、野外で見物する時の雨対策が必要ですよ。海に近い山間部での撮影は、天候が急変しやすいんです。突然、雨が降ってきます。
と、偉そうなことを書きましたが、14日の撮影では駐車場に停めた愛車にカメラマン用のレイン・コートを置いてくるポカをやってしまい、神事の途中から雨が降り出して、カメラが防滴対策のないEOS5Dなので撮影を一時中断してカメラをアルミケースに入れました。Tシャツやジーンズはびしょ濡れになってしまいました。

今回は、後述する熊野三山(くまのさんざん)をたった半日で効率よく参拝するため、車で行くことにしたのです。

7月13日の朝7時半に大阪市平野区を出て、奈良県葛城市(かつらぎし)まで高速道路(南阪奈道路)を利用して、葛城市から国道24号線で五條市に向かい、五條市から国道168号線で紀伊半島を縦断して和歌山県新宮市を経由して那智勝浦町に向かうドライブコースを往路に選びました。

実際に走ってみたら、大阪市内から奈良県十津川村を経由するコースだと熊野那智大社まで199kmの走行距離になった。休憩時間を除いて6時間も掛かってしまいました。
国道168号線の紀伊半島縦断ルートは、紀伊半島の海岸線沿いを通る国道42号線のルートより74kmも近道コースなのですが、国道168号線は今でも、奈良県下では道幅が狭くて急カーブや坂道が多く、センターラインのない対面通行の区間が多く、距離は短くてもスピードが出せないので、時間が掛かるんです。紀伊半島縦断コースは女性のドライバーや運転免許の初心者にはお勧めで出来ませんね。

とくに奈良県内の国道168号線のトンネル内の照明が非常に暗くて危険です。道路がトンネル内の漏水で濡れてセンターラインもない個所が多いので、暗いトンネル内で対向車とすれ違う時は、マイカー歴36年のぼくでもチョット怖かったです。早急にトンネル内を明るく改修して欲しいと思いました。

往路に国道168号線を利用すると、途中の和歌山県田辺市本宮町で熊野三山の一つ、熊野本宮大社(通称、本宮)に参拝と撮影するために立ち寄ることができる。
続いて、新宮市内で熊野速玉大社(新宮)にも参拝し、そしてラストに熊野那智大社(那智山)へ参拝して、14日に行われる例大祭の撮影許可証を受け取り、ロケハンもする時間も取れて、このコース順で回ると、熊野三山巡りが便利ですよ。

熊野那智大社の「例大祭」が終わった後は、夜に山道の国道168号線で帰阪するのは心細いので、那智勝浦町から串本を経由して和歌山市に着く国道42号線で帰阪することにしました。
途中の海南ICから堺ICまで阪和自動車道を利用しましたが、那智大社から大阪市内(平野区)までの走行距離は273Kmで、休憩時間を除いて5時間40分掛かった。
これは、途中で海産物の土産を買うため、みなべ町から海南市内までの77Kmm区間を国道42号線で走ったので、時間が掛かりすぎてしまったんです。
みなべICから大阪長原ICまで阪和自動車道を利用すれば、熊野那智大社から大阪市内(平野区)までの所要時間は、4時間50分ぐらいになるでしょう。


ぼくが最初に紀伊勝浦に行ったのは、フラッと電車で紀伊勝浦へ一泊二日の温泉旅行に行ってみたくなり、紀勢線特急が未だ「国鉄色」の時で、新宮行きスーパーくろしおの先頭車(パノラマグリーン車)の1D席に座って前面展望を楽しみながら4時間の旅をしたんです。紀伊田辺を過ぎると、紀勢線はカーブの多い単線区間になり、振り子が効いて体が左右に揺すられました。写真上の「スーパーくろしお」のパノラマグリーン車は、2006年には新塗装になっていました。今年で廃止になるそうです。
写真下の「オーシャン・アロー」には、乗車経験がありません。
紀伊田辺から新宮まで高速道路で繋がれば、大阪市内から南紀への旅行が快適になると思いますね。クルマで行けば、竜神温泉や川湯温泉などに寄り道できます。


写真と記事:2015年6月24日 尾林 正利

写真と記事の無断転載を禁じます。尾林 正利

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