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上の写真は、2006年7月14日の早朝5時に、国民休暇村・南紀勝浦(当時は紀伊勝浦)のぼくが泊まった客室のベランダから撮った神々しい「熊野灘の日の出」です。 熊野灘沿岸に迫る那智山一帯は、紀元前の神話時代に遡る悠久の原生林に覆われ、その山腹から轟々と流れ落ちる那智の滝・・・那智の火祭り前日に、ロケハンを兼ねて、先ず、空が晴れている間に那智の滝を撮影しておきました。和歌山の民族学者、さらに粘菌学者である南方熊楠
(みなかた くまぐす)も那智の原生林で珍しい植物の発見や粘菌の研究に没頭したそうです。 下の写真は熊野那智大社の境内にある「青岸渡寺」です。明治維新政府は、国学者を登用して国民の求心力を高めるため、飛鳥時代の大連(おおむらじ)・物部尾輿(もののべのおこし)
の一派がやったように、百済から伝わった外来宗教の仏教を禁教にし、天皇(すめらみこと)を現人神 (あらひとがみ) とする国家神道を国教にしました。 上の写真は、2006年7月13日に撮影した青岸渡寺です。那智の滝を眺められる素敵な場所に建てられています。 上の写真は、那智の滝の滝壺にある、飛瀧神社(ひろうじんじゃ:熊野那智大社の別宮)の傍に建てられた看板で、例大祭のスケジュールが書かれています。 報道関係の撮影許可証は、本社右側の社務所で受取ります。前回は火祭りの準備の様子も載せましたが、今回は神事のハイライトに絞りました。 上の写真は、本社の宮司さん一行が、本社での扇御輿渡御祭を済ませて、別宮の飛瀧神社に向かうところです。ここの階段は「飛瀧参道」と呼んでいます。 午後2時から「御火行事」が始まり、最初は成人男子二人が、小松明に火を点けて参道を浄めたあと、12本の大松明(重さ約60kg)を掲げた力持ちの男が参道を浄めます。 上の写真:大松明は重いだけでなく、火が点くと非常に熱いんです。痛いという感覚です。 下の写真:大松明は火力が強いので、手桶に入った水をぶっかけて、火勢を調整します。付き添いは柄杓で水を汲んで口にも含み、炎に吹きかけます。このときに、カメラにも容赦なく水がかかります。 大松明を持つ男たちが「御火行事」をやっているときは、階段上では扇御輿が渡御の出番を待って待機しています。御火は、参道階段を上ったり下ったりして、炎乱舞のパフォーマンスを観客に披露します。 濡れタオルで、汗だらけの顔を拭く、祭礼の補佐役の人です。 下の写真は、参道の中間で、輪舞する大松明です。 下の写真は、江ノ電(えのでん:江ノ島電鉄) の極楽寺駅〜長谷駅間のトンネルから出た、鎌倉行きの下り電車です。 上の写真は、大松明輪舞のパフォーマンスがフィナーレになって、扇御輿の渡御が始まります。国の安全、護国豊穣を願って、扇を揺らして神霊を招(お)ぎ、悪霊を追い払います。 上の写真は扇御輿の列です。扇は、招ぐともいって、神霊を招く意味があり、神事の時は巫女さんも手に扇を持ち、冠に扇の飾りを付けます。 下の写真は、御本社から那智の滝の前に置かれた、12柱の扇御輿です。 「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」の前で行われた、熊野那智大社の宮司さんによるご祈祷です。鳥居の背後には、御本社から渡御した熊野権現十二柱の扇神輿が並べられています。
今回の撮影では、一応雨対策の装備を用意して車に積んでいたのですが、神事の途中に雨が降ってきたので、ぼくは車に戻れず、ずぶ濡れになってしまいました。EOS5Dとフラッシュの580EXはちょっと濡れて心配しましたが、小雨の中でも正常に撮影できたので、よかったです。 |
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