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さくらの開花(そめいよしの)

上の写真は、2006年3月25日に撮った東京都台東区浅草の浅草寺 (せんそうじ) 境内にある仲見世です。10年前の写真なので、2016年の現在とは、お店が変わっているかも知れません。
丁度、都内で里桜の「そめいよしの」が開花した頃で、同じ時期に、東京ビッグサイトでは、内外のカメラショー「フォト イメージング エキスポ2006」が開催されていて、ぼくは、カメラショーを見たくて、新幹線に乗って東京へ行きました。1人で東京へ行く時は、浅草のビジネスホテルに泊まります。

なぜ、浅草に泊まるのかと言うと、下町の気取らない町の雰囲気が大阪市の天王寺界隈と似通っているので、雷門界隈を歩いていると、大阪人のぼくにとっては気分が落ち着くのです。
今回のテーマは、"春眠暁を覚えず"の「春」なので、浅草で咲いていたさくらを初めてHPに掲載しました。仲見世の各店舗に飾ってある桜は造花ですが、左上の桜は七分咲ですね。なお、八分咲きの場合は、気象庁では「満開」と呼びます。

大概の日本人は桜の花が大好きです。「お花見に行く」といえば、梅の花じゃなくて桜の花です。梅の花の開花は、梅干しの生産で有名な和歌山県みなべ町では2月15日前後で、梅の木の下で花見していたら、風が冷たくでブルブルしてしまいます。やはり、ポカポカ陽気に誘われて蕾が膨らむ桜の方が、お花見に向いていますね。
とくに、「そめいよしの」という桜の品種は、「葉」が出る前に「花」が先に咲いて満開になり、花が散った後に葉が成長します。その「散り際の潔さ」に多くの人々が惹かれるのでしょう。
上の写真 カメラ・Canon EOS5D レンズ・EF24-70mm f2.8L USM

下の写真は、2012年4月8日に、ぼくが住んでいる大阪市平野区喜連にある楯原神社で「そめいよしの」のアップを撮りました。桜の樹には、枝に花芽(かが:はなめ)と、葉芽(ようが) が出来、「そめいよしの」の場合は、冬に休眠中の花芽が、一定期間低温の日が続くと花芽が先に目覚めて成長し始めます。これを「休眠打破」と呼ぶそうで、桜咲く新年度になっても、休眠打破できない人が多いのでは?




「そめいよしの」のルーツは、奈良の吉野ではなく、東京の染井産 (豊島区駒込)

上の写真は、大阪市平野区喜連にある楯原神社の「そめいよしの」です。ブルーシートも敷かれ、お花見の用意が万端です。
江戸時代になって、幕府が街造り(都市計画) に先ずやるべき仕事は、江戸城の鬼門になる上野に寺を建てることでした。比叡山の「慈眼大師(じげんだいし) 天海大僧正(てんかいだいそうじょう)」が家康の知遇を受けて、徳川家の安泰と万民の平安を祈願する為、上野に、寛永2年(1625年)に立派な寺「東叡山寛永寺」が建てられ、庭園には桜の植樹がおこなわれたので、春の上野には、大勢の江戸っ子が花見に出掛けたそうです。
上野の桜人気に着目したのは、藤堂家 ( とうどうけ:戦国武将の藤堂高虎は築城技術に優れていた)のお屋敷があった、江戸の染井村 (今の豊島区駒込) に集まって住んでいた庭師や植木職人たちです。染井には幕府から帯刀を許された匠もいたそうです。

染井村から、咲きっぷりが見栄えよくて、育てやすい里桜の品種が誕生し、その品種の名前を、大和国 (やまとのくに:奈良)の吉野山に肖って、「吉野」又は「吉野桜」として販売されるようになったのですが、明治になって国立博物館の学者が、染井の吉野桜は人為的な「里桜」で、吉野山に多い天然の「山桜」とは違う品種なので「染井吉野」と改名すべきだと命名し、現在に至っています。
カメラ・Canon EOS5D Mark2 EF100-300mm f4-5.6L IS USM,EF24-105mm f4L IS USM 使用



吉野千本桜の品種は「ヤマザクラ」





ぼくは大阪に住んでいるので、吉野山へは日帰りで花見に行けます。上の3枚の写真は2004年4月7日に撮った、吉野山のシンボルとして名高い、修験道の道場・金峯山寺蔵王堂(きんぷせんじ ざおうどう)を囲む中千本〜上千本の「山桜」です。山桜は、関東以南の山に自生する天然の桜で、若葉の色は赤褐色です。「そめいよしの」は里桜で、園芸用に品種改良した桜の一種で、若葉の色は黄緑です。「そめいよしの」は、花が先に咲いて、花が散る頃に黄緑色の葉が成長しますが、ヤマザクラは、花と葉が同時に成長します。
桜の木はデリケートなので、素人が桜の木を切ったり枝を折ると、切口から雑菌が入って腐りやすくなります。桜は、挿し木、接ぎ木、株分け (根の付いた苗木) で増やしますが、素人では、とくに枝の剪定が難しいそうです。

歌舞伎の「義経千本桜」の四段目・"道行初音旅"の舞台になる吉野山、吉野山は想像するより急坂が多いので、下千本から奥千本まで歩く人は日頃から脚を鍛えなければなりません。
吉野山の奥千本から大峯山頂を経由して熊野本宮大社の証誠殿へ向かう大峯奥駆道は「紀伊山地の霊場と参詣道」として、2004年7月にユネスコの世界遺産に登録されています。吉野へ行くには、近鉄南大阪線あべの橋駅から吉野駅までは特急や急行電車が運行し、近鉄吉野駅から吉野山までは、千本口駅〜山上駅までは吉野大峯ケーブル自動車(株) のロープウェイが運行、山上駅〜上千本の高城山展望台へはマイクロバスが運行しています。4月の桜のシーズンは、平日でも花見客の車で渋滞が酷いので、電車+ロープウェー+マイクロバスを利用するのが賢明だと思います。

2004年4月7日撮影;カメラ・FUJIFILM FinePix S2Pro レンズ・AI AF-S Zoom-Nikkor 17-35mm f/2.8D IF-ED使用。


春眠暁を覚えず

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フォトエッセーとWEBページ制作:尾林 正利
2016年4月3日

今年のさくらの開花宣言......大阪では、3月23日になりました。
桜の開花宣言を行うのは、気象庁からその業務を委託された公益法人の日本気象協会さんで、日本全国のさくら開花情報を国や自治体、報道関係に提供して収益を得ているそうです。

大阪府の場合は、大阪城の西の丸庭園に「生物季節観測用標本・そめいよしの」と気象庁が指定した桜の標本木があって、標本木の花芽 (かが=蕾の集まり) の中から花弁 (はなびら) が開いた花の数を調べて、5〜6輪咲いていれば、「さくらの開花宣言」が発表されます。
因みに標本木の蕾の80%が開いた時に「さくらの満開宣言」が発表されます。

「さくらの通り抜け」というイベントを毎春開催する大阪造幣局には、現在、桜の品種が130種類も植えてありますが、人為的に作られた「そめいよしの」と呼ばれる品種がさくら開花の標本木に選ばれた理由は、この桜は満開時の見栄えが良くて、育ちやすくて、九州・四国・本州・北海道の札幌以南で開花して、日本全国に広く植樹 (80%ほど) されているからなのです。八重桜の「大手毬 (おおてまり) 」などを桜開花の標準木にすれば、困る自治体も出てくるでしょうね。

ところが、沖縄県や鹿児島県の奄美諸島では冬の気温が高いので、「そめいよしの」の花芽 ( かが ) が"休眠打破 (後述) "できないので、木は育っても花が咲かないそうです。だから、沖縄では派手なピンク色の「カンヒザクラ (寒緋桜)、別名で、ヒカンザクラ(緋寒桜)」がさくら開花宣言の標本木に指定されています。
別名で、というのは、沖縄の緋寒桜と本州の彼岸桜は別品種の桜ですので、園芸業者では、電話で注文の時に、ヒカンザクラとヒガンザクラを聞き間違いやすいので、カンヒザクラと呼ぶことになっています。

北海道の北東部は冬が長くて寒冷な気候なので、「そめいよしの」が育たず、旭川・稚内・網走・釧路・帯広の桜の標本木は、「えぞやまざくら」に指定され、札幌・室蘭・函館の桜の標本木は、「そめいよしの」が採用されています。因みに、今年の北海道のさくら開花予報は、函館市が4月23日、札幌市は4月25日で、大阪より1ヶ月遅いですね。今春に北海道新幹線が新青森〜新函館北斗が開通し、本州からの花見客も増えるでしょう。北海道での花見は使い捨てカイロを忘れずに...。

「そめいよしの ( 染井吉野 ) 」という桜のルーツ (起源) は、江戸時代の末期、染井村(現在は、東京都豊島区駒込)に集まって住んでいた造園師や植木職人たちが育てた桜の一種で、歌舞伎の義経千本桜に登場する桜の名所・大和 (やまと:奈良県) の吉野山に肖(あやか) って「吉野」又は「吉野桜」として大量に販売されるようになりました。

ところが、明治時代になって、藤野寄命 (ふじの よりなが) という国立博物館の学者が1900年 (明治33年) に上野公園に植樹されている江戸染井村産の「吉野桜」を詳しく調べたところ、大和の吉野山から移植した「ヤマザクラ」とは、異なる品種であることが判明し、混同を避けるため、発生地の染井村の名を採用して「染井吉野」と命名されました。

その後、「そめいよしの」が雑種だという根拠は、今から百年前の1916年、イギリス人植物博士のアーネスト・ウィルソンが来日して、染井吉野は、オオシマザクラ (山桜) とエドヒガン (里桜) の交雑種であるという仮説を唱えたのですが、当時の日本は無視。1965年に国立遺伝学研究所の竹中要博士が、ウィルソン博士の仮説の正否を見定める交配実験をしたところ、交雑種であることが確認されました。
しかし、染井吉野が染井村の植木職人によって、"梅の品種改良"のように接ぎ木して人工交配されたものか?偶発的に天然交配された美しい桜を増やして育てたものなのかは、未だ解明されていません。

「そめいよしの」の特徴は、エドヒガン系 (里桜の一種) の遺伝子を引き継ぎ、花が葉よりも先に開いて満開になり、花が舞い散ってから葉芽 (ようが) が膨らんで葉が成長するので、満開時の「そめいよしの」は、白い花弁が密集して幹や枝や隠し、見栄えが美しいので、わが国では人気があります。

ぼくが三十代の頃、京都府乙訓郡大山崎町にお住まいの方から、ぼくの背丈(1.62m)ほどの、根付きのソメイヨシノ2本をご厚意で戴き、カローラバンに積んで羽曳野の自宅に植えたところ、1本は間もなく枯れましたが、残った1本は、剪定とか施肥をしなくても、20年後には樹高6mの高さに成長し、自宅で花見ができるようになりました。但し、花が散った後に新緑になると毛虫が湧いて、その駆除が面倒でしたね。

さくらの枝には、葉芽 (ようが:葉に成長) と花芽 ( かが:花に成長 ) ができます。
標本木になっている「そめいよしの」に花芽 ( かが・はなめ ) が形成されるのは、花が咲く前年の夏らしく、発生した花芽はすぐには成長せず、一旦休眠に入り、冬期に一定期間低温にさらされると、休眠から覚めて、その後は気温の上昇に比例して花芽が成長し、この過程を"休眠打破"と言って、花芽が蕾に成長して開花に至ります。

スポーツ紙などでは、関西方面でさくらが咲きだし、選抜高校野球が開催される頃を「球春」と呼んでいますが、3月25日から京セラドーム大阪 ( 大阪ドーム ) でプロ野球の公式戦:阪神タイガース対中日ドラゴンズの3連戦も開幕し、阪神が2勝して勝ち越し、新戦力の溌剌とした活躍もあって上々のスタートを切りました。
大阪では、とくに阪神タイガースの勝敗が、大阪の消費経済に影響します。阪神が勝てば、「居酒屋へ行こか!」と気が膨らみますが、負ければ、「はよ帰って寝よか..」と萎んでしまいます。

まだまだ寒の戻りがやってくる日もありますが、ぼくの住んでいる大阪市平野区では昼間が暖かくなって、春めいて参りました。桜が開花した3月23日に、近くのスーパーへ新鮮な和歌山産の「きぬさや豌豆 (えんどう)」を買いにいって、塩少々の昆布出汁で「豆ご飯」を炊いて食べました。春の味がしました。オカズは少し炙った初カツオの刺身です。
このエッセイ ( 随筆 ) を自宅で書いている3月31日は、学校が春休み中なので、ポカポカ陽気に誘われて、朝から自宅前の広場で子供たちが走り回っている元気な声とか、時々、転んだ時の泣き声が聞こえてきます。

昨今は日本の少子高齢化問題を危惧する政治家・教育関係者の発言が多いですが、ぼくが住んでいる大阪市平野区東南部の集合住宅が多い地域は、大阪市のベッドタウンで、中層・高層の公営住宅やマンションが林立しており、子供たちも多いのです。でも、平野区の古い街並みを歩けば、やはり高齢者の方が多いですね。

さくらの開花宣言から早くも一週間が経ち、自転車で区内のさくらの名所・楯原神社や喜連小学校の近くを通ると、さくらが三分咲でした。4月2日〜3日の週末は、区内のさくらが見頃になりそうな所もあります。

さて、今回は"春眠暁を覚えず"という漢詩から、春をテーマにしました。

春眠不覺曉 處處聞啼鳥 夜来風雨聲 花落知多少
上の漢詩は、有名な孟浩然 (もう こうねん:モン・ハオラン) の春暁です。

春の夜は寝心地が良いので、日が昇ったのに全く気付かず、寝過ごしてしまった。
目覚めれば、あちこちから、鳥たちのさえずりが聞こえる。
夜中に春の嵐らしい音が聞こえたので
美しく咲いた花が気掛かりだ...どれだけ落ちてしまったのだろうか。

春眠暁を覚えず......春は睡魔に襲われるシーズンです。
日本の学校教育では生徒達に「早寝早起き」が奨励されているのですが、高齢者になって年金生活の暮らしになった今は、毎日、定時に外出する用件もないので、「朝寝坊の宵っ張り」状態です。
遅い朝食が済んだ後には、再び眠気が催して、パソコン (Mac) の前で コックリ(居眠り) することが増えました。もちろん、テレビで野球中継を観ながらコックリなんて、日常茶飯事です。確実に老化が進んでいます。それで、朝は毎日7時に起きることにしました。それは、他に理由があるからです。

男性が高齢になれば、頻尿 ( ひんにょう) が起きやすく、その兆候が昨年の10月からあって気をつけています。頻尿の原因が、前立腺肥大によるものなのか?脳と膀胱や尿道を結ぶ神経のトラブルで過活動膀胱になっているのかは不明ですが、急に尿意を催し、漏れそうで我慢できないことがあり、屋外の仕事に支障を来します。まだ切迫性尿失禁(尿漏れ)に至っていませんが、春眠中に粗相するのを用心して、早起きするのが当たり前になりました。

テレビで、尿漏れ防止パンツのコマーシャルをよく見掛けますが、世の中には過活動膀胱に罹って頻尿の人が多いのでしょうね。数年前まで他人事 (ひとごと) のように思っていたのですが... 高齢になれば、なぜ早起きになるのが、ようやく分かってきました。尿漏れ防止パンツって、未だ履いてませんが...。

ぼくの場合は、7時頃に起きる為に目覚まし時計は不要で、朝6時前に東の空が白じみ、東向きのベランダが透明なガラス戸なので、日が差すと部屋が明るくなるので、自然に目覚めます。目を閉じていても目蓋が光の強弱を感知しているみたいです。
近くに高い建物がないので、晴れた日には生駒山地の南にある高安山 ( 標高が488m ) の頂上付近から昇る御来光を拝めます。朝日は夕日より眩しく感じますが、それは目覚めたばかりの瞳孔が日の出の眩しさに慣れてないからでしょう。

八尾市の山間部にある高安山の頂上近くには、大阪管区気象台所有の気象レーダー観測所が建てられていますが、無人らしいです。
高安山のレーダー装置は大阪市中央区にある大阪管区気象台からリモコン ( 遠隔操作 ) で作動しており、高安山観測所を中心に半径300km範囲の雨雲や雷雲 ( 乱層雲や積乱雲 ) の降雨状況を調べられるそうです。 現代の日本は科学技術が著しく進歩しているので、一昔前では雲を掴むような話しが、明らかになってきたワケです。

近年では ( 地球温暖化で? ) 異常気象による災害が世界的に多発しており、気象予報は社会で重要な役割を担っており、日本では国家試験に合格した気象予報士が、テレビ各局のニュース番組で活躍されています。
日本では、ゲリラ豪雨や集中豪雨の原因になる積乱雲のバックビルディング現象の研究が進み、巨大化する積乱雲群 ( スーパーセル ) の動きを監視するドップラーレーダーを設置して、停滞前線の大雨注意報や警報だけでなく竜巻注意報も発令されるようになりました。

因みにドップラーレーダーは、巨大竜巻の発生が多くて、人的物的被害が甚大なアメリカで開発されたものですが、1991年〜2014年までの気象庁の調査では、大阪府では陸上竜巻の発生は0回ですが、和歌山県内では12回も確認されたそうです。

日本で起きる気象災害では、集中豪雨による土砂崩れと洪水被害が多く、落雷、竜巻、ダウンバーストの被害も時々ニュースになります。
発達した雷雲が近づいているのにゴルフに夢中になって、落雷で命を落としたり、2012年8月18日に大阪市東住吉区の長居公園で、人気のあるEXILEさんらが出演する野外のライブコンサートが行われたのですが、大阪管区気象台から午後2時9分に大雨警報が発令され、その直後に会場内の大きな木に雨宿りして「側撃雷」を受けて亡くなられた2人のOLさんがいます。雷から逃れる予備知識があれば、助かっていたでしょう。

急に空が暗くなって大粒の雨が降り出し、近くで雷鳴が轟いたら、雷の落ちやすい大木の下で雨宿りするのは超危険なのです。 建物の中やクルマの中に逃げたら、比較的に安全なのですが...。
空港上空の飛行航路に積乱雲がある場合、離着陸の時に旅客機も時々被雷しますが、とくに旅客機には万全の被雷対策をしてあるので、墜落することは稀のようですが、被雷すると機体は振動します。CAさんは「乱気流の影響です」って、アナウンスしますが...。雷の放電は、AMラジオで受信できる電磁波を放射するらしく、航空機のデリケートな計器が、雷の強力な電磁波で故障して操縦に悪影響する場合があるようです。

雷が近所の電柱に落ちた場合は、一般家庭なら停電だけの辛抱で済みますが、家の屋根に設置したテレビアンテナに落雷した場合は、アンテナケーブルに強電流が流れ、接続したテレビが故障して写らなくなります。個人的には、近くで雷鳴が轟いたら、真っ先にACコンセントに挿したパソコンを終了させ、LANケーブルも抜き、パソコンの電源コードをコンセントから抜きます。家のどこかに落雷すると、家の中にいても、雷の電流は水道蛇口や他の電気製品を伝って流れることもあり、素手で水道栓を捻ってヤケドする可能性もあるようです。

ぼくが22歳の頃、夕方に大阪市バスに乗っているときに、強烈な稲光がして近くの電柱に落雷し、電柱に吊った変圧器がパカッと割れて油が噴出して燃え、雷鳴が轟き地響きしました。バスの中にいたので安心しましたが。

風 (風神) と雷 (雷神) は、人間が恐れを抱く、強力なパワーをみせつける自然現象 (自然神) で、風神や雷神を尊崇して、別々に祀る信仰は中国の漢王朝時代 (紀元前206年〜紀元後220年) が起源らしいです。
日本では、雷(いかずち) を"神鳴り(かみなり)"と尊崇して祀る神社 (天神社) が平安時代初期には建てられていたようです。とくに、田植えの時期は雨水が必要なので、梅雨になっても日照りが続くと、宮中では雨乞いの儀式を斉行しました。神鳴りは、雨が降る前兆だと信じられていたのです。因みに雷神の像は、相撲力士が太鼓を叩いている姿に、風神の像は、相撲力士が風の入った大袋の口を開ける姿にシンボライズ(象徴化)されました。江戸時代に「雷電為右衛門」という力士がいましたね。

平安時代に起きた昌泰の変 (昌泰4年:901年の大内裏での人事異動) で、醍醐天皇の右大臣であった、文書博士(もんじょうはかせ=漢詩・漢文の博士) の菅原道真公 (菅公) が、突然、右大臣の職を解任されて、従2位の位階も没収...。太宰権帥 (だざいのごんのそち:地方の副長官)に降格されて左遷になり、京で暮らしていた菅公の親族も連座で地方に配流されたのです。

菅公左遷の原因は、菅公は娘の寧子 (尚侍という地位が高い女官) を醍醐天皇の実弟・斉世親王(ときよしんのう) に嫁がせて、皇位を狙っているらしいと左大臣・藤原時平からの讒言(ざんげん:不確かな事柄を悪意に曲げて上司に報告)を聞かされた醍醐天皇が激怒されたからです。
菅公は、九州赴任の2年後に太宰府で薨去されました。個人的には太宰府ってどんなところか観たかったので、15年ほど前に、九州出張の時に博多にもう一泊して、天神駅 (西鉄福岡駅) から西鉄電車に乗って太宰府天満宮に行きました。途中の西鉄二日市駅で太宰府行きに乗換します。
太宰府は博多に近いし、そんなに辺鄙なところではないですよ。京都に居るよりは、新鮮な魚介料理を楽しまれた筈です。

菅公の薨去後は、京では様々な不幸な出来事が起こり、延長8年 (930年) 6月に日照りが続いたので、醍醐天皇は諸卿を御所の清涼殿に集め、雨乞い儀式の会議を開いていたところ、突然雨が降り始め、稲妻が光って雷鳴が轟き清涼殿に落雷したのです。

菅公追放工作に加担した、大納言の藤原清貫が落雷で即死...この事故は、菅公の御霊 (ごりょう:祟り) が、雷神に憑依 (ひょうい)したとして、平安貴族たちに畏怖され、やがて御霊信仰が京に広まり、天神信仰の北野天神社 (今の北野天満宮)に、雷神という自然神と菅原道真という人格神が合祀されるようになりました。 時代が進むにつれ、菅原道真公=文章博士="学問の神様"として、祈雨の雷神様より尊崇されるようになり、受験合格祈願のため、お詣りする若人が多いです。

科学的な雷の正体は、先ず雷には数種類があります。大阪府内で出遭うのは、夏に発生する「熱雷」です。「ゴロゴロ」と鳴ったら「くわばら、くわばら」って呪文を唱えたら雷が落ちないというのは迷信ですが、明治生まれの祖母は、蚕を飼育していないのに、自宅の庭に桑の木を植えてましたね。北陸の日本海側沿岸では、熱雷よりも「冬期雷」が多発するそうです。

熱雷はどうして発生するのか...真夏の午後に、太陽によって地表で暖められた大気が上昇気流になって、高度1,500mぐらいの低層の上空に水蒸気や雨粒でできた綿菓子のような「積雲」が形成されます。
さらに上昇気流の勢いが活発だと積雲の雲底は1,500mのままで、雲頂が上へ上へ膨張して、やがて、雲頂が10,000mぐらいの積乱雲に発達します。

積乱雲の雲底では水蒸気や雨粒の状態ですが、中層で雨粒が冷やされて氷晶になり、高層では氷晶がピンボン玉のような雹 (ひょう) になり、雹が出来るとその重さで落下し始めて下降気流が生まれ、積乱雲の中で上昇する氷晶群と下降する雹群が対流してぶつかる摩擦によって静電気が蓄積されるのです。

積乱雲の上層では+(プラス) の電荷、下層では− (マイナス) の電荷が蓄積され、上層と下層の電位差が大気の絶縁限界を超えると、静電気が電磁波、光 ( 稲光 ) 、音 ( 雷鳴 )のエネルギーに変えて、大気中に放電します。人間の感覚器官は電磁波を感じないので、雷の正体は目に見える稲光と、耳で聴く雷鳴しか分かりません。

雷の放電時間は、1000分の1秒 〜1秒の一瞬で、その電力は、電圧が 1億ボルト 〜10億ボルト、電流が数万アンペア 〜十数万アンペアもあるそうです。因みに東海道山陽新幹線の架線電圧は単相交流25000ボルト・60Hzの電気です。

雷放電の殆どは雲間放電ですが、中には落雷 ( 対地放電 ) するケースもあります。飛行中の飛行機には落雷するとは言わず、被雷すると言います。
現在の科学技術では、天然の雷が一瞬に浪費する大電力を蓄電して雷パワーを持続させることが難しいそうですが、日本では雷発生装置は製作されており、誘雷装置の研究も行われているそうです。
東日本大震災の時に起きた福島原発のメルトダウン事故で、日本の原子力発電はピンチなので、もしも天然の雷を制御して、放射能の心配がない「雷発電」の人工化に成功すれば、ノーベル賞は確実でしょう。増え続ける核廃棄物や汚染水の貯蔵タンク群をニュースで見ると、気が滅入りますね。

近年の天気予報が正確になってきたのは、気象庁単独の予算で打ち上げた静止気象衛星ひまわり8号( 2014年10月7日:種子島宇宙センターから打ち上げ ) のお陰でしょう。
ひまわり8号のスペア ( 予備衛星 ) になる「ひまわり9号」は2016年中に打ち上げる予定ですが、打ち上げ日は未だ決まっていません。

ぼくが小・中学生の頃は、うちの飼い猫( 普通の虎猫 ) が、明日の天気予報をやっていました。
食後の猫が寛いで顔を洗う時、片方の前足を舐めて唾をつけ、顔を擦って洗います。
耳の後ろまで洗ったら、明治生まれの祖母が「明日は雨降るで」と教えて貰いました。
中学生の頃まで、気象台の天気予報よりも、猫の天気予報を信じていましたが...そんな悠長な昭和の時代が懐かしいですね。

さて、早起きするようになったぼくは、まだ水道の水が冷たい朝7時に起きてガスの火で湯を沸かし、質素な朝食の準備に掛かります。
日の出の直射を浴びるダイニングキッチンのテーブル席で、淹れたての熱いブラック・コーヒーを啜りながら、トーストした分厚い食パン ( パスコの超熟やフジパン本仕込み ) にバターを擦り付けて食べます。パン食(炭水化物)だけでは物足りないので、パンをトースターレンジで焼く間に、ガスコンロを使ってハム入りのオムレツなどを作り、スープや野菜も加えます。ま、喫茶店のモーニングサービスよりは、プチ贅沢な朝食です。

ところで、喫茶店には新聞が置いてありますが、今では新聞を読むのは「電子版」になりました。
凡そ8時半に朝食の後片付けが済むと、事務室のテーブルの前に座ってMacの電源を入れます。
愛用しているPowerMacG5は、新品を買ってから10年目の賞味期限切れのマシンで、今年の3月から起動音がなりません。マウスポインタがフリーズする度合いが増えました。

MacOS-X用のブラウザ「Safari」を開いて、朝日、読売、産経、毎日、週刊文春、iRONNA、CNNなどの電子ニュースを読みます。
個人的には、新聞や本になった出版物を買わなくなり、インターネットから知りたい情報をゲットします。
ネット配信された新聞や出版メディアの電子ニュースは、新聞記事や雑誌記事などのダイジェスト版 ( 要約版 ) ですが、16歳〜25歳頃にアメリカの月刊誌、リーダーズ・ダイジェスト ( リーダイ ) の日本版を愛読していたぼくにとっては、凡そのことが分かれば十分なのです。 ぼくの場合は、毎日、午前8時半から4紙〜5紙の電子版を読み始め、読み終わるまで1時間ぐらいは掛かりますねぇ。 "春眠暁を覚えず"...新聞記事チェックの時間帯で居眠りする時があります。
近年は、プライベートでも世相でも気が滅入ることがありますので、集中力が衰え、モニターの前でうつらうつら...。ふと目を開けると、デスクトップ画面はスクリーンセーバーのオーロラ映像が舞っています。

今年は生後71回目のさくらの季節を迎えます。子供の頃はさくらの花を見ても、それほど感動しませんでした。花より団子でした。

"さくら"と言えば、森山直太朗さんの独唱...「さくら さくら 今、咲き誇る 刹那に散り行く運命(さだめ)と知って...さらば友よ 旅立ちの刻 (とき) 変わらないその想いを 今...」の部分の詞がグサッときていいですね。 ぼくより32年も後に生まれた世代の方が作ったと思えないような詞なんです。
ぼくは、森山直太朗さんのさくらが好きで、時々YouTubeで「さくらの独唱」を聴いています。

というのは、京都市山科区のさくらの名所・「山科疎水(やましなそすい=琵琶湖疎水)」にある、さくら並木で、50年前 (22歳の時) に仕事仲間と花見しながら飲食した事を思い出すからなんです。また、この場所で花見しょうという約束が、一期一会になってしまいました。

その後、40年が経ってから、彼の歌を聴いて、ぼくはさくらを撮りたくなって、奈良県の宇陀市の又兵衛さくら、吉野山の中千本、京都市伏見区の醍醐寺、大阪市北区の造幣局でさくらの名木を撮影しました。 このページからアクセスできます。岡山・京都・奈良・大阪造幣局のさくら

昨年の春頃から大阪市中央区の心斎橋や道頓堀に架かる戎橋界隈の繁華街は、中国人観光客が多く、彼らを運んでくる千葉県ナンバー ( 千葉・習志野・袖ヶ浦・野田・柏・成田 ) の観光バスが目立っています。「大阪には、関空 ( 関西国際空港 ) があんのに、何で、遠回りして成田からくるんや?」ま、よろしいやん。ツアー会社の事情があるのでしょう。

昨年のゴールデンウィークでは、ナンバにある大手家電量販店で1人の中国人観光客がPanasonicの炊飯器を何と20台も"爆買い"して、工場の倉庫で使うような大きなカートに積んで、家電量販店の方と一緒に御堂筋の歩道で運んでいるのを見掛けましたが、今年の春から、中国人観光客たちは爆買いを卒業して、春の日本文化を体験するために日本へ再びやってくるそうですよ。

中国語が分からなくてアクセスしたことはないのですが、中国版のツイッター「 ウエイボー (微博) 」によると、日本の花見の様子が詳細に紹介されているらしく、中国では桜の樹の下で、気のあった仲間が集って宴会する風習がないようなので、興味津々...日本のさくらの名所でお花見体験したいのでしょうね。
抜け目のない中国の大手観光ツアー会社では、日本での買物の他に、お花見体験、温泉入浴と和食をパックにした旅行企画を売り出して、予約が殺到しているそうです。

大阪城のソメイヨシノが舞い散る頃、大阪市北区天満1丁目にある大阪造幣局の敷地内で、今年は4月8日(金)〜4月14日(木)の1週間に毎年恒例の「桜の通り抜け」のイベント が あって、130種類の珍しい桜が無料で見物でき、一見に値します。土曜と日曜が夜の9時まで開門していて、夜桜見物もできます。 但し、造幣局の敷地内では飲食はできませんが、大川の右岸 ( 大阪市北区側 ) に「南天満公園」があって、そこでなら、桜を眺めながら飲食が可能です。南天満公園 (トイレ有り) で宴会したい人は場所取りが必要です。今年の花見は「YOU : 外国人」もやってくると思います。ブルーシートを敷く場所の取り合いで、トラブルが起きなければ良いのですが...。
春眠暁を覚えず、寝過ごし遅刻や勤務中の居眠りには、くれぐれもご用心!

エッセーと写真、2016年4月3日 尾林 正利

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