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フレンチ・カンカン

ベル・エポックのパリを描いた、コメディミュージカルの傑作を1954年に映画化

FRENCH CANCAN
Une Comédie Musicale de JEAN RENOIR

フレンチ・カンカンは、1889年のパリ万博の年に、モンマルトルの丘にあるキャバレー「ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge: 赤い風車)」という娯楽の殿堂が創業された時の様子を描いたコメディ・ミュージカル映画です。
ムーラン・ルージュは、1959年に、食事もできるナイトスポットに改装され、映画で見た建物とは外観が違います。

ぼくは、1974年12月〜1975年1月の年末年始に、パリの写真を撮るために渡仏して、ムーラン・ルージュの外観写真も撮って来ました。でも、昼間だったので、当時は007シリーズの映画をやっていて、残念ながら夜9時と11時から始まる肝心の「シャンソンやカンカン踊り」のショーは、見逃してしまいました。

昨今では、ムーラン・ルージュの観光案内所が東京にあるので、チケットを予約することも可能で、インターネットでムーラン・ルージュの日本語版サイトにアクセスし、ショーの演目を調べて、予約できるようです。

カメラ: Nikon F2 Ai Zoom Nikkor28-45mm f4.5

主なキャスト

Henri Danglar (アンリ・ダングラール:パリの興行師)・・・JEAN GABIN(ジャン・ギャバン)
Nini(ニニ:モンマルトルの洗濯屋で働くダンスの上手い娘)・・・FRANÇOISE ARNOUR(フランソワーズ・アルヌール)
Lora ( ローラ:ダングラールのミュージックホールで働く看板スター)・・・ MARIA FELIX (マリア・フェリクス)
Casimir(カジミール;ダングラールに雇われた器用な大道芸人)・・・Philippe Clay(フィリップ・クレー)
Paulo(ポーロ:パン焼き職人でニニの恋人)・・・Michel Piccoli(ミシェル・ピコリ)
Le Prince Alexandre(アレクサンドル王子:ニニに求婚する中近東の王子)・・・Jiani Espisito(ジャンニ・エスポジト)
Baron Walter(ヴァルタル男爵:ダングラールの出資者)・・・Jean-Roger Caussimon(ジャン=ロジエ・コーシモン)

主なゲスト出演

Eugenie Baffet役・・・Edith Piaf(エディット・ピアフ:フランスを代表する女性シャンソン歌手)
Yvette Guilbert役・・・Patachou(パタシュー:女性シャンソン歌手でキャバレーのオーナー)
Paul Delmet役・・・Andre Claveau(アンドレ・クラヴォー:男性シャンソン歌手で「パパと踊ろうよ」を作詞作曲)
歌のみ出演・・・Cora Vaucaire(コーラ・ヴォーケル:新進のシャンソン歌手「モンマルトルの丘」を歌う)
主なスタッフ

監督:JEAN RENOIR(ジャン・ルノワール)
脚本・台詞:JEAN RENOIR(ジャン・ルノワール)
撮影:MICHEL KERBER(ミシェル・ケルベ)
音楽:GEORGES VAN PARYS(ジョルジュ・ヴァン・パリス)
美術:MAX DOUY(マックス・ドゥーイ)
編集:Borys Lewin(ボリス・ロウィン)
録音:Antoine Petitjeam(アントワーヌ・プティジャン)
衣装デザイン:ROSINE DERAMARE(ロジーヌ・ドラマレ)
カンカン振付:Claude Grandjean(クロード・グランジャン)
製作:LOUIS WIPF
製作会社:Gaumon (ゴーモン)
Franco London Film SA.
配給:GAUMONT-Jolly Films(ゴーモン、ジョリー・フィルム)
製作年と製作国:1954年、フランス
画面サイズ:スタンダード(4:3)、カラー:テクニカラー
日本版DVD製作:株式会社アイ・ヴイー・シー

トッポの感想

フランスで印象派の有名な画家、ピエール=オーギュスト・ルノワールの長男、ピエールは俳優になったが、次男のジャン・ルノワールは、チャップリンの影響を受けて映画作家になった。

映画監督になったジャン・ルノワールは、父・オーギュスト・ルノワールの画を売った資金で「大いなる幻影(1937年)」や「ゲームの規則(1939年)」など、今でも評価の高い映画をフランスで製作したが、第二次世界大戦でフランスがナチスドイツの侵攻に遭ってパリが危なくなると、ジャンは米国に移住してハリウッドの資本で数本の映画を製作した。

「フレンチ・カンカン」は、ジャン・ルノワールが戦後フランスに戻って初めて1954年に製作したフランス映画で、出来栄えは、彼の作品(ぼくが観た5作)の中では、個人的には一番面白い映画だと思う。
インドで撮った「河(1951年)」やイタリアで撮った「黄金の馬車(1953年)」も力作だったが、やはり、フランス映画の薫りが充満する「フレンチ・カンカン」がナンバーワンだ。
しかし、フレンチ・カンカンの大ヒット後に撮った作品は、興行的にヒットせず、再び米国へ移住し、母国に戻ることなく生涯を終えた。

さて、ジャン・ルノワールがまだ少年の頃で、画家の父が活躍していた頃のパリは、世界の美術工芸品が集まり、ベル・エポック(Belle Epoque:良き時代)と呼ばれて、大変栄えていたらしい。

フレンチ・カンカン(フランス語ではフレンチ・コンコンと発音)という映画は、ベルエポックの頃のフランスで流行った、女性のダンサー達が全員でスカートを蹴り上げて踊るラインダンスのことである。

この映画は、アコーディオンを伴奏に大衆的なシャンソン、パントマイムや大道芸とカンカンが次々に演じられる「ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge:赤い風車)」という、娯楽の殿堂を1889年に開業するまでの物語である。
因みに、 ムーラン・ルージュの実際の創始者は、シャルル・ジドラーとジョセフ・オラーの二人らしいが、本作ではアンリ・ダングラールに名前が変えられている。

ムーラン・ルージュ(赤い風車)は、パリの下町、モンマルトルの丘に建てられ、貴族から職人まで、誰でも気さくに遊べるキャバレーで、シャンパンの消費量が年間24万本も開けられているらしい。この映画では専属ダンサーが20名ぐらいだが、現在は80名ほどいるらしい。

ベル・エポックの時代は、いわゆるアール・ヌーヴォー(Art Nouveau:芸術を新しくする運動)がフランスで盛んになった。
その切っ掛けの一つは、日本の浮世絵師・葛飾北斎や歌川広重の版画作品に触発されて、1880年〜1890年代にジャポニズム(江戸風俗の浮世絵収集趣味)が、フランスの美術収集家や著名な画家たち、工芸作家の間で流行り、エドゥアール・マネ、クロード・モネ、トゥールーズ・ロートレック、ヴィンセント=ヴァン・ゴッホ(オランダ語で、フィンセント=ファン・ゴッホ)、ポール・ゴーギャン、エドガー・ドガ、グスタフ・クリムト、ピエール=オーギュスト・ルノワール、エミール・ガレらの作風に影響した。
とくに、ムーラン・ルージュのポスターを描いたロートレックは、作風に浮世絵版画の影響が見受けられる。

画家のルノワールは1881年に、日本の団扇(ウチワ)に興味を持ち、「団扇を持つ少女」を油彩で描いている。
1900年のパリ万博では、東洋的(オリエンタル)な装飾を施した建築や家具、工芸品やグラフィックデザインにも優美な曲線を採用したアール・ヌーヴォー調の装飾品が多数出品されて、フランスを中心に流行り、1925年のパリ装飾美術博では、さらに華麗なアール・デコ装飾へ進化して、アメリカのニューヨークにも波及した。

勿論、日本にもアール・ヌーヴォーやアール・デコの装飾美術は明治時代の終わり頃から大正時代に日本へ逆輸入して伝わった。
大阪市の中之島にある、大阪市中央公会堂(辰野金吾設計)もアール・ヌーヴォー建築様式の影響が見られる。

1888年のパリを舞台にしたフレンチ・カンカンのポイントは、二人の名優である。
主演にジャン・ギャバンとフランソワーズ・アルヌールを共演させている。
この二人の共演と言えば、アンリ・ヴェルヌイユ監督の名作「ヘッドライト(1955年)」で、ジャン・ギャバンはトラック運転手のジャン役を演じ、フランソワーズ・アルヌールは、レストランの女給クロチルド役で一緒に出演していた。

ジャンには幸せな家庭があったのだが、深夜に走る長距離ドライバーの宿命なのか、ジャンはいつも仮眠休憩に立ち寄るレストランで働く女給のクロチルドを愛するようになり、クロチルドもジャンが好きになって彼の子を身籠もる・・・不倫をテーマにした、メロドラマ映画の佳作だった。
ぼくは、「ヘッドライト」を「フレンチカンカン」よりも先に観た。 フレンチ・カンカンは、ヘッドライトの1年前に製作されたのである。

ジャン・ルノワールが監督した「フレンチ・カンカン」では、ギャバンが興行師のアンリ・ダングラール役に扮し、アルヌールがカンカンダンサーのニニ役で出演し、どんな演技をするのか楽しみにしていたが、モンマルトルにあるキャバレーの「ムーラン・ルージュ」の創業までの様子を描いたミュージカルコメディなので、主役二人のテンションが上がりまくりで、観ていて面白い。

また、フランスを代表するシャンソン歌手のエディット・ピアフもこの映画に出演している。エディット・ピアフが歌う動画を初めて観た。
ピアフの歌と言えば、ピアフが作詞した「La Vie en rose(ラ ヴィ アン ローズ=バラ色の人生)」。
フランス女優のマリオン・コティヤール(Marion Cotillard)は、2007年製作のオリビア・ダン監督作品「エディット・ピアフ・愛の讃歌(映画の原題は、La Môme=小さな女のひと。原曲名は、Hymne à l'amour:イムヌ ア ラムール=愛の賛歌)」で、エディット・ピアフを熱演したが、よくピアフのメイキャップの"眉を細長く描いていた"特徴を見事に捉えていたなと、フレンチカンカンを観て、改めて感心してしまった。

エディット・ピアフは、身長142cmの小柄な女性歌手だったので、「スズメ=Piaf」という愛称が付けられたが、パリ下町の街頭でアカペラで歌っていた(辻歌:つじうた=ストリートシンガー)出身の歌手なので、歌唱力が抜群で、彼女が作詞した哀愁漂うシャンソンは、"Padam Padam"(パダン、パダン)と靴音のように心に響く。WW2で、パリ解放の時は、エディット・ピアフは、愛する後輩のイヴ・モンタンと一緒に、ムーラン・ルージュの舞台に立った。
1888年頃の物語なので、1915年(日本では大正4年)生まれのエディット・ピアフは、当時のムーラン・ルージュの契約歌手に扮して出演している。

ぼくも、1974年12月〜1975年1月に8日間渡仏し、パリのモンマルトルにあるムーランルージュ(Moulin Rouge:赤い風車)へ行ったが、その時はパラマウント作品配給の映画館になっていて、ロジャー・ムアー主演の「007黄金銃を持つ男(The Man with the Golden Gun)」を上映していた。ガックリ。しかし、 あとでよく考えると、昼間に行ったからである。キャバレーとして開店するのが夜になってからなのだ。それを知らず、諦めていたのである。残念だった。

その足で近くの映画館へ入って、シルヴィア・クリステル主演の、パリでは無修正・ノーカット上映の「エマニュエル夫人」を観た。ほぼ満席だった。
洋画なのに日本語字幕が無い。フランス語はチンプンカンプンだった。そらそうだ。フランス映画をパリの映画館で観れば字幕は出ない。当たり前。

この映画は、文芸作品なのか、ポルノなのかが中途半端で、とくに感想はないが、日本ではテレビの普及で映画館への観客が減り、1971年から日活が成人映画路線で生き残りを賭け、ロマンポルノ作品が次々に製作された。フランスでも、同じような事情があったのかも。

ムーラン・ルージュでは、近年では、夜にディナー付きのショウをやっているらしい。どんなショウをやっているのかは、 日本にムーラン・ルージュの観光案内所があるので、演目を調べてチケットを予約することも可能だ。

シャンソンの方は、日本人観光客がよく行く「ラパンアジール(Lapin Agile:身軽なウサギ)」という薄暗いシャンソニエ(シャンソンのライヴがあるカフェ)で、女性歌手のライブを聴いたが、まぁまぁだった。ぼくが行った時は、女性の歌手がミレイユ・マチューのような張りのある声で歌っていた。ヘヤースタイルがマチューのようなオカッパ頭ではないので、本人ではないと思った。
本場のフレンチ・カンカンを見損なったので、今度パリへ行くチャンスがあった時は、一度は観たいものである。

因みにフレンチ・カンカンとは、踊り子がスカート(ペチコート)を足で思い切り蹴り上げて、黒のガーター留めストッキングとフリルの付いた白いズロースを観客に見せて踊るので、ちょっとエッチな踊りなのだが、数十人の踊り子たちが肩を組んで、全員同じステップのラインダンス(ロケットダンス)は、宝塚歌劇にも振付が採用されている。

フレンチ・カンカンの定番ダンスミュージックであるジャック・オッフェンバック作曲の「地獄のギャロップ」は、日本の小学校で運動会の競技中のバックミュージックによく使用されているので、親しみやすい。


フランス映画の大スターと言えば、やはり、ジャン・ギャバンだろう。ファッションがおしゃれ。
フレンチ・カンカンでは、興行師のアンリ・ダングラール役を渋く演じている。気の強い数十名のダンサー達を、意のままにまとめるのは大変だ。
実際のジャン・ギャバンは歌手として、ムーラン・ルージュで初舞台を踏み、その後、俳優になって大活躍した。

ストーリー

1888年のパリ市の下町、モンマルトル。
モンマルトルという所は画家の卵が集まるところで、観光客相手に似顔絵を描いて日銭を稼ぐ若い画家たちがたむろしている。ここの丘に聳えるサクレクール寺院が有名だ。
モンマルトルを東京で喩えれば、浅草寺のある「浅草」みたいな庶民的な場所である。

興行師のダングラール(ジャン・ギャバン)は、「パラボン・シノア・ベル・アベス」という、こぢんまりしたミュージック・ホールを経営して、妖艶なオリエンタル・ダンスのショウを売り物にしていたが、売上はパッとせず、銀行や投資家のヴァルタル男爵から貸付金の返済を迫られていた。

ダングラールの店で妖艶なオリエンタル・ダンスを踊るのが、看板スターのローラ(マリア・フェリクス)で、スペイン系のローラは、気性が激しくて嫉妬心も強く、ダングラールを熱愛している。
その一方で、ヴァルタル男爵は、妖艶なローラが大好きで、彼女の気を惹こうと付きまとい、ローラに気兼ねして、辛うじて「パラボン・シノア」の差し押さえは免れている。

ある日、ダングラールは、モンマルトルの「白い女王」というキャバレーへローラを連れて酒を飲みに行った。
そこで、恋人のポーロ(ミシェル・ピコリ)とカンカン踊りに興じる小娘のニニ(フランソワーズ・アルヌール)を観て、ダンスの素質を見出し、ダングラールはニニと一緒に踊った。

そして、ダングラールはニニに、オペラで着るような衣裳を付けさせ、自分の店でカンカンのショウをやりたくなって、洗濯屋で働くニニを店主の許可を得てダンサーにスカウトした。
そして、かってはカンカンの踊り子だった、ギボール先生のダンス教室で訓練させることを決心する。そして、猛特訓が始まった。オリエンタルダンスしか出来ない「パラボン・シノア」の看板スターのローラは、前途有望なニニに嫉妬し、彼女を潰しに掛かる。

パン焼き職人のポーロも嫉妬心が強く、恋人のニニが自分の居ないところでカンカン踊りをするのに耐えられない。
ニニの日課は、昼は洗濯屋で働き、夜はダンス教室通いで、デートもままならないポーロは、次第にダングラールを敵視するようになる。
ダングラールはすぐに、「パラボン・シノア・ベル・アベス」を売り払い、それを頭金にして「白い女王」を買う契約をした。
そして、店名を「ムーラン・ルージュ」とした。白い家は解体され、ムーラン・ルージュの工事が始まった。

ムーラン・ルージュの棟上げ式の日、列席者の中に、新入りダンサーのニニにダングラールを横取りされて嫉妬に狂う看板スターのローラは、ニニと鉢合わせ。
ローラが先にニニへ喧嘩を吹っ掛け、棟上げ式が大乱闘になった。この乱闘の最中に、ダングラールにニニを横取りされたポーロも加勢して、ダングラールは工事中の穴に突き落とされ重傷を負った。

ダングラールが病院を退院して、住まいにしているホテルへ行くと、ローラに唆(そそのか)された男爵は、ムーラン・ルージュへの出資を中止したことを知り、さらに、ダングラールはホテル住まいの滞在費も滞納していたので、ホテルから追われることに・・・。
この絶望の日に、ニニは、ダングラールのホテルを見舞いに行って、二人は結ばれる。

ニニには、”羊とタバコとバラの生産” で有名な中近東のアレクサンドル王子から愛を告白され、王子が男爵に代わってムーラン・ルージュへ出資する。
そして、ニニがプリンセスになっても、ダンスとプリンセスの仕事が両立できるようにするから結婚して欲しいと告白する。

ダングラールをワザと金銭的窮地に追い込んで、ダングラールが跪(ひざまづ)いて白旗を上げるのを待っていたローラは、王子の助け船に思惑が外れ、王子を連れてムーラン・ルージュへ乗り込み、ニニに、王子の前でダングラールの情婦であることを白状させる。
ニニに失望した王子は、ピストル自殺を図る。

しかし、弾は急所を外れて意識が戻り、王子はムーラン・ルージュの権利書の名義人をダングラールに書き換えて、ブレスレットと一緒に、ニニに渡して帰国する。
ローラは初めて、ダングラール、ニニ、王子に酷いことをしたと反省し、男爵にムーラン・ルージュへの出資停止を思い直すように働きかけた。

ニニの帰りを待っていたポーロは、伯父さんが引退してパン屋を継ぐことになったので、結婚しょうと迫るが、ニニは、「もう、昔の私では無いの」と、別々の道を歩むことを伝える。

そして、いよいよムーラン・ルージュの開店の日がやって来た。
大勢の客が店の前に押し寄せ、今か今かと開店を待っている。大道芸人のカジミールが店を開けると、大勢の客は店になだれ込む。
演目はシャンソンから始まって、パントマイム、大道芸、ローラのオリエンタルダンス、そして、ラストはカンカンである。
ゲスト出演した、女性のシャンソン歌手がカーテンの後ろでダングラールと抱擁しているのを見て、ダングラールを愛するようになったニニはショックを受け、楽屋に閉じこもってしまう。

カンカンの開幕時間が迫り、団員の皆が、楽屋に閉じこもったニニに説得するが、意地っ張りなニニは応じない。
母親の呼びかけで、楽屋のドアがやっと開くと、泣き腫らしたニニの姿が・・・。

ダングラールは、
「お前は俺を飼い慣らして、"カゴの鳥"にするつもりか。俺はダメになってしまう。
恋人なら王子、亭主ならポーロを選べ。 片や毛皮に宝石、片や平穏な暮らし、おれにはどっちも無理だ。
俺に大切なのは、スターを作り続けること。 きみの個人的な望みなど、問題じゃない。
俺達のビジネスで大切なのは、店にやってきた客を楽しませることだ。 君目当ての客が怒るから、君を引き留めているんじゃない。良い団員を失うのが惜しいからだ。
団員じゃないのなら、とっとと出て行け」。 と捲し立てた。

ニニは、この言葉で、ダンサーとしてのプロ根性が芽生え、大急ぎでダンスの衣装を着て、ステージに向かった。
客席から聞こえる「ニニ!、ニニ!」の合唱・・・
そして、ニニはステージに立ち、なにもかも忘れて、仲間と一緒に全力でカンカンを踊りまくった!!

FIN

上は、フレンチ・カンカンを熱演した、フランソワーズ・アルヌール。
この映画の翌年にアンリ・ヴェルヌイユ監督の「ヘッドライト」に、ギャバンと再び共演した。「ヘッドライト」もお奨めだ・・・。


あとがき

この作品の見所は、何と言ってもラスト20分のエンターテイメントのオンパレであろう。
シャンソンあり、大道芸あり、オリエンタルダンスあり、そして締めのカンカンだ。
やっぱり、ダンスのあるミュージカル映画は素晴らしい。それに華やかなファッション。

フレンチ・カンカンには、ルノワールの絵画を見ているようなシーンがいくつもある。
その影の努力は、衣装を担当した、ロジーヌ・ドラマレが、画家のルノワールやロートレックが生きていた頃の1888年の衣装を用意し、主役から通行人まで着せたからである。また、映画に登場するムーラン・ルージュは、スタジオセットのように見える。

この映画では、大道芸人のカジミールを演じた、フィリップ・クレーの器用な演技も光る。
フィリップ・クレーは、シャンソン、パントマイム、司会、何でもこなす。日本のお笑い芸人の、話芸だけの司会とは、芸のレベルが違う。

ダングラール(ジャンギャバン)が、1900年頃にパリで流行った「アブサン」をカフェで飲むシーンがある。
ソムリエから、水で薄めすぎだよと注意されているシーンがあって、こういう時代考証に基づいた何気ないシーンが映画をピリッと引き締めるのだ。

ぼくが観た、ジャン・ギャバン出演の作品は、戦前の「望郷」、「大いなる幻影」、「霧の波止場」、戦後の作品は、「ヘッドライト」「地下室のメロディー」などの白黒作品に多く出演しているが、カラー作品の出演が少ない。本作と、「レ・ミゼラブル」、「シシリアン」ぐらいかな。

ジャン・ギャバンは、悪役とか、みすぼらしい役をやっても、渋くて個性的な演技をする存在感のある男優である。
「現金(ゲンナマ)に手を出すな」のHD仕様のDVDが発売されるのが待ち遠しい。

当作品で、一番光ったのは、ニニを演じたフランソワーズ・アルヌールのカンカンだろう。
アルヌールは、カンカンをセンターで踊っていた。AKBメンバーも真っ青になる、激しい振付のダンスである。

2014年2月15日更新 尾林 正利

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