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太陽がいっぱい

アメリカの女流作家、パトリシア・ハイスミスの「才人リプレー君」の映画化
フランス・イタリア合作:1960年公開

Plein Soleil
un film de René Clément

1950年代の終わりに、フランス映画界に、ヌーヴェル・ヴァーグ(Nouvelle Vague:フランス語で新しい波)という、従来の映画作法や既存の社会通念に拘らないジャンルの映画が、当時はフランスの若手の映画作家であった、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらの若手映画作家によって、次々に新作映画が発表された。
その代表作は、ゴダールの「勝手にしやがれ」と、トリュフォーの「大人は判ってくれない」である。
もちろん、彼らのアヴァンギャルド(avantgarde:前衛) 的な作風を嫌う人々もおれば、拍手喝采で迎える人々もいた。

従来のフランス映画のプロット(筋書き)の傾向は、どちらかと言えば、ロマン派や自然主義派作家の悲劇的な一生を終える主人公を描く、ウエットな(湿っぽい)作品が多かったのだが、ヌーヴェル・ヴァーグ作品では、自分の欲望の為には邪魔者を平気で殺す、ドライな(あっけらかんとした)作品が次々に製作され出して、商業映画は、暴力描写や際どい性描写を避け、世の中の公序良俗に基づいて製作しなければならないという道徳通念に反した作品は、映画界にショックを与え、注目を浴びるようになってきた。

ヌーヴェル・ヴァーグという潮流は、映画作家が映画化したい原作の選択肢が増えた。また、映画の撮り方、徒弟制度で年功序列の撮影所も若手起用が目立つようになった。
それは、劇場用映画の制作は、三脚に固定した35mm映画撮影機 (ミッチェルなど)で全編を撮るという常識を、時にはジャーナリストが使うハンディな16mmシネカメラでスナップを撮るような気軽さで、商業用の劇映画を製作しょうとするムーブメントであった。

場合によっては、今まではNG(撮影失敗)とされていた、カメラぶれやピンボケのカットも本編に効果的に使って、観客自身がキャメラを担いで撮影しているような臨場感を意図的に加えた演出も増えた。そして、映画は画面の隅々までパンフォーカスでなければならないという過去の常識は、クロード・ルルーシュの「男と女」のフォトジェニックな映像表現などで、新しい映像美を追及する未来志向の時代の波に押し退(の)けられた。

従来の映画製作は、ロケのシーンでも大きな撮影所のセットの中で行われていたが、ヌーヴェル・ヴァーグを標榜する若手作家たちは臨場感を重視し、撮影所のセットは極力利用せず、実際に通行人が通る街頭でキャメラを手持ちで回し、同時録音で、即興演出を映画作りを基本(現在のテレビ番組製作も同じ)とした。
中でも、映像的に最もヌーヴェル・ヴァーグ作品に大きな影響を与えた人は、映画監督ではなく、映画キャメラマンで、手持ち撮影が上手い撮影監督のアンリ・ドカエ (フランスでは、アンリ・ドカと発音) だろう。
因みに、フランス映画界の巨匠・ルネ・クレマンもキャメラマン出身の映画作家だ。

商業映画のプロデューサーは、新作の企画が決まると、確実に儲かる興行成績を目論んで、既に人気のある俳優に出演を依頼し、名の通った映画監督に製作依頼のオファーを出す。
映画監督は、自分のブレーン(気心の合ったスタッフ)と一緒に仕事をする。スタッフは監督のお陰で飯が食えるので、監督には尊敬し、監督の指示に素直に従う。これが、従来の映画製作のパターンだった。これでは、マンネリな映画しかできない。

プロデューサから一目置かれる映画監督になるまでには、通常は有能な映画監督の下で、助監督やADの下積み経験が必要だ。
つまり、映画界で活躍するは、周囲に才能が認められるまでの下積み期間が長すぎて、洋の東西を問わず、二十代では,おいそれと映画監督にはなれない仕組みになっているのだ。

でも、財力があって、或いは財力のあるパトロンを見つけて、本人に映画製作の能力と秀でた演出の才能があれば、25歳でも映画監督になれる。それを実証したのは、フランスの映画作家のルイ・マルで、彼は、弱冠25歳で「死刑台のエレベーター」という秀作を自費で撮った。

25歳では映画製作の経験が少ないので、それを感じさせないために、キャメラワークの名手、アンリ・ドカエを撮影監督に呼び、映画音楽には、ジャズトランペッターの名手、マイルス・デイヴィスのコンボを録音スタジオに呼んで、ラッシュに合わせてサウンドを付けて貰った。ルイ・マル自身は、脚本を書いて演出もした。

だから、ヌーヴェル・ヴァーグって、映画監督の条件に、長い長い下積み経験を、才能のある者には大幅に短縮したことなので、何も新しいことではなく、マンネリズムに妥協した映画作法にカビが生えて客足が遠のき、新しいメディアのテレビに押されて衰退し、世代交代が行われたというのは、自然の成り行きなのである。

フランスの若手映画作家の台頭に、負けん気を出して奮起したのが、ルネ・クレマン監督である。
エミール・ゾラの「居酒屋」を撮ったあと、アメリカの女流作家、パトリシア・ハイスミス(Patricia Highsmith)の小説、5作からなる"リプリー・シリーズ"の中から、「才人リプリー(英語で、The Talented Mr.Ripley、フランス語で、Monsieur Ripley:ムッシュ・リプリー)を自ら脚色して「太陽がいっぱい(Plein Soleil)」を撮って、日本でも大ヒットした。

ルネ・クレマン監督自身は、ヌーヴェル・ヴァーグ派の映画作家ではないが、起用した撮影監督がヌーヴェル・ヴァーグ派のアンリ・ドカエであり、作品のプロットが殺人犯が主役になるサスペンス・ドラマで、ヌーヴェル・ヴァーグ的だったので、「太陽がいっぱい」は、ヌーヴェル・ヴァーグ作品として扱われることもある。音楽を担当したニーノ・ロータは、ルネ・クレマンと反りが合わなかったそうだが、映画史に残る名曲を彼の作品に提供している。

ぼくが、この映画を観たのは、1960年か1961年の高校生の時で、アベノの洋画館「アポロ座」で観た。近鉄電車の中吊り広告で「太陽がいっぱい」が、ぶら下がっていて、電車通学の時にどんな映画なのか観たくてウズウズした。
初めて観たときは、ドラマの筋書き云々よりも、ブルジョワ育ちの放蕩息子、フィリップ・グリーンリーフの環境がゴージャス過ぎて、ぼくとは異次元な世界にいる青年だったので、そこばかりが気になったものである。

当時のぼくはまだ、写真には興味が全くなく、この映画は、名手アンリ・ドカエが撮影しているなんて、その時は知る由もない。

但し、ぼくは、高校時代から映画音楽のファンだったので、ニーノ・ロータのサウンドトラックミュージックが、美しい南イタリアの海岸風景とマッチしていて、二十代後半の若かりし頃は、毎年夏が来ると、よく国道9号線の山陰海岸を愛車でドライブし、紺碧の海を眺めながら、レコードからダビングしたテープをラジカセで聴き、この映画を思い出したものである。

主なキャスト

Tom Ripley トム・リプレー(20歳の貧しい家庭のイケメン青年。資産家グリーンリーフ氏に依頼されて放蕩息子のフィリップを連れ戻しにイタリアへ...)・・・Alain Delon(アラン・ドロン)
Marge マルジュ(フィリップのガールフレンドで、パリ出身の18歳の女学生。些細なことでフィリップと仲違いし、次第にトムを好きになっていく...)・・・Marie Laforet(マリー・ラフォレ)
Philippe Greenleaf フリップ・グリーンリーフ(大富豪の家庭で育った20歳過ぎの放蕩息子。連れ戻しにやってきたトムを見下し、トムに殺意を抱かせる。)・・・Maurice Ronet(モーリス・ロネ)
Mem Popova ポポヴァ夫人(ブルジョワのバレエ学校の先生で、ドラ息子オブライエンの母)・・・Elvire Popesco(エルヴィール・ポペスコ)
Inspecteur Riccordi リコルディ刑事(ローマ警察の辣腕刑事で、フレディ殺人事件の捜査を担当し、トムに疑惑を抱く)・・・Erno Crisa(エリノ・クリザ)
O'Brien オブライエン(仕事嫌いで昼間から泥酔状態。フィリップとは仲が良い)・・・Frank Latimore(フランク・ラティモア)
Freddy Miles フレディ マイルズ(フィリップの友人で年上だ。フィリップに腰巾着のトムを嫌う)・・・Bill Kearns(ビル・カーンズ)

主なスタッフ

監督:René Clément(ルネ・クレマン)
原作:Patricia Highsmith(パトリシア・ハイスミス作の"才人リプレー")
脚本:René Clément(ルネ・クレマン)、Paul Gegauff(ポール・ジャゴフ)
撮影:Henri Decae(アンリ・ドカエ:フランス語では、アンリ・ドカ)
音楽:Nino Rotta(ニーノ・ロータ)
美術:Paul Bertrand(ポール・ベルトラン)
製作:Robert Hakim(ロベール・アキム)、Raymond Hakim(レイモン・アキム)
製作年と製作国:1960年、フランス・イタリア合作
画面サイズとカラー:ヨーロッパ・ビスタ(1:1.66)、イーストマン・カラー
(当DVDは、オリジナルネガからのプリントをハイビジョンテレシネでスクィーズ・マスターしたもの)
上映時間:118分
製作会社:Une Production Robert et Raymond Hakim
配給会社: 日本版DVDの販売元:パイオニアLDC株式会社

トッポの感想

この映画は、何と言っても超イケメンのアラン・ドロンの演技がキラリと光った作品だ。
・・・才人リプレー君に適役!
アラン・ドロンの出演した映画は多数観ているが、この映画の演技が個人的にはNo.1だと思う。

日本では芸能プロの超有名イケメン俳優が、劇映画に出演して、殺人犯などの悪役をすることは殆ど無い。
というのは、CM出演で好感度の高い、商品価値の高いタレントに「悪のイメージ」が付くと、人気に陰りが出て、テレビCMのオファーなどに影響するからだろう。

それを考えると、NHKテレビ番組の大河ドラマ、「天地人(てんちじん)」で、主役の直江兼続に扮したホリプロの妻夫木聡君は、日本中に好感を持って名を知られることになったが、2010年製作の李相日(イ・サンイル)監督の力作「悪人」という映画で、彼は金髪のチャラ男で土木作業員の殺人犯役に扮して、敢えて悪役に挑戦し、紳士服店の女店員を演じた演技派の深津絵理さんとR指定の濡れ場を演じるなど、好感度青年という妻夫木君のイメージがちょっと変わってしまった。

勧善懲悪の思想に、美は善、醜は悪という考えが古来から伝承されている日本というお国柄では、美男が善人役、醜い男は悪人役に固定されてきた。
だから、イケメンの好青年を売り物にしていたタレントが悪役に挑戦するのは、かなりのリスクが伴うものだ。妻夫木君は悪役の演技に「照れ」があって、人殺しの悪人に成りきっていなかったが、よくやったと思う。

二十代の終わり頃、一人で映画館に入って、また、「太陽がいっぱい」を観た。社会人になって、青臭い高校生の時に気付かなかった、監督の凝った演出が分かるようになった。

後ろの席では、本編上映中でも、ポップコーンを頬張りながら映画を観ている3〜4人連れの非常識なギャルがいて、袋をまさぐる音が気になっていたところ、トムがフィリップをナイフで刺し殺すシーンで、「キャーッ」と叫び、「何で、アラン・ドロンが人を殺さなアカンの?」と涙声。

・・・どうやら、彼女らは、イケメンのアラン・ドロンに、人を殺すような役をやって欲しくなかったのだろう。殆どの日本女性は、イケメン=善人だと信じたいらしい。そんなのは、幻想だと言いたい。

フランス人のアラン・ドロンの生い立ちは波瀾万丈で恵まれた家庭環境ではなかったらしい。
4歳の時に両親が離婚、離婚後の両親がそれぞれ再婚し、新しい伴侶との間で、子供が授かったので、母親の愛情は新しい子供に注がれ、アランは幼い頃から邪魔者扱いで寄宿学校に入れられ、誰にも愛されない僻(ひが)みから、学校で数々の問題を起こし、寄宿学校を転々とし、心が荒んで手の付けられない不良になり、感化院にも入れられる。

そしてアランが17歳の時、フランス外人部隊に入隊し、3年間、インドシナ戦争に兵士として従軍する。こうした生い立ちの孤独な暗い影と兵士としての戦争経験が、俳優アラン・ドロンの演技に無気味さが漂う。

アラン・ドロンが俳優になる契機は、知り合った女優から、「あんた、仕事がなくて困っているんでしょ。俳優になってみない?・・・カンヌの映画祭で会場をぶらぶらしてみたら・・・あんたの器量なら、映画関係者の誰かは、きっと声を掛けるわよ」。アラン・ドロンは、その通りにして、大きなチャンスを貰った。

とくに、アラン・ドロンに一目惚れをしたのは、美男好きのイタリアの映画作家、ルキノ・ヴィスコンティである。
イタリアのナポリでロケ撮影された、ルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」で、トム・リプレー役を演じた後は、同じイタリアのナポリで、ヴィスコンティの「若者のすべて」にも出演し、ロッコと呼ぶボクサー役を演じた。この2作の演技が、著名な映画監督や映画プロデューサたちに高く評価されて、アラン・ドロンは、ワールドワイドなムービースターとして活躍していく。

ストーリー

上は、「太陽がいっぱい」のファースト・シーンだ。サンフランシスコの大富豪の御曹司、フィリップ・グリーンリーフ(モーリス・ロネ)は、旅行に行ったイタリアが気に入って、モンジベッロ(モンジベッロという地名はシチリア島のエトナ山の古い名称)でガール・フレンドのマルジュ(マリー・ラフォレ)と同棲して暮らしている。
フィリップの父は、息子の遊び友達のトム(アラン・ドロン)をイタリアに派遣して、自宅へ連れ戻そうとするが・・・。モンジベッロから水上機を利用してローマに遊びに行くフィリップ。

この映画のストーリー展開は明瞭だが、南イタリアのモンジベッロ(※Mongibello)という都市は、イタリアにはなく、シチリア島のカターニャ州に聳えるエトナ山(活火山で標高3326m)の旧名である。原作者のアメリカの女流小説家、パトリシア・ハイスミスが勝手に名付けた都市の名前なので、映画を観ている者は混乱する。

ルネ・クレマン監督も原作のウソを尊重して、イタリア国鉄の客車のサボ(行先表示札:Roma-Napoli-Mongibello)の行き先を書き換えてインチキを施し、正規の列車時刻表にも、Roma-Napoli-Mongibelloと印刷したものを入れ替え、アップでインサートして、モンジベッロがあたかも現存する都市のように観客を欺いているからだ。ま、人を欺いて他人になりすまし、犯罪を犯すというのが、この作品のテーマになっているから、いいっか。

映画上でモンジベッロっていうのは、現実には、ナポリ湾のナポリ港から35km西のティレニア海に浮かぶ、Ischia(イスキア島)をイメージした保養地のことらしい。この映画は、イスキア島、ナポリ市内、ナポリの青空市場、ローマ市内でロケされたようだ。なお、シチリア島のタオルミナや、アメリカのサンフランシスコは、台詞には出てくるが、映像には出てこない。なお、ナポリとローマは、大阪〜名古屋間とだいたい同じの、約200kmほど離れている。これらを念頭に置いて、この映画を観ると、分かりやすい。
(2014年10月10日更新:2014年の現在は、ローマのテルミニ駅〜ナポリ中央駅までの214kmを凡そ1時間半以内で結ぶ高速鉄道が完成しており、映画とはちょっと印象が異なります)

アメリカのサンフランシスコ市(原作ではニューヨーク市)から大富豪の息子、フィリップ・グリーンリーフが、バカンス旅行でイタリアへ行って、南イタリアのモンジベッロで、ガール・フレンドのマルジュの名義で豪邸を借りて、ナポリで買ったヨット「マルジュ号」を乗り回して、18歳の女学生のマルジュと毎日遊び暮らしている。

父は放蕩息子に、帰国命令の手紙を何度も送るが、息子から返事が来ないので、痺れを切らした父はフィリップの学生時代の遊び友達のトム・リプレーをイタリアへ派遣して、息子を連れて帰ってきて欲しいと頼む。成功すれば、トムはフィリップの父から先払いの往復の旅費と現地滞在費、交渉料とは別に、5000ドルの報奨金(ボーナス)を貰う約束になっていた。

映画には描かれていないが、トム・リプレーという青年は、無職ではあるが、何事も器用にこなせる男なので悪知恵に長け、例えば、公務員になりすまし、脱税してそうな裕福者に、納税督促の手紙を出して脅す巧妙な手口の詐欺で、指定した金額を書いた小切手を自分の私書箱宛てに送らせ、その小切手を銀行で換金して、自分の遊興ために使っていた。

しかし、真面目に納税している人にも手紙を送ったことで詐欺がばれて、警察の捜査がリプレー青年に及んできた。運良く、友達の親父さんから渡航費を出して貰って、ヨーロッパへ渡航できるのは、渡りに船だったので、イタリア行きを快く引き受けたわけである。

他人の金で遊び暮らす男、それが、才人トム・リプレーの生き方なのだ。

イタリアへやって来たトムは、先ず、ローマでフィリップに会い、5年前の旧交を温め、フィリップのご機嫌を取るために、彼の身の回りの雑用を一手に引き受ける小間使になる。1963年に製作された、ジョセフ・ロージ監督の名作「召使」と、今回の作品は、ドラマが進行していく内に、主従関係が逆転するプロットが似通っているところがある。

左がサンフランシスコで大富豪の息子、二十代のフィリップ(モーリス・ロネ)で、右が育ちが貧しい二十歳のトム(アラン・ドロン)。
トムは、フィリップの父の使いでローマにやってきて、フィリップの帰国を促すため、ご機嫌をとって彼の小間いをする。

この映画は、モンジベッロ(実際はイスキア島)沖から双発の水上機に乗って、300km(飛行距離は凡そ200km)を56分(陸上交通移動も含めての所要時間)で、ローマに遊びにやって来たフィリップが悪友のトムとカフェテラスで談笑しているシーンから始まる。
モンジベッロで留守番している、"歴女"のマルジュのために、トムは機転を利かして「フラ・アンジェリコ」の画集を買いに走る・・・そこに、知人のフレッドがガールフレンド(※当時、アラン・ドロンと私生活で同棲中だったドイツ女優のロミー・シュナイダーがカメオ出演)を連れてやってきた。

フレッド:「やぁ、フィリップじゃないか。今日は、どうして」。
フィリップ:「トムと、一緒なんだ」。
フレッド:「トム?まだ、あんな卑しい奴と付き合っているのか。止めとけ。俺は、あいつが好かん」。
フィリップ:「そう邪険にするなよ。あいつは、俺の役に立つんだ。使い走りから、料理、経理、ヘリの操縦からサインの偽造まで」。
フレディ:「俺から見るとタダのチンピラだ・・・彼女のマルジュはどうした?」。
フィリップ:「マルジュは学校だ。トムは親父の使いで会いにやって来たのさ。サンフランシスコへ俺を連れて帰れと命じられて、駄賃は5000ドルだって」。
フレディ:「そんな大金を、あんな奴に払うのか?信じられん」。

そこへ本を買いに行ったトムが戻ってくる。

フレディはトムに、「君には、本職があるのか?」。
トム:「無い。君は?」。
フレディ:「無いけど、金はある」。
トム:「僕にも他人の金がある」と、フレディに応酬。
フレディは、トムとの会話にムッとして、ガールフレンドを待たせているからと言って席を立つ。そして、フィリップに、来週タオルミナで会おうと約束する。
カフェの勘定800リラをトムが代理で支払うと、
フィリップ:「他人の金を使う身分とは気楽だな」と、トムを皮肉ると、トムはムッとして「君だって、パパの金を!」と、応酬。

このあと二人は、ホテルに帰る途中で、盲人から2万リラで白い杖を買い、フィリップは盲人に成り済まして、ローマ観光に来たお人好しなベルギー人のマダムを引っ掛け、観光馬車の真ん中に座らせて、トムと二人で、左右からキスを浴びせて、マダムにセクハラの悪ふざけをする。若いイケメンにキスされて、上気したマダムが下りた後、馬車の床に落ちていた、片方のイヤリングをトムが拾って、自分のポケットにしまい込む。

マルジュがいるモンジベッロに、フィリップはトムを連れて帰る。マルジュは、ご機嫌斜めだった。
というのは、フィリップはローマ滞在中に、マルジュに一通の手紙も書かず、一本の電話もしなかったからだ。どうせ、ローマに居てるガールフレンドと一緒だったと疑っていたのだ。

トムがマルジュへのプレゼントだとして、彼女の欲しがっていたフラ・アンジェリコの画集を渡すと、少し機嫌をなおす。フィリップは、タオルミナへ一緒に行こうと誘い、マルジュを熱く抱きしめ、激しく愛を確かめ合う。その行為には、傍にいるトムが目障りなので、「あっちへ行けと」と、命令する。

トムは、フィリップの衣裳部屋で、散らかった部屋の中から彼の服を着て、靴を履き、彼のマネをする。
マルジュを抱き終ったフィリップは、自分の衣裳部屋で、自分のマネをして恍惚感に浸るトムを気味悪く思う。

フィリップは、知人のフレディとの約束で、モンジベッロからシチリア島のタオルミナまで愛用のヨット「マルジュ号」に乗って出発する。マルジュとトムも一緒に連れていく。

翌日、モンジベッロから、フィリップ、マルジュ、トムの3名が乗ったヨット「マルジュ号」が、港を出港し、シチリア島のタオルミナに向かう。ヨットの狭いキャビンは、息苦しく、ストレスが溜まりやすい。マルジュが用意したランチタイムで、フィリップは、トムの魚料理の食べ方をマルジュの前で注意する。

フィリップ:「君の魚の食べ方は卑しい。貧乏臭くて品がない。こう、するんだ」。
トム「確かに、卑しい出だけど、今では君の目付役だ。貧しいけれど、頭は働くってことかな」と、やり返す。
フィリップ:「卑しいのが上品ぶるのは、そもそも下品だ」。マルジュは二人の殺気だった会話に、不安感が募る。

ランチが終わると、ヨットの操舵をトムに任せ、フィリップはキャビンの出入り口を閉めて、キャビンに籠もり、いつものように、マルジュを抱く。 バカにされたトムは、荒っぽく操舵輪を左右に切って艇をワザとローリングさせ、ヨットに積んでいた救命ボートが海に落ちて艇と接触し、慌てたフィリップが甲板に上がってきて、左舷に少し傷が付いたので、フィリップを激怒させる。


上は、フィリップに命じられて操舵の役をやらされるトム。下はキャビンで恋人のマルジュを抱くフィリップ。トムは馬鹿らしくなってヨットをわざと揺らし、フィリップに怒られ、救命ボートに乗せられ、ヨットに曳行される・・・。

フィリップは、トムを救命ボートに飛び乗らせ、救命ボートをヨットに接触しない位置にコントロールさせる。
そして、お仕置きでトムは救命ボートに残さされたまま、マルジュ号に曳航されていく。フィリップとマルジュの二人の激しい愛の営みが終わると、フィリップはトムの様子を見に甲板に上がる。
操舵輪に結んだ救命ボートのロープが千切れ、救命ボートは行方不明に・・・。

フィリップはヨットをUターンさせ、トムのボートを捜索する。間もなく救命ボートを見つけ、フィリップはマルジュと一緒にトムをヨットに引き揚げる、トムの背中は酷い日焼けによるヤケドだ。マルジュが日焼け炎症止めのオイルをトムの背中に塗って看病する。

上のシーンは、フィリップにお仕置きされたトム。トムの背中は日焼けでヤケドし、喉は飲料水が無くてカラカラ。フィリップは、親父の使いであるトムを邪魔者として、海上で始末する殺意を持っていた。

マルジュはフィリップに、「アンタ達は、15歳の時からこんな悪ふざけをやっているの?」。
フィリップ:「トムと幼馴染みなんて嘘なんだ。奴は嘘つき野郎だ」。
マルジュ:「でも、いくらなんでも、やりすぎだわ」。

翌朝、フィリップはトムの傍に近づいて、「すまん、俺は、ほんの冗談のつもりだった」。
トム:「あぁ、分かっているよ」。
フィリップ:「あの時、俺を殺したいと思っただろ」。
トム;「今度じゃないが、前に2回ほどね」。
フィリップ:「面白い・・・それで、俺の預金の明細書をこっそりと持っていたのか」。
トム:「お見通しだな」。
フィリップ:「だが、おれを殺しても、うまくいくかな?すぐに捕まるぞ」。
トム:「大丈夫さ。僕はこう見えても頭が切れる」。

二人の意味深なヒソヒソ話が気になったマルジュはフィリップを呼び、自分が書いた学校提出用のフラ・アンジェリコの序文を読んで感想を求める。

フィリップ:「ありきたりだな」。
マルジュ:「待ってよ。どこが、ありきたりなのよ」。
フィリップ:「原稿は、今度ゆっくり聞くから・・・」。
マルジュ:「私のやっている大切なことは、あなたには関心が無いのね」。

マルジュは、フィリップの背広のポケットに入っていたイヤリングを朝に見つけて、彼の目の前で、ぶらぶらと揺らす。

「これ、どういうこと?この女には、関心があるのね。ローマで一杯飲んだだけと言ってたわね・・・他に女がいるんでしょ!私を本当に愛していないんだわ」。
それは、ローマで、悪ふざけしたマダムのイヤリングだった。トムは、夜中にこっそり彼のキャビンに入って、背広のポケットに忍ばせたものだった。

フィリップ:「君を愛している。分かっているだろ」。
マルジュ:「愛しているって言うのはカンタンよね。人のやったことを貶(けな)して、何もしない」。
フィリップ:「今、他の事が気になって。今度ゆっくり聞くと言ってるだろ」と、声を荒げる。
マルジュ:「そうなの、私がここで論文を書くのが迷惑なら他でやるわ」。

フィリップは激怒し、マルジュの書いた論文と資料を鷲掴みして、甲板に上がり、海上にばらまく。
マルジュは、錯乱して大泣きし、「酷いわ、フィリップ、私はタオルミナへは行かないわ。モンジベッロへ引き返して降ろしてよ」。

マルジュ号はモンジベロに戻り、マルジュはフィリップに口も利かず、船を下りた。
そして、フィリップとトムは再びタオルミナに向かう。フレディがタオルミナで待っているからだ。船は港を出て陸地から遠ざかる。


上は、トムに俺を殺してから、どうするんだと訊くフィリップ。下は、君のサインを真似て委任状にサインすると、挑発に乗るトム。

フィリップ:「さぁ、あの話の続きをしょうぜ」。
トム:「いいよ」。
フィリップ:「俺を殺して、それから後はどうするんだ ?」
トム「先ず、死体を埋める。委任状に偽造のサインをする」。
フィリップ:「俺のサインがうまく出来るかな?」
トム:「そりゃ、猛練習するさ」。
フィリップ:「なるほど。マルジュを怒らせた、イヤリングの小芝居は君か?」。
トム:「それは、知らん」。
フィリップ:「水臭いぞ、シラをきるな」。
トム「・・・実は、そうだ」。
フィリップ「まぁ、いい。お前は鏡の前で、俺のマネをしてたな。ここで、そのマネをやってみろ」。
トム:「いいよ。"僕のマルジュ愛している" "あいつは邪魔者だ" "俺が帰らなきゃ5000ドルが手に入らない" "邪魔者はすべて消してやる"・・・」。
突然、フィリップは、ポーカーをやろうと言い出す。トランプ好きなトムは、トランプを配る。
フィリップ:「親父が君にやった懐中時計に、2500ドル賭けよう。褒美の半分だぞ」。
トム:「ということは、帰らないのか?」
フィリップ:「そうだ。マルジュを愛している」。
トム:「ぼくを見くびって、安くあげるつもりか。5000でも少ない。何もかも戴く」。
フィリップ:「サインは偽造できても、手紙は書けんぞ」。
トム:「タイプライターを使う。手紙なんてタイプで充分さ」。
フィリップ:「俺のタイプライターを海へ棄てたら?」
トム:「ノー、ノー、それは反則だよ」。
その時、トムの握ったナイフは、フィリップの心臓を突き刺した。
フィリップは、一声「マルジュ」と叫んで、甲板に倒れた。

上は、風波の強いティレニア海の海上で、殺害したフィリップを海に沈めるトム。

この後の展開は、トムは、フィリップの死体をシートに包み、アンカー(碇)を抱かせてティレニア海の海中に沈め、何食わぬ顔でモンジベッロに帰る。

トムはマルジュに会って、フィリップが当分の間、モンジベッロに帰って来ないことを告げる。

マルジュ:「フィリップはフレディと?」
トム:「うん、だと思う。僕はフレディに会わず、引き返して来たんだ」。
マルジュ:「船に積んでいた荷物はどこなの?」
トム:「ここの港に」。
マルジュは、自分の名が付けられたヨットを見ながら、「この船だけは、あの人は人任せにしなかったのに・・・」。

上の場面は、小説上のモンジベッロの街。1960年にロケ撮影されたイスキア島(ナポリ港から35km離れた島)なので、趣のある古いナポリ市営バスが走っている。

そして、次にトムは、フィリップ・グリーンリーフに成り済まして、事件に関与した「マルジュ号」を船会社に売却する交渉を始める。
悪知恵の働くトムは、自分がリッチマンになれるシナリオを考えて、フィリップ・グリーンリーフとトム・リプレイの二役をT.P.O. に応じて演じることになる。

先ず、フィリップのサインの練習は、ローマ市内のカメラ店でカメラとスライド映写機を買い、パスポートをスライド写真にして、パスポートに書かれた彼のサインを白い紙を貼った壁に投影して筆跡をペンで何度もトレスして、フィリップのサインをマネする。
トムは他人の成り済ましや、パスポートの偽造などは、手慣れたものだ。

上のシーンは、ローマのホテルで、偽造パスポートを造るため、写真店からスライド映写機を買ってきて、殺害したフィリップのパスポートに書かれたサインの筆跡を真似るトム。
トムは自分用のパスポートと、フィリップが所持していたパスポートに自分の写真を貼り付けた二つの旅券を巧妙に使い分ける。
ヨットのマルジュ号の売却も、フィリップに成り済まして売買契約の書類にサインする。

そして、モンジベッロで留守番しているマルジュに、フィリップが生きているというアリバイを証明するためにトムはフィリップに成りすまして電話を掛ける。

マルジュ:「フィリップなの、どこから?」
偽フィリップ:「ローマだ。君の声が聞きたかったんだ」。
マルジュ:「話があるのよ」。
偽フィリップ:「しばらく待て。お互いのためだ」。
マルジュ:「会って話しましょ」。
偽フィリップ「ダメだ。しつこく言うと、電話を切るぞ」。
マルジュ:「フィリップ、嫌い。トムと寝たわ」。
偽フィリップ:「ホントか」。
マルジュ:「寝たのよ。トムとね」。
偽フィリップ:「それだけか?」
マルジュ:「私はパリに帰るわ。船の未払い代金の請求がモンジベッロに来ているし、あんた払ってね」
偽フィリップ:「ダメだ。そこにいろ」
マルジュ:「嫌よ。もう帰る」。

トムは、マルジュがパリへ帰られると大変困るので、大急ぎで、ローマ駅からモンジベッロ(実際はナポリ)行きの特急に乗って、マルジュが自宅に居るのか確かめに行く。マルジュは、電話での話とは裏腹で、恋人が帰るのを待って自宅にいた。

マルジュ「フィリップ、帰って来たの・・・なーんだ、トムじゃない」。
トム:「 フィリップから、手紙を預かってきたんだ」。
マルジュ:「彼は、あっち(ローマ)で、何をしているの?元気なの?」
トム:「元気だよ。でも宿は別々だし、たまに会うだけだから」。
手紙を開けたマルジュ:「トム見てよ、信じられないわ。恋人にタイプの手紙なんて。自筆はサインだけ。よそよそしくて死んだ人みたいだわ」。トムは一瞬ギョッとする。

トム:「タイプにしたのは、多分、君への当て付けだよ」。
マルジュ:「トム、本当の事を言ってよ。彼はサンフランシスコに帰ったの?」。
トム:「ぼくの感じでは、当分は帰国しないと思うよ」。
マルジュ:「私とフィリップの絆を繋ぐ人は、あなただけなのよ。あの人に、モンジベッロに帰るように、ちゃんと伝えてね。・・・トム、せっかく来たんだから、ナポリの魚市場を案内するわ。いい所よ」。
マルジュは、トムを連れて銀行に立ち寄り、その時間にトムは一人でナポリの魚市場へ向かう。

トムがナポリの市場を散策する数分間のシーンは、名手アンリ・ドカエの手持ち撮影で、ニーノ・ロータの音楽が最高だ!

ある日、フィリップが船を売るという話は、ナポリの海洋レジャー業界に顔が利くフレディが聞きつけ、フィリップ(実はトムのなりすまし)は、ローマのコンドミニアム(キッチン付きホテル)に滞在中だということを知る。
ローマに頻繁にやってくる彼は、早速フィリップの滞在するコンドミニアムを訪問する。
だが、そこに居たのはフィリップではなく、彼の腰巾着になっているトムだった。


上のシーンはフィリップに会いに来た、知人のフレディ。「お前は、どうしてここにいるんだ?」

フレディ:「何だ、お前か?・・・俺に何の連絡もしないで、タオルミナで(会う約束を)、すっぽかしたフィリップはどこだ、フィリップ!隠れないで出て来い」。

トムは、「フィリップは、さっき用事で出掛けたので、戻ってきたら君の泊まっているホテルに連絡するように伝えるよ」と、説明する。
フレディ:「フィリップとマルジュは、最近仲が悪くなったらしいな。マルジュの書いた論文を、フィリップが海へばらまいたんだって。ハハハ・・・お前の着ているそのシャツ、フィリップの物じゃないか?」
トム「あいにく、着る物が洗濯中で、借りているんだ」。
フレディ:「部屋に入る前、タイプライターの音がしていたな・・・何、何、マルジュ様って、お前は、フィリップの手紙まで手伝っているのか。そう言えば、フィリップは、俺の役に立つんだって言ってな。料理に経理に、秘書役か・・・お前、レパートリーが増えたな」。

フレディは、ブツブツ言いながら帰って行ったが、トムが年配のメイドさんに食料品を買って来るように頼んでいたので、買物から帰ってきたメイドさんが、「グリーンリーフ様、頼まれたもの買って来ましたよ」と、階下で大声を出す。

フレディは、「グリーンリーフって、今、部屋に居る男か?」
メイドさん:「そうですよ」。
フレディ:「何て、こった。あのクソ野郎、俺を騙しやがって。俺が届ける」。

トムは、陶器で出来た布袋(ほてい)さんの置物を右手で持って、ドアの後ろに隠れた。
「トム、どういうことなんだ。俺にちゃんと説明しろ」と、ドアを開けるなり、トムはフレディの後頭部を一撃で倒す。即死である。

フレディの遺体は、深夜に彼の乗ってきた車で運び、人通りの少ない寂しい場所の崖下に落とし、車は乗り捨てて、タクシーでコンドミニアムに戻る。
トムは、「俺が殺したんじゃない。殺人犯は、フィリップ・グリーンリーフだ」と、ほくそ笑む。そして荷物をまとめて逃亡の準備。

フレディの他殺死体はすぐに発見され、フィリップが滞在していたホテルから、夜中に酔っ払いを車に乗せていた男を見たという目撃者 (ホテル前で二人の聖職者とすれ違った) のタレコミがあって、早速、 ローマ市警察のリコルディ刑事が捜査にやってくるが、刑事がフィリップの滞在していたコンドミニアムに来た時は、蛻(もぬけ)の殻だった。

リコルディ刑事は、フィリップが滞在していた部屋に彼の交遊関係から、きっと電話が掛かってくるだろうと思って、しばらく待機していた。
トムは、フィリップの滞在していたコンドミニアムに、フィリップと別行動している自分のアリバイを証明するためにワザと電話を掛けた。リコルディ刑事が電話に出た。

トム:「フィリップ、僕だ」。
リコルディ:「グリーンリーフ氏は、ここにおられませんよ。実は、私はローマ市警察のリコルディ刑事です。・・・あなたは、グリーンリーフ氏と、お友達の方ですか?お名前とご連絡先を教えて下さい」。

リコルディ刑事は、トムが宿泊している安宿にやってきて、死体確認に立ち会って欲しいと言って帰った。
フレディの遺体確認は、バレエ教室のポポヴァ夫人、オブライエン、マルジュ、そしてトムが立ち会った。(このとき、事件を目撃した聖職者も同席していて、トムの顔を睨むが・・・トムは気付かなかった)
フィリップの恋人マルジュは、すでに女刑事に尾行されていた。

4人は、病院の遺体安置室からの帰り道に、ローマ市内のレストランで食事をした。
トムはマルジュに尾行中の女刑事にワザと聞こえるように、「マルジュ、実はフィリップに会ったよ。今朝、モンジベッロに発ったらしい」。女刑事は席を立った。

トムは大急ぎでモンジベッロ行き(実はナポリ)の列車に乗り、真夜中にモンジベッロのマルジュの自宅に着く。鍵はいつもの場所にある。
トムは、恰もフィリップが戻ってきたように見せ掛けるため、椅子やベッドのカバーを乱雑に取っ払い、ベッドのシーツにシワを付ける。そして灰皿には吸い殻を・・・そして、母親に遺書の手紙をタイプで打ってモンジベッロから投函する。「ママ、ぼくは自殺します。ぼくの全財産は愛するマルジュに贈ります」。

フィリップに成り済ましたトムは、マルジュには、予め銀行から降ろしておいた8000万リラの札束をテーブルに置いて、裏口から立ち去る。そして、トムは大急ぎでローマにとんぼ返り。安宿で昼頃まで寝ていると、リコルディ刑事がやって来た。

上の場面は、トムの泊まるローマの安宿に、訪ねてきたローマ市警察のリコルディ刑事(エリノ・クリザ)。ちょっと、水を飲ましてくれませんか?おそらく、トムに気付かれないように、洗面所のゴミ箱などで、トムの指紋を採取できるものを持って帰ったのだろう。

「リプレーさん。隠し事はいけませんな。グリーンリーフがモンジベッロに行くのを私に隠していましたね。情報隠匿も犯罪ですよ。ま、私はそこまで言いませんが。被害者の車に付いた指紋とグリーンリーフが滞在していた、コンドミニアムの部屋に付いた指紋が一致し、犯人は間違いなくグリーンリーフです」。

トム:「ローマから出たいのですが・・・」。
リコルディ刑事:「しばらくは、イタリアからの出国は禁止します。イタリア国内なら自由です」。

フィリップがフレディを殺して失踪し、自殺を仄めかしたことが近親者に知れ渡り、トムはもうフィリップに成り済ます必要はなくなった。
そして、トムが目論む最後の総仕上げ、モンジベッロのマルジェに会いに行くことだった。
マルジュは、フィリップがフレディを殺し、失踪して自殺したと思い、ショックで誰にも会わなかった。


上のシーンは、恋人のフィリップが自殺したと思い込んで、意気消沈したマルジュは、寂しさからトムに心移りする。
下は、トムに初めて抱かれるマルジュ・・・。トムは他人の金で暮らし、他人の女を奪って、彼の緻密な計画が、これで成功したかにみえたが・・・。

トムは寝ていたマルジュの部屋にこっそり入り、フィリップがやっていたようなキスをする。マルジュはトムの突然の訪問に驚き、服を着替えて遅い朝食を取る。
マルジュ:「私がいれば、フィリップは自殺なんかしなかった。あなたが、私を止めたのよ。大金をそこに置いて自殺するなんて・・・」。

トム:「あれは、単なる遺言だよ。マルジュ、お別れだ、ぼくはアメリカに帰る」。
マルジュ:「トム。行かないで!」。
トム:「フィリップは、君にプロポーズ(求婚)してたのかい?」
マルジュ:「まだよ」。
トム:「だろうな。僕なら君に寂しい思いをさせないよ。マルジュ、僕が好きなら、僕のために、君の得意なギターを弾いてよ」。
ギターを弾くマルジュとトムは見つめ合い、二人は、初めて結ばれる。

心のもやもやが晴れたマルジュは、トムを誘ってモンジベッロの海岸へ泳ぎに出る。
澄み切った青空に、燦々と照りつける太陽は、南イタリアの海を鮮やかな紺碧に染め上げる。
この日は、マルジュ号の売買契約が済んで、引き渡しのめでたい日だった。
マルジュは、それを見届けに行った。

トムは見晴らしのいい展望台のベンチに休憩し、売店のおばさんにスペシャルドリンクを注文して、モンジベッロ(イスキア島)の美しい海岸をうっとりと眺めていた。
港では、マルジュ号がウインチで陸(おか)へ引き揚げられていた。船尾のスクリューに、団子状に絡まったロープがあり、ロープの先にはシートに包まった物体が徐々に引き揚げられていく。それを見たマルジュは悲鳴を上げる。


上のシーンは、トムの強敵、眼光鋭いローマ市警察のリコルディ刑事。
フレディ殺人事件の犯人フィリップ・グリーンリーフと交遊関係者のトムが、指紋照合などの調査の結果、同一犯だということが判明して、モンジベッロに逮捕に来ていた。
フィリップの女と、フィリップの金を手中に入れ、人生最高の日だったトムは・・・。

一方で、水を飲ませて欲しいと、トムが泊まった安宿の洗面所のゴミ箱から、こっそりとタバコの空き箱などを持ち帰ったリコルディ刑事は、トムとフィリップの指紋を照合し、同一人物であることが分かり、モンジベッロに数人の刑事を連れて来ていた。

リコルディ刑事は売店のおばさんに警察手帳を見せ、「奥さん、あそこのベンチにいる男を呼んでくれませんか?」

売店のおばさん:「何と言って?」
リコルディ警部:「電話が掛かっているって」。
売店のおばさんはテラスに出て、「お客さん、あなたにお電話ですよ」。
トムはマルジュからの吉報だと思って嬉しそうに、売店の方に歩いていく・・・

FIN

2012年7月23日 尾林 正利

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