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イタリアでは1954年公開(日本公開は1957年)

La Strada
Regia di Federico Fellini

日本で一般的によく知られたイタリア映画と言えば、公開年代順に、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「自転車泥棒(1948年イタリア公開:日本公開は、1950年)」、フェデリコ・フェリーニ監督の「道(1954年イタリア公開:日本では1957年公開)」、ピエトロ・ジェルミ監督の「鉄道員(1956年イタリア公開:日本では1958年に公開)」の三作になるだろうと思う。

この三作は、戦後のベビーブームになった、昭和22年(1947年)〜昭和24年(1949年)頃に生まれた団塊の世代の方々なら、青春時代に三作のどれかは映画館で観ている映画だが、今の二十代〜四十代の世代の方々には、ご存知無い方もおられるかも知れない。昨今では、NHKのオンデマンド配信やDVDレンタルショップから借りて気軽に見られるので、お奨めしたい作品だ。
女性が好きなイタリア映画を選ぶ場合は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ひまわり(1970年)」が、イタリア映画の第1位になるかも知れない。

イタリアは、フランスと同じく映画製作が盛んな国で、ヴェネツィア映画祭が毎年開催される。
ローマ郊外に、チネチッタ(Cinecittà:映画都市)という映画村があって、最初は民営だったが、テレビに押されて映画産業が衰退し、1980年から政府が買い取って国営にされた。
チネチッタの広大な敷地内には、室内撮影用スタジオ、屋外オープン撮影用セット、録音スタジオ、フィルムやデジタル編集スタジオ、現像所、照明機材の倉庫、衣裳倉庫、小道具や大道具用の倉庫などが建ち並んでいる。

チネチッタ へは、情報によると、ローマから地下鉄で行けて、期間を定めて一般公開されているらしいが、映画製作やテレビドラマ製作のスケジュールが入っている場合は、見学出来ないスタジオもある。
俳優が出入りするメイク室などには入室できないが、一部の衣裳室は見学できるらしい。

ハリウッド映画は、アメリカン・ニューシネマの作品「真夜中のカーボーイ」や「俺たちに明日はない」などが製作される以前は、殆どのアメリカ映画は、勧善懲悪のストーリーで、どんでん返しで、ハッピーエンドで終わる映画が多いが、とくに、フランス映画やイタリア映画は、現実的な、悲しい結末の作品が多いような気がする。
近年は仏・伊とも映画製作の本数がかなり減ってきているが、ぼくが若い頃に映画館で観られなかった過去の名作をデジタルリマスターして、BD(ブルーレイ・ディスク)やDVDが販売されているのは、映画ファンとして大変嬉しいことである。

2012年になって、ロベルト・ロッセリーニ監督の「ロベレ将軍(1959年)」、ベルナルド・ベルトリッチ監督の「暗殺の森(1970年)」と「1900年(1976年製作)」の3本を観たが、「暗殺の森」を撮った、キャメラマンのヴィットリオ・ストラーロの映像の美しさがとても素晴らしかった。

さて、「道」という映画は、映画作家のロベルト・ロッセリーニの世界的な名作で、イタリアン・ネオレアリズモ(新写実主義)の代表作「無防備都市(1945年)」の脚本を書き、助監督も務めたフェデリコ・フェリーニが監督と脚本を担当している。

「道」は、シナリオがよく練られていて、台詞を与えられた登場人物が少なく、ストーリーが分かりやすい映画だ。
高校生ぐらいの年代でも、感受性の高い子なら、この作品のラストシーンの映像には、きっと感動するだろう。
ただ、家庭が貧しい故に、口減らしの為に母親が知恵遅れの娘を売るというストーリーには、日本の今の若い世代には、抵抗感があるかも知れない。スケープゴートされた弱者の人権が蔑(ないがし)ろにされていた時代背景がリアルに描写されている。

この映画の登場人物には、悪魔に取り憑かれた、鉄の肺を持つ鎖切りの芸人の男と、神が憑依した純真な、少し知恵遅れの客寄せピエロの女と、天使を象徴した、綱渡り芸人の男の3人が登場する。

この映画では、ニーノ・ロータ作曲の「ジェルソミーナ」が素晴らしく、2010年のバンクーバー冬季オリンピックで、フィギュア・スケートの高橋大輔選手が演技に「ジェルソミーナ」をバックに華麗に舞い、銅メダルを獲得。世代を超えて、いつまでも心に残るすばらしい名画である。

主なキャスト

Zampano(ザンパノ:Zampaは悪漢のシンボル、三輪トラックで、各地を巡業する悪人役の大道芸人の男)・・・Anthony Quinn(アンソニー・クィン)

Gelsomina(ジェルソミーナは、純真という意味。亡くなった妹・ローザの代わりに旅芸人に買われた、少し知恵遅れの長女で、善人役としてザンパノの助手になって扱き使われる)・・・Jiulietta Masina(ジュリエッタ・マシーナ)

IL Matto(イルマット:天使を象徴した綱渡りの芸人で、少し"キ印(気ちがい)"で、短気なザンパノをからかい過ぎて、撲殺される)・・・Richard Basehart(リチャード・ベイスハート)

スタッフ

製作:Carlo Ponti(カルロ・ポンティ)
   Dino De Laurentiis(ディノ・デ・ラウレンティス)
監督;Federico Felini(フェデリコ・フェリーニ)
脚本:Federico Fellini(フェデリコ・フェリーニ)
   Ennio Flajano(エンニオ・フライアーノ)
   Tullio Pinelli(トゥリオ・ピネッリ)
撮影:Otello Martelli(オッテロ・マルテッリ)
音楽:Nino Rota(ニーノ・ロータ)
編集:Leo Cattozzo
製作配給:Ponti- De Laurentiis MGMLIV(カルロ・ポンティとディノ・デ・ラウレンティス)
カラーと画面サイズ:4:3スタンダード、モノクロ作品
日本版DVD発売元:株式会社アイ・ヴィ・シー

この映画が製作された時代背景

この映画に描かれている年代は、第二次世界大戦直後のイタリアである。
イタリアも第二次世界大戦で、日独伊の三国同盟の協定を結んで枢軸国になり、敵対する英米の連合国と砲火を交えたが、イタリア軍の戦果が芳しくなくて、ファシスタ党を率いるベニート・ムッソリーニ首相兼任統一元帥は、イタリア国王のヴィットリーオ・エマヌエーレ3世と軍幹部やファシスタ党幹部から解任されて、北アペニン山脈にあるホテル「グラン・サッソホテル」に幽閉された。日本政府は、ムッソリーニの亡命を歓迎したが、ムッソリーニはスペイン亡命を考えていたので、断ったらしい。

ヒトラーは、ゲシュタポ(ナチスの国家秘密警察)に命じて、グラン・サッソからムッソリーニ前首相を救出し、ドイツ傀儡政権の「イタリア社会共和国(RSI)」の首班に、ムッソリーニを据えようとしたが、ムッソリーニは移動中に、共産パルチザンのガリヴァルディ部隊の臨検で発見されて捕らえられ、愛人のクラーラ(クラレッタ)・ペタッチと共に、コモ湖近くの町、メッツェグラ市で銃殺刑(1945年4月28日)にされた。

ムッソリーニと愛人、ムッソリーニの要人15名の遺体は、ミラノ市内のロレート広場で逆さに吊されて市民にみせしめにされた。これは、ムッソリーニが率いるファシスタ党の黒シャツ隊によって、仲間が大勢殺された、共産パルチザンたちの仕返しであった。

ムッソリーニの後任者になる、ピエトロ・バドリオ首相は、1943年9月8日に米英と単独講和したので、ヒトラーはイタリアの寝返りに怒ってイタリアに進軍して、北イタリアとローマを占領し、シチリア島に上陸した英米の連合軍と、イタリア本土で砲火を交えた。
ドイツ軍が北部イタリアを制圧していたので、イタリア全土も戦場になって、終戦前後のイタリア国民は困窮生活を強いられた。

戦後、イタリアにおいて戦争の銃声が止むと、こうした社会情勢を背景にして、反ファシズム、反ナチズム、労働者の要求、市民の暴動、貧困などをテーマにした、ネオレアリズモ(Neorealismo:新写実主義)の映画が多数製作された。
その代表作が、ロベルト・ロッセリーニ監督の「無防備都市(1945年製作)」、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「揺れる大地(1948年製作)」、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「自転車泥棒(1949年製作)である。

フェデリコ・フェリーニ監督の「道」には、前作の「青春群像(1953年)」と共にイタリアン・ネオレアリズモの影響を受けた作品である。

なお、この映画の室内シーンは、チネチッタで撮影されたが、ロード・ムービーのロケは、ローマ近郊の海や山で撮影されたそうで、海岸はティレニア海側である。
イタリアと言えば、フェラーリやランボルギーニの高級スポーツ・カーを想像する方もおられると思うが、そんな、セレブなクルマが走っていなかった時代のイタリア映画だ。映画に出てくるオート三輪車は、「道」の撮影用に製造した特注車である。

ストーリー

この映画には、悪魔に取り憑かれた悪人、神が憑依した善人、天使が登場するシンプルなストーリーになっている。
イタリアの寂れた漁村の貧しい家に、今は懐かしい、オート三輪車(幌製の荷台付き)から一人の屈強な男が降りてくる。
男の名は、ザンパノ。Zanpaは、イタリア語で「悪漢」という意味がある。
ザンパノの職業は、上半身裸になって、体に巻き付けた太さ5mmの鉄の鎖を鍛え上げた胸筋のパワーでぶち切る芸を得意としている大道芸人である。
ザンパノの 性格は、自己中心で野蛮。酒と女が大好きで、巡業の旅先であっちこっちの女に次から次へ手を出す。欲望丸出しの悪人の象徴として描かれている。
(俳優のアンソニー・クィンも3回結婚し、精力があって13人の子宝に恵まれているし、映画では悪役が多い)


ザンパノ:「お前さんとこのローザが病気で死んだんだ。代わりが要るんだ。誰かいるだろ?」

ザンパノは以前に、この家の二女・ローザを買取り、大道芸の助手に使っていたが、旅先で亡くなったので、ローザの代わりの女を1万リラで買いたいと母親に申し込んできたのだ。

子沢山の母親は、ザンパノに、
「ローザが死んじゃったの?本当に私たちは、(戦争で貧乏になって)不幸よ。・・・それで、芸人の代わりが要るのね。長女のジェルソミーナが良いよ。変わり者だけど、ローザよりは、とっても従順な娘(こ)よ」。

父が家出して行方不明になった母の家には、三女と四女と出戻り娘の孫もおり、生活がかなり苦しい。
母は、知恵遅れの長女を売るのには一瞬ためらうが、ザンパノから貰える1万リラに心が揺れて、海岸で燃料の薪拾いをしているジェルソミーナを幼い子供たちに呼びに行かす。子供たちとジェルソミーナがこちらへやってくる。

母:「ジェルソミーナ、お前は、旅芸人のザンパノを知っているね。
お前が芸人として働きに出てくれば、家(うち)は口が減るし、お前も好きな歌と踊りができるわ。
ローザの後を引き継いで、ザンパノと行ってくれるかい。ザンパノは親切な男よ。

ほら、これをごらん、1万リラもくれたんだよ。
この1万リラで、屋根の雨漏りが直せるし、当分食べていけるわ。お前は一人前なのに働いたことがない。お前を責めているんじゃないけど、家計のやりくりが大変なママを助けてくれるかい」。
母から懇願されて、長女のジェルソミーナは、渋々頷いた。


母:「...ザンパノ、ジェルソミーナが良いよ。この娘(こ)を芸人にしてくれるかい?」
ザンパノ:「あぁ、犬にだって、芸は教えられるぜ」。

ジェルソミーナは、悲しさや寂しさを堪(こら)えながら、オート三輪車の荷台に乗り込む。
もう、二度と実家に戻ることはない、永遠の別れの旅である。
Gersominaは、イタリア語で、ジャスミンの花。「純真」という意味がある。神が憑依した善人の象徴として描かれている。

ここから、ロードムービーが始まる。
ジェルソミーナは、自分がお金で買われたから、何でもザンパノの言うことを聞かなければならないと思い込んでいた。そして野営した場所で、翌朝から薪を拾ってきて火を起こし、湯を沸かして路上で朝食の準備をする。

ところで、キャンプ(野営)というのは、たまにするから面白いのであって、毎日がテント生活になると、ストレスが溜まって大変だ。トイレにも気遣うし、風呂にも入れない。夏は暑いし、冬は寒い。ボヘミアン(ロマ)やジブシーなら、こういう生活は慣れているらしいが・・・。

ザンパノは、ジェルソミーナが作ったスープを啜って、
「お前はスープも作れないのか?これは豚の餌だ。それに、お前の服はダサイ。俺は身なりの汚い女とは、一緒に仕事が出来ん。これを着ろ」といって、仕事に使う衣裳を出して着替えさせる。

食事が済むと、ジェルソミーナは、ザンパノからラッパ(トランペット)の練習やピエロ役(道化役)の練習を命じられる。
太鼓(ドラム)を叩きながら、「ザンパノが来たよ、ザンパノが来たよ」の練習からだが、ジェルソミーナの声が小さいので、ザンパノは、雑草の中に生えた鞭になりそうな撓(しな)る木を探してきて、大声を出すまで、鞭でジェルソミーナの両足をひっぱ叩いて、スパルタレッスンを行った。


ザンパノは「こらっ、もっと、気合いを入れて叩け」と、ジェルソミーナの足に鞭で打つ。
ジェルソミーナは、家族を救うため、1万リラで売られたので、ザンパノのシゴキに我慢する。

芸人になるための練習が終わると、ザンパノはオート三輪車の狭い荷台で、嫌がるジェルソミーナをベッドに引き摺り込み、夫婦の契りをする。満足したザンパノは寝てしまったが、好きでもない男に抱かれたジェルソミーナは泣いていた。

ジェルソミーナは、芸を中々憶えられないが、ピエロの仕草がとても可愛いい。
ザンパノは鎖切りの大道芸の前座に、ジェルソミーナをピエロとして起用したのが大受けして、ザンパノのショウに人気が出て、観客も増える。
ザンパノは、男性の前でジェルソミーナを紹介する時は「女房」と言い、女性の前では「俺が芸を教えたアシスタント」だと、TPOに応じて巧妙に使い分ける。


ジェルソミーナはザンパノの特訓で、ピエロ芸でラッパ(トランペット)が吹け、コミカルに踊れるようになり、人気者になって売上に貢献するが、稼いだ金は、ザンパノが独り占めして、ワインと女に消えていく。

興行が無事に終って、ザンパノは懐が潤うと、居酒屋でジェルソミーナにも御馳走するが、店内にいた厚化粧の商売女と意気投合して、オート三輪車に乗って、一晩遊びに出掛けてしまう。「お前は、ここで待っていろ」。
一晩中、道路に取り残されるジェルソミーナ。
翌朝になって、通行人の一人が、
「あんたは、オート三輪の芸人でしょ。ここで待っていても亭主は来ないよ。あんたの亭主は、この村の外れの森の前で寝ていたわ」。


ザンパノは、ジェルソミーナを置き去りにして、ナンパした女を車に乗せて一緒に出かける。
朝まで待たされるジェルソミーナ。

ジェルソミーナは、オート三輪車を見つけると、その傍の草むらで、酒と女の欲望を果たして満ち足りた寝息を立てている、だらしないザンパノの姿があった。しかし、ジェルソミーナのピエロ芸のお陰で、ザンパノのショウに人気が出て、結婚式の余興にも招待される。

結婚式の余興が終わると、二度も夫に先立たれた初老のマダムから、食事に招かれた。
食事が終ったザンパノは、マダムから、
「私は二度も亭主に死なれてね。ザンパノの体格なら、死んだ亭主のスーツが着られるわ。欲しくない?」・・・二人は一緒に二階の寝室へ上がって行った。一人しょんぼりと待ち続けるジェルソミーナ。


ジェルソミーナ:「ザンパノ、ローザの時もこうだったの?わたしは、1万リラの仕事はしたわ。こんな暮らしは嫌よ。帰るわ」

満足げな顔をして三輪車に戻ってきたザンパノを見て、
「ザンパノ、ローザの時も、こうだったの?女なら誰でもいいのね」。
「うるさい、黙ってろ」。

ジェルソミーナーは、ザンパノからの虐待に嫌気がさして、里心が出始めていた。
「私は1万リラの仕事を十分したわ。だから、帰るわ。こんな暮らしは厭になったわ。ふるさとへ」。
当時の1万リラというのは、二人で入った居酒屋の支払が、ワイン2本と二人前の羊料理(パン付き)が4,200リラだった。1万リラって、二回分の豪華な食事代・・・ジェルソミーナは、ただ同然で、ザンパノに売られたわけである。
ジェルソミーナは、借りていた靴と服を返し、ザンパノから逃げて、故郷の方へ歩いていく。
途中で一服していると、三人のラッパ吹きの男が通り過ぎて行く。興味を持ったジェルソミーナは後をつけていく。


ザンパノと別れたジェルソミーナは、サーカス団が開演前に宣伝する、ちんどん屋に出会い、興味が沸いて付いていく。

三人のラッパ吹きの男たちは、村のお祭りでサーカスの興行を報せる告知人であった。興行の目玉は綱渡り芸人のショウであった。
ジェルソミーナは、夜に行われた「綱渡り」を観て感激する。
しかし、ザンパノと別れたので、一文無しの彼女は、泊まる場所がない。男の浮浪者がウロウロする街角で女の野宿は危ない。そこへ、ザンパノが運転するオート三輪車がやってきて、嫌がるジェルソミーナを荷台に押し込む。

ジェルソミーナが朝起きると、オート三輪車の周りに沢山クルマが止まっていて、早起きした人々から「おはよう」と言ってくれる。
「 ジェラファ・サーカス団」の一行であった。ここでサーカスを興行をする準備をしていたのだ。
ザンパノは、サーカス団の団長に、臨時雇用の歩合契約だが、「鋼鉄男の鎖切りショー」の演目を入れて貰うことに成功する。

ところが、ザンパノが最も嫌う、綱渡り芸人のイルマットが演じる、綱渡りショーも演目に入っていた。
しかも、 いきなり、鉢合わせになった。
イルマット:「やぁ、鉄砲、元気か?ハハハハハ」。鉄砲は、ザンパノの渾名(あだな)である。ザンパノの性格が癇癪玉なので...。
ザンパノ:「なんだ、いかれたクソ野郎、まだ生きていたのか」。ザンパノは鉄砲と呼ばれるのが嫌い。

ザンパノが、今夜のショーの為に、買物に出掛けた。
イルマットは、ジェルソミーナを誘った。彼女に芸を教えるためである。
彼は、 バイオリンで「ジェルソミーナ」の曲を奏で、アシスタントのジェルソミーナは、イルマットの後ろからトランペットを吹く練習をして、芸を教える。
団長も、ジェルソミーナを帽子運びの女(大道芸で観衆から、おひねり(チップ)を集金する係り)にするよりも、ピエロ芸を磨いた方がサーカスに役立つと思い、二人の練習を喜ぶ。

そこへ、ザンパノが帰ってきた。
ザンパノ:「こらっ、俺の助手に変な芸を付けるな。この女には俺が芸を教える。他人にはさせない」。
団長:「ザンパノ、俺たちは仲間なんだぜ。この女に誰が芸を教えたっていいじゃないか」。
ザンパノ;「おれは、この、いかれたクソ野郎が大嫌いなんだ」。
イルマット:「鉄砲は、かんしゃく持ちで、よく当たり散らすからな。ハハハハハ」。
ザンパノ:「もう一度、言ってみろ。お前をボコボコにしてやる」。
イルマットは、頭を冷やせと言って、バケツの水をザンパノに浴びせる。
逃げるイルマットに、追い掛けるザンパノ。

夜になって綱渡りのショーが始まった。
イルマットは衣裳の背中に天使の翼を付けて綱渡りを行い、観客から拍手喝采を受ける。
このシーンは、イルマットに神の使いが憑依したことを監督のフェリーニが演出している。

次は、ザンパノの出番だ。
イルマット:「鉄砲、がんばれよ」。
ザンパノ:「・・・・・・」
ザンパノは芸の口上を述べ、ジェルソミーナの太鼓が激しく鳴った瞬間、 客席の最前列にいたイルマットは、「ザンパノ、電話が掛かっています」。

ザンパノは、自分のショーが済んだ後に怒り心頭にきて、ナイフを振りかざしてイルマットを追い掛ける。
団長は警察に電話したので警官が出動して、ザンパノは取り押さえられて逮捕され、一晩拘置される。イルマットは事情聴取を受けて、すぐに釈放された。
団長はカンカンに怒って、 「サーカス団の恥だ。もう、二人とは縁を切る」。

すると、サーカス団で働く女性達は、ジェルソミーナを不憫に思い、
「ジェルソミーナ、あんな野蛮な男と早く別れた方がいいわ。うちのサーカス団においでよ。寝るところもあるし、食事にも困らないわ」。
ジェルソミーナ:「ありがたいけど、私がいなければ、あの人は一人ぼっちよ」。

ジェルソミーナがザンパノのクルマの中で落ち込んでいると、釈放されたイルマットが声を掛けにきた。



ジェルソミーナ:「わたしは、何も役立たない女だわ」。
イルマット:「そんなことはないよ。道端に落ちている小石だって、神様が造られた。俺には判らんが、きっと何かの役に立っているんだ。変わり者のお前だって誰かの役に立っているんだ」。

イルマットは、ジェルソミーナを見つめ、
イルマット:「俺は、鉄砲(ザンパノ)を見ると、無性にからかいたくなるんだ。自分でも何でか分からない。あんなに怒らせた俺も悪かったが、冗談が通じないザンパノは、ナイフを振り回していたから、朝までブタ箱だ。これから、お前はどうするんだ?」

ジェルソミーナ:「分からないわ」。
イルマット:「お前はロバのように扱き使われている。俺について来いよ。綱渡りの芸を、お前に教えてやる。俺は先が短い。俺の芸を誰かに伝えたいんだ」。
ジェルソミーナ:「先が短いって、何のこと?」
イルマット:「綱渡りの芸は、そういつまでも長くできるような芸ではないんだ。ロープの上でバランスを崩したら真逆さまだ」。
ジェルソミーナ「私って不器用だから綱渡りなんて、とても無理だわ。私は何にも役に立たない女よ」。

イルマットはしゃがんで小石を拾う。
イルマット:「ジェルソミーナ、よく聞くんだ。道端に落ちている小石も神様がお造りになったんだよ。俺は無学だから、この石が世の中のどんなところに役に立っているは分からない。変わり者のお前だって、きっと誰かの役に立っているんだ」。
ジェルソミーナ:「私も役に立っているの?」
イルマット:「そうだ。でも、ザンパノは犬だ。怒っているときも、喜んでいるときも吠えるんだ。
お前が役に立っているのを素直に認めようとせず、意地を張って、常に怒っているような素振りをしているんだ。
ザンパノには、お前が必要なんだ・・・警察の前までこのクルマを運転してやろう。それにしても、このクルマは、獣(けもの)臭いな」。
イルマットは、自分のネックレスを外し、ジェルソミーナの首に付けてやる。
ジェルソミーナは、憧れていた男性から初めて、レディーとして扱われ、幸せな気持ちになる。

翌朝、ザンパノは釈放された。 その後の二人は、各地で大道芸をしながら旅をする。ジェルソミーナのピエロの芸も上達していく。
ある山道の峠で、ガソリンが足りなくなって、修道院に一宿一飯の世話を受ける。
ザンパノは、修道院の礼拝室に飾ってある銀の燭台を真夜中に盗む。
ジェルソミーナは「止めて、止めて」と頼んだが、ザンパノは聞く耳を持たない。

恩を仇で返すザンパノの悪人ぶりに、ジェルソミーナの純真な心は傷つき、悲しんだ。
ジェルソミーナと同じ年頃の修道女は、大道芸人の暮らしぶりを見て、ジェルソミーナの行く末を心配する。


修道院の納屋にジェルソミーナとザンパノは、一宿一飯の恩を受けながら、ザンパノは教会の銀の燭台を盗む。親切で同い年のシスターを裏切ったジェルソミーナは泣き崩れる

ある日、道中でイルマットに出会う。イルマットは、クルマを停めてパンクの修理をしていた。
イルマット:「やぁ、鉄砲か、俺のクルマ、パンクしたんだ。ちょっと手伝ってくれよ」。
ザンパノ:「あぁ、手伝ってやるよ。お前がくたばるのを」。
二人は取っ組み合いの喧嘩になり、イルマットは、ザンパノの怪力で後頭部をクルマにぶつけられて気絶した。

ジェルソミーナは、
「ザンパノ、あの人の様子が変だわ。ザンパノ、あの人の様子が変だわ。」と叫ぶ。
ザンパノは、脈を確認して死んだと判ると、彼の遺体を背負って川岸へ運び、彼の愛車を川へ突き落とす。交通事故に偽装工作した。

その後のショーは、ジェルソミーナは、魂が抜けて気が変になり、ドラムを叩いても、
「ザンパノ、あの人の様子が変だわ。ザンパノ、あの人の様子が変だわ。」と叫ぶ。
これでは、仕事にならない。その内にジェルソミーナの体力と気力はどんどん低下していく。

ザンパノは、残雪の残る廃屋の前にクルマを停めた。
ジェルソミーナは、十日ぶりにクルマから起きてきて、スープを作る。
しかし、そこで寝込んでしまう。
ザンパノは、クルマから毛布を持ってきてジェルソミーナに被せ、枕元に、少しお金を置いて立ち去る。


ザンパノは、役に立たなくなった、病弱のジェルソミーナを車から道端に降ろして、僅かなお金を置いて立ち去る。

ザンパノはジェルソミーナと別れて、5年ほどの月日が流れた。ザンパノは、別のサーカス団の巡業に参加して、ローマに近いある港町で行う興行に来ていた。
仕事前のザンパノは、会場近くの屋台でレモネードのジェラートを注文し、それを食べながら浜辺を歩いていると、聞き覚えのあるメロディを口ずさむ女がいた。

「ボナセーラ シニョーラ、(今日は、奥さん)、その曲は、誰から?」
「大分前よ。4、5年前かしら。ここの浜辺に、ラッパを吹く物乞いの女がいてね。その女が吹いていたメロディよ」
「その女は、今、どこに居るんだ?」
「ボランティアの方に預けられていたらしいけど、海を眺めるのが好きでね。行方不明になって探したら、浜辺で死んでいたの」。

映画のシーンには無いが、ザンパノは、その日の鎖切りの芸で、鎖が切れず、観客から失笑を買った。
その夜のザンパノは馴染みの居酒屋で自棄酒をあおって、店内で大暴れした。店主は「もう、やめとけ」と言うが、飲み続ける。
やがて、店を追い出される。「お前とはこれっ切りだ」と、友人たちは彼から去っていた。

ザンパノは、オート三輪へ戻る前に酔いを醒まそうとして浜辺に降りて、海水で顔を洗う。乱闘で出血した顔に塩水が滲みて激痛が走る。
ジェルソミーナが傍におれば、きっと優しく手当してくれた筈。病弱になった彼女を置き去りにした、その因果応報というべきか...。
誰もいない真っ暗な海、永遠に押し寄せる波・・・仲間との友情や尽くしてくれた女からの愛情も失って、一人ぼっちになったザンパノは、取り返しのつかない、失ったものの大切さに少しは気付いて、激しく嗚咽するのだった。 後悔先に立たず。

あとがき

ぼくが、この映画を観たのは、二十代の頃だったと思うが、すごい映画だと思った。余韻のある作品だった。

この映画では、神の慈悲心を持った純真なジェルソミーナ、心に倫理感が欠けた欲望の悪魔が宿ったザンパノが描かれている。綱渡り芸人のイルマットも天使の役で、ザンパノはイルマットを嫌って殺してしまう。神の使いが居なくなったことで、ジェルソミーナは衰弱死していく。つまり、善が衰弱していく。かといって、悪が強くなったわけではない。ザンパノも加齢で自慢の筋力が衰え、鎖切りの芸が出来なくなって凡人になってしまい、弱者になって初めて、ジェルソミーナから受けた愛や恩を思い起こすのだった。

21世紀の競争社会に生きる人間たちも、世渡りの為に、善意と悪意を使い分けて狡猾に生きている。生きるために次第に汚れていく己の心のカタルシス(浄化)を映画に求めるなら、「道」は、ベストムービーになるだろう。目蓋から流れ落ちる涙は、汚れた目、曇った目を洗い流す。心の浄化は一時的ではあるが・・・。

2014年2月10日更新 尾林 正利

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