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レ・ミゼラブル

(和訳で、あゝ無情 ,ああ無情:19世紀半ばに書かれたフランスのロマン主義文学作家、
ヴィクトル・ユーゴーの大河小説を仏伊合作で映画化。1957年に公開)

Les Misérables
un film de Jean-Paul Le Shanois

トッポの気まぐれ洋画劇場の第7回目は、第6回目の自然主義文学作家のエミール・ゾラの小説「居酒屋」の映画に続いて、ロマン主義文学作家の巨匠、ヴィクトル・ユーゴーが1845年〜1862年に書き上げた大河小説の「レ・ミゼラブル」を1957年にフランス=イタリア合作で製作した映画を紹介したい。

19世紀半ばのフランスは、最後のフランス王になったルイ・フィリップによる王政(1830〜1848年)からナポレオン3世による第二帝政(1852〜1870年)に移った政変の過渡期であり、1845年に子爵になったヴィクトル・ユーゴーが、王党派の政治家として仕事をを控え、作家活動に没頭した時期に書かれた世界的な名作で、世界各国の言語に翻訳された。

「レ・ミゼラブル」原作の日本版は、明治35年(1902年)から翻案家(原作を翻訳して脚色する)で、ジャーナリストの黒岩涙香(くろいわるいこう)によって、Les Misérablesの日本語版「噫無情(ああむじょう)」が萬朝報(よろずちょうほう)という、ゴシップ記事を売りにする日刊紙に連載されたのが最初とされる。
その後、大正12年(1923年)に映画も製作されたらしい。

昨今では、2012年12月にイギリスのトム・フーパー(Thomas George Hooper:英国王のスピーチも演出した) 監督によって製作されたレミゼのミュージカル映画が大ヒットし、日本でも凡そ60 億円の興行収入を生む大ヒット作になった。薄幸の女性・ファンティーヌ(コゼットの母)を演じたアン・ハサウェイ(プラダを着た悪魔に出演)がアカデミー助演女優賞を獲得した。

レ・ミゼラブル」は、明治時代以後、現在に至るまで、日本でも人気が高く、演劇界で”レミゼ”とも言われ、完訳した文庫本や日本用に脚色した劇映画、演劇、アニメなどで紹介され、原作者のヴィクトル・ユーゴーの名は知らなくても、「レ・ミゼラブル:あゝ無情・ああ無情」をご存知の方は多いと思う。不朽の名作と呼ばれる所以だ。

因みに、大阪でユーゴー言えば、アベノ・ハルカス(地上300mのビル)の南に2階建て(地下1階)の「ユーゴー書店」という本屋さんがあって、時々、雑誌やパソコン関連の本を買いに行く。

また、ヴィクトル・ユーゴーの次女、アデル・ユーゴーの激しい悲恋を描いた、実話に基づいた「アデルの恋の物語」が、ヌーヴェル・ヴァーグの映画監督、フランソワ・トリュフォーによって映画化され、20世紀フォックス・ホームエンターテイメント・ジャパンから日本版のDVDが販売されている。
アデルに扮したイザベル・アジャーニが文豪の愛娘を好演している。こちらも、お奨めだ。

レ・ミゼラブルが書かれた時の、フランスの時代背景

ヴィクトル・ユーゴーは、経済的に恵まれた家庭で生まれたが、フランスの政治・社会環境が混沌する時代に翻弄され、父方が熱心なボナパルティズム(1815年にイギリスに亡命し、セントヘレナ島に流刑にされたナポレオン1世の子孫や親族、ナポレオン2世やナポレオン3世を皇位に就けようとする帝政派の活動家)であり、母方がルイ18世支持の王党派だったので、父方と母方の間で確執が生じた。

ナポレオン1世失脚後の王党派によるボナパルト派の弾圧(白色テロ)によって、帝政派要人の多くが官憲に捕まって、次々に断頭台(ギロチンは英語発音で、フランス語ではguillotine:ギヨタンと発音=断頭台を発明した人の名前)へ送られた。

ヴィクトル・ユーゴーの青少年時代は、断頭台送りになるのを恐れ、家族は官憲の目を逃れて、南仏のマルセイユを離れてコルシカ島やエルベ島、イタリアのミラノやスペインのマドリードなどで暮らしたらしい。

官憲の目を逃れて住居を転々・・・というところが、レ・ミゼラブルの主人公であるジャン・ヴァルジャンに一致する。
また、この原作や映画にも登場するマリユス・ポンメルシーの生い立ちと青年期の姿は、ヴィクトル・ユーゴーの生い立ちと青年期の姿と相似している。

レ・ミゼラブルは、和訳すると「悲惨な人々」を意味する。

1789年7月14日に起きた、主に政治犯収容所のバスティーユ牢獄の開放に端を発したフランス革命は、ジャコバン党(ジャコバン派)を核とする市民運動による革命であった。
ジャコバン党とは、ジャコバン(Jacobins)は、パリにある修道院の名前で、そこでフランスを民主主義共和国にするための市民運動家たちの集会が頻繁に行われていて、参加者が共通の理念を持ち、現体制(フランス王の専制政治)に代わって政権を執ることを目的とした政治活動団体(政党)のことである。

最初は、穏健派の右派〜中道派〜急進派の左派が一緒になって活動していた。
プロレタリア層に偏向したイデオロギーを持つ「左翼(左派)」とか、ブルジョワ層に偏向したイデオロギーを持つ「右翼(右派)」という言葉は、ジャコバン党が発祥であるらしい。
市民運動による革命はパリだけでなく、フランス全土に広がり、市民運動の武闘派は、特権階級の教会や貴族の館を襲った。

ヴェルサイユ宮殿におられたフランス王のルイ16世は、「また、暴動か?」
 侍従は、「閣下、暴動ではありません。これは革命です!」。

フランス革命によって、ルイ16世と王妃のマリー・アントワネットは、大勢の共和主義者たちによって宮殿に軟禁され、平民による憲法制定国民議会が発足し、王と貴族官僚だけによる宮廷政治の旧体制が崩れて、ブルジョワや聖職者が享受していた封建主義的な諸特権(免税と年金支給など)は剥奪され、一般市民にも一部の所有権が認められるようになった。

なお、農奴や小作農民が領主から解放されるのは、殆どのヨーロッパ諸国も日本も、第二次世界大戦以降である。

トリコローレ(tricolore:三色旗)の革命旗(今のフランス国旗)の下で、「自由・平等・友愛(博愛)」のスローガンを掲げたフランスでの民主主義の萌芽は、近隣の封建的な君主国家に多大な影響を与えた。

ルイ16世のブルボン家と血縁関係のあるハプスブルグ家のオーストリア帝国は、プロシア王国(今のドイツ)と対仏同盟軍を結成し、フランス革命政府にルイ16世の保護を求め、ルイ16世と王家一族の護衛のために、スイス兵が派遣され、応じない場合は宣戦布告すると通牒してきた。

立憲君主国のイギリスは、フランスに工作隊「紅はこべ(フランスの有力な貴族や聖職者を渡英させて保護する集団)」などを送った。
ジャコバン党を母体とするフランス革命政府は、新体制維持のため、ルイ16世と王妃の保護を求めるのは内政干渉だと拒否し、プロシア王国・オーストリア帝国との間で、フランス革命戦争(1792〜1802年)が勃発した。

そして、革命裁判で、ヴェルサイユ宮殿から逃亡し、亡命未遂事件を起こした、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットには斬首刑が確定し、1793年に、パリのコンコルド広場で群衆が見守る中で断頭台が設置され、刑が執行された。

フランス革命戦争の時は、革命軍の士官は貴族出身者が多く、革命政府に背いて敵前逃亡し、相手国に寝返る者が出たので苦戦したが、とくに南仏マルセイユの市民たちが義勇兵になり、強敵のプロシア兵に対し果敢に闘ったので、彼らが歌っていた軍歌の「ラ・マルセイエーズ」が、現在のフランス国歌になっている。

この対仏大同盟包囲網に囲まれた、フランス革命戦争の最中に、彗星の如く頭角を現したのが、コルシカ島出身の砲兵軍人、ナポレオン・ボナパルト(1769〜1821年)であった。元はイタリア人である。
ナポレオン軍は、ネルソン提督が率いるイギリス艦隊には歯が立たなかったが、陸戦を得意にして、オーストリア軍やプロシア軍、さらにロシア軍やスェーデン軍を破ってフランス支配圏を拡大し、フランス国民を熱狂させた。

現在のパリの観光名所になっている「エトワール凱旋門」は、ナポレオン1世のアウステルリッツの戦い(1805年)の戦勝記念によって、本人の命令で建てられたが、完成したのが1836年で、ナポレオン1世はこの門をくぐることはなかった。
ぼくはエトワール凱旋門の屋上に上ったが、ここからのパリ市街の見晴らしは良い。

ナポレオンは軍人だったが、政治・経済にも関心を持ち、皇帝に就任すると、ナポレオン法典の制定やフランス銀行の創立に寄与した。
現在もフランスに続く「レジオンドヌール勲章」も、ナポレオン1世が1802年に定めた栄典制度である。

因みに、ヨーロッパ大陸諸国は、自動車は右側通行だが、これは軍人のナポレオンが北欧やロシアまで進攻し、フランスの支配下において、各国の交通規則をフランス式に統一したものであり、メートル法も制定された。
ところが、イギリス本土へは、ナポレオンは進軍できなかったので、イギリスだけは左側通行のままになっている。なお、日本は、明治時代に定めたイギリスの左側通行の交通規則を採用している。イギリスの植民地だったアメリカはイギリスと戦争して勝利し、独立を勝ち取り、交通ルールをフランス式にした。
イギリスを除くユーロ諸国が一つになれたのも、凡そ200年前に活躍したナポレオン1世のお陰かも?

ナポレオンは、目の上のタンコブであった、ヨーロッパ大陸諸国への食料や武器供給源になっているイギリスを、ヨーロッパから村はじきにしょうと、1806年に大陸封鎖令を下した。
ところが、他国の言いなりになるのが大嫌いなロシアが、ナポレオンを無視してイギリスとの貿易を中止しなかったので、1812年に、60 万の大軍で再びロシア遠征を行った。

しかし、ナポレオン軍の前線基地になりそうな町村を次々に焼く、ロシア軍の焦土戦法で、ロシアの冬の寒さに不慣れなナポレオン軍兵士はモスクワまで深追いし過ぎて、兵糧も不足してバタバタと凍死していった。(レフ・トルストイ原作の映画「戦争と平和」を参考に。)

ナポレオンが留守の間に、イギリスのウェリントン公は、10万の英軍を英仏国境に集結し、スェーデン軍やプロシア軍(今のドイツ)も普仏国境に集結した。
ナポレオンがロシア遠征からパリへ戻った時は、7万の兵で闘わなければならず、ナポレオンは閣僚からクーデターを起こされ、王党派によって皇帝を退位させられ、コルシカ島の東にあるエルバ島へ小領主として流刑にされた。
そして、ブルボン家のルイ18世をフランス王にして、王政復古に戻った。

ところが、フランスに近いエルベ島に流刑されたナポレオンは、寡兵を率いてフランスに上陸し、フランス国軍はナポレオンの復帰を歓迎して再び皇帝に返り咲いた。
対仏大同盟の盟主のイギリスは、フランス政府の茶番劇(ナポレオンの復権)に納得せず、英仏がガチンコで闘う事になった。

1815年6月18日の「ワーテルローの戦い(Bataille de Waterloo):フランスとベルギーの国境にある初代ウェリントン公のアーサー・ウェルズリー元帥が司令部を置いた町」で、ナポレオン軍はウェルズリー元帥が率いる英軍とブリュッヘル元帥が率いるプロシア軍に挟撃されて、惨敗を喫し、3万のフランス兵を失った。(英軍とプロシア軍も合計3万の兵士が死んだ)

皇帝復帰後100日天下だったナポレオン1世は、ギロチン処刑を嫌ってイギリスへ亡命し、イギリス政府によって、大西洋の孤島・セントヘレナ島に流刑され、1821年に病死した。
因みにナポレオン戦争(1801〜1815年)では、フランス兵を120万人以上も失ない、「フランス外人部隊」が創設された。兵士不足のフランスから生まれた、苦肉の策である。

ナポレオンがいなくなったフランスは、ナポレオン体制が崩れて、ブルボン家のルイ18世(ルイ16世の弟・プロシアに亡命中)を推す王党派が力を盛り返し、ウィーン会議でイギリスがブルボン家の王政復古を承認したので、フランス王に就任した。
王政復古によって、フランスは、再びフランス革命前の状態に戻り、聖職者や貴族の特権が復活した。

そして、次にシャルル10世(1824〜1830年に在位。ルイ16世とルイ18世の弟でイギリスに亡命中)が、フランス王に即位した。
シャルル10世は、絶対君主主義の信奉者だったので、ボナパルティズムなどの反対勢力は厳しく弾圧し、シャルル10世の専制政治に怒った国民は1830年に7月革命を起こし、退位を余儀無くされた。
このように、近代フランス史を知らずして、レ・ミゼラブルを語れないと思う。

イギリスに亡命していた、ルイ・フィリップ(1830〜1848年在位:ブルボン家の支流のオルレアン公)が、銀行家やブルジョワたちの推薦を受けて「フランス人の王」になり、英国のような立憲君主制を敷いた。 これによって、王党派と、ナポレオン3世の復権を期待する帝政派、さらに、選挙権を求める市民や労働者が支持する共和党勢力が台頭して、三つ巴の政治対立になり、貴族やブルジョワ層に対する労働者階級の不満で市街の治安が悪化し、社会の秩序が荒れていた時代のなかで、徒刑囚のジャン・ヴァルジャンが主人公になる小説が生まれた。

自分を取り巻く冷たい社会に憎悪していたジャン・ヴァルジャン(ヴィクトル・ユーゴが理想とする男)が、ある日、己の生き方の醜さを知って、その後、人の悲しみや痛みが分かる人間になって、敵になる相手にも愛を注ぎ、生涯を終えるまでを描いた作品である。

主役のジャン・ヴァルジャンを誰が演じるか?・・・原作では、ジャン・ヴァルジャンが27歳(1796年)の時に、南仏のトゥーロンの刑務所に徒刑囚として収監され、19年間の服役を終えて出所した時は、初老近くの46歳(1815年)になっていた。 レ・ミゼラブルはそこから18年間(1833年にジャン・ヴァルジャンが64歳で死去するまで)の物語である。
1832年6月にパリ暴動事件があり、その頃の様子が詳しく描かれている。レ・ミゼラブルの登場人物は、その当時に実在していた人物の名を変えて、脚色して描かれているが、フランスの時代背景や出来事は実話である。

1957年にフランスとイタリアの合作の「レ・ミゼラブル」の映画が企画製作されたとき、当時53歳のフランスの個性派俳優のジャン・ギャバンが主役に選ばれた。
「レ・ミゼラブル」の映画や演劇は数多く製作されているが、個人的には、ジャン・ヴァルジャン役はジャン・ギャバンが一番相応しいような気がする。
フランスの名優は、1976年に72歳で心臓発作で他界した。

「無知と悲惨があるかぎり、本書も無益ではあるまい」。
ヴィクトル・ユーゴーの言葉である。

主なキャスト

Jean Valjean (ジャン・ヴァルジャン:1斤のパンを盗んだ罪で徒刑囚として19年間も監獄に入れられ、出所して再犯を犯し、終身刑になるピンチに、機転のきく司教の慈悲で、まともな人間に立ち直る)・・・Jean Gabin(ジャン・ギャバン)

Fantine (ファンティーヌ:生活苦で、歯を抜いて売るほどの薄幸な女で、コゼットの母。3才のコゼットをテナルディエ夫妻に預け、コゼットの成長を知らずに病死する)・・・Daniéle Delorme(ダニエル・ドロルム)

Inspecteur Javert (ジャヴェール警部:少年時代は看守の父を手伝い、囚人を悪人として憎み、悪人を懲らしめるために警察官の道を選ぶ。ヴァルジャンを執拗に追う辣腕の警部)・・・Bernard Blier(ベルナール・ブリエ)

Enjolras (アンジョルラス:1832年のフランス6月革命=パリ蜂起 の共和主義者の武闘派指導者)・・・Serge Reggiani(セルジュ・レジャーニ)

Thénardier (テナルディエ:居酒屋宿「ワーテルローの軍曹」を経営するがめつい店主で、ファンティーヌから預かった3才のコゼットを掃除や水汲みの雑用にこき使う。後にパリに出て、様々な悪事を働く)・・・Andoré Bourvil(アンドレ・ブールヴィル)

La Thénardier (テナルディエ夫人:夫の悪事に進んで加担する妻。二人の娘は可愛がるが、息子のガヴローシェは育児放棄、ガヴローシェは両親に逆らい家出して浮浪者に・・・。共犯の現行犯で夫と共に逮捕される)・・・Elfride Florin(アルフリーデ・フローラン)

Marius (マリユス:1832年6月のパリ暴動=パリ蜂起に共和主義者の武闘派蜂起に参加し、銃を持ってルイ・フィリップの国軍と戦い、瀕死の重傷を負うが、ヴァルジャンに助けられて、コゼットと結婚する)・・・Giani Esposito(ジャンニ・エスポジト)

Cosette Enfan (少女時代のコゼット:薄幸な母、フォンティーヌの一人娘。3歳から8歳までは、テナルディエ夫妻に、育てられる。)・・・Martine Havet(マルティーヌ・アヴェ)
Cosette (美しい娘のコゼット:8歳から後は、独身のジャン・ヴァルジャンに育てられ、美しい娘に成長し、マリユスと結婚する。)・・・Béatrice Altariba(ベアトリス・アリタリバ)

Eponine (エポニーヌ:テナルディエの長女。マリユスに片思いの恋をし、1932年6月のパリ暴動で、マリウスと一緒に闘って、17歳で死ぬ。女の気丈さと弱さを持つ)・・・Silvia Monfort(シルヴィア・モンフォール)

主なスタッフ


監督:Jean-Paul Le Chanois(ジャン=ポール・ル・シャノワ)
原作:Victor Hugo(ヴィクトル・ユーゴー)
脚本:Jean-Paul Le Chanois(ジャン=ポール・ル・シャノワ)
・・・ René Barjavel(ルネ・バルジャヴェル)
撮影:Jacques Natteau(ジャック・ナトゥー)
音楽:Georges Van Parys(ジョルジュ・ヴァン・パリス)
美術:Serge Pimenoff(セルジュ・ピメノフ)
・・・ Karl Schneider(カール・シュナイダー)
衣装:Jacqueline Guyot(ジャックリーヌ・ギュヨ)
・・・ Marcel Escoffier(マルセル・エスコフィール)
編集:Emma Le Chanois(エマ・ル・シャノワ)
製作:Paul Cedeac(ポール・セディアク)
製作年と製作国:1957年・フランス・イタリア合作
画面サイズとカラー:テクノラマ・テクニカラー
(DVDでは、4:3の標準テレビ用に収録し、ハイビジョンで観ると、縮小シネスコ版になる)
上映時間:178分(インターミッションあり)
製作会社:Pathé Consortium Cinéma
配給会社: 日本版DVD販売元:(株)アイ・ヴィー・シー


トッポの感想

DVDのパッケージを見ると、レ・ミゼラブルは、1957年で製作費10億フランの巨費を投じて作られたらしい。
どこにそんな大金を掛けたのか?それは、1957年から約150年前の馬車しか通っていない、石畳のパリ市街を映画で再現するのに、大金が掛かったのだろう。

販売元の(株)アイ・ヴィー・シーさんの、このDVDは、高価な割にしてはRGB3色分解のテクニカラーの画質にシャープさが不足し、コントラストも強すぎて、ハイライトは飛び、シャドーは潰れていた。タイトルロールの白抜きスーパーの文字が実写と被って読み辛いし、デジタルHDハイビジョン液晶テレビが普及する前にDVD化されたのか?ブラウン管テレビの4:3のアスペクト比にシネスコ画面が収まるように収録されていて、50インチクラスのデジタルフルHDハイビション液晶テレビで観ても、画面がかなり縮小されているので、いくらテクニラマを謳っていてもテレビでは迫力が足りない。
ハイビションテレビのアスペクト比(1:1.78※1080ピクセル×1920ピクセル)に対応したブルーレイのデジタルリマスター版の再発売が待たれる。

大河小説の映画化なので、3時間に圧縮した映画では、話がポンポンと飛びすぎて、大袈裟かも知れないが、早送りで観ているみたいだった。
8歳のコゼットが、いきなり14歳のコゼットに変わる演出には、付いて行けなかった。当作品を3回観て、登場人物の相関関係が把握でき、ようやくストーリーが理解できるようになった。

とくに、テナルディエという狡猾な小悪党を頻繁に登場させたことで、この映画が大変面白くなっている。
元囚人のジャン・ヴァルジャンと彼を追う警部のジャヴェールだけの話なら、このドラマは名作にはならなかっただろう。テナルディエというような小悪党な人間と、その強かな家族を描く、ユーゴーの眼力に脱帽した。

ストーリー

上のシーンは、レ・ミゼラブルで主役のジャン・ヴァルジャンを演じた、ジャン・ギャバン。
映画では1802年からスタートするが、1815年に19年間の服役を終えて南仏のトゥーロンの刑務所を出所するシーンだ。

買ったDVDは、ハイビジョンテレビが普及する前に製作された。ブラウン管テレビのアスペクト比 4:3に最適化してあるので、大型のハイビジョンテレビで観ても画面が小さい。
ハイビジョンテレビに対応した、デジタルリマスター版のブルーレイの販売に期待したい。

上のシーンは、無料で一宿一飯の善意で司教のお世話になったヴァルジャンは、ミリエル司教の家にあった銀の食器を盗んで朝早く逃げ、憲兵に捕まる。

しかし、ミリエル司教は、咄嗟に、「その食器は、私があげたものですよ」と憲兵に答える。
そして、ヴァルジャンの顔を見て、「君はなぜ、私から貰ったと言わん」と叱る。

この映画のストーリー展開は、観客が理解しやすいように、要所要所に「ナレーション」をインサートして、複雑なストーリーが簡素化されている。登場人物の多くは、原作者のユーゴー自身やユーゴーと関わりを持った人々が名を変えられて登場する。19世紀前半のパリの町並みなどは、この映画では史実に基づいて建物が建てられ、当時の衣装を着た人物を配置し、凡そ180年前のパリの様子が映像化されている。

物語は、1802年から始まる。南仏のトゥーロンにあった刑務所に、"無益な労働"のために、大勢の徒刑囚が連れられてくる。
徒刑(とけい)とは強制労働の刑で、奴隷のように右足に鎖の付いた足枷(あしかせ)の輪を填められて働かされるのだ。囚人を疲れさせ、懲らしめる為の重労働だった。

ここの刑務所には、貧しい農家に生まれ育ち、両親が早死にして、姉夫婦の家族に育てられたが、25歳の時に姉の夫が死亡して生活が苦しくなり、姉の7人の子供たちの為に、1斤(いっきん:約600グラム)のパンを盗んだ罪や野生動物密猟の罪で、1796年に5年の懲役刑を食らったジャン・ヴァルジャンという男が服役していた。

ある日、ここの囚人が、徒刑場の石切場で発破作業に逃げ遅れ、崩落した岩石の下敷きになった。
ジャン・ヴァルジャンは、自分の足枷(あしかせ)を石で叩いて簡単に外し、すぐに救出に駆け付けて、肩で巨石を持ち上げて、下敷きになっていた仲間を助けた。
看守をしていたジャヴェール父子は、その様子をジーッと見て、父は、「あの怪力男は、脱獄2回のジャン・ヴァルジャンだ。よく憶えておくように」と、息子に教えた。

看守のジャヴェールは、囚人の扱いには冷酷で、ジャン・ヴァルジャンが人命救助したことを褒めず、彼の足枷の鎖を見て、「お前は鎖にヤスリを掛けたな・・・脱獄未遂罪で3年追加だ」と、宣告し、人を助けたために彼の刑期はさらに延びた。結局、ジャン・ヴァルジャンは、19年間も刑務所で暮らすことになって、1815年10月に19年の徒刑服役を終えた時は46歳の初老になっていた。
日本では1斤のパンを盗んで、執行猶予なしの懲役5年の刑は有り得ないと思うが、厳罰主義の国では、見せしめの為に、有り得るかも知れない。

放免されたヴァルジャンには、再犯防止の「通行証」の常時携帯が義務づけられ、次に犯罪を起こすと、パン一切れを盗んでも無期懲役になる。
ならず者のレッテルを貼られた人間対する世間の風当たりは冷たく、再就職も出来ず、泊めてくれる宿もない。
出所の時に貰える労賃は140フランの筈だったが、労賃に税金が掛かって源泉徴収され、給付された109フランと15スー(※1:現在の貨幣価値で約22万円)もすぐに底を突き、忽ち文無しになる。
(※1:1815年当時の1フラン=20スー。当時と現在の物価比較から、200年前の1フランを今の円に換算すると、1フラン=2000円ぐらいらしい)

腹を空かし、歩き疲れたジャン・ヴァルジャンは、トゥーロンに近いプロヴァンス地方のディーニュ村にある、ミリエル司教の簡素な住居に宿泊を頼んで、ミリエル司教から暖かく一泊一食のもてなしを受ける。
人徳のあったミリエル司教には、立派で大きな司教館が与えられているのだが、そこを病院に改装し、体の不自由な人々の為に解放し、ミリエル司教は小さな家に妹と家政婦の3人で質素に暮らしていた。
翌朝、ミリエル司教が大切にしていた銀の食器が無くなっていることに、家政婦が見つけ、司教に報告する。

そこへ憲兵の二人がヴァルジャンを連れてやってきて、
憲兵:「この男を取り調べたところ、銀の食器を隠して持っていた。昨晩、司教さんの家に泊まったそうなので、この食器はミリエル様のものでは?」
司教:「あぁ、その食器のことかね。私がこの人に上げたものですよ」。
司教はヴァルジャンに向かって、「君はなぜ、私から貰ったと言わん?」
ヴァルジャン:「・・・」。
司教は家政婦に向かって、「この人のために、燭台二つ持ってきなさい」と、命じた。
憲兵:「そういうことなら、我々は何も言うことはありませんな。どうも失礼しました」。
司教:「わざわざ、お仕事の為に、わたしのところへ・・・ちょっと、ウチの中でくつろいでいかんかね」。
憲兵:「じゃ、お言葉に甘えて・・・」。
憲兵が司教の家の中に入ったあとで、 ヴァルジャン:「司教さん、ありがとう」。
司教:「私は金の力を信じないが、これは君の役に立つ。今の君は善人だよ。私は君の魂を買う」。

ミリエル司教の咄嗟の機転と、暖かい励ましの言葉で、19年間の刑務所暮らしで体に染み込んだヴァルジャンの邪心は、払拭されたと言いたいが、道中のサヴォアの峠道で出会った少年のプティ・ジェルヴェーをからかって、40スー(2フラン銀貨)を1枚奪ってしまう。

しまったと思って返そうとしたが、少年は逃げ足が速くて、見えなくなってしまった。
少年が警察に被害届けを出したので、看守の父を持つ息子のジャヴェールは、その後、看守助手から警察官になり、プティ・ジェルヴェーを恐喝したのは、トゥーロンを出所したヴァルジャンの仕業だと真っ先に疑い、彼から執拗に追われる身になる。

1819年、ジャン・ヴァルジャンはマドレーヌと名乗り、ドーバー海峡に近いフランス北部のモントルイユ・シュル・メールの町で黒いガラス玉の製造と模造宝石の製造工場を建て大成功を収めていた。これは、ジャン・ヴァルジャンがトゥーロンで服役中に、囚人仲間から習得した工芸技術であった。
そして、大邸宅を買って、ミリエル司教のように病院に改装したり、老人ホームを開設したり、男子学校や女子学校に寄付して、自分は小さな家に倹約生活して住み、その善良な人柄と町の繁栄にも寄与していたことで、市民から高く評価されていた。そして、モントルイユの市長に推薦される。


上のシーンは、運命のいたずらで、看守の息子のジャヴェールが警部になって、モントルイユに赴任してきた。左側がジャヴェール警部で、右はマドレーヌ市長(実は、ジャン・ヴァルジャン)

ある日、市長室に新任の警察官が挨拶にやってくる。
「初めまして、私がこの度、モントルイユに赴任しました、ジャヴェール警部です」。
マドレーヌ市長:「ジャヴェール?」・・・この聞き覚えのある名前に、ヴァルジャンは不快感を持つ。
ジャヴェール警部:「父は、看守でした。私は10年前に警察官になりました。世間には、健全な人と、無職浮浪の輩(やから)がおり、前者は法を守り、後者は法を破ります。私の仕事は、後者を撲滅することです」。と、青臭く捲し立てる。
マドレーヌ市長:「・・・分かった。モントルイユ市のために、よろしく頼みます」。

マドレーヌの黒いガラス玉工場には1818年から、理由(わけ)あって、パリから故郷のモントルイユに戻って働く女工のファンティーヌがいた。
彼女には3歳の娘コゼットがいて、コゼットを、モントルイユから馬車で1日掛かるモンフェルメイユで宿屋を営む欲張りなティナルディエ夫妻に、半年分の養育費42フランと半年後の保証金38フランの合計80フランを前金で払って預けていた。
しかし、この夫妻は、コゼットの養育費の他に、後からなんやかやと理由を付けて経費をファンティーヌに請求し、やがてテナルディエに対する借金が100フランにも膨らみ、ファンティーヌを苦しめていたのだった。



上のシーンは、モンフェルメイユのテナルディエ夫妻に3歳の娘コゼットを預けるファンティーヌ。半年分の養育費と保証金を前払いするが・・・。

下のシーンは、ファンティーヌは、マドレーヌ氏の工場で女工として働くが、ワケあって失職し、さらに、テナルディエからコゼットの服代などの経費を請求されて借金が増え、生活に困って街娼になる。

1823年、マドレーヌの工場で、ファンティーヌが子持ちの主婦であることがばれて、女工を辞めざるを得なくなり、街娼に身を落としたファンティーヌは、パブの飲んだくれと、いざこざを起こして、モントルイユに赴任してきたジャヴェール警部に逮捕され、取り調べを受ける。
営業許可が下りた娼館で働く娼婦は逮捕されないが、街娼が指定区域外で客を取ると処罰の対象になるのだ。

逮捕された時のファンテーヌは、ギリギリの倹約生活で体力が落ちて結核に冒されていた。
病に罹ったファンティーヌは、自慢の髪の毛を売り、美しい前歯を抜いて売り、最後は体を売って収入を得、「こんな女に誰がしたの?」と、自分をクビにした工場の社長でもあり、市長でもある、マドレーヌに泣き付いた。
窮状を知ったマドレーヌ市長は、元従業員だと知って、ファンティーヌを警察の留置所から自分が改装した病院へ入院させ、モンフェルメイユのティナルディエ夫妻に預けた8歳に成長したコゼットを、使者を出して引き取る約束をする。しかし、テナルディエ夫妻は、ファンティーヌが直々に来て、未払いの清算をしないと、コゼットを引き渡さないと突っぱねたらしい。

上のシーンは、ある日、フォーシェルヴァンという爺さんが荷車の下敷きになり、怪力のマドレーヌ市長に助けられる。

これを見ていたジャヴェール警部は、マドレーヌ市長はジャン・ヴァルジャンだと信じ、客引き禁止区域で営業していた娼婦のファンティーヌを市長の権限で許したことに立腹し、マドレーヌ市長を検察に告訴するが・・・ジャン・ヴァルジャンはもう一人いた・・・。

ある日、ジャヴェール警部は、市長に辞表を持ってくる。
マドレーヌ市長は、その理由を訊くと、
ジャヴェール警部:「私は、この間、荷馬車の下敷きになった爺さんを助けたあなたを見て、これだけの怪力がある人は、トゥーロンで囚人を助けた一人しか知りません」。
マドレーヌ市長:「じゃあ、二人目だね」。
ジャヴェール警部:「実は、その男の名前は、ジャン・ヴァルジャンです。その男は、リンゴを盗んだ罪で逮捕されました。私は確認のため、昨日、アラスの監獄に行って、その男に会ってきました。奴が出所後にサヴォイで窃盗事件を犯したことは否認しておりますが、ジャン・ヴァルジャンに間違いありません」。
さらに、 「実は、辞表を持ってきたのは、あることで、部下が上司を侮辱した罪です。私を解任して下さい」。
マドレーヌ市長:「どういうことだね」。
ジャヴェール警部:「私は、荷馬車の下敷きになった爺さんを助けたあなたを見て、徒刑囚のジャン・バルジャンのことを思い出し、怪力の市長をジャン・ヴァルジャンだと思って検察に告発していたのです。この度、真犯人が捕まり、市長を告発して侮辱した責任があるので、すぐに解任して下さい」。
マドレーヌ市長:「君は警部としての仕事をちゃんとやっている。解任しないよ。その男の裁判をやるのは、いつだ?」
ジャヴェール警部:「明日です」。
マドレーヌ市長は、真実を隠し通すか、真実を明らかにするかを迷った。そして、ジャン・ヴァルジャンに顔が似ているという理由だけで、無実の罪を着せられた男を救わなくてはと決心し、裁判に出て、自分がジャン・ヴァルジャンだと証言台に立つ。そして、市長を辞職する。

上のシーンは、自分と顔が似ているだけで逮捕された男を救うため、自ら証言台に立って徒刑囚であったことを告白するマドレーヌ市長。

市長を辞職した彼は、ジャン・ヴァルジャンになって、無期懲役が決まり、ジャヴェールに逮捕され、警察の留置所に勾留されるが・・・ここから後は原作と映画では、ストーリーがちょっと違う。

ル警部は、市長を辞職したジャン・ヴァルジャンを警察に勾留し、刑務所送りの手配をするが、ヴァルジャンは、死にかけているファンティーヌにコゼットを会わせてやりたい一心から、逮捕を1日待って欲しいと頼むが、それを口実に、お前はここから逃げるのだろうと、要求を突っぱねる。

その夜、ジャン・ヴァルジャンは「例のヤスリ」を使って、留置所の鉄格子を破って逃亡(原作では、船に護送されている最中に脱出し、コゼットの救出は1年ほど掛かる)し、自宅に戻り、大金の入ったトランクをモンフェルメイユ近くの森の中に埋め、馬の飲み水を汲みにきたコゼットと出会う。

コゼットの後を付いていくと、テナルディエ夫妻の営む居酒屋宿「ワーテルローの軍曹」が開店していて、取りあえず店内で晩飯を注文する。

ジャン・ヴァルジャン:「今日は、ここにいるコゼットを引き取りに来た」。
テナルディエ夫人:「あぁ、そうかい、穀潰しを連れていってくれるのかい。どうぞどうぞ、せいせいするよ」。
テナルディエは慌てて、妻に向かって、ひそひそと・・・、
「そんなこと言ったら、あの男からふんだくれないないじゃないか。ここは俺に任せておけ」。
そして、ジャン・ヴァルジャンに 、
「あの子は大事に大事に育ててきまして、あの子は小さいのに良く食うし、力の要る仕事はできない。お情けで置いているんでね。今すぐということになれば、5年間の養育費の他に経費をきっちり計算しませんとね。えへへへ」。
ジャン・ヴァルジャン:「だいたいいくらだ」 。
テナルディエ:「1500フラン(300万円)は戴かないと」と、吹っ掛けた。
ジャン・ヴァルジャンは、ポケットから札束を取り出し、1500フランを渡す。

テナルディエは、ジャン・ヴァルジャンが大金を持っていそうなので、1500フランの10倍の15,000フランほど分捕ろうとして、
「そんなにも、・・・いやいや、旦那がこの子を引き取ると言っても、簡単には参りません。親御さんが許すかどうか・・・それに、もう、子供が寝る時間なので、この1500フランは、まだ戴くワケには参りません」。
ジャン・ヴァルジャン:「実は、母親のファンティーヌから委任状を貰ってきた」 。
テナルディエ:「えぇーっ、それを先におっしゃらないと。どれどれ、なるほど・・・字は似てますね」。



上のシーンは、亡くなったコゼットの母・ファンティーヌとの約束で、コゼットを引き取りにテナルディエ夫妻の経営する宿「ワーテルローの軍曹」で、支払う金額について交渉するヴァルジャン。

下のシーンは、「ワーテルローの戦い」で、ナポレオン軍に従軍したテナルディエ夫妻。従軍とは聞こえは良いが、写真は、救助のフリをしながら、遺体から金品を探すテナルディエ夫人。右端に倒れる兵士はイギリス兵。

実は、テナルディエは、「ワーテルローの戦い」で従軍した。というか、妻と共謀して、死んだフランス軍曹の制服や制帽、銃をかっぱらって、自分はテナルディエ軍曹に成り済まし、激戦地で戦死したフランス士官のポケットから、懐中時計や現金を奪い、悪銭を元手に宿屋を始めたのであった。
「悪銭身につかず」で、英仏軍の激戦地「ワーテルロー」見物の観光客を当て込んで建てた宿屋と居酒屋が不入りで、赤字経営で膨らんだ借金が15,000フランにも達し、破産寸前で、店を立ち退かなければならない瀬戸際に追い込まれていたのだった。

そこへ、馬車を牽く蹄の音が聞こえる。ジャヴェール警部らしい。
ジャン・ヴァルジャンは二階へ逃げた。 やはり、ジャヴェール警部がドアを開けてやって来た。
「女の子を預かっているか?」

ジャン・ヴァルジャンは、コゼットを抱きかかえ、宿屋の2階裏口からロープを伝って巧妙に逃走し、ジャヴェール警部が乗ってきた馬車に乗って、パリへ逃げる。
ジャン・ヴァルジャンがパリへ逃げたのは、病院でファンティーヌを看護していた修道女のウージェニーがパリのサン・ブノワ修道院を教えてくれたからだった。

サン・ブノワ修道院(原作ではプティ・ピクビュス修道院)は男子禁制なのは当たり前なのだが、顔が利く修道女のウージェニーのお陰で入ることが許された。
ジャン・ヴァルジャンは、修道院の道具小屋を借りて住み、ここの専属庭師のペル・フォーシュルヴァンの手伝いをする。
フォーシュルヴァンは、かってジャン・ヴァルジャンがモントルイユの市長だった時に、荷馬車の下敷きになって助けて貰った縁があって、ジャヴェール警部から追われたジャン・ヴァルジャンを匿い、弟のユルティーム・フォーシュルヴァンとして一緒に修道院の庭師として働くようになる。
ジャン・ヴァルジャンは連れてきたコゼットを修道女に世話と教育して貰う。 3歳で母と離れ離れになった8歳のコゼットは、母のファンティーヌの事を全く憶えておらず、独身のヴァルジャンが、コゼットの父親代わりになって愛情を注ぐ。



上は、マリユスの父ポンメルシー大佐。ワーテルローで奮戦したが、帝政派の父は、王党派の粛清に遇って男爵の名誉が剥奪され、母方の祖父・ジルノルマンに息子のマリユスも取られて縁も切られ、庭師として寂しく働いていた。

下の左側の人物は、母方の祖父で、王党派のブルジョワである。右のイケメンのマリユスは17歳で初めて父親を見たが、それは亡骸との対面であった。マリユスは父親がフランスのために勇敢に戦ったことで、ボナパルティズムに傾倒していく。お前が帝政派に拘るのなら、家から出て行けと祖父から勘当される。

ここで話は、唐突に、コゼットに恋するマリユスの生い立ちに切り替わる。
マリユスは、ブルジョワ家庭の出身だったが、幼い頃に母が亡くなり、母方の祖父に育てられた。
マリユスの父である、帝政派(ボナパルティズム)ポンメルシー大佐が、ナポレオン1世のイギリス亡命によって、再びルイ18世が国王に帰り咲く王政復古で、帝政派残党は王党派の粛正に遇って失脚し、失意のまま庭師として花壇の手入れをしていた。

それは王党派のブルジョワである義父ジルノルマンから「孫のマリユスは私が育てる」と、息子のマリユスをジルノルマン家に連れて行かれ、親戚の縁を切られたことだった。 父は息子の将来を考えて、断腸の思いで身を引いた。(これは、ヴィクトル・ユーゴー青少年時代とほぼ同じらしい)
だから、マリユスは父を知らずに暮らしていたが、17歳の時に父の死を知って、その無念に満ちた死顔を見た。

父は「ワーテルローの戦い」で、クレベル将軍の麾下で少尉だったが、奮戦して大佐に昇格し、男爵の爵位をナポレオンから貰った。父の遺書には、私は、戦場でテナルディという男に助けられた。その男を捜して、報恩を頼む。私が死ねば、爵位は息子のマリユスに譲る。と書いてあった。
そして、父が帝政派だと知って、マリユスは、王党派の義父に反抗してボナパルティズムに傾倒していく。

義父は大人に近づいたマリユス・ポンメルシーの将来を案じ、
「お前が帝政派(ボナパルト派)の息子であるのは、お前の罪ではない」。
すると、弁護士志望の学生のマリユスは、「父はワーテルローで、フランス共和国軍として勇敢に闘った。そして、ぼくに男爵を譲ると書いてくれた」。
義父は、「お前が男爵に?そんなのは、王政復古で、ふいになってしまったな」。
マリユスは「ルイ18世打倒!王党派くたばれ!」と、義父の前で叫び、反抗したので、マリユスと義父の間で確執が生まれた。




一番上のシーンは、マリユスが下宿することになった、パリの馬市が開かれる近くの「ゴルボー屋敷」である。2階の隣室には、モンフェルメイユで破産し、パリにやって来たテナルディエの一家5人が住んでいた。

中のシーンは、翻訳のアルバイトをしながら、弁護士の勉強をするマリユス。パリのリュクサンブール公園で、美しい娘を連れた親子連れを見て、娘に一目惚れをする。勉強に身が入らない。

下は、フォーシュルヴァン(実はジャン・ヴァルジャン)と、十代の娘は、ファンティーヌの娘コゼットである。ヴァルジャンは、モントルイユの留置所から逃げた後は、修道女の協力でパリの修道院で庭師として働いていた。

そして、マリユスは義父ジルノルマンの豪邸を出て、パリ下町の「馬市」の傍にあるゴルボー屋敷という粗末な家の2階を借りて自活するようになり、翻訳や中央市場でアルバイトしながら生活費を稼ぎ、学生が集まるラテン地区に出入りして、友人が出来、武闘戦術家のアンジョルラスが主宰する「ABC友の会」という、秘密結社に入り、共和主義者の革命運動にのめり込んで行く。

サン・ブノア修道院の庭師、ペル・フォーシュルヴァンが亡くなると、弟のユルティームとして可愛がって貰ったジャン・ヴァルジャンは、ブリュメ通りにあるフォーシュルヴァンが住んでいた大きな邸に移る。
コゼットは14歳になっていた。コゼットと家事のお手伝いさんは母屋に住み、ユルティーム自身は、門番小屋で倹約生活を送る。
コゼットは、父代わりのヴァルジャンに感謝し、「お父様」と呼び、見違えるような美しい女性に成長していく。

そして、昼間は、ユルティーム・フォーシュルヴァンの親子として、ジャン・ヴァルジャンとコゼットは近くのリュクサンブール公園を散歩するのが日課になる。(ここは無料で、かなり広い公園で、冬でも芝生は緑色。子供連れの入園者が多い)
ある日、マリユスは、リュクサンブール公園の前を歩いていて、コゼットの姿を見て一目惚れしてしまう。
しかし、コゼットが外出する時は、常に父親が傍に付き添っているので、コゼットに声を掛けられないのだ。

マリユスの住まいであるゴルボー屋敷には、貧困に零落(おちぶ)れたテナルディエ家族4人が宿屋をやめて、同じ屋敷の2階で、ひっそりと過ごしていた。
強欲なテナルディエ夫妻には、二人の娘がいて、長女のエポニーヌは異性に興味を持つ17歳のお年頃になっていた。エポニーヌの妹は年子のアゼルマ、幼い弟のガヴローシェがいたが、母親は息子には愛情を注がず、ガヴローシェは浮浪児になってしまう。

エポニーヌは、隣部屋に住むイケメンのマリウスに惚れて、彼の部屋に一人で入って、マリユスに親しくなろうと話しかける。
「いつも、階段ですれ違うのに、お互いに挨拶もしていないわね」。
「あたしの家は、元は宿屋だったの・・・でも、上手く行かなくて、パリへ。去年の冬は橋の下だったの」。
「あなたは、なかなかの男前だわ。でも、お金は持ってなさそうね」。
「父も、あんたと同じで、皇帝(ナポレオン)の話はよくするけど、・・・食えなきゃね」。
マリユスは、エポニーヌとの会話のキャッチボールにちゃんと答えられない。
というのも、マリユスはコゼットに恋していたからであった。


上のシーンは、テナルディエの長女・赤毛のエポニーヌが、フォーシュルヴァン邸で夕食の接待を受け、コゼットから新品の服をプレゼントして貰う。ひもじい家族のためユルテームは、家族にご馳走もプレゼントする。右端は、「お姉ちゃんだけ良い目して」と、沈むブルネット(黒髪)の妹のアゼルマ。

下のシーンは、コゼットから貰った服を着て隣室のマリユスに会いにいく17歳のエポニーヌ。マリユスはコゼットを好きになっており、エポニーヌは、「私にキスしてくれたら、コゼットの住所を教えるわ」と言ったので、マリユスは、キスの代わりに、アルバイトで稼いだ5フランを払う。

ある日、腹をペコペコに空かしたエポニーヌは、パン屋の軒先に引っ掛けてあったリング状の大きなパンを盗んで店主に捕まり、コゼットと散歩中に通りがかったユルティーム・フォーシュルヴァン(ジャン・ヴァルジャン)に、パン代を払って貰って助けられる。

エポニーヌは、その言葉に甘えてユルティーム・フォーシュルヴァン住まいを訪問し、お屋敷に入って豪華なワイン付きの夕食を戴く。
そしてコゼットにも会い、お土産にコゼットの為に作った新品の服と、ひもじい家族のため、肉や野菜・果物・ワインなどの食料を貰い、ユルティームにゴルボー屋敷まで馬車で送って貰う。
エポニーヌとコゼットの二人は、昔、「ワーテルローの軍曹」で、一緒に暮らしていたことには全然気付かない。

エポニーヌが 大金持ち旦那のユルティームを連れて、馬車から降りてゴルボー屋敷に来るので、2階からその様子を見ていたテナルディエは、咄嗟に悪知恵を思いつき、妻を急いでベッドに寝かし、次女にはワザと窓硝子を破らせて手に怪我をさせ包帯を巻かせる。

ユルティームを見たテナルディエは、
「ご覧の通り、ウチは困っております。女房はあのとおり病気で寝たきりで、工場で働いている稼ぎ頭のアゼルマは、ベルトに手を挟まれて怪我し、休業中です。窓硝子も割れたままで、修理もできません。旦那のような、慈悲深い方におすがりするしか生きる道がございません」。と臭い芝居をする。
ユルティーム:「今は、持ち合わせがないのだが」。
テナルディエ:「今晩でも、いいです」。
ユルティームは、「じゃあ、今晩8時に」。
ユルティームが帰ると、三人は、テーブルに集まって、ユルティームが持ってきた御馳走やワインに舌鼓。全く呆れた家族である。
テナルディエ:「おれは、あいつの正体が分かった。エポニーヌ、お前はあいつの住所を知っているだろ?どこだ」。エポニーヌは、「知らないわ」と、答える。

エポニーヌは、父の悪事に関わりたくないので、コゼットから貰ったドレスを着て、隣室のマリユスに会いに行く。しかしその時、マリユスの好きな人がコゼットだと知り、マリユスからキスをして貰うことを条件に、マリユスにだけ、ユルティームの住所を教える。マリユスは、キスの代わりに有り金の5フラン(1万円)をエポニーヌに渡し、コゼットと出会ってデートを重ねるようになる。

やがて、エポニーヌは、二人が熱々になっていく関係を嫉妬し、「ここから出て行くように」の手紙を書いてユルティームの屋敷に届ける。
ジャン・ヴァルジャンは、手紙の主が誰だか分からず、ジャヴェール警部の影が迫ってきたと不安に感じ、名前を「ルグラン」に変え、住所をロマルメ通りのアパルトメンに移し、コゼットを連れてイギリスへ亡命する準備を整える。

強欲のテナルディエは、慈善家のユルティームを自宅に誘い出すことに成功した。
テナルディエは、ユルティームという男はコゼットを救ったジャン・ヴァルジャンだと見抜いて、コゼットの引き渡しで貰い損ねた1500フランの10倍、15,000フランをふんだくろうと、クラクズーという悪党団を誘って、自宅で待ち伏せする。

この隠謀は隣室にいたマリユスが気付き、パリ市警のジャヴェール警部に連絡する。
実は、マリユスは父の遺言で、ワーテルローで助けて貰ったテナルディエという男を捜して報恩を頼むと書かれ、モンフェルメイユで「ワーテルローの軍曹」という宿を探しに出掛けたが、店は人手に渡り、テナルディエの消息は不明だった。それが今、父の命の恩人が隣に住んでいて、悪事を働くギャングになっていて、ショックを受けていた。

上のシーンは、ユルティーム(ジャン・ヴァルジャン)が、テナルディエ家に、当分食べていけるお金を持っていくと、クラクスーという悪党が待ち伏せしていた。コゼットの引き渡しの時、警察がやって来たので、捜査のどさくさで1500フランを貰い損ね、ヴァルジャンが警察に追われている身だから、脅してふんだくる作戦に出た。テナルディエ夫人も、クラクスーの一味だった。

革命運動家らの暴動と、それに乗した窃盗団の横行で、治安の悪化したパリの警備に呼ばれていたジャヴェール警部らの私服刑事が、ゴルボー屋敷周辺に張り込み、クラクスーらが悪事を働いた時は、発砲して連絡せよと、マリユスに拳銃を渡す。
「お前は、良からぬ連中の仲間に入っている。あいつらの学生運動に関わらないことが、お前の身のためだ」。

約束の時間にユルティームがやってきて、食卓の椅子に座る。
テナルディエ:「仕事が無くて困っているのです」。
ユルティーム:「何の仕事を?」
テナルディエ:「役者です。一文無しじゃ、劇場にも行けない」。
ユルティーム:「今のパリは危険だし、役者は大勢いる。役者になるのなら、パリを離れて、外国で仕事を探した方がいい」。
テナルディエ:「そんな、殺生な。セーヌ河から2里も離れたら、息苦しくなります。パリから出て行けと言われるのなら、2万フランを戴かないと・・・それにこの看板を1万フランで買って貰わないと・・・えへへへ。お前は、この看板に見覚えがあるだろう!」と、悪党に豹変した。

それは、「ワーテルローの軍曹」の看板である。コゼットを引き取りに行った宿屋の看板だった。
テナルディエ:「皆出てこい、こいつを縛り上げろ」。
ユルティールの正体がテナルディエに知られ、ジャン・ヴァルジャンは、椅子にロープで縛られる。

しかし、何度も脱獄した経験のあるジャン・ヴァルジャンは、ロープを特殊なヤスリで切断し、テナルディエから焼け火箸を奪い、悪党がひるんだ隙にテナルディエの部屋から脱出する。
マリユスは天井に発砲し、張り込んだ刑事が、テナルディエの部屋に突入して、悪名高い「クラクズー」一味を現行犯逮捕する。
被害者のジャン・ヴァルジャンは、すでにゴルボー屋敷から遠くに逃げていた。

コゼットは、父と一緒にロンドンへ渡英することをマリユスに伝え、渡英するまで一時転居する住所を書いた手紙をユルティーム邸の庭の石の下に置くが、その手紙は、二人の関係を嫉妬したエポニーヌが隠した。
マリユスは、ユルティーム邸の庭の石の下を探したが、手紙が無かったので、失恋したと思って落ち込んだ。 また、コゼットの方もマリユスからの返事が来ないので、恋患いで寝込んでしまう。

上のシーンは、1832年のパリ。ナポレオン側近のラマルク将軍の葬列。(映画用に1830年代のパリ市街のオープンセットを造って撮影)

パリ市民にはショックなニュースが伝わった。
「ラマルク将軍死す」のニュースであった。

ラマルク将軍は、ナポレオン1世の側近だった。パリ市内で盛大な葬儀が行われたが、ルイ・フィリップ王は、ラマルク将軍を軍人墓地に埋葬する事を命じていた。

しかし、フランス共和国再興を図る革命の志士、アンジョルラスらは納得せず、「パンテオン(フランスの偉人を埋葬する廟)」に埋葬すべきだと、葬列のパレードを妨害して、棺を載せた馬車を奪い、パンテオンに向かわせ、政府軍と武力衝突する。
(※パリのパンテオンには、エミール・ゾラ、ヴィクトル・ユーゴー、ジャン=ジャック・ルソーなどの文人も埋葬されている)

そして、1832年の6月、コゼットにマリユスを取られたくないエポニーヌは、恋するマリユスと一緒に死にたい一心で、戦闘服を着込んでマリユスをABC友の会が築いた煉瓦のバリケードに連れて行く。
エポニーヌは、「皇帝の話をしても、・・・食えなきゃね」と、恋人にしたいマリユスの青臭さを嘲笑していたが、今は、愛するマリユスと同じ考えを示す必要があったのだ。家族のためにパンを盗んだ17歳の娘が、恋人と共に銃を担いで政府軍と戦う覚悟をしていた。


共和主義者「ABC友の会」の連中が、市内でレンガのバリケードを築いている時に、スパイとして潜入していたジャヴェール警部は、「ABC友の会」の連中に混じって働いているところを発見され、縛られる。
ジャン・ヴァルジャンは、コゼットが恋患いで寝込んでいるのを心配して、マリユスを探しにバリケードにやってくる。
そこには、縛られたジャヴェール警部の姿があった。
「こいつの処刑は、俺がする」。
ジャン・ヴァルジャンは、ジャヴェール警部を人気のない場所に連れて行き、縄を解いて逃がし、空砲を放つ。



上のシーンは、1832年6月のパリ暴動で、エポニーヌが、愛するマリユスを庇って銃に撃たれ戦死。テナルディエ家の浮浪少年ガヴローシェも弾拾い中に政府軍に撃たれて死んだ。左端は、生きているときのガヴローシェ。

下のシーンは、重傷を負ったマリユスを地下の下水道を通ってセーヌ川河岸の排水口点検扉に逃げるジャン・ヴァルジャン。

バリケードには、政府軍が大砲を使って攻撃を仕掛け、壮絶な銃撃戦が始まる。
エポニーヌは銃撃戦でマリユスを庇って「恋の為に」被弾し、戦死する。マリユスもエポニーヌが戦死した後に撃たれ重傷を負う。また、エポニーヌの弟、ガヴローシェも弾拾い中に撃たれて死んだ。

ジャン・ヴァルジャンは意識がもうろうとしたマリユスを助け、彼を背負って地下の下水道を伝って、セーヌ河の排水口に逃げる。
この下水道で、ジャン・ヴァルジャンは、強欲なティナルディエにばったり出会い、排水口の点検扉の合鍵を高値で買わされる。

セーヌ河岸の下水排水口の工事用扉を合鍵で開けると、ジャヴェール警部が待ち構えていた。
「この男は、ブルジョワのジルノルマンの孫だ。まだ息がある。(コゼットの為に)どうしても助けなければ。ジルノルマン家へ届けた後で、俺を逮捕しろ」。
ジャヴェール警部は、馬車を手配した。
ジャヴェール:「何で、俺を助けた?」
ジャン・ヴァルジャン:「そんなことが、分からんのか。哀れだな」。

ジャヴェール警部は、パリに赴任して、暴動で政府軍の兵士とパリ市民の死体が路上に交互に並べられている光景を目の当たりにして、何が善で、何が悪なのか・・・人間同士を反目させた悲惨な社会に疑問を持つようになっていた。
彼は、ジャン・ヴァルジャンがジルノルマン家へ入った後で、ジャン・ヴァルジャンに掛けるつもりであった手錠を自分の両手に填めて、セーヌ河に入水自殺を図るのだった。

マリユスは、ジルノルマン家で医師から治療を受け、次第に意識が戻っていったが、誰に助けられたのかは知らなかった。
そして義父と和解し、亡き父の名誉であった爵位が回復し、マリユスは男爵を引き継ぎコゼットと結婚することになる。ジャン・ヴァルジャンは、理由を付けて結婚式に出席しなかったが、マリユスに、自分は徒刑囚だった事を告げる。

すると、マリユスは態度を一変して、貴族の家庭に出入りするには相応しくない男だとして、ジルノルマン家に来ないように告げる。
天使のような愛娘・コゼットを失った時、ジャン・ヴァルジャンの気の張りは死んだ。

ある日、貧困にめげず、しぶとく生きる狡猾なテナルディエは、盗品でお洒落し、ジルノルマン家のマリユス・ポンメルシー男爵が父の大佐の遺言で、ワーテルローで助けて貰った兵士にお礼がしたいという噂を聞きつけて、ジルノルマン家にやってくる。

素性を知っているテナルディエのあまりにも図図しさに、マリユスは辟易するが、パリ暴動の時、下水道であなたと、あなたを担いでいる男を見たと、告げる。さらに、あなたを助けられたら、あの時に半額しか貰っていない合鍵の、残り半分の代金をその男から貰う約束になっていた・・・。
マリユスは、自分を救ってくれた男の名を訊くと、ジャン・ヴァルジャンだった。

マリユスは命の恩人を我が家に来るなと言ったことを恥じ、コゼットと二人でジャン・ヴァルジャンの下宿に向かう。
そこには、殺風景な部屋に一人の老人が神に召される日を待って、ポツンと寂しく座っていた。
二人は、ジャン・ヴァルジャンの死が迫っているのに、気付くのが遅かった。
その部屋には慈悲深いミリエル司教から戴いた、二本の燭台が美しく灯っていた・・・

FIN

2014年2月5日更新 尾林 正利

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