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自転車泥棒

(1948年にイタリアで公開、日本では1950年公開)

Ladri di Biciclette
Regia di Vittorio De Sica

第二次世界大戦後から3年ほど経った、未だ戦争の後遺症が残るイタリアのローマである。
イタリアでも戦後の物不足・求職難で、ローマ市民の生活が逼迫した中で、2年間も無職で、職安を通じてやっと市役所に臨時採用された、「ポスター張り」の仕事で、しばらくは、それで食いつなごうとしたローマに住む一市民の家族の暮らしぶりを密着取材のドキュメンタリー風に描いた映画である。
いわゆる、イタリアン・ネオレアリズモ(新写実主義)というカテゴリーの作品である。

ネオレアリズモ映画というのは数作みているが、一つ目のネオレアリズモ映画は、映画作家が、第二次世界大戦中に起きた、数件のショッキングな、非人道的な出来事を史実通りに俳優に演じさせて一本の映画にした「反ナチス、反ファシズム」的な作品があって、ロベルト・ロッセリーニが監督した、「無防備都市」が、その代表作とされる。

「無防備都市」には、ゲシュタポ(ナチスの国家秘密警察)が、イタリアでのパルチザン(武闘派の反ファシズム活動家)の厳しい取り締まりと、逮捕者に対して過酷な拷問による自白強要、パルチザンに協力した司教の銃殺刑などで、目を背けたくなるようなシーンが所々にあるが、ドイツ軍の高官が、ドイツ人の印象を貶めるような非人道的なゲシュタポの自白強要のやり方を批判しているシーンもあった。

二つ目のネオレアリズモ映画は、終戦後の困窮したイタリア庶民の「社会不安」や「貧困」をテーマにした作品である。
ヴィットリオ・デ・シーカが監督した「自転車泥棒」やルキノ・ヴィスコンティが監督した「揺れる大地(近代文明の恩恵から取り残された、シチリア島の貧しい漁民の暮らしを描いた力作)」は、その代表作とされる。

「自転車泥棒」という映画は、終戦から3年経ったローマ市内でオールロケの撮影をやって、一般公募した素人を父役と子役に起用して映画が製作されたらしい。
当作品では、1948年当時のローマの市街や裏通りが活写されている。これは、チネチッタのオープンセットではない。架線からトロリーポールで集電する懐かしいトロリーバスが走っているし、ローマ警察のパトカーが、米軍から払い下げのジープ(Willys MB/Ford GPW)をパトカー用に塗り替えられて、再利用されている。

だから、映画「自転車泥棒」の実写背景は、オールロケのドキュメンタリー作品だが、ストーリーは、原作者や脚本家(シナリオライター)が書いたフィクションという、レアリズモ(英語でリアリズム)風の映画である。これをイタリアン・ネオレアリズモと呼び、フランスのヌーヴェル・ヴァーグ作家やアメリカン・ニューシネマ作家に多大な影響を与えた。

この映画のシナリオライターに、女性のスーゾ・チェッキ・ダミーコ(本名は、スザンナ・ジョヴァンナ・チェッキ・ダミーコ)が名を連ねている。スーゾ・チェッキ・ダミーコは、ルキノ・ヴィスコンティの映画作品に脚本や脚色を数多く担当している。
ウィリアム・ワイラーが監督した「ローマの休日」の原作者はダルトン・トランボ(ドルトン・トランボでもOK)で、脚本をエンニオ・フライアーノとスーゾ・チェッキ・ダミーコが共同執筆したが、ダルトン・トランボと彼女らの名前はタイトルロールにクレジットされなかった。

因みに、自転車でアルバイトをした個人的な話であるが、ぼくが自転車に乗れたのは中学2年生ぐらいだった。今の子供たちと比較すると、かなり遅い。1958年頃のことだ。
1958年(昭和33年)当時の大阪府南部は、舗装道路が殆ど無くて砂利道ばかりで、当時の自転車(一般用)は新品で15.000円ぐらいしていた。一般車に、三段変速付きで2万円以上だった。
大阪市職員の大卒初任給が月給10,600円だったから、ママチャリでも、かなり高級品であった。現在のホームセンターで売っている自転車は、26インチの大人用が新品で12,000円ぐらいで、日本では、玉子と自転車の価格は、「物価の優等生」になっていて、半世紀ほど小売売価が殆ど変わっていない。

当時、ぼくが住んでいた自宅は、玄関が街道に面していた。
雨が降れば、毎回のように水溜まりができる自宅前の未舗装の街道を年に一二度、モーターグレーダーで平らに整地し、その上にバラス(砕石)を撒いてロードローラーで踏み固めた砂利道だったので、自動車が通ると、砂煙が舞い上がった。
授業が終って中学校から帰ると、家の前の街道に水を撒くのがぼくの日課だった。バケツで4杯ぐらいの洗濯廃水を撒いた。
道が凸凹で悪かったので、自転車のタイヤに釘などが刺さってよくパンクし、パンク修理する自転車屋が儲かっていた時代である。

1964年(昭和39年1月頃)、写真学校の級友から引き継いだ大阪府庁のアルバイトの仕事で、用地買収前の泉北ニュータウン候補地になる、泉北地区・栂地区・光明池地区などのパノラマ写真を撮りに、羽曳野市の自宅から自転車を漕いで片道3時間掛けて現地へ行った。
自転車の荷台にスリックの三脚と、二眼レフのMamiya C3と露出計を入れたカメラバッグを積んで、府庁の企業局から渡された精密な地図にマークされた地点から180度のパノラマ写真を撮る為の仕事だった。大阪府の職員は立ち会いもせず、学生アルバイトに丸投げのアルバイトであった。

フィルムはモノクロのブローニー判で、ASA100(ISO100)のネオパンSSを毎回10本ずつ渡されて撮った。
フィルム現像と引伸プリントは府庁に出入りしている写真屋が行う。そっちの仕事の方が、仕事がラクで儲かる。でも、弱冠20歳だった自分の撮った写真が大阪府庁の役に立っていると思ったら、少しは嬉しかった。

泉北ニュータウンの建設前は、電車もバスも通らない交通不便な場所で、農地ばかりなので道が細く、二輪のオートバイか自転車を持ってないと出来ないアルバイトだった。帰り道が北方向になるので、帰りは真冬の向かい風で、自転車を漕ぐのが重くて、体が寒くて辛かった。
楽なアルバイトって、昔から無いような気がする。
ぼくも、若い時に自転車を使ってアルバイトした経験があるので、「自転車泥棒」という映画には、妙な親近感がある。

主なキャスト

Antonio Ricci(アントニオ・リッチ)・・・Lamberto Maggiorani(公募から選ればれた素人、ランベルト・マジョラーニ)

Bruno Ricci(ブルーノ・リッチ)・・・Enzo Staiorla(公募から選ばれた素人、エンツォ・スタヨーラ)

Maria Ricci(マリア・リッチ)・・・Lianella Carell(リアネーラ・カレル)

Baiocco(バイオッコ)・・・Gino Saltamerenda(ジノ・サルタマレンダ)

主なスタッフ

制作:Vittorio De Sica(ヴィットリオ・デ・シーカ)
監督:Vittorio De Sica(ヴィットリオ・デ・シーカ)
原作:Luigi Bartolini(ルイジ・バルトリーニ)
脚色:Cesare Zavattini(チェーザレ・サヴァッティーニ)
   Suso Cecchi d'Amico(スーゾ・チェッキ・ダミーコ)
   Vittorio De Sica(ヴィットリオ・デ・シーカ)
撮影:Carlo Montuori(カルロ・モンテュオリ)
音楽:Alessandro Cicognini(アレッサンドロ・チコニーニ)
美術:Willy Ferrero(ウィリー・フェレッロ)
編集:Eraldo Da Roma(エラルド・ダローマ)
画面サイズとカラー:スタンダード 4:3、モノクロ作品
製作会社:Produzioni DE SICA -S.A.
DVD発売元:株式会社 アイ・ヴィ・シー

ストーリー


第二次世界大戦の終戦から3年経ったローマ市内のパルメライナ街(映画の為に付けた架空の街のようだ)。
公営アパートに住むアントニオ・リッチは、2年間も失業状態だ。今日もパルメライナ職業安定所の求人募集の窓口へ通う。大勢の求職者が群がっている。
すると、その日初めて、「アントニオ・リッチは居るか?」の声が掛かった。

職安の職員:「君がリッチか、市役所からの求人募集で、街頭ポスター張りの仕事です。職安の紹介状にサインして市役所へ持って行きなさい」。
アントニオ:「助かります」。
職安の職員:「但し、この仕事は、雇用条件として自転車が必要ですよ」。
アントニオ:「自転車は、今、手元に無いんです。二三日待って貰えますか?」。
職安の職員:「今無いとダメです。自転車が無いと、他の者に回します」。
他の求職者A:「俺は自転車を持っている。俺にその仕事回してくれ」。
他の求職者B:「俺も自転車を持っている。俺は所帯持ちなんだ」。
アントニオ:「二年振りの仕事なんです。何とかします」。

先ず、市役所へ面接に行く前に、数ヶ月前に質入れした自転車を引き戻さなければならない。しかし、アントニオは一文無しである。
自宅に帰って妻のマリアと相談することにした。


アントニオは、水を汲みに行った妻のマリアを見つけて、
アントニオ:「マリア、話があるんだ。仕事があるのに、自転車が無いんだ。市役所の仕事で自転車が今すぐに要るんだ。
さもないと、その仕事を他の者に回されてしまう」。
マリア:「あんたが、質入れするからよ」。
アントニオ:「何を言う!家族を食わすために、仕方なくやったんだ」。

マリアは、タンスから新品のシーツやタオルを取り出し、さらにベッドのシーツも剥がして洗濯し、アイロンを掛けて質屋に持って行く。
質屋は、シーツ6枚(新品は2枚)、新品タオル数枚を担保に7500リラを貸してくれた。
(フェデリコ・フェリーニ監督の「道」では、ジェルソミーナーは、10,000リラで、旅芸人のザンパノに売られた)
アントニオはそのお金を持って、自転車を質入れした店に自転車を引き取りに行く。6100リラ(利息が100リラ)だった。


アントニオはマリアを自転車に乗せた帰り道に、

マリア:「あんた、ちょっと寄って欲しい所があるの。聖女様にお礼しなくちゃ」。
アントニオ:「聖女様って誰だ?」
マリア:「聖女様は、未来が見える神様のような人よ。あんたに仕事が見つかると言ってくれたの」。

日本でも、この手の占い師が多い。テレビで一世を風靡した占い師もいた。
マリアが聖女様のアパートに行く。占って欲しい人が廊下に溢れている、聖女の付き人は二人いて、マネージャが占い料を徴収する。
アントニオは、どっちでもとれる占い方を聴いていて、
「お前みたいな賢い女が、あんなペテン師を信じるなんて呆れたな」。

自宅へ戻った懐かしい自転車を磨きながら、久々の仕事に喜ぶアントニオに、6才の息子・ブルーノも喜ぶ。
リッチ家には、ブルーノの下に赤ちゃんがいて4人家族だ。
6才の少年・ブルーノは、何とガソリンスタンドでアルバイトしている。手が小さいので、小さな自動車部品を丁寧に洗ったりするような、6歳の少年でも役に立つ仕事があるのだろう。
ブルーノは、アントニオの自転車に乗せてもらって、ガソリンスタンドまで送って送って貰い、アントニオは、市役所へ面接に行って臨時採用の手続きをする。


市役所から 作業服と帽子が貸与される。決められた場所に貼るポスター数十枚と、糊と刷毛、ハシゴは朝礼の時に渡される。3mのハシゴを担いで自転車に乗るなんて、ぼくには出来ないな。雨天の場合はどうなるのだろう...。そこまで細かいこと迄は映画では省略されている。
「ポスター張りの仕事」の給料は半月払いで、6,000リラであった。1ヶ月働けば12,000リラになって、皆勤手当が2,000リラも付く。

初出勤の日は、市役所に行って仕事の指示を受け、ポスターと糊と刷毛やハシゴを持ってポスターを張る「フロリダ通り」へ急ぐ。
現場に着くと、この仕事のベテラン職員からポスター張りの要領を教えて貰い、その後はアントニオが一人でやることになった。
どんな仕事でも、いきなり最初から、上手くは行かない。

アントニオは2年間の失業ブランクで、鈍りきった体は急には動かない。さらに、慣れぬ仕事でもたついていたら、現場に置いてあった自転車が盗まれてしまう。鍵を掛けていなかったのだ。
好事魔多し・・・アントニオは、自転車をかっぱらった犯人を走って追い掛け、通行する車に「箱乗り」して、自転車泥棒を追い掛けて貰ったが、捕まえた人は人違い・・・作業服姿の男は自転車を懸命に漕ぎ、雑踏の中に吸い込まれてしまった。

盗難事件があったフロリダ通り近くの警察へ届けたが、署員から、一応、車体番号を書いた盗難届は受理するが、「自分で探して下さい」と言われてしまった。


アントニオは、やっと見つけた市役所の仕事で、どうしていいか判らない。
当時は、今すぐ自転車を買う現金がなくても、分割払いで自転車を買える便利なクレジットカードなどはない。警察に頼るしかない。

アントニオ: 「自転車が無いと、仕事が出来ないんです。何とかして下さいよ」。
交番の警官:「君は、自分の不注意で盗まれた自転車をローマ警察の警官を総動員して捜せというのか?君は、自分で探して自転車を見つけ、相手が渡さない場合に警官を呼べ」。

自転車が無ければ、市役所の臨時職員として、ポスター張りの仕事を失う。代わりの自転車を買えるお金はない。アントニオは、自力で自転車を探す困難に陥った。
アントニオの親友で、市の清掃局で働くバイオッコ(アマチュア劇団の座長)に相談すると、明日の朝、盗まれた自転車を仲間のバコンギと一緒に探してやると言われ、息子のブルーノを連れて4名で、ヴィットリオ広場に露店商が集まる自転車市場へ向かい、盗難品が売られていないかを調べに行く。自転車は簡単に解体できるので、部品として売られた場合はお手上げだ。

友人のバイオッコやバコンギも清掃の仕事があるので、一日中アントニオに付き合っておられない。
ある場所で、自転車を盗んだと思われる作業服姿の男が爺さんと会話しているのを発見したが、またもや逃げられてしまった。
引き返して老人を追い掛け、話していた男の名前と住所を訊くが、「知らない」の一点張り。


爺さんは、貧民に食事を提供する教会に入ったので、その後を追う。丁度、司教が行うミサ(礼拝)の真っ最中で、二人が礼拝堂の中で言い争っていると、教会の人から叱られる。
アントニオ:「お前は、あの若者と話していただろう?頼むから、あの男の名前と住所を教えてくれよ」
不良老人:「わしゃ、何も知らん。誰のことか判らん。わしに付き纏わんでくれ。哀れな年寄りを捕まえて、酷い世の中だ」。
アントニオ:「せめて、住所だけでも教えてくれ。礼はする。さもないと、お前を今から警察へ引っ張っていく」。
不良老人:「・・・カンパネラ通りの15番地だ」。

ちょうどその時、教会の職員が、ミサに集中しないアントニオを注意しにくる。そのスキに不良老人は教会から脱走し行方を暗ます。
アントニオは、怪しい青年の住所を聞けただけだったが、爺さんを逃がしたことをブルーノから責められた。
イライラしていたアントニオは、息子を叩いてしまう。

息子のブルーノは、自分も仕事を休んで父親に協力したのに、打(ぶ)たれたのが気に食わない。アントニオは橋の手前でブルーノを休憩させ、自分は老人を捜すため、川原を探す。
すると、まもなく、「大変だ。みんな来てくれ。子供が溺れているぞ」。
アントニオは、「まさか、ブルーノ?」

アントニオは、見失った逃げ足の早い不良老人を追い掛けるのを止めて、橋の方に戻る。溺れたのは青年で、ブルーノは橋の袂で待っていた。
アントニオは、ブルーノの機嫌を直すため、楽団演奏付きの高級レストランに連れていく。

アントニオ:「ブルーノ、今日は歩き疲れて、お前も腹が減っただろう。ピザでも食おうか。くよくよしても仕方が無い。元気を付けよう」。
アントニオはウェイターに「ピザ二人前に、テーブルワイン(食中酒)を1本」を注文する。
ウェイター:「ウチでは、ピザを出していません」。

前の席では、ブルーノと同じ年頃の富裕層の坊やが、ピザより上等のカルツォーネを食べている。
アントニオは、ブルーノにも、同じモノを食べさせる。ブルーノは、カルツォーネに挟んだモッツアレッラチーズを伸ばして、得意顔して食べる。

アントニオは、もし、自転車が見つかったなら、月給は12,000リラで、皆勤手当が2,000リラ、家族手当が一日800リラもついて、お前にも旨い物を食べさせてやる」と話すが、それは盗まれた自転車を取り戻せたらの話であって、現実性が刻々と遠のいていく。
ひもじい筈のアントニオは、生活不安のストレスで胃がキリキリと痛んで、食欲が止まり、折角の美味しい料理が喉を通らない。

二人は老人から訊いた、カンパネラ通り15番地(映画上の地名と番地)を調べに行く。
そこは、ネオンサインは無いが、子供立入禁止の性風俗街で、夕方から営業する娼館が建ち並んでいる場所だった。そこに男はいた。名前はアルフレードと言い、娼館で雑用(客引き)として働いている男だった。
この男は、アントニオの姿を見ると、娼館の中に逃げ込む。

アントニオが入って行くと、
マダム:「まだ、商売の時間じゃないよ。帰っておくれ。まぁ、子供は来ちゃダメ」。
アントニオは、男が逃げた食堂へ行くと、熟女の娼婦たちが10名ほど食事していた。


アントニオ: 「その男は俺の自転車を盗んだ。自転車を返さないと警察へ突き出す」。
娼婦A:「アルフレードは真面目で、大人しい子よ。泥棒なんかしないわ」。
マダムはアントニオに「ここはお客の立入禁止場所よ。ウチは、ローマでは一流な店なのに・・・二人ともここから出てお行き」。

二人は表へ追い出され、花街の街頭で揉み合っていると、野次馬が二人を囲んだ。騒ぎを聞きつけた、風俗街地回りの暴力団員が数人がやってきて、


やくざA:「何の騒ぎじゃ。おい、こらっ、そこのお前。こいつが何をしたと言うんじゃ?」
アントニオ:「こいつが、俺の、自転車を盗んだんだ」。
ヤクザA:「ほーっ、こいつが盗んだと言う、証拠でもあんのか?証拠もないのに、こいつに因縁つけたら、タダでは済まんぞ。わかっとるやろな!」。
パパがピンチになった ブルーノは、機転を利かして警察へ走る。

カンパネラ街管轄の警官が駆けつけて来た。野次馬とヤクザは少し下がる。
警官は、アントニオの話を訊いて、アルフレードが自宅に自転車を隠しているかどうかを令状無しで家宅捜索(ガサ入れ)する。
アルフレードの母親:「あぁ、どこでも探しておくれ。ウチに自転車なんかないよ」。
・・・盗まれたという自転車は、アルフレードの自宅には無かった。


カンパネラの警官:「ちょっと訊くが、アルフレードを見た証人は、居るのか?」
アントニオ:「証人は、ぼくです」
カンパネラの警官:「立件には、君以外の証人も必要だよ。自転車が盗まれた時、君はどっちから見たんだ?」
アントニオ:「後ろからです」
カンパネラの警官:「後ろから?・・・じゃ、顔はよく見てないね」。
アントニオ:「見ましたよ」。
カンパネラの警官:「後ろ姿を見ただけじゃ、証拠不十分だな。この家で盗難品も見つかってないし、現行犯逮捕でないと・・・。これ以上、アルフレードを調べることはできないよ。逆に名誉毀損で訴えられたら、どうする?」
アントニオとブルーノはカンパネラ街から引き揚げる。

苦しいときは、神頼み。
アントニオは八方塞がり。そこで、マリアが頼りにしていた聖女様に占って貰いに行く。


聖女様:「今日は何の悩みかしら?」
アントニオ:「自転車を盗まれたのです」。
聖女様は驚いて、「盗まれたのは、何?」
アントニオ:「自転車を盗まれたのです」。
聖女様:「早く見つかるか、永久に見つからないかのどちらかね」。
アントニオ:「どっち、ですか?」
聖女様:「早く見つからなければ、永久に戻ってこないわ。はい、お次の方・・・」。
アントニオは、絶望した。


二人は、ローマでセリエAの試合をやっているサッカー場の前の路上に座り込んだ。目の前には観客の自転車が数千台も路上駐輪している。
アントニオは、ブルーノに電車賃を渡して先に帰らす。
ブルーノは落ち込んだ父親が心配だ。パパが気掛かりで、市電に乗り遅れる。


アントニオは、ビルの前に停まっていた自転車に目を付け、狙っていた。そしてその自転車に乗って逃げ出すと、
自転車の持ち主:「泥棒だ、泥棒だ、自転車に乗った男を捕まえてくれ!」
すると、通行人が協力して、市電の線路(道路と線路の併用軌道)の上でアントニオは取り押さえられる。


ブルーノは、今の自転車泥棒の犯人が父であることを予感していた。
ブルーノは、アントニオが捕まった人集りの中に潜り込み、「パパ、パパ」と、泣き叫ぶ。

「この野郎、何てことするんだ。いい大人が、子供の目の前で、自転車を盗むって恥知らずな奴だ」。
そこへ、自転車の持ち主が現れ、
自転車の持ち主:「皆のお陰で自転車が戻った。ありがとう」。
協力者A:「この男、どうします。連行しますか?俺なら、こいつを警察に突き出しますけど」。
自転車の持ち主:「自転車が戻って来たし、もう良いんだ。この男には子供もいるんだろ。もう、二度としないように」。
協力者B:「持ち主の好意だ。ここからさっさと帰るんだ。神様に感謝しろ」。


アントニオは、ブルーノの手を握る。
ブルーノは、心身に傷がついたパパの手をそっと握り返す。見上げるとパパは泣いていた。
夕闇の帰宅ラッシュの中に、二人は溶け込んでいった。何事も無かったように・・・。
先の見えないリッチの家族に、修羅場が訪れる前の、無気味な静けさだった。

2014年2月8日更新 尾林 正利

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