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居酒屋

フランスの自然主義文学者、エミール・ゾラの二十巻に及ぶ ルーゴン・マッカール叢書の
七巻目(d'après "L'Assommoir")を映画化した作品で、1956年に公開

GERVAISE
un film de René Clément

居酒屋という映画は、薄幸の女性を描いた暗い映画だ。
初めての内縁の夫は真面に働かず、妻の稼ぎで暮らすヒモのような情夫で、近所の若い娘と駆け落ちして家出し、二度目の夫は屋根職人で仕事中に起きた怪我で自棄(ヤケ)になり、酒に溺れて自堕落になった夫と同居し、二人のダメ男を養う宿命を背負って、懸命に働いても救いようのない貧困に転落していく薄幸の女の生き様を19世紀後期のパリの下町を背景に、リアリズムで描いたルネ・クレマンの名作だ。

映画の元ネタは、1877年に書かれた文豪エミール・ゾラの創作小説だが、137年経った現在では、日本でも街の中にはこのような女性は何処かにいて、貧困による育児放棄や家庭内暴力などの悲惨な事件が散見され、社会問題になっている。

主なキャスト

Gervaise ジェルヴェーズ・マッカール(10歳から洗濯女として働き、最初の内縁の夫とは15歳で同棲し二人の男の子がいる。屋根職人のクポーとは正式に結婚して共に働いて600フランを貯めるが...)・・・Maria Schell(マリア・シェル)

Lantier ランティエ(帽子屋で働くイケメンだが、実は無職。女たらしの遊び人。働き者のジェルヴェーズのヒモになる)・・・ Armand Mestral(アルマン・メストラル)

Coupeau クポー(ジェルヴェーズと結婚。真面目に働く屋根職人だったが、屋根から転落して高所恐怖症に。勤労意欲が失せ、酒浸りの自堕落な生活を送る)・・・François Perier(フランソワ・ペリエ)

Goujet グジェ(インテリの鍛冶職人。ストライキの首謀者として1年の懲役刑を受ける。密かにジェルヴェーズを愛し、彼女が困っている時に力になる)・・・Jacques Harden (ジャック・アルダン)

Nana ナナ(ジェルヴェーズとクポーとの間にできた可愛い5才の女の子)・・・シャンタル・ゴッジ

Virginie ヴィルジニー(ジェルヴェーズの向かいのアパートに住む好色姉妹の姉。ランティエの浮気相手。お人好しの警官と結婚し、ジェルヴェーズが経営する店の乗っ取りを企む)・・・Suzy Delair(シュジ・ドレール)

Adele アデール(ヴィルジニーの妹。ランティエと駆け落ちする。登場シーンは一回だけ)・・・Ariane Lancell (アリアンヌ・ランセル)

主なスタッフ

監督:René Clément(ルネ・クレマン)
脚本:Jean Aurenche(ジャン・オーランシュ)
・・・Pierre Bost(ピエール・ボスト)
原作:d'après "L'Assommoir" d' Emile Zora (エミール・ゾラ)
撮影:Robert Juillard(ロベール・ジュイヤール)
音楽:Georges Auric(ジョルジュ・オーリック)
美術:Raul Bertrand(ポーロ・ベルラン)
衣装:MAYO
編集:Henri Rust(アンリ・ラス)
製作:Annie Dorfmann(アニー・ドルフマン)
製作会社:AGNES DELAHAIE PRODUCTION SILVER FILMS C.I.C.C.
配給会社:LES FILMS CORONA
製作年と製作国:1956年・フランス
画面サイズとカラー:スタンダード(4:3)・モノクロ作品
日本版DVDの製作・販売(株)アイ・ヴィー・シー

トッポの感想

映画作家のルネ・クレマンは、映画キャメラマンの出身の演出家で、名作の「禁じられた遊び」、日本でも大ヒットした「太陽がいっぱい」を監督して、日本でも名を知られた映画監督で、「カメラ・アイ」がシャープな作家である。
トッポの気まぐれ洋画劇場では、この2作を取り上げる前に、フランスの文豪、エミール・ゾラの小説を映画化した「居酒屋」を先に紹介したい。

映画「居酒屋」の原作は、1871年〜1893年にかけて次々に発表された、ゾラの「ルーゴン・マッカール叢書(そうしょ:シリーズ刊行物)」の全20巻の中の第7巻目の本で、上下2冊が出版されたらしい。居酒屋の続編になる「ナナ」は、9巻目として発表された。

この叢書に書かれた各巻の特徴は、フランスの第二帝政期(1852年〜1870年:ナポレオン3世の統治期)のフランス本土内の様々な社会環境下で、創作上のルーゴン家とマッカール家の一族の生と死を、試験管(様々な社会環境)の中で試料(小説のサンプルにした人間たちの)の化学反応(人間の行動の変化)を調べる学者のような目で書かれたものらしい。つまり、自然主義文学のことである。
ゾラは、人間の行動を、遺伝と社会環境の因果関係を、進化論を書いたチャールズ・ダーウィンのように科学的に客観的に把握しょうとして、様々な社会環境下の人間の行動を調査して、実験的なストーリ展開を持つ本を多数書いた。

先ず、この映画の原題である「GERVAISE (ジェルヴェーズ)」とは、パリ裏町の Blanchisserie(クリーニング店:フランス語)で、貧困から逃れる為に死に物狂いで働く主人公の名前(ジェルヴェーズ・マッカール:小説上の名前)であり、ゾラの原作では「L'Assommoir(ラソモワー:1877年作)」になっている。
L'Assommoirとは、この映画に度々登場する居酒屋の店名である。和訳で「ドラム」という意味らしい。

小説では、主人公のジェルヴェーズが、狡猾な意地悪女・ヴィルジニーに店を乗っ取られたことで人生に絶望し、アル中で死んだ夫のクポーのように、自堕落な酒浸りの女になって、人知れず野垂れ死にし、悲惨な結末で FIN(フィナーレ)になるが、映画では、一人娘のナナが、少年たちが遊んでいる所へ走って行くシーンで終わる。

ちょっと意味深なエンディングだったので、ゾラの叢書を調べてみたら、これは、小説の「L'Assommoir」の続編に「ナナ(Nana:1879年)」が出版されて、ジェルヴェーズの娘ナナが、両親が亡くなった孤児(みなしご)として里親に育てられ、その後、娼婦や肉体女優(今で言うポルノ女優)になったことが書かれているからだ。
映画の「女優ナナ」は、ジャン・ルノワールによって1926年に映画化され、それのリメイク版も製作されているが、まだ観ていない。

この映画の舞台は居酒屋ではなく、パリの裏町にあるクリーニング店が中心になっている。
原作では、19世紀中期のパリの社会環境が描かれているので、ルネ・クレマン監督は時代考証に拘り、現在で言うコインランドリーの共同洗濯場をリアルに再現している。

当時の共同洗濯場というのは、上下水道のインフラが自宅に整っていない家庭の主婦達・約30人ほどが同時に手作業で洗濯するための施設だ。
この映画を観ていると、パリ市内の安宿街には、公共の水汲み場があって、顔や体を洗う水やコーヒーの湯を沸かす水、床掃除をするときは、それをバケツで汲みに行く。パリの水事情が分かる。

19世紀末までのフランス人には、一部のブルジョワ階級を除いて入浴の習慣がなく、腋臭(ワキガ)や体臭を消すために「香水(オー・ディ・コロン(eau de Cologne)」が進歩した。だから、風呂好きな日本人がフランス製の香水を付け過ぎると匂いがキツ過ぎるのだ。欧米女性より清潔な日本女性は、石鹸の香りで充分だ。

共同洗濯場では、水道代込みの施設使用料と、オプションでお湯のサービスもある。洗った洗濯物はカゴに入れて自宅で干す。
洋の東西を問わず、昔の主婦たちはよく働いたものである。
ぼくも子供の頃(50年前)は、自宅近くの川や井戸端で衣類を洗濯している主婦の姿をよく見たものである。勿論「洗濯板」を使ってゴシゴシ。
半世紀後の今では、自宅に全自動洗濯機があって、誰でも手を濡らさず、機械にお任せで洗濯ができる。便利な世の中になった。

この映画に登場する主役のマリア・シェルは、オーストリアのウィーン生まれのドイツ人女優だ。
マリア・シェルは、ヘルムート・コイトナー監督の「最後の橋」で、ナチスドイツ軍の従軍看護婦長のヘルガを演じ、1954年にカンヌ映画祭で主演女優賞を受賞し、その悲壮感漂う演技力が見込まれて「居酒屋」に主演し、1955年にヴェネツィア映画祭で再び主演女優に輝いた。パセティック(悲壮的な)演技が得意な女優である。

居酒屋を観て気になったのは、マリア・シェルは洗濯女の役なのに、ジェルヴェーズの手指にアカギレがなく、手指がブルジョワのお嬢さんのようにキレイだったことである。1カットぐらい、何気なく荒れた手をアップで入れて欲しかったなぁ。「風と共に去りぬ」では、レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)は、着飾って会いに来たスカーレット(ヴィヴィアン・リー)の荒れた手を見て、オハラ家の生活が困窮していることを知る。

ジェルヴェーズの夫になった屋根職人のクポーを演じた、フランソワ・ペリエは、クロード・オータン=ララの「乙女の星」などに出演し、二枚目俳優だったが、「居酒屋」では、観客にも嫌われる、アル中のダメ男役を鬼気迫った演技をし、演技派の性格俳優に転向した。
ジェルヴェーズを徹底的に苛める悪女・ヴィルジニーを演じた、シュジ・ドレールの目の演技が光っている。

ストーリー


上の女性は、ジェルヴェーズ・マッカールを演じた、女優のマリア・シェル。

下は、遊び人の内縁の亭主、ランティエを演じた、アルマン・メストラル。

地方の町から、2カ月前にパリへ引っ越してきたジェルヴェーズは、15歳の時に知り合ったランティエと、8年間も内縁関係になり、彼との間に出来た男児二人と4名が、パリ裏町のうらぶれた安宿で暮らしているが、浮気性のランティエは、向かいのアパートに住む好色姉妹(姉のヴィルジニーと妹のアデール)の妹にちょっかいを出して、今日も朝帰り。
一階の管理人の靴屋の旦那は、「俺は朝から仕事に精を出すが・・・あんたは、女によく精がでるね」と、呆れ顔。

ジェルヴェーズは、朝帰りの夫を見てもきつく怒らない。
それよりか、夫が自宅に帰って来るだけで幸せを感じるのだ。 というのは、ジェルヴェーズは片足がやや不自由なので、惚れたイケメンの情夫に嫌われないように気兼ねしているのである。
自分には出来過ぎのランティエがニコッとしたら、家庭は貧しくても幸せに感じる・・・これが、女心というものなのだろうか?

それをいいことに、ランティエという男はジェルヴェーズとの間に子供二人も作りながら、籍にも入れない自己中心の男なのだ。尤も、入籍しない理由は、他にある。
フランスは戒律の厳しい、カトリックの国なので、神父さんの前で結婚の誓いをすると、離婚の時は、神父さんの承諾が必要になり、役所への手続きも大変で、時間が掛かるのだ。だから、事実婚が多いのだ。

ランティエは、無職。金が無ければ、仕事を探すのではなく、自宅にある金目のものを直ぐに質屋に持って行く。
夫が無職では世間体が良くないので、ジェルヴェーズは、「夫は帽子職人」だと誤魔化している。10歳から洗濯女として働いてきたジェルヴェーズの稼いだ金は、ランティエが掠(かす)め取って、イケメンを武器に、女遊びに明け暮れている。まさに、ヒモである。
その日もジェルヴェーズは共同洗濯場に出掛ける。洗濯に取り掛かった時、二人の幼い息子が洗濯場にやってきた。

「父ちゃんは、トランクを持って馬車に乗って出掛けたよ。もう、帰らないって」。
「父ちゃんは、一人で行ったの?」
「女の人と一緒だよ」。
「アデールだわ」。



上は、共同洗濯場で、妹のアデールがランティエと駆け落ちした話を仲間にするヴィルジニー。

下は、ヴィルジニーを見て堪忍袋の緒が切れたジェルヴェーズ。二人は取っ組み合いの喧嘩になる。

しばらくすると、姉のヴィルジニーが洗濯カゴを持って、洗濯場にやってきた。
「あんたの妹が、うちのランティエを連れて行ったんでしょう?」
「何よ、女房気取りしてさ。バカ言ってんじゃないよ。ちゃんと結婚もしていないのに!妹の勝手じゃない」。
いきなり、ジェルヴェーズは、汲んであった桶の水をヴィルジニーに浴びせる。
ヴィルジニーも応酬して、取っ組み合いの喧嘩になる。
足が不自由なジェルヴェーズは、体格のいいヴィルジニーに馬乗りになられて一時劣勢になるが、気力でヴィルジニーを押さえ込んで、ズロースを脱がせて、生尻に洗濯板(日本のとは違う)でバシッ、バシッと叩く。

しかし、ジェルヴェーズは、ヴィルジニーとの喧嘩には勝っても、女房気取り云々の暴言には、ショックを受けた。
ジェルヴェーズは、貯めていた生活費を勝手に持ち出して何処かへ消えたランティエを諦めて、女手で二人の息子を育てていく決心を固める。

薄幸だったジェルヴェーズにも、ようやく世間並に春がやってきた。
同じ安宿に入居している、屋根職人のクポーが結婚したいと告白してきたのだ。
パリの街中の古い建物屋上には煙突が多い。年に2回は、煙突掃除(煤落とし)が欠かせないし、古い建物の多くは屋根瓦の劣化などでひび割れし、屋根瓦の葺き替えや雨漏りの修理も多い。だから喰い逸(はぐ)れのない仕事なので、ジェルヴェーズはクポーと結婚したのだった。


ジェルヴェーズと同じ安宿に住んでいた屋根職人のクポー(フランソワ・ペリエ)から求婚され、正式な結婚をして幸せなジェルヴェーズ。
二人の間に、愛娘のナナも生まれ、夫婦で働いて貯金して、ジェルヴェーズが夢見ていたクリーニング店の開業が現実のものになる。

ジェルヴェーズは、洗濯女の経験を活かして、店舗を借りてクリーニング店を経営したい夢があった。
そして、ナナという女の子も生まれ、夫も妻も共に働いて5年間に、クリーニング店開業資金 の600フランを貯めた。
「門番」という渾名の女性の口入れ屋(仲介者)に頼んで、良い物件が見つかり、あとは不動産賃貸契約書にサインするだけだった。

不動産賃貸契約書にサインするのは、今も昔も連帯保証人が要る。つまり、字の書けないクポーも下手なサインと拇印を押捺しなければならない。
屋根で仕事していたクポーは、不動産屋へ行くために、屋根から降りようとしたときに、垂らしたロープを踏んで足を滑らせ、屋上から転落し、重傷を負ってしまう。

クポーは半年間病床に伏し、クリーニング店開業のために貯めていた 600フランは治療費に消えていった。
19世紀中期のフランスはナポレオン3世の帝政で、労組が無くて労働者に対する労災保険などは無い。
また、店舗を開業するするときに、行政が斡旋する、銀行から低利で融資を受けられる信用保証制度も無かった。親戚友人からの借金とか、自前のお金がないと、商売が出来なかった時代である。

ジェルヴェーズが落胆していると、鍛冶職人のグジェが、500フラン貸して上げるから、クリーニング店をやれと励ましてくれた。
ストイックなグジェは独身で、密かにジェルヴェーズを愛しており、ジェルヴェーズの長男のエッチェンを可愛がって鍛冶職人の訓練をさせていた。
ジェルヴェーズは、インテリで優しいグジェに対し、生まれて初めて乙女のような恋心を抱く。 そして、グジェのお陰で、遂にクリーニング店を開くことができた。

店は順調なスタートで、リピーター客も増え繁盛していくが、クポーは怪我が治っても、屋根に上るのが臆病になって働かない。つまり、自分が働かなくても、妻の店の稼ぎで生活ができるので、左団扇になり、昼間からL'Assommoir(ラソモワー)という居酒屋で酒浸りの日々を送るようになる。
ある日、ジェルヴェーズがお得意先からクリーニング用の服を預かって帰る途中で、巡査のポワソンと結婚したヴィルジニーを街角で見掛ける。

ジェルヴェーズは、ヴィルジニーとは取っ組み合いの喧嘩をした犬猿の仲なので、会いたくないので前に住んでいた安宿に逃げると、何と、ヴィルジニーは、ジェルヴェーズが住んでいた安宿の同じ部屋を使っていたのである。逃げられない。

ヴィルジニー:「まぁ、お久しぶりね。あんた、お店持ったんだってね」。
ジェルヴェーズ「まだ、これからよ」。
ヴィルジニー:「お店に行っていいかしら。もう、前の事はわすれましょうよ」。
ジェルヴェーズ「いいわよ。あなたは、いつからここに住んでいるの?」
ヴィルジニー:「アンタ達が出て行ったあと、ここに住むことにしたの。よかったら、見ていって」。
部屋に入ると懐かしい。

女はおしゃべりが好きだ。ジェルヴェーズは、前に住んでいた家だったこともあって、警戒心がほぐれ、嫌いなヴィルジニーに、うっかり、余計なことをしゃべってしまう。
主人のクポーが屋根から落ちて重傷を負い、クリーニング店開業のために貯めたお金が治療費で消えたが、鍛冶職人のグジェがお金を出してくれて、お店を出すことが出来たが、今度はクポーが働きに行かず、酒浸りで困っている・・・などを話してしまう。
これが、後々の店の経営に悪影響を及ぼす。

クポーが昼間から居酒屋で酒浸りになっていると、店の従業員にも示しがつかないし、顧客から店の評判を落とすので、居酒屋でへべれけになったクポーを連れて帰る。
酔っぱらったクポーは、店内で仕事中のグラマーな従業員の胸を触りだし、ジェルヴェーズは夫のセクハラを止めさせた時に、ヴィルジニーが様子伺いにやってきた。
今やクポーが、能無しの「バカ亭主」だったことが、狡猾なヴィルジニーにばれてしまった。

酔ったクポーはさらに、「嫁が誕生会パーティを開くんで、あんたもおいでよ」と口を滑らす。
ジェルヴェーズが分厚い売上帳をパラパラ捲っているのを見て、ヴィルジニーは、従業員3人を雇ったジェルヴェーズの店が繁盛しているので、密かに乗っ取りを企む。

ヴィルジニーは唐突に、
「ランティエは、妹と別れたの」。
「ホント・・・もう、あんな奴には未練はないわ」。
「(そうかしら?)近くに住んでいるらしいわよ」 と、鎌を掛けて帰る。
(実は、ヴィルジニーは、ランティエを妹から横取りし、情夫にして、自分の隠謀に利用するのである)

酔っぱらった亭主をベッドに寝かすと、ポケットから小銭が落ちる。クポーはクリーニング店の売上金を酒代に持ち出していたのだ。
近々300フランをグジェに返す予定だったが・・・タンスを探すとそれが無い。家の中に泥棒を飼っていたワケだ。
ジェルヴェーズはグジェに会って、借金返済できないことを詫びるが、
グジェは「転落事故で高所恐怖症になるのは、よくあること。(返済は)心配しないでいい。クポーに屋根職人の仕事に拘らず、転職して貰ったら?」と言って同情し、返済を引き延ばして貰った。


上は、ジェルヴェーズの誕生パーティで、夫のクポーが招待したヴィルジニー。
別れたランティエをパーティに密かに呼んで、ジェルヴェーズを混乱させる。意地悪女役の演技も見逃せない。

借金返済を猶予して貰ったので、ジェルヴェーズの誕生パーティは大人14人、子供4人が集まって盛大に行われた。
パーティの終わり頃、招待客のヴィルジニーの悪知恵でランティエが店の近くに来ていた。
最初はランティエを「見掛けたら八つ裂きにしてやる」と敵視していたクポーは、酒の勢いで、変な男気を出して店内に招き入れる。
「もう遅い時間なので、ウチに泊まれ」という有様。
ランティエ:「この近くに住むところを探しているんだが?」
クポー:「死んだ母の部屋が空いているので、あんたに貸す」。
こうして、先夫と夫、妻が同居する不自然な家庭ができた。バカな親たちに、子供たちは白けている。


上は、ジェルヴェーズの誕生パーティで、ヴィルジニーが呼んできた左端の先夫・ランティエ。
画面中央の夫・クポーは、自宅にランティエがやって来たら「八つ裂きにしてやる」とほざいていたが、「今晩、泊まっていけ」と歓迎する。
ジェルヴェーズは、困惑するが夫の意向に従う。

ある日、一番下の5歳のナナが「父ちゃんは、お客さんのシーツを持って出ていった」と、ジェルヴェーズに話す。
翌日、ジェルヴェーズは居酒屋へ行ってクポーのポケットを探すと、クポーは質札を丸めて飲み込んでしまった。クポーは、その夜に悪酔いして店先にゲロを吐きまくった。寝室もゲロだらけ、臭くてクポーと同じベッドで寝られない。

ジェルヴェーズが呆然としていると、隣の部屋からランティエがジェルヴェーズを誘う。
「奴は酔っぱらって気付かないよ」。
しかし、ナナは、母がランティエに抱かれて、彼の部屋に行くのを扉の陰で見ていた。

グジェは、賃上げストの首謀者として1年の懲役刑を食らうが、ナポレオン3世の生誕日恩赦で釈放され、15歳のエッチェンを連れて、鍛冶屋修業のためパリを離れる。
グジェは、ジェルヴェーズが二人の夫と同居していることを知り、ジェルヴェーズの節操の無い生き方に失望したのだった。

「ジェルヴェーズ、君はもっと、自己主張すべきだ」と諭(さと)す。
狡猾なヴィルジニーは、パトロンのグジェがパリから去った、無防備なクリーニング店をポシャらす行動を起こす。


上は、ベッドと居酒屋を往復する元屋根職人の夫クポーと、その友人の鍛冶職人のグジェ(ジャック・アルダン)だ。
二人の夫と同居する、ジェルヴェーズの節操のない生活に失望し、パリを離れる。グジェは、見た目は怖いが優しい男である。

先ず、二人の夫とふしだらな同居生活、今の亭主はアル中で、ジェルヴェーズのパトロンは、ムショ帰りのならず者だと、ジェルヴェーズの顧客である奥様たちに吹聴し、ヘリオトロープ(当時流行っていた薬草による香水)の油が染み込んだ衣類を持ってきて、他の洗濯物に匂いをつけるようなことをして店の評判を落とす作戦に出た。
その結果、客はがた減りし、家賃や従業員の支払も滞る有様。そして店を明け渡す刻がやってきた。

クポーは完全にアル中になって、暴力的な発作を起こすようになる。
クポーは、頭が良くて働き者のグジェに嫉妬して、彼が資金を出した妻の店が憎くて仕方がない。
ジェルヴェーズと義理の姉が、クポーに咳止め治療の素人療法をやっている最中に暴れ出し、「グジェの店なんか、壊してやる」と言って暴れ出す。
店内はメチャクチャに破壊される。クポーは救急馬車で病院に運ばれ、壮絶な最期を遂げる。

1ヶ月ほど経ち、ジェルヴェーズのクリーニング店は、小じゃれたお菓子屋さんに改装され、店主はヴィルジニー、パトロンは夫で巡査のポワソン、従業員は、ヴィルジニーの愛人ランティエである。
ある日、 ここで育った5歳のナナが、ひよっこりと現れた。元クリーニング店の愛娘が汚れた服を着ている。

店長のヴィルジニーは、
「あら、ナナちゃん、おべべ汚いわね。お母ちゃんは、どうしているの?」
「母ちゃんは、あたしより、もっと汚いよ」。
ヴィルジニーは、ナナに飴玉10粒ほど渡す。しかし、それだけでは帰らない。
「他に、何か欲しいの?」
「リボン」。
ヴィルジニーは、お菓子の包装用のリボンを渡す。
店の奥にいた夫のポワソンと、従業員のランティエは、
「(厄介者の)クポーが死んで、ジェルヴェーズは、立ち直ると思っていたんだがね」。
男達はまるで、他人事(ひとごと)のように言っている。
ナナは、父さんがよく通っていた居酒屋に走る。
年金生活者の男たちが昼間からトランプゲームに興じている。
ナナは、ヴィルジニーから貰った飴玉1粒取り出し、隅のテーブルに差し出す。
そこには、空になりかけたワイングラスを前に、乞食姿になって放心した哀れな母の姿があった。

「かあちゃん」呼びかけても、ジェルヴェーズには応える気力もない。
母に育てて貰ったお礼が、飴玉1粒。子供は正直で冷酷だ。
5歳のナナの左手薬指にエンゲージリング・・・母に対して自立のアピールだったのだ。

ナナが母に会った「最後の姿」であった。
あたしは、母ちゃんのような弱い女になりたくない。
ナナは、女としての気合いをいれて、ヴィルジニーから貰ったリボンを首に結び、ちょっとお洒落して少年たちが遊ぶ輪に走って行く。
ナナは、どんな女になっていくのだろうか・・・。


上は、5歳のナナを好演した、子役のシャンタル・ゴッジ。
居酒屋の続きは、「女優ナナ」で・・・。生きる望みが失せたジェルヴェーズ(マリア・シェル)の悲惨な姿は、DVDを買うか、有料のBS放送などで観てね。
このDVDは、プリント自体の画質が良くないようなので、画質の粗さによって貧困のイメージがより強調されている。


あとがき

若い頃のぼくなら、「居酒屋」を観て大泣きしたかも知れないが、涙は出なかった。
貧困から這い上がる為に、歯を食いしばって懸命に働くジェルヴェーズの哀れな末路に同情して涙する人は多いと思う。
しかし、商才のない素人が商売して長続きするケースは少ない。
売上金を鍵の掛からないタンスに保管して、夫のクポーにこっそり持ち出され、酒代に消えていく。それにジェルヴェーズは気付かない。

商売というのは、貧困から這い上がる為にするものではなく、貪欲に儲けるためにするものだ。
だから、ジェルヴェーズは、酒乱のクポーが壊した店を手放した瞬間に借金地獄になって、二進も三進も行かず、極貧生活に戻った。
もう一方の変り身の早いヴィルジニーがジェルヴェーズの店を借りて改装し、しぶとく生き残る・・・よくある話である。

二人の男(警官のポワソンとランティエ)を手玉にする要領のいいヴィルジニーは、ラクして甘い汁を吸い、二人の男(ランティエとクポー)に貢ぐ、要領の悪いジェルヴェーズは、シンドイ目した上に、苦汁を飲まされる。
たった一回だけの人生は、その50%以上はマイペースで楽しく暮らしたいものであるが、人生は、時代と共に変化する様々な環境に影響され、人生の浮き沈みが付きものだ。沈み掛かった時には、完全に溺れてしまわないように、社会環境に馴染んで浮かび続ける知恵と忍耐力がいる。
ダーウィンの言葉に、
最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、社会環境に変化できる者である。

この映画を観ると、教育の重要さを感じた。
個人的には教育とは、誰にでも、無理矢理に、方程式や関数、古墳時代の歴史、化学物質の元素記号を学ばさせることではなく、 現在の社会環境や社会生活に必要な常識的な学問をキチッと教えることが最も重要なことだと思うのだが・・・。

ジェルヴェーズは、店の経営が苦しくなって、三食がジャガイモ料理。いくらジャガイモが大好きなぼくでも、三食がジャガイモだけでは辛い。

酒浸りのクポーは、
「毎日ジャガイモ、ジャガイモじゃ、飽きてしまうよ。あぁ、肉が食べたい」。
ジェルヴェーズは、
「わたしだってお肉を食べたいよ。(あなたが酒代を減らせば、お肉が食べられるのに)」とキレて、
ジャガイモの入った鍋をテーブルごとひっくり返す。食事の前に感謝のお祈りをするクリスチャンなら、こんなことはしないだろう。
5才のナナは、床にこぼれたジャガイモを拾って食べていた。日本でも、夫婦喧嘩で卓袱台をひっくり返すシーンはあるが・・・。

食べ物を粗末にしたら罰が当たる。明治生まれの祖母の格言であった。茶碗にひっついた御飯粒を1粒残さずきれいに食べること!
案の定、食べ物を粗末に扱ったジェルヴェーズは、乞食になってしまった。ま、鍋を食卓ごとひっくり返したのは、お芝居上の演技だけど・・・。

2014年2月7日更新 尾林 正利

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