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冒険者たち

重罪を犯し、恩赦で死刑を免れたフランスの異色の小説家、ジョゼ・ジョヴァンニの小説を映画化。
1967年に公開

Les Aventuriers
un film de Robert Enrico

1960年に公開された、ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい(仏伊合作)」の大ヒットに刺激を受け、1967年にアラン・ドロンを主演に据えたアドヴェンチャー・ムービー(Adventure Movie)の「冒険者たち」が、フランスのロベール・アンリコ監督によって製作・公開された。

この二作に共通しているところは、アラン・ドロンが主役を演じ、ヨットや帆船が登場し、船上で殺人事件が起きて、遺体を海に沈めるシーンがあるところだ。
行方不明になった人って、何らかの犯罪事件に巻き込まれて、人に知られず海に沈められているケースが多いのかも知れない。

この映画タイトル(フランス語の原題)は、お気付きの方もおられると思うが、冒険を意味するアドヴェンチャーでは無く、よく見ると、"アヴァンチュール"になっていて、「冒険者たち」を観終ったら、そのような艶めかしいシーンが殆ど無かったので、ぼくは首を傾(かし)げた。

アヴァンチュールというのは、すでに配偶者や恋人がいるのに、男女のどちらかが配偶者や恋人に気付かれないように、コッソリ浮気するという意味も含まれる。これも、広義に捉えると、ちょっと 危ない冒険なのかも知れないが・・・。

結婚を誓った美人の恋人がいるのに、束の間の恋の火遊び・・・つまり、主人公のほろ苦い一夏のアヴァンチュールをテーマにした典型的な映画が、ミシェル・ボワロン監督の「さらば夏の日(1970年製作・公開)」であった。
この作品の日本での評価は、映画そのものよりも、フランシス・レイ作曲の哀愁的な映画音楽が公開当時に大ヒットして、有線放送やFMラジオなどのリクエスト曲にもよく選ばれていたように思う。「さらば夏の日」にも、ヨットが登場していた。

フランス人はマリーン・レジャーが大好きらしく、フランス領のタヒチ島のパペーテ港には、ブルジョワ所有の豪華なクルーザーやヨットが多数繋留されていて、観ていると羨ましかった。クルーザーの豪華さは、西宮のヨットハーバーに繋留されている船とは大違い。

今回取り上げた「冒険者たち」では、マヌーとローランという大の親友が、ふとしたことで知り合った芸術家の美しい女性、レティシアを二人とも大好きになって、赤道直下の大西洋の海底へ宝探しの冒険の旅に誘うが、親友同士はお互いに気遣って、レティシアには手を出さず、友達以上〜恋人未満の状態が続く。フランス映画にしては珍しい、プラトニックな恋が描かれている。

「冒険者たち」の原作者は、小説の他に、映画の脚本や監督も手掛けるジョゼ・ジョヴァンニである。この人は異色の経歴と才能を持つ。
ジョゼは、第二次世界大戦中に、フランスを占領したドイツ軍に抵抗して、民兵組織のレジスタンス運動に加わったが、戦後は、何とギャング団に加わり、重罪を犯して逮捕され、実際にパリのサンテ刑務所へ11年間も収監されたそうである。

戦後まもないフランスでは、都市部で犯罪が多発していたので、裁判の判決は厳罰傾向にあり、ジョゼも死刑を宣告されたが、父親が毎週のように?嘆願書を出し続け、大統領恩赦によって、死刑が免れた。

ジョゼは、死刑が免れるほどの、説得力のある文章を書いた父の DNA を受け継ぎ、出所後は小説家になって、サンテ刑務所で自ら体験した囚人の集団脱獄という実話を基にした「穴(Le Trou)」という本を1958年に書いて出版され、1960年に映画監督のジャック・ベッケルが映画化したが、ジャック・ベッケルは、この映画の初号試写を見ずに他界したらしい。

ジョゼ・ジョヴァンニ原作の「冒険者たち」の映画化は、若者層の観客をターゲットに企画された、エンタテインメント寄りの映画だったので、日本では、昭和22〜24年(1947〜1949生まれの団塊世代(第一次ベビーブーム世代)の青春時代になる1967年に初公開され、当時の若者に大受けしたフランス映画だったと思う。

1967年と言えば、当時23歳だった僕が、既に広告写真のプロカメラマンになった1年後で、ぼくよりも映画好きな後輩のアシスタントから、「冒険者たち」は面白い映画だと聞いて、20代後半になってこの映画を映画館で観た記憶がある。

この映画の主な登場人物には、非凡な才能がある。
日本の小説家では思いつかない、ユニークな職種が描かれている。

主役のマヌー・ボレリ(アラン・ドロン)は、パリ郊外の飛行クラブのインストラクター・パイロットで、複葉機の曲芸飛行が得意。観光遊覧飛行のパイロットでもある。

マヌーの友人、ローラン(リノ・ヴァンチュラ)は、元カー・レーサーで、レース界から引退後は独立して、小さな町工場で、レーサーの経験を活かして、レーシングカーの高性能エンジンを開発しているエンジニアだ。

レティシア(ジョアンナ・シムカス)は芸術家で、金属スクラップを熔接・溶断加工して、シュールリアリズム作品を制作するモビール作家...という、設定である。
3人は、その道のスペシャリストを目指しているが、マヌー以外は、ビジネスとしての結果が伴っていない。

映画のプロローグ(始まり部分)では、個性的な職に就く3人の仕事ぶりが描かれている。
職業の異なる3人だが、それぞれが失敗を怖れない冒険心(チャレンジ・スピリッツ)を持っているので、次第に仲間意識が深まっていく。

ところが、3人の中で収入の安定したマヌーは、ある日、飛行クラブの生徒(保険会社の社員)から聞いた金儲けの話を真に受けて、・・・マヌーが操縦している複葉機で凱旋門をくぐり抜け、凱旋門の下を通った証拠の動画を渡せば、2500万フランで買いたいと言った日本人の映画プロデューサがいる・・・という話に、本人に確かめず、乗り気になって猛練習し、ある日、無許可でパリ市街地を低空飛行して、所属クラブから飛行免許を取り消されて失職する。

ローランは、レーシング カー用の高回転エンジンの試作テストに、資金を注ぎ込み、自動車メーカーが注目するようなエンジンを完成させるために、何度も試作車を壊して失敗続き...。

レティシアは、金属スクラップをバーナーで加工して造った「オブジェ・モビール(objet mobile)」の初個展をパリで開催するが、美術評論家やマスコミから酷評されて、作品が売れず、失意のどん底に沈む。

失職・失敗・失意という辛酸を嘗め、3人が貯金を使い果たしてスッカラカンになり、年長者のマヌーの工場に集まって、これから先のことを話し合う。
マヌーは、自分を騙した保険屋を殴ったが、その男から耳寄りな情報を得ていた。

それは、アフリカのゴンゴ動乱(1960から1963年) の時に起きた話で、コンゴの山奥で採掘されるダイヤ原石を首都のキンシャサ空港まで、ゲリラが出没するジャングルの道を、ベルーギー人のバイヤーが、エスコート(護衛)役に、マシンガンで武装した傭兵を雇って、4WDのランドローバーでジャングルを抜け、バイヤーがセスナをチャーターしてコンゴから命辛辛脱出したが、コンゴ沖で消息を絶ったという話である。

男が勤務する保険会社では、ダイヤの原石を持って行方不明になったというベルギー人の捜索依頼がきたが、当時のコンゴ民主共和国では、鉱山会社で働くベルギー人入植者が、恨みを持つコンゴ人民兵によって殺されていたので、治安が悪くて、保険会社のスタッフを派遣して現地で聞き込み出来ず、肝心の消息を絶った場所が特定できないので、サルベージ船を使っての大掛かりな捜索に、費用が掛かり過ぎるので、諦めているという話であった。

小さな工場を持っていたローランは、エンジン開発の工場を売り払って、その資金でアフリカのコンゴ沖に沈んだ宝物を3人で探しにいく。そんな、夢を追う映画だった。職業が違う3人が力を合わせて、同じ夢を追い掛けるというストーリーは、当時の日本の若者に受けたのである。
映画作品としての出来の良さは、やはり、一捻りや二捻りが利いている「太陽がいっぱい」の方が遙かに上だと思うが、絵面(えづら)の面白さでは、興味が惹かれるシーンの多い「冒険者たち」の方になるだろう。

ストーリーの内容も前向きで、得意にしていた仕事を失敗した人でも、発想をパッと切り換えて、次の目標に向かって行動すれば、夢が叶うかも知れない...現実に起きそうなことをテーマにしているから人気の出た映画だった。

この映画のエピローグ(ラストシーン)に出てくる、海上に浮かぶ巨大船のような要塞・・・フランス西海岸のラ・ロシェル市のビスケー湾に浮かぶフォール・ボワヤール(Fort Boyard )という名の海上要塞が印象に残る。
この海上要塞は、ナポレオン1世が1802年に建設を命じた、ネルソン提督の率いるイギリス艦隊のフランス上陸を阻む、360度方向に数十門の対艦砲を備えたハリネズミのような要塞である。この要塞が完成した時は、ナポレオン1世は此の世にいなかった。

第二次世界大戦の時は、ナチス・ドイツ軍の海上要塞に利用されたが、戦後はフランス政府に返還されて大砲は外された。
その後民間に払い下げられ、観光ホテルに改装される計画があったが、それが頓挫して放置され、長年に亘り潮風に曝されて廃墟化した。その廃墟の空撮シーンが印象的だ。

ラストシーンの映像と演出が素晴らしい映画である。それを盛り上げるフランソワ・ド・ルーベの音楽も良い。口笛とスキャットも効果的だった。

主なキャスト

Manu(マヌー・ボレリ:飛行クラブのインストラクター)・・・Alain Delon(アラン・ドロン)
Roland(ローラン:マヌーの友人で、エンジニア)・・・Lino Ventura(リノ・ヴァンチュラ)
Laetitia レティシア(シュールリアリズム作家))・・・Joanna Shimkus(ジョアンナ・シムカス)
Pilot パイロットの男(アフリカのコンゴ動乱で、ベルギーの大富豪を小型機でコンゴから脱出させるが、離陸後にコンゴ沖の大西洋に墜落する。彼だけは飛行機から脱出できたが、客とセスナは、海底に沈んだ。コンゴに留まって、それを引き揚げるチャンスを窺う)・・・Serge Reggiani(セルジュ・レジアニ)

主なスタッフ

監督:Robert Enrico(ロベール・アンリコ)
原作:Jose Giovanni(ジョゼ・ジョヴァンニ)
脚本:Jose Giovanni/Robert Enrico/Pierre Peregri(ジョゼ・ジョヴァンニ/ロベール・アンリコ/ピエール・ペリグリ)
台詞:Jose Giovanni(ジョゼ・ジョヴァンニ)と、Pierre Peregri(ピエール・ベルグリ)
撮影:Jean Boffety(ジャン・ボフティ)
音楽:François de Roubaix(フランソワ・ド・ルーベ)
美術:Jacques D'Ovidio(ジャック・ドヴィディオ)
編集:Jacqueline Neppiel(ジャックリーヌ・ネピエ)
製作:Paul Laffargue (ポール・ラファーギュ)
製作年と製作国:1967年、フランス
画面サイズとカラー:シネスコ(1:2.35)、イーストマン・カラー
上映時間:113分(DVD)
製作会社:Société Nouvelle de Cinématographie
配給会社: 日本版DVDの発売元:アミューズピクチャーズ株式会社

ストーリー


自動車解体置き場で、作品用の素材探しをする、芸術家のレティシア(ジョアンナ・シムカス)。
レティシアは、ドアやフェンダーに溶接バーナーで孔を開けたりして、モビール(動くオブジェ)を造るシュールリアリズムの作家だ。

この映画のプロットの核心部分は、陸上でなくて海上になっている。
時と場所は、1963年頃のフランス西岸のビスケー湾の沖と、アフリカのコンゴ沖が舞台になっている。
映画のタイトルロールから、いきなりストーリーが始まる。
フランスでのモータリゼーションは、1967年に製作されたこの映画から推察すると、パリでは大阪より5〜6年ほども早かったようで、廃車した自動車のスクラップ置き場が、大都市の郊外に目立つようになっていた。こういう廃車スクラップの山を観て、「ガラクタ」と見えるか、「お宝」と見えるかは、個人の美学による価値観によって180度も変わってしまう。

新進の女流芸術家のレティシア(ジョアンナ・シムカス)は、前から目を付けていた、パリから70kmほど離れた郊外の、工場併設の自動車スクラップ置き場へ作品の素材探しに出掛ける。

彼女は、金属の熔接に使うアセチレンのガスバーナーを、まるで絵筆や彫刻刀のように巧みに操って、金属スクラップに造形的な孔を開け、加工したスクラップ同士を熔接したりして、「オブジェ・モビール」を制作する作家であった。

そこへ、工場オーナーのローラン(リノ・ヴァンチュラ)が、赤いシボレーのピックアップトラックに乗って戻ってくる。

レティシアは、廃棄されたスクラップの中から3〜4点選んだ物をローランに見せて、「これ、売って下さい」と、頼み込む。
ローランは、「俺は、屑鉄屋じゃないよ。今、忙しいんだ」と、不機嫌な顔をして、また出掛けて行く。
「じゃ、あなたのお仕事が済むまで、私はここで待っているわ」。

若い美女を長々と待たせることに、後ろ髪を引かれたローランは、レティシアが暇していそうなので、出掛けようとした車を停めて、運転席から顔を出し、
「君は、飛行機が好きか?」
「好きよ」。
「じゃ、今から近くの飛行クラブへ行くから、横に乗れ。・・・ちょっと、手伝って欲しいんだ」。

レティシアは、喜んでピックアップに駆け付けて、助手席のドアを開ける。
男と女の出会いというのは、生々しい合コンよりも、このように然りげ無い事から始まるのが良いと思う。

画面左は芸術家のレティシア (ジョアンナ・シムカス)、右が、F1フォーミュラー・カーのエンジン開発者のローラン(リノ・ヴァンチュラ)だ。

ローランは、元レーシングカーのドライバーであったが、その後はエンジン開発の技術者になった。
飛行クラブのインストラクター、マヌー(アラン・ドロン)の親友であり、時々、マヌーの曲芸飛行に協力している。飛行クラブの敷地で機上のマヌーと無線連絡を取り合うローラン。

パリ郊外にあるプレシー飛行クラブ(※映画上の名前)で、操縦インストラクターのマヌー・ボレリ(アラン・ドロン)は、クラブの中で、ナンバーワンの腕前を持つ複葉機のパイロットである。マヌーは飛行機の操縦だけでなく、大型バイクや乗用車も運転でき、小型船舶とスキューバー・ダイヴィングのライセンスもある、行動派の青年だ。

彼は、飛行クラブに通う生徒で、保険屋のヴェルダンが言い出した、彼の知人である日本映画のプロデューサー「キヨバシ氏」が、パリを象徴する凱旋門の下を飛行機でくぐり抜けたフィルムを渡せば、2500万フランくれるという冗談話に食いついて、生徒を乗せた飛行教習の合間に、社長のミショーの許可を得て、飛行インストラクターの技術向上の訓練だと理由を付けて、曲芸飛行を兼ねながら超低空飛行のトレーニングもやっていた。

エトワール凱旋門(Arc de triomphe de l'étoile)の高いポールを立てるには、地面にポールを固定する杭を打たなければならないので、ローランがレティシアに手伝って欲しいと言ったのは、杭打ちの助手だった。

ティシアは杭を両手で垂直に支え、ローランはハンマーで杭の頭を打つ。高いポールが8本立って門が出来ると、ローランはマヌーに無線で準備完了のゴーサインを出す。マヌーの操縦する複葉機は、難なく枠の中をくぐり抜けていく。マヌーは上空から、地上のローランに「秘書を雇ったのか?」と、無線で冷やかす。



マヌー(アラン・ドロン)は、飛行クラブでナンバーワンの曲芸飛行(アクロバット飛行)の技を持つ。
飛行クラブの生徒から訊いた冗談話を真に受けて、2500万フランが欲しいので、凱旋門の下をくぐり抜ける練習をローランに手伝って貰う。

上は、凱旋門の開口部分に見立てた仮枠。
真ん中は、マヌー(アラン・ドロン)。
下はシボレーのピックアップを上空から併走するマヌーの低空飛行。

もちろん、映画プロデューサーから2500万フランを貰うには、凱旋門を飛行機で通り抜けた証拠品の映像提出が必須であり、クラブ所有の複葉機操縦席の天井のフレームに、奇跡の映像を撮るために、スイス製のボレックス16mmシネカメラを借りてきて取り付ける。

16mmシネキャメラのボレックス16HRに100ftスプール巻のフィルムを装填し、24コマ/秒の標準撮影モードに設定し、フィルム駆動のスプリングを一杯巻き上げて、ランニングロックのモードにしておけば、シュートボタンをワンプッシュするだけで、フィルムがランニングし、凡そ3分弱(167秒)の映画が撮れる。        

そして、決行の日時になったが、その日時は運悪く?巨大なフランス国旗が凱旋門の中央から垂らされて飛行機がくぐれなくなり、凱旋門付近の上空で旋回しながらで待機しているマヌーに、ローランは地上から計画中止を無線で送信するが、既にシャンゼリゼ大通りの真上を高度 5〜6m の超低空で飛んでいたマヌーは旗に気付いて、凱旋門の直前で急上昇し、何とか大事故を免れる。
しかし、マヌーは航空法違反の危険行為がばれて、勤務していた飛行クラブから飛行免許を剥奪され、オーナーのミショーから解雇されて失職する。


マヌーは、複葉機で凱旋門をくぐりぬける計画は失敗し、2500万フランの夢は消えた。
飛行倶楽部の社長から飛行免許を取り消され、解雇される。

上は、パリのシャンゼリゼ・ブールヴァールの真上を高度5mで飛ぶマヌー。操縦席にはボレックス16HRをセットしていたが、決行日時の凱旋門には、フランス国旗が垂れ下がっていて、あわやの大惨事を回避する。(この飛行シーンは、飛行機のカットモデルを使った、スタジオでのスクリーン合成撮影だと思われる)

マヌーの親友ローランは、二十代の頃はレーシングカーのドライバーだったが、三十過ぎてレーサーをリタイヤした後は、自動車解体置き場に併設した自分の工房で、レーシング・カー用の高回転エンジン開発のエンジニアになっていた。

ローランは、1963年当時で、MAXで6500rpm/分 まで噴き上がり、オクタン価98のガソリンで200km/h の出せるレーシングカーのエンジンテスト走行を繰り返すが、悉(ことごと)くオーバーヒートのエンジン・トラブルに見舞われ、試作エンジンを搭載したテスト・カーを次々と壊してしまう。


ローランも、レーシングカー向けの高回転型エンジンの試作テストを繰り返すが、アクセルをベタ踏みすると、エンジンが爆発!・・・好結果が出なくて自信を無くしていく。

レース用のV6エンジンを開発して、テスト走行を繰り返すローラン(リノ・ヴァンチュラ)。ローランは、飛行クラブの滑走路を時々借りてテスト走行しているが、自動車メーカーが注目するようなエンジンが出来ないので、だんだん自信を無くしていく。

自動車エンジンの設計図は紙の上では上手く出来ても、個人レベルの資本と設備で、まともな試作品を造るのは不可能に近い。ローランは、フランスの自動車メーカーが注目するようなレース用エンジンを開発して特許申請し、そのライセンス料で稼ぐ目論見が破れて、倒産寸前に追い込まれる。 上のシーンは、ローランが新開発したV6エンジン搭載のテスト・カー。飛行クラブの滑走路?を借りて走行テスト。

レティシアは、金属スクラップを素材に利用して、熔接用のバーナーで、シュール(奇抜)なオブジェを制作するアーティストで、古来からの彫刻作法の概念に反発した、ダダイズム(既成の芸術を否定、または拘らない作風)の作家である。だから、レティシアは、自分の生き方もシュール(常識破り)で、普通の女の子ではない。
ローランは、レティシアの奇抜な作品を不思議そうに眺めて、「これの、どこが良いんだ?」
すると、レティシアは「これの良さが分かるのは、(既成概念に囚われない)自由人だけよ」。

レティシアは、ローランが所有する廃車のスクラップ置き場に、制作意欲を鼓舞するインスピレーション(ひらめき)が湧いて、ローランに家賃を払って、工場の隅で作品制作に没頭する。レティシアとローランは、造る物や将来の目標は全く違うが、物作りという共通の仕事を通じて、レティシアは年の離れたローランが好きになっていく。

というのは、レティシアは、マヌーが操縦する曲芸飛行機にタダで乗せて貰って、「この飛行機で凱旋門をくぐって見せる」と言った、マヌーの大胆な冒険心にグサッときたが、飛行機を降りてから、マヌーには、飛行クラブのコーヒーショップで働く、イヴェットという恋人がいるのをチラッと見ていたからである。

レティシアは、パリで念願の個展を開く。
ローランとマヌーも招待されて会場へ行くが、会場は大勢の人集りが出来ていて、レティシアは招待したマスコミの応対に忙しそうなので、二人はレティシアには近づかず、直ぐにUターンする。

レティシアのシュールな作品群は、「刺激的だが、個性が無い。ありきたりの美学だ」と、各紙で酷評され、彼女は大ショックを受ける。展示即売の作品に買い手が全く付かないのだ。

個展の数日後、マヌーの工場にお別れの挨拶と、今までの家賃を払いにやってきたレティシアは、「あなたたちに招待状を渡したのに、来なかったわね」と、ローランとマヌーの前で涙をこぼす。

二人は驚き、マヌーは「初日に、二人で観に行ったよ。でも、君が記者から質問を受けたり、カメラマンに写真を撮られて忙しそうだったから、声を掛けなかったんだ」。
レティシアは、「もう、(モビール作品の制作を)やらない」と、言い出す。
涙を流したのは、二人のせいではなく、新聞に酷評されたことが悔しかったのであった。レティシアは、個展の評価が芳しくなく、自信を無くして頬が痩け、かなり落ち込んでいた。

マヌーとローランの二人がレティシアの個展会場から早々とUターンしたのには、理由があった。二人で重要な話をするためであった。
飛行免許が取消になったマヌーは、冗談話に騙されたまま泣き寝入りをしたくないので、自分を騙した保険屋の男・ヴェルダンに会って、暴力を振るったことを謝罪し、パリの高級日本レストランに接待して、一緒に食事した。

すると、マヌーの仕返しを怖がっていたヴェルダンは、雅びやかで美味しい日本料理を味わっている内に緊張感が解れ、舌がだんだん滑らかになって、コンゴ沖で行方不明になった飛行機事故の事を詳しく話し出した。
コンゴ沖で無線連絡を絶った単発の小型チャーター機には、フランス人のパイロットとベルギー人富豪家の二人が搭乗しており、ベルギー人が搭乗する時に、推定5億フランの財産(コンゴ原産のダイヤモンド原石)も一緒に積んだという可能性があるというのだ。

最後に無線連絡を絶った海域は水深が深くて、ヴェルダンが勤務する保険会社では、サルベージ船などを使って飛行機の引き揚げ作業が困難で、"コンゴ動乱"によってコンゴ内陸部の治安が悪化し、ベルギー人入植者の多くが逃げ遅れて人質に捕らえられ、行方不明者が多いので、現地で聞き込みの調査ができないようだった。

マヌーは早速、コンゴ沖の海図を買ってきて、飛行機が墜落したと思われる海域の水深が100m未満の所もあって、スキューバ・ダイヴィングの装備で探せそうなので、ローランと組んでコンゴでの宝探しの計画を練ることであった。

二人は、個展で作品が売れず、会場費を払って貯金が無くなり、意気消沈していたレティシアを誘うと、彼女は大喜び。ローランはエンジン開発を諦めて工場を売り払い、それを元手に3人は大西洋のコンゴ沖へ出発する。



パリで仕事を辞めて、いままでのイヤなこと忘れて心機一転・・・。 赤道直下の中央アフリカのコンゴ沖に、ベルギー人の大富豪が乗った小型チャーター機が墜落して消息を絶ったという保険屋の話で、コンゴ沖へ宝探しにやってきた3人。
上のシーンは、彼らが乗っていた二本マストのスクーナー船。帆走と動力の兼用だ。
下は、水掛遊びに興じる3人。左からローラン、センターの美女はレティシア、右がマヌーの3人。

ところで、「冒険者たち」には、この映画のプロットとはあまり関係のない「コンゴ動乱(1960〜1963年)」の様子が、ニュース映画のように白黒映像で数分間も流れているが、なぜ、コンゴで動乱が起きたのか?ベルギー人大富豪とダイヤモンドの関係については、日本版ムービーには全く説明されていないので、ちょっとだけ補足しておこう。

先ず 、コンゴという国は、赤道直下の中央アフリカの大西洋側に河口があるコンゴ川(ザイール川)流域を境界にして、アンゴラの飛地を除くと、現在は二つの国に分かれている。
コンゴは、1395年に、黒人のバコンゴ族(Bakongo)の代表者を元首とする「コンゴ王国」が、大西洋沿岸部に建国された。

イギリスや 西南ヨーロッパ諸国が、とくにアフリカ大陸や南米大陸に向けて植民地獲得に乗り出した「大航海時代」に入って間もない15世紀末になって、ポルトガル人の探検家が、中央アフリカのコンゴ川(ザイール川)を遡上して内陸部に上陸して、各部族との交流が深まってから、ポルトガル王国とコンゴ王国の対等外交が始まり、コンゴ王国の首都は急速に西欧化し、キリスト教が広まっていった。

とは言っても、コンゴには、バコンゴ族の他に凡そ250種族の黒人と450の言語が話されているらしく、コンゴ王国が250種族の黒人を統一していたわけではない。日本では、今でもコンゴという国を詳しく知っている人は殆どいないが、動物愛好家からは、絶滅危惧種「オカピ」の棲息地として知られている。

ポルトガル王国の植民地政策の狙いは、ヨーロッパ諸国で砂糖の消費需要が急増し、当時、ポルトガルが植民地にしていたブラジルなどでサトウキビを大量生産し、現地で製糖加工もするため、ブラジルの広大な原野での農耕地開拓とサトウキビの栽培に、暑さに強いアフリカの黒人たちを農奴として大量に送り込む必要があった。

ポルトガル船は、リスボンを出航する時は、輸出品として衣類や鉄砲を積み込む。→コンゴの港で衣類や鉄砲を降ろし、大勢の奴隷たちを乗船させる。→ブラジルの港で奴隷たちを降ろし、砂糖やブラジルの特産品を積み込む。→ リスボンに帰港すると、砂糖やブラジル特産品を降ろし、再びコンゴ出航へ向けて、衣類と鉄砲を積み込むという、貿易風や海流を利用した大型帆船による定期航路で、こういった「三角貿易」を盛んにすることが目的だった。

しかし、ポルトガル商人の「奴隷ビジネス」を危惧したコンゴ王は、奴隷貿易を停止するようにポルトガル王に書簡を送ったが、逆にポルトガルは、奴隷貿易に反対する勢力を武力鎮圧し、コンゴに入植したポルトガル商人たちを守るため、鉄砲を携えた軍隊をコンゴへ派遣した。コンゴ人の武器は原始的な槍なので、ポルトガル人の鉄砲の威力には敵わない。次第にコンゴ王国は形骸化し、1665年頃(日本では江戸時代初期)に、コンゴ全域はポルトガル王国の植民地にされてしまった。コンゴという国は、ポルトガルに軒先を貸して母屋と働き盛りの男たちを取られたワケである。

やがて、19世紀の1885年になって、欧州の王国やオスマントルコなどの近東の王国、アメリカを含む列強14国の代表者がドイツ帝国の首都ベルリンに集まって、ヨーロッパの各王室や王国が領有するアフリカ・中南米・南米・アジアなどの植民地領域の見直しの「ベルリン会議」が行われ、ポルトガルの植民地であったコンゴは、ブラジルがポルトガル領として国際的に承認される見返りとして、コンゴという国は、「フランス領コンゴ」、「ベルギー領コンゴ」、「ポルトガル領アンゴラ」に3分割されたのである。

第二次世界大戦後の1954年に、北アフリカのアルジェリアが、宗主国のフランスとの間で「アルジェリア独立戦争」を起こし、他のアフリカ植民地住民たちは、英・伊・オランダ・ベルギー・スペイン・ポルトガルなどの宗主国に対しても、民族独立の植民地解放運動を次々と起こし、中央アフリカのコンゴにも植民地解放と民族独立の革命の嵐が吹いて、二つのコンゴは1960年になって、フランス領コンゴは「コンゴ共和国」として独立し、ベルギー領コンゴは、「コンゴ民主共和国」として独立したのである。ポルトガル領アンゴラは、1975年に「アンゴラ共和国」として独立したが、独立後も内戦が長引いた。

独立後のコンゴは、暫くはフランス政府やベルギー政府の影響下にあり、コンゴ共和国では、1963年に首都のブラザビルで革命が起きて、フランス人政権を倒し、コンゴ人を大統領にした社会主義国家になった。コンゴ共和国内のフランス企業は次々に国営化され、フランス軍も1969年頃にはコンゴから撤退した。フランスは、1958年からコンゴの植民地政府の自治を認め、コンゴ人も政権の要職に就いていて、フランス議会にも発言権を持ち、引き継ぎが比較的スムーズに行われたようだ。

ところが、ベルギーの植民地であったコンゴ民主共和国の方は、植民地からの独立がスムーズに行かなかった。

そのワケは、コンゴ内陸部の南には、産出量が世界第二位のダイヤモンド鉱山や世界的に有名な"カッパーベルト"といわれる、コンゴのカタンガ州からザンビアのカッパーベルト州まで、銅を産出する長い山脈があって、カッパーベルトには、銅の他に、ウラン鉱脈やコバルトなどのレアメタルの鉱物資源の埋蔵量が豊富にあり、鉱石採掘権の行方や熱帯雨林を開拓して巨費を投じた鉱山会社の利権が絡んでいたからである。

コンゴ民主共和国は、ベルリン会議で認められたベルギー王レオポルド2世の私有植民地であった。首都はベルギー王の名に因んでレオポルドビル(現在はキンシャサ)であった。
独立後も官庁職員や軍隊、病院や学校教育の要職は、依然として、コンゴへ入植した白人のベルギー人たちが独占しており、人口の大半を占める黒人のコンゴ人の暮らしは、独立国になっても地位や発言力は、植民地時代と殆ど変わらなかったので、コンゴ人たちから不満が募り、植民地解放運動の政党や革命組織が三つも出来た。

とくに、コンゴ民主共和国の内陸部にある南カサイ州(州都:ムブジマイ)は、ダイヤモンド産出地として、世界的に有名な地域である。

その隣のカタンガ州(州都:コルヴェジ)は、銅の鉱山やウランやコバルトを含有する鉱脈が豊富にあり、英国とベルギーの合弁会社「ユニオン・ミニエール(1906年創業)」という鉱山会社は、カタンガで大量に産出された銅をアンゴラの大西洋沿岸のロピト港まで列車で運ぶ、軌間1067mm、路線距離1344km(青森〜広島までのJR在来線の距離に相当)の私鉄「ベンゲラ鉄道」まで所有しており、コンゴにおけるダイヤモンド及び鉱物資源の独占採掘権と大量の銅鉱石の輸出によって巨万の富を稼ぎ出し、独立直後のコンゴ民主共和国政府の税収の50%を占めていた。ベンゲラ鉄道はアンゴラ内戦で分断されているが、現在は中国の支援で復旧工事中である。中国はその見返りにOPEC加盟国のアンゴラの油田で産出される原油の25%を輸入しているらしい。

ベルギー政府とUM社は、銅の産出が豊富なカタンガ州と、ダイヤモンド産出が豊富な南カサイ州の鉱物資源の採掘権と鉱山施設を手放したくないので、コンゴ内陸部の南で勢力を持つコナカ党(地方分権を主張)の代表者モイゼ・チョンベ氏に資金援助して、コンゴ民主共和国から、カタンガ州と南カサイ州の分離独立を工作し、カタンガ国と南カサイ鉱山国を独立させたので、コンゴ民主共和国は宝の山を失い、UM社から得ていた莫大な税収(取引税)が入らなくなった。

これには、コンゴ民主共和国の中央政府でアバコ党(中央集権化を主張)を率いるジョセフ・カサブブ氏や MNC(コンゴ国民運動組織で共産主義を主張)を組織するパトリス・ムルンバ氏らが猛反発した。

カタンガ国・南カサイ鉱山国を背後から支援するベルギー政府軍や鉱山会社が雇った「白人傭兵の特殊部隊」と、中央政府軍の間で内戦が勃発し、激しい戦闘が繰り返された。劣勢になったコンゴ民主共和国は国連に支援要請した。

国連とNATO 加盟国のベルギーは、国連からの要請で、表向きはコンゴから渋々軍を撤退せざるを得なかったが、撤退する筈だったベルギー軍兵士たちは、カタンガ国のチョンベ大統領の傭兵に志願して転籍し、カタンガ憲兵隊を結成した。事態を重く見た国連のハマーショルド事務総長が「コンゴ動乱」の仲介のために、空路でカタンガ国に向かったが、飛行機が墜落し、ハマーショルド事務総長は殉死した。

コンゴ動乱や南隣のアンゴラの内戦には、天然のダイヤモンド鉱山や銅山、ウランやレアメタルの採掘利権が絡んでおり、近年では沿岸部で石油も産出されていることもあり、コンゴ動乱やアンゴラ内戦に乗じて、ソ連(現ロシア)、中国、アメリカが間接的に軍事介入して紛争が複雑化している。

コンゴ民主共和国の中央政府で活躍していたムルンバ氏は、毛沢東に心酔し、コンゴで共産革命を起こすため、MNC党員を中国へ派遣して、共産主義教育を学ばせ軍事訓練を受けさせたらしい。
しかし、共産主義を嫌う軍人のモブツ国軍参謀総長によって中央政府から追い出され、ムルンバ氏は新たにコンゴ人民共和国を建国し、中国仕込みのエリート兵士を「シンバ党員」として、カタンガ国(カタンガ州)と南カサイ鉱山国(南カサイ州)でゲリラ活動させた。シンバの活動範囲はコンゴの半分にも及んだ。

資源国であるコンゴの共産主義国化を阻止したいアメリカは、共産主義者のムルンバ氏を中央政府から追放したモブツ軍事政権(後にザイールの独裁者)側に加担し、それと並行して、アルジェリアに亡命していた反共のチョンベ氏をカタンガ自治区に呼び戻して、南隣のアンゴラに潜伏していたカタンガ憲兵隊やCIAが手配した白人傭兵部隊に、南カサイとカタンガに出没するシンバ狩りを頼み、ムルンバ氏も捕まえて処刑した。シンバの民兵は、強者揃いのカタンガ憲兵隊やプロの特殊部隊、モブツ軍事政権の陸軍部隊に掃討されて激減したが、内戦でシンバ民兵から武器を得た各種族は、部族間での軍閥紛争も増えて、コンゴの治安悪化が長期化している。

日本の外務省のHPによると、現在もコンゴ民主共和国の治安が悪く、政情不安定な状態が続いているようだ。
当然のことだが、国際的な犯罪組織が、闇取引されているコンゴ産出のダイヤに目を付けて、暗躍しているのは言うまでもないだろう。ダイヤモンドは美しいが、ダイヤモンド産出国では、血みどろの紛争が続いているのだ。



中央アフリカのコンゴは、長らくポルトガルが支配する植民地だったが、1885年のベルリン会議で、フランス領コンゴ、ベルギー領コンゴ、ポルトガル領アンゴラの三つに分割された。第二次世界大戦後は、北西アフリカのフランスの植民地で起きたアルジェリア戦争(1954年〜1962年)を切っ掛けに、アフリカの各地でアフリカ人による民族独立運動が起きた。

ベルギー王の私的植民地であった「コンゴ民主共和国」は、1960年の独立後もベルギー入植者が要職に就いて統治していたので、コンゴ人による民主化運動が起きた。ベルギー政府は、コンゴ民主共和国の民主化(政府機関の要職にコンゴ人の登用)に協力する見返りに、ダイヤの採掘権を守るため「南カサイ鉱山国」を建国し、鉱山会社は、銅の採掘権を守るため、コンゴのカタンガ州を「カタンガ国」として独立させたので、天然資源の利益配分を巡って複雑な内戦が起きて、これにロシア、中国、アメリカが介入し、現在も政情が不安定で治安が悪化しているようだ。

上のシーンは、コンゴの山奥で採れたダイヤ原石をマシンガンで武装した傭兵がエスコートするランドローバーで、要人とダイヤを空港のあるキンシャサまで運び、チャーター機でブリュッセルに運ぶ、大富豪の宝石バイヤーをイメージしたものだ。

1960年に赤道直下にある中央アフリカの元ベルギー領コンゴは、コンゴ民主共和国として独立したが、独立後に、同国内のダイヤモンド原石を産出する南カサイ州が「南カサイ鉱山国」に、銅を産出するカタンガ州が「カタンガ国」に独立して、ベルギーが両国を独立させたので、コンゴ民主共和国と内戦が起きた。これをコンゴ動乱と呼ぶが、3年以上も続いた。
ベルギー人大富豪は、ブリュッセルまでのチャーター機を手配して、白人傭兵のランドローバーで、ダイヤモンドが採れる奥地から脱出し、ダイヤ原石をチャーター機で持ち出そうとした。上のシーンは、当時の模様をニュース映画風に白黒フィルムで再現したものである。

さて、「冒険者たち」の映画に戻る。
1960〜1963年のコンゴ動乱で、現地に置き去りにされた多くのベルギー人入植者が、アフリカのど真ん中で、武装した黒人民兵に住まいを襲撃された。

黒人の民兵たちは、捕虜の殺害や虐待を禁ずる戦時国際法の「ジュネーブ協定」なんて知らないので、人質は殺された。それは史実であるらしいが、「冒険者たち」に登場する、コンゴ民主共和国に入植していたベルギー人富豪家の脱出話は、似たような事例を映画のヒントにしたものだろう。

映画では、コンゴ動乱で、生命と財産が危険になって、ダイヤモンド原石の入った手提げ金庫を抱え、白人傭兵たちが調達した4駆のランドローバーに乗ってゲリラが出没する危険地帯を脱出し、首都のキンシャサで、単発の小型チャーター機に乗り移って、コンゴから命辛辛で脱出したベルギー人富豪のシーンが、昔のニュース映画のように白黒映像になっているが、映画上の創作である。

コンゴ民主共和国の首都キンシャサから、ベルギーの首都ブリュッセルまで真北に飛ぶ直線コースでも4,000km以上あり、この映画に出てくるセスナ172クラス(パイロット1名+乗客3名乗り)の小型民間機では、航続時間6時間、巡行速度185km/h、航続距離が凡そ1000km が限界なので、ガソリンを満タンにしても途中で3〜4回の給油が必要になる。

映画の台詞で、中央アフリカのコンゴを飛び立つ時、ベルギー人をエスコートしていた傭兵は「後でブリュッセルで会おう」と話していたが、映画に登場するような軽飛行機で、寄港しながらブリュッセルまで飛ぶのは無謀だと思った。また、宝石箱が盗まれる心配のない飛行中も宝石箱が手から外れないように手錠をかけていた演出には理解できなかった。

ベルギー人の大富豪を乗せた、機種不明のチャーター機のパイロット(セルジュ・レジアニ)は、コンゴの陸地上空を飛ぶのは危険なので、アフリカの大西洋沿岸上空を飛ぶ。しかし、飛行中に何らかのトラブルが発生し、海上に不時着。パイロットは乗客を助けず、沈没していく飛行機から脱出して生きていたのである。
このパイロットはコンゴに居残り、海底に沈んだ宝物を誰かが嗅ぎ付けて引き揚げる機会を根気よく待つ。つまり、このパイロットは誰かに唆(そそのか)されて、故意に飛行機を海上に不時着させた疑いがあるのだ。

誰かというのは、国際的な犯罪組織である。海に沈んだ5億フラン相当の宝石と聞けば、犯罪組織は手を拱いておられないだろう。費用と手間隙(労力と時間)の掛かる宝石の引き揚げは誰かにやらせて、引き揚げを確認すると、悪知恵を絞って横盗りするのが彼らの常套手段なのだ。

マヌーとローラン、レティシアの3人は、自分たちの冒険の裏に、犯罪組織が陰で動いていることを全く気付かない。

二本マストのスクーナー船(4〜5人乗りの中型ヨット)で、元フランスの植民地であった方のコンゴ沖に着き、コンゴの港から離れて停泊し、小型ボートに乗り換えて、飲料水や食料品の買い出しをする。
ここでフランス語を話す謎の男(実は、墜落したチャーター機のパイロット)から、「君らは、ここへサンゴを採りに来たのか?・・・俺を雇ってくれよ。賃金は要らん。飯だけ食わしてくれたらいい」と、懇願されるが、ローランは断る。

マヌーとローランは、毎日海へ潜って、宝の在処(ありか)を探す。魚を獲らないのに、毎日潜っている・・・第三者には「宝物探し」にしか見えない。

ある日、二人が潜っている時に、自分たちの船に、港で会った謎の男が岸から泳いで乗り込んできて、食事の役を担当していたレティシアを人質に取る。

マヌーとローランは、勝手に船に乗り込んできた謎の男と対決するが、彼は、レティシアに向けていた銃をマヌーに放り投げ、謎の男は、自分はベルギー人富豪家のチャーター機のパイロットで、海上に不時着し、機内から脱出して海岸まで泳ぎ着いた場所に印を付けておいたと言うので、元パイロットを宝探しの仲間に入れる。
そして、ついに海底に沈む軽飛行機を探し出し、白骨化したベルギー人の手から、手錠の付いた手提げ金庫を引き抜き、船に引き揚げる。この様子を陸地にいた犯罪組織の見張り役が双眼鏡で観ていた。



一番上のシーンは、3人の船に乗り込んできた謎の男で、実は、ベルギー人大富豪のコンゴ脱出に協力したパイロット(セルジュ・レジアニ)だった。
真ん中のシーンは、マヌーとローランがコンゴ沖の海底でセスナ機を見つけ、白骨化したベルギー人富豪の手と繋がった金庫の手錠を外し、手提げ金庫を船に引き揚げる。
下のシーンは手提げ金庫の中身で、ダイヤモンド原石や金貨が一杯・・・凡そ5千万フランだった。



巨万のお宝が入って、これからの人生を考えるローランと、レティシア。レティシアは、ローランと一緒に暮らしたい告白する...。
そこに、コンゴ共和国の沿岸警備艇が停船を命じ臨検が始まるが、パイロットは、警備隊員をギャングだと気付いて発砲し、銃撃戦になり、ギャングを追っ払うことはできたが、レティシアは流れ弾に当たって死ぬ。
ローランとマヌーは、レティシアに潜水服を着せて「水葬」した。

上のシーンは、宝物を引き揚げた後、レティシアはローランに、「あなたと一緒に暮らしたいの」と、告白する。幸せは束の間だった。フランス国旗を掲げたコンゴ共和国の沿岸警備艇に停船を命じられ、偽警備兵(ギャング)と銃撃戦になって、レティシアは被弾して即死する。

下のシーンは、マヌーとローランは、レティシアに潜水服を付けて、コンゴ沖の大西洋で「水葬」を行った。哀しいシーンである。

船上のテーブルで、海から引き揚げた宝石や金貨は4等分され、4分の1は、元パイロットに配り、4分の3は、三人分をまとめて年長者のローランが管理する。

ダイヤモンドが引き揚げられる数日前に、甲板で夕食用の釣りをするマヌーは、レティシアに近づいて、「分け前は1億フランもある。君は何に使うの?」と訊く。
レティシアは、「故郷のラ・ロシェル市の沖にある、海に浮かぶ大きな家を買うわ。子供のころからの夢なの。家というより、海に囲まれた要塞よ。嵐が来ても平気。海は私の初恋の相手なの」。

マヌーは、「大きな家に一人かい。きっと、寂しいよ」。
レティシアは、「もちろん、あなたたち二人とも大歓迎よ」。

ダイヤモンドが引き揚げられた後になって、ローランがいる操舵室に入るレティシアは、今度はローランから同じ質問を受ける。「入ったお金で、アトリエを買うのかい」。
そして、ローランにこっそりと「もう、作品を造らないわ。あなたと一緒に暮らしたいの」と、愛を告白する。つまり、大金が入る前と、大金が入った後では、大金を手にしたことのない普通の人間は、考え方がコロッと変わるものなのである。

その直後に、フランス国旗を掲げたコンゴ共和国の沿岸警備艇がサイレンを鳴らして停船を命じる。
警備兵は全員のパスポートと航海日誌の提出を求め、警備兵が船内に乗り込んでくると、元パイロットは、「奴らは、コンゴの警備兵じゃない。盗賊だ」だと言うなり、自動小銃をいきなり乱射。偽警備兵たちも銃で反撃し、レティシアが撃たれて死ぬ。

マヌーは、先に撃った元パイロットを怒り、彼を船から降ろしてボートで立ち去るように命じる。
マヌーとローランは、レティシアの遺体に潜水服を着せ、水葬を行った。

フランスに戻った二人は、パリでダイヤモンド原石や金貨をフランに換金し、レティシアの分け前を家族に渡すため、彼女の故郷であったラ・ロシェルへ、メルセデスに乗って向かう。

レティシアが育った故郷は、フランスの西海岸にあるラ・ロシェル市の港から渡船で行く小さな島(エクス島)で、1965年当時は、まだ現代文明から取り残されたような、中世のイメージが色濃く漂う寂れた所だった。

この島で、牧羊をやっている老人の男性から、レティシアの事や生家を訊く。

「レティシアはユダヤ人で、ヴァイスさんの一家は、戦時中の疎開でこの島にやってきた。
しかし、両親はドイツ兵に捕まって消息が不明に・・・。
レティシアはデュブルイという叔父夫婦に育てられ、デュブルイは、この島で雑貨店をしている」と、話した。

早速、その叔父の店に行くと、叔母さんは、「レティシアは、育てた恩に礼も言わず、勝手に飛び出していったの。あの子はもう私たちと関係がないの。込み入った話があるのなら、主人が帰ってから話して」。と冷たい返事だったので、二人は、時間潰しに島の博物館に立ち寄る。博物館の入場料は大人一人1フランで、10歳ぐらいの少年が館長役を務めていて、剥製になったアフリカの野生動物の説明をしてくれた。

夕方になって再び雑貨店を訪ねると、叔父の方も、レティシアを良く思っていないらしい。
デュブルイ氏:「どんなご用件かも知れませんが、レティシアのしでかしたことには、責任が持てません。尻拭いはご勘弁を・・・」。
ローランは、「それは、見当違いです。レティシアさんは事故で亡くなられたのです。お伺いしたのは、遺品を届けに来たのです」。
デュブルイ氏:「あ、そうですか。そうとも知らず、ご親切に。ありがとう」。そこへ、博物館で会った少年が帰宅する。
ローラン:「レティシアさんとこの坊やの関係は?」。
デュブルイ氏「甥ですよ」。
ローラン:「ああ、それならレティシアさんの遺産を引き継ぐ権利がありますね」。

ローランは大きな鞄から1千万フランの札束を積み、
「このお金はこの坊やが二十歳になったら渡して下さい。それまでは、銀行に預けておきますから。レティシアさんの遺産の受取は、公証人に手続きしておきますから、あとでご署名を」。叔父夫婦はびっくり仰天。

翌日、マヌーとローランは、エクス島に来たついでに、レティシアの甥に連れられて、小舟でフォール・ボワヤール(Fort Boyard )という名の海上要塞へ渡る。生前のレティシアが買いたいと言ってた海に浮かぶ大きな家である。
ここは戦時中にドイツ軍が駐屯していて、銃や手榴弾などの武器が残っていた。マヌーがピストルを試射してみると、さすがドイツ製で威力充分だった。

ローランは、レティシアの言ったことが忘れられず、フォール・ボワヤールが見えるエクス島でしばらく暮らしたいと言い、マヌーは、飛行免許試験を再び受験するために、パリへ帰る。

マヌーの帰りを待っていたのは、元カノのイヴェットだけでなく、犯罪組織の4人組の男たちで、マヌーが勤めていた飛行クラブで、彼が戻って来るのを見張っていた。マヌーは飛行免許試験を受験するため、曲芸飛行に挑戦し、腕を認められてライセンスが下りる。マヌーは気分が良くなって、以前に時々顔を出していた賭博場で大金を賭けて、ディーラーを驚かす。

失業中の筈なのに、高級車のメルセデスを乗り回し、金遣いのちょっと荒くなったマヌーは、4人組に怪しまれて尾行される。尾行車に乗る4人の中には犯罪組織に拉致された元パイロットの姿があった。「コンゴで、お前と一緒に潜っていた男は、あの男か?」。

「いや、違う」。パイロットは、マヌーと同じ飛行クラブのインストラクターだったので、裏切ることができず、無言を貫いたので、銃殺される。
マヌーは、元カノのイヴェットとデートとして一夜を共にするが、マヌーは冷めていた。
親友のローランが傍にいないと落ち着かないので、イヴェットに気付かれないように早起きしてラ・ロシェルへ向かう。4人組の男たちもマヌーのメルセデスを追跡する。

ローランは、借家に居らず、一人でフォール・ボワヤールに居た。
レティシアが買いたいと言っていた海に囲まれた大きな家である。それを、ローランが買っていたのだ。

マヌーが戻ってきたので、ローランは大喜び。早速、自分の計画を話す。
「ここをレストラン兼ホテルに改装して、広場に頑丈な柱を立てて、ヘリポートを造る。君がヘリコプターを操縦して、客を送迎して欲しい」と頼む。マヌーは親友の気遣いに喜んだ。
そこへパリからマヌーを尾行してきた4人組の男たちが、フォール・ボワヤールへ上陸し、いきなり発砲してきた。




マヌーを尾行してきた4人組のギャングは、フォール ボワヤールに上陸して銃撃してきた。マヌーとローランは、フォール・ボワヤールに残っていた武器庫からドイツ製の銃や手榴弾で応戦するが、マヌーは胸を撃たれて瀕死の状態で息を引き取る。

マヌーがヘリコプターで、ローランの経営するであろう観光ホテルの客を送迎する夢のプランは果てたが、実際には、今まで放置されていた要塞が、2012年には、この要塞の画面手前にはヘリポートらしいリグが建てられていて、建設資材が運ばれて、改装工事が進められているようだ。

二人は、ドイツ軍が置いていった銃で応戦するが、相手の4人はプロの殺し屋で手強い。マヌーは、銃に撃たれて瀕死の重傷を負う。
一人になったローランは、手榴弾を投げて応戦し、生き残ったギャングを一人残さず、やっつけた。
生き残ったローランは、虫の息になったマヌーに、
「レティシアは、お前と一緒になりたいと言ってたぞ・・・」。
マヌーは、ニャッとして、「この、嘘つきめ」。

ローランは、お金よりも大切な宝物を次々に失い、潮騒の中で起きた深い哀しみに、茫然とするのであった。

2014年2月14日更新 尾林 正利

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