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大人は判ってくれない

映画作家のフランソワ・トリューフォーが、自身が荒廃していた12〜13才の思春期を27才の時に再現した作品で、1959年(日本では1960年)に公開

Les Quatre Cents Coups
un film de François Truffaut

Les Quatre Cents Coupsとは、
"ル キャトル ソン ク"と発音し、直訳では400回の殴打だが、放埒(ほうらつ)に暮らすという意味

青少年時代に、恵まれた家庭環境と理想的な教育環境の中で育った若者たちは、学校という人間の温室栽培のハウスから、社会という露地栽培の厳しい環境へ働きに出て、公平という横社会から不公平なピラミッド型の縦社会のギャップに初めて気付いて、仕事へのモチベーションや会社の人間関係に悩み、そういう時は、ふと、楽しかった子供の頃を振り返るものだ。

「ホウ・レン・ソウ」・・・なんて言葉は、還暦過ぎてから、セミナーで聞いた。
ぼくは個人事業者なので、広告写真の撮影中に、報告・連絡・相談なんて、一々やったことがないので、社員教育のマニュアルに縛られたサラリーマンの社会って、大変だなっと思ってしまう。人間がロボットにされているなって感じる。

当然、「ほうれんそう」を守らない、就業マニュアルに適さない人間は、つまり組織に適さない人は排除される。
学校でも、そうだ。校則に適さない生徒は転校になる。下手すれば、少年院に送致される。
青春期に矯正施設で育ったような若者たちは、社会に出てから、子供の時は楽しかったと振り返るものなのだろうか?

「大人は判ってくれない」というフランス映画は、パリ市内のアパート(日本で例えると、50〜60平米ほどの2LDK賃貸マンション)に住む一般家庭で育ったフランス人の男の子が、日頃感じている大人たちの身勝手な子供への押し付けや振る舞いを、映画監督のフランソワ・トリュフォーが自分自身の不幸な少年時代を振り返って、自分が少年時代にうっ積していた不満と、この映画を製作した当時の子供たちの不満を重ね合わせて、「問題児」と白眼視される子供たちが抱いている、大人に対する不満を代弁したような作品になっている。

思春期を迎える子(とくに男子)を持つ親は、参考に観ておかれた方がいいと思う。

小学生の中頃までは、親や先生の言いなりに素直に従っていた子供たちが、10才ぐらいになると、身の回りの大人たちの言うことが正しいのか、大人中心の社会環境に疑問を持ち始める。
やがて、中学に入って体が大人びて思春期を迎える頃、いつまでも子供扱いされるのを嫌って、親離れの「自我」が一気に芽生えてくる。

17歳の女子高校生を今でも「児童」と扱っている日本は、子供の成熟が早い現状にマッチしておらず、個人的には疑問に感じる。女流小説家のフランソワーズ・サガンは18歳の時に「悲しみよこんにちは」を書いて、世界的なベストセラーに・・・22カ国語に翻訳された。
フランスでは17歳の女は、大人扱い。映画「ヘッドライト」のワンシーンで...、

トラックドライーバーのジャン:「ジャックリーヌも、男と一緒に朝帰りか・・・ふしだらな娘だ」
妻のソランジュ:「あなた、ジャックリーヌは17歳よ。もう、子供じゃないの。クリスマスの朝に帰ってきても、いいじゃない。(ボーイフレンドがいない方が心配だわ)」。

自我の強い子供は、親や先生の言いなりに素直に従わなくなる。これを反抗期と呼んでいる。
アインシュタインは、常識=偏見だと語っている。
世間の常識は、時代の変化と社会の体制や環境と共に上書きされていく。
また、国家が国民に押し付ける常識もある。それが正しいのか、間違っているのかどうかは別にして。

様々な偏見を持つ大人社会に対する子供の反抗は、今の民主主義体制下の日本社会にもある。
26才で夭逝した尾崎豊も、大人たちの支配からの「卒業」を歌って、日本の青少年たちのカリスマになった。高校球児のように、大人から好かれるために好い児ぶるのが照れ臭くて、逆に、不良っぽく振る舞う高校生もいるだろう。

表現の自由が認められた社会の中で育っている現代っ子たちは、躾や教育という名目で、両親や教師からの押し付けや振る舞いを大人の想像を超える観察眼でシビアに見詰め、親の人格や教師の能力を見極めている。

今回は、思春期の少年・少女を描いた佳作の中から、ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家を代表するフランソワ・トリュフォーの出世作である「大人は判ってくれない」を取り上げてみた。「大人は判ってくれない」という日本名の題名は、トリュフォーが考えた題名ではなく、この映画を日本に配給した会社の誰かが名付けたものと思われ、作品の内容にマッチした、実に良い題名だと思う。

この映画を取り上げた理由(わけ)は、監督のフランソワ・トリュフォーが、自分自身の思春期(反抗期)を振り返って、実体験に基づいて原案と脚本(初稿)を書き、少年時代からのフランソワ・トリュフォーの分身を「アントワーヌ・ドワネル」と名付けて、第1作目の12才のアントワーヌ役をパリの夕刊紙で公募し、カメラテストのオーディションを受けにきた数十人の少年たちの中から、個性的なマスクと、役者としての才覚が光っていた、ジャン=ピエール・レオーを主役に抜擢して演技指導を行い、トリュフォーとしては初の長編作品だったというところにある。

トリュフォーは、少年時代に少し不幸な家庭環境下に育って、親に暴力を振るうほど愚れていないのに、親の手に負えなくなった問題児として、義父の判断によって少年鑑別所に入れられるが、出所後は学校へ行かず、義理の祖父が大手の映画興行会社の仕事をしていた関係で、三度の飯より映画を観るのが大好きで連日のように映画館に入り浸りになった。そして、映画通になって、フランス映画に対する持論を書いてみたくなって、映画評論を発表するシネクラブを立ち上げる。

義務教育の学校へすら、ろくに行っていない者が、文章や批評なんて書けるのかと思う人がいるかも知れないが、頭でっかちな知識や余計な先入観の無い方が、自分の考えを伝える文章がシンプルになって、衆人に伝わりやすい。

やがて、トリュフォーの歯に衣(きぬ)を着せぬ映画評論は、フランスの映画評論誌「カイユ・デュ・シネマ」の初代編集長のアンドレ・バザンの目に留まって、同誌に評論を書くようになって、毀誉褒貶(きよほうへん:作品の論評を必要以上に褒め称えたり、徹底的に貶したりする)タイプの映画評論家として頭角を現すようになったが、トリュフォーは映画作家への夢を棄てきれず、1956年には、イタリアン・ネオレアリズモを代表する映画監督のロベルト・ロッセリーニの下で助監督として働くようになった。
そういうこともあって、初めての長編映画「大人は判ってくれない」は、ロッセリーニの演出の影響を受け、この作品を観た印象は、イタリアン・ネオレアリズモの匂いもした。

1957年に、トリュフォーは自分の映画を製作するプロダクション「レ・フィルム・デュ・キャロッス(Le Film Du Carrosse)」を立ち上げた。トリュフォーは、フランス映画作家の大御所であるジャン・ルノワール(印象派画家のオーギュスト・ルノワールの次男)を尊敬しており、社名は、ルノワールの代表作「黄金の馬車(Le Carrosse d'0r)」から拝借したものと思われる。「大人は判ってくれない」では、警察の護送車を「キャロッス」と呼んでいた。

学校の先生や親にウソを付いて、義務教育の学校をさぼり、ウソがばれると、またウソをついてしまう。「ウソも方便」というのは、大人が困った時に使う逃げの方策だ。喧嘩が強い乱暴者(あばれもの)の不良少年や暴走族などをヒーローにして描いた映画は、邦画やハリウッド映画の中には腐るほどあるが、トリュフォーは、俗っぽく観客受けを狙った、暴力で物事を解決する"匹夫の勇"をヒーローにするような暴力映画が大嫌い・・・学校をサボる程度の"ちょい悪問題児"の生き様を描いた映画なんて、商業映画として興行的にヒットするのだろうか?

得てして、世間に出ている著名人たちの自伝的な小説や映画の殆どは、主人公の良い所取りで装飾されて人物像が「美化」されやすく、書いて都合の悪い部分は隠蔽され、眉唾ものが多いのだが、「大人は判ってくれない」では、少年時代のアントワーヌ・ドワネル(フランソワ・トリュフォーの分身)の日常を淡々と赤裸裸に描いているところが良い。

また、母親のジルベルト役になった、クレール・モーリエの演技も光っており、「この親にして、この子あり」という感じがよく出ていた。ジルベルトのように、若気の至りで望まない子を産んだ為に、普通の女性よりも母性愛が希薄になり、子連れで再婚した場合は、母としてではなく、女としての愛情が新しい伴侶に移って、元カレや前夫との間に授かった連れ子を蔑(ないがし)ろにして「育児放棄」や「虐待」する若い母親は、昨今の日本でも少なくない。

この映画の原案とシナリオ初稿は、トリュフォーが自ら執筆し、当初は「アントワーヌの家出(La fugue d'Antoine)」というタイトルであったが、トリュフォーは、自伝的に偏った映画に仕上げるのを好まず、ありのままの実体験に遍在性(どこでもあるような事例)を持たせるため、シナリオの手直しと台詞の部分の執筆を、当時はフランスのテレビドラマで活躍していたシナリオ・ライターで評価の高かったマルセル・ムーシーに協力を仰いだ。

映画を撮りながら、片や現像したラッシュを観ている内に、トリュフォーの思春期の分身を演じるジャン=ピエール・レオーの個性によって、別の少年のイメージが生まれ、「大人は判ってくれない」の主役のストーリーは実話なのだが、架空人物のストーリーになっていった。

「大人は判ってくれない」は、周りの薦めで1959年5月4日のカンヌ映画祭で上映され、FIN になった途端に、観客からスタンディング・オペレーションの拍手喝采が沸き上がり、主役のジャン=ピエール・レオーは、舞台の上から大歓声に手を振った。映画作家フランソワ・トリュフォーが、映画界に華々しくデビューした日であった。

角川映画と角川エンタテインメントが発売元・販売元になっているトリュフォー作品を扱った DVD では、4作品を1巻にワン・パッケージにした、フランソワ・トリュフォー DVD BOX「14の恋の物語」l、ll 、lll シリーズになっている。(各巻の参考価格は10,290円だが、実売は20%ほど安い)
従って、3巻揃えると12枚ディスクになり、12タイトルの長編作品+2タイトルの短編作品が収録されている。 各 DVD 作品には、メニューのコンテンツに、簡単な映画解説も付録していて、少しは参考になる。

フランソワ・トリュフォー DVD BOX「14の恋の物語」のlシリーズに入っている「大人は判ってくれない」のディスクには、99分の本編に、17分の短編作品の「あこがれ(Les Mistons モノクロ作品)」も収録されていて、ディスクのメニューを DVD プレヤー付属のリモコンの十字キー操作で、どちらかを選択できる。 音声言語はフランス語で日本語字幕が表示される。

因みに「大人は判ってくれない」では、アントワーヌの恋は一切描かれていないので、「14の恋の物語」の表示は、"14の恋" 部分が正しくない。2012年8月時点では、まだ、全部観てないが、lllシリーズに入っているジャンヌ・モローが出演した「突然炎のごとく(原題は、Jules et Jim)」が印象に残った。なお、「大人は判ってくれない」では、監督のフランソワ・トリュフォーやジャンヌ・モローがカメオ出演している。

なお、トリュフォーの分身を演じる主役のジャン=ピエール・レオーは、少年時代のトリュフォーに成りきって好演したので、アントワーヌが大人に成長していく続編映画も、そのまま主演を演じていくことになる。

但し、20世紀フォックス・ホーム エンターテイメント ジャパンから発売されている「トリュフォーの思春期」という映画には、アントワーヌ少年は登場しない。こちらは、微笑ましいユーモアのシーンがあって、フランス映画らしい薫りがする。

「トリュフォーの思春期」という DVD ムービーも、現在は単独販売の DVD は無いようで、トリュフォーの力作「アデルの恋の物語(単品販売もあって、これはお奨め)」などが入った5枚セットのパッケージを買わなければならないが、5作品ワンパックの新品価格が驚くほど安くお買い得だった。参考価格が15,540円なのだが、実売は7,000円前後)
個人的には、「大人は判ってくれない(白黒・シネスコ)」よりも「トリュフォーの思春期(カラー・スタンダード)」の方が画質がきれいで、作品内容も面白かった。

さて、子供と言えば、両親も子供も真っ先に頭に浮かぶのが、保育園や幼稚園、学校という所だ。
両親から躾られた子供は、登校日に学校へ通って、担任の先生から必須科目の授業や図工・音楽・体育などの実技指導を受ける。
子供たちは集団行動する学校に通っている内に、集団生活に対する順応力や協調性に差異が生じ、学力、体育に優劣の力差が開いていく。みんな平等という言葉は聞こえは良いが、現実には、個々の生徒には能力差が開いて、みんな平等にはならない。
やがて、クラスで学力とスポーツ能力に優れ、しかも積極性のある生徒は、リーダーになってクラスメートを従えるようになる。

その一方で、集団から、遅れや孤立、消極性が目立つ生徒は、イジメの対象になりやすい。
暴力によるイジメに合わないようにするには、単純に考えると、男の場合は格闘技に強くなるために体をマッチョにして、腕力を鍛えることだが、喧嘩の強い弱いは、流血に物怖じしない残忍な素質が影響するので、誰でも強くなれるものではない。

勉強やスポーツが苦手、しかも臆病な性格でも、それを他のことでリカバリーする知恵と努力が必要になる。
具体的には、習字や似顔絵が際立って上手いとか、リコーダーやハーモニカをセミプロ並みに上手に奏でられるとか、子供なのに英語がペラペラとか、ものまねが非常に上手いとか、クラスで突出した何か得意なものを身に付けておれば、学級内で一目置かれて、イジメられることはないと思う。逆に、人気者になれる。

私事で恐縮だが、ぼくの少年時代は、スポーツは全くダメで勉強はマアマア、自己をアピールするものが全く無い。
イジメから自衛する対策は、ぼくの場合は、先生の手伝いをして張り紙のデザインができる芸と、小・中・高の学校では教えない知識の武装で、自分自身を救った。

殆どのやんちゃな子供は、「手加減」を知らない。例えば、カエルをそーっと女の子の手の上に乗せて、「キャー、キャー」と騒ぐリアクションを面白がって、さらなるリアクションを見たくて、カエルがトカゲに、そして蛇になっていくこともあった。

弄(いじ)る方は、面白がって冗談のつもりなのだが、悪ふざけは次第に暴力にエスカレートして、苛められた子は、クラスメートに会うのが怖くなって、登校出来ないない子も出る。死んだ虫が自分の椅子の上に置かれていて・・・それが自殺に発展。
心理的に相手を恐怖に陥れるプレッシャーは、ヒチコック映画でも見受けられる。担任は、クラスのやんちゃ坊主が同級生に仕掛けるプレッシャーに、気付かないとアカンね。

2010年の日本では、小・中・高等学校で「イジメなどによる自殺」の総数が、警察の調査では年間287名(小学生7名、中学生、76名、高校生204名)で、学校の調査では156名(小学生1名、中学生43名、高校生112名)も出ており、日本では看過できない社会問題になっている。
学校(教育委員会)の調査で、自殺生徒総数が警察発表よりも少ないのは、遺書の無いものを「事故死」として扱っているからである。

凡そ半世紀前の日本に振り返ってみると、ぼくが小・中・高の時代でも、登校日のクラス内で、イジメや喧嘩は時々あったが、加害側も被害側も翌日はケロッとして登校していた。同級生が自殺するようなケースは1件だけで、自殺の原因は、イジメや暴力でなく、失恋による自殺だったらしい。
思春期に失恋したら、次に好きになるような人と出会うのは、内気な者にとってはカンタンではないが、たった一回こっきりの人生を成人になる前に早々と自ら断つのは、勿体ないと思う。

ところで、日本とフランスやドイツでは、学校制度のシステムと教育方針、授業内容がかなり異なるようだ。 フランスでは、義務教育を始める年齢は日本と同じく、日本の場合は、満6才の誕生日以後の最初の4月1日から始まるが、日本での義務教育は、初等教育に当たる小学校が6年制で中等教育は3年制の合計9年だが、フランスでの義務教育は、初等教育は5年制で前期中等教育が4年制の合計9年になっている。

日本の義務教育では、学業成績不十分な生徒の留年制度はないが、フランスでは初等教育から落第して、ストレートに進級できない生徒は少なくないらしい。
ドイツでは、法律で義務教育公立校の「登校拒否」は禁じられ、生徒に対する甘やかしを認めず、強制的に登校させるようになっているらしい。

「大人は判ってくれない」 を観ていると、宿題をサボったり、授業中に注意力散漫な生徒への体罰もあって、学校での教育と躾が日本よりも厳しい。
ぼくも小中の時は、担任の先生から叱られ、反論してビンタや拳骨を食らったことがある。先生の持論が常に正しいと思えないから反論したのであって、その答えが言葉でなく、鉄拳制裁だった。

フランスでは、学校は警察と緊密に連絡を取っており、窃盗、暴力などの非行を繰り返す不良少年は、警察沙汰になって少年審判にかけられ、親の同意で少年鑑別所に送られるか、又は陸軍幼年学校に送られてしごかれる。
日本の少年鑑別所のことは詳しく知らないが、フランスの少年鑑別所には、芝生のサッカー場が併設されていて、試合(ゲーム)の練習ができる。もはや親の手に負えなくなった、心の荒んだ少年少女が入る施設だ。もちろん男女は別々の棟である。不良少女役に抜擢された子役たちの人相がユニークだった。

フランソワ・トリュフォーの分身、アントワーヌ・ドワネル(フランソワ・トリュフォーの分身)の母・ジルベルトは色っぽい美女で、羊飼いの青年と交際中に子を宿し、ジルベルトの母(アントワーヌの祖母)は、二人の結婚に反対したので、母のジルベルトは「堕ろすわ」、祖母は「産みなさい」で譲らず、祖母が「じゃ、私が育てるから産みなさい」ということで、母は産む決心をして、アントワーヌ・ドワネル (フランソワ・トリュフォー)は、産声を上げたのである。アントワーヌは2才まで、乳母役を申し出た家庭に里子に出され、その後、母と同居していた祖母が、里親からアントワーヌを引き取って育てることになった。

アントワーヌにとっては、祖母は命の恩人なのだが、もうすぐ亡くなるような老人には、お金の必要がないからと思い込んで、孫を甘やかすおばあちゃんのお金を少しずつ盗んでしまう。ポケットに入れたそのお金は、母親がアントワーヌの就寝中にポケットの中を調べて取り上げて、祖母に返さず勝手に使ってしまう。祖母から買って貰った本は、母が取り上げて売ってしまう。

そんな身勝手なシングルマザーでも、色っぽい美女なので、プロポーズする男・ジュリアンが現れ、アントワーヌは血の繋がらない新しい義理の父に8才の時から扶養されるようになり、母の実家から独立して、モンマルトルのアパートで三人が一緒に暮らすことになるが、働きに出ている母は経理の仕事で残業が多く(残業とは、愛人の社長とのデートの時もあって)、週末にはとくに帰宅が遅い。自動車部品の販売会社で営業の仕事をしている義父は、帰宅の遅い妻の火遊びにうっすら気付いていて、夫婦喧嘩のもとになる。

両親は共働きなので、家の掃除やゴミの始末、食料品の買物、皿洗いなどの家事は、12才のアントワーヌ少年の役だ。買物の釣り銭はママにきっちり取られる。アントワーヌの昼食代は母持ちなのだが、母親の機嫌が悪い時は、義父が出す。
アントワーヌ・ドワネルの自宅は、2DKで50平米ぐらいの狭いアパート暮らしなので、アントワーヌの居場所は、暖房の効かないトイレ横の廊下で、小さなベッドが置いてあり、寒いので寝袋で寝ている。勉強机やテーブルライトの無い狭い自宅では、勉強や宿題ができない。

両親が深夜まで口喧嘩して睡眠不足になった明くる朝、アントワーヌは学校で担任の教師から叱られ、体罰として学校でも拭き掃除をやらされる。家でも母から叱られながら掃除・・・果たしてこのアントワーヌ少年は、この先、どのようになっていくのだろうか?

主なキャスト

Antoine Doinel アントワーヌ・ドワネル(自宅では口喧しい母のジルベルトに叱られ、学校ではうるさい教師に叱られ、不登校 → 家出 → 窃盗容疑で少年院へ)・・・Jean-Rierre Léaud(ジャン=ピエール・レオー)

Gilberto ジルベルト:アントワーヌの母 (色っぽいグラマー美人で、会社に勤めて経理を担当。子連れでジュリアンと結婚。独身時代に産んだアントワーヌには冷淡)・・・Claire Maurier クレール・モーリエ

Julien ジュリアン:アントワーヌの義父(自動車部品の販売会社に勤務。趣味は自動車クラブでラリーに出場すること。妻より稼ぎが低く、気の強い美人妻のご機嫌を損なわないように、ビクビクと暮らしている・・・ Albert Remy アルベール・レミー

アントワーヌが通う学校の担任教師 (コレージュ第5学年=日本の中学1年生に相当する。クラスの担任)・・・Guy Decomble ギイ・ドコンブル

ルネ・ビジェー:アントワーヌの親友(印刷会社経営者の息子で、家出したアントワーヌを自宅に匿う)・・Patrick Auffay(パトリック・オーフェー)


主なスタッフ

監督:François Truffaut(フランソワ・トリュフォー)
原案・ 脚本:François Truffaut(フランソワ・トリュフォー)
台詞:Marcel Moussy(マルセル・ムーシー)
撮影:Henri Decae(アンリ・ドカエ)
音楽:Jean Constantin(ジャン・コンスタンタン)
美術:Bernard Evein(ベルナール・エヴァン)
編集:Marie-Josèphe Yoyotte(マリー=ジョセフ・ヨヨット)
製作主任:Georges Charlot (ジョルジュ・シャルロ)
製作年と製作国:1959年、フランス
画面サイズとカラー:シネスコ(DYALI SCOPE 1:2.35)、モノクロ
上映時間:99分(DVD)
製作会社:S.E.D.I.F. LES FILMS DU CARROSSE
配給会社: 日本版DVDの発売元:角川映画・(株)角川エンタテインメント

トッポの感想

「大人は判ってくれない」の撮影監督は、「太陽がいっぱい」や「死刑台のエレベータ」を撮った、ヌーヴェル・ヴァーグ・シネマの名手アンリ・ドカエである。
彼の撮った映像美に、ぼくはかなり期待していたのであるが、買った DVD の画質は、全編に亘って画面が暗く陰気で、シャープさがもの足りない。

欲を言えば、当作品のマスターネガからのポジプリントをテレシネでデジタル・リマスターして、画像のシャープさを鮮鋭にし、夜景シーンを除いて全体的に暗く潰れた画面の明暗のコントラストを最適に補正して欲しかった。

古い映画のデジタル・リマスター版の製作には、ヴィジュアルやサウンドの補正にコストが掛かり、DVD 作品の市販価格も高くなると思うが、2012年8月に発売された、紀伊國屋書店発売のアンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド(ポーランド作品:1959年日本公開)」のモノクロ映像を観たが、キャメラワークが良くて、光の使い方がフォトジェニックで、モノクロ古典映画のDVD でも、46インチのデジタルHDハイビジョン液晶テレビで美しく再現されていた。

さすが、映画史に残る名作と言われている理由が、半世紀を経た今になって判った。この映画もぼくが中学生の頃、大阪・アベノのアポロ座で公開されていたが、主役が反ナチ反共テロリストで地区の共産党委員長を暗殺するという内容が、暗そうだったので、「食わず嫌い」で観なかった。しかし、紀伊國屋さんのお陰で、53年後にDVDで初めて観ることが出来たが、映像が素晴らしい作品だった。テロリストの主役マチェック(ズビグニエフ・チブルスキーが好演)が、ゴミ山の中で倒れて死ぬ「人間の屑」。・・・アンジェイ・ワイダ監督の演出が凄い。
「大人は判ってくれない」でも、名手アンリ・ドカエのキャメラワークが生かされる、デジタル・リマスターされた高画質版 DVD をリリースして欲しいものだ。

ストーリー

(分かりやすく要約しましたので、ストーリー通りで無い部分もあります)

この映画のタイトルロールは、少年の目の高さからパリの市街を眺めた、車載キャメラによるローアングルの移動シーンが続く。
タイトル・ロール映像の季節は、当作品のクランクイン(撮影開始)が1958年11月10日だったので、アントワーヌ(ジャン=ピエール・レオー)の心境を反映した曇天の冬空で、しかも、街路樹のポプラの葉は風に舞い散って、枝が骨になってしまっている。正月のパリは、まだイチョウ並木に葉が僅かに残っているので、1月の中頃に撮ったのだろう。

パリの1月は曇天の日が多く、雲が千切れた晴れの日でも日照時間(9時〜4時頃)は短い。風はあまり吹かないが、早起きしてパリ市内を散歩すると、朝晩は京都市内の真冬ように底冷えする。セーヌ川から川霧が立つシーンを入れて欲しかった。
ま、トリュフォーという映画作家は、照明もあまり使わず、映画をキレイに撮りたくないようだ。ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家だから、ありのまま。

勉強ができないというよりか、先生から押し付けられて勉強するのが嫌いなアントワーヌは、今日も嫌な公立学校(12才だから、前期中等教育の第5学年=日本の中学1年生に相当だが、当時は男女共学ではない)に通い、憎たらしい担任が講義する面白くない授業を受けている。これは、アントワーヌだけが勉強嫌いなのではなく、30名ほどのクラスの男子生徒の殆どが勉強嫌い・・・。

この年頃のフランスの男子は、日本の同年代男子より成熟するのが3〜4年も早く、体格が大人びて、ませた少年になると、親に内緒でワインや葉巻の味をおぼえ、悪い先輩?に"やり部屋"のあるキャバレーへ連れて貰って、酒の勢いを借りて、娼婦兼任のホステスから筆下ろしをして貰うケースが少なくない。トリュフォー自身も13才頃からパリの"サンドニ門"付近の色街に一人でうろついて、ポン引に女を世話して貰うなど、性に目覚めるのが早かったようだ。

因みにルイ・マル監督の「好奇心」でも、フランスのディジョン市に住む産婦人科医の三男で、14才の少年ローラン(ブノワ・フェルー)が主役になっており、両親が医学会の会合で数日間の留守中に、ローランの兄トマが、童貞のローランを街外れのキャバレーへ連れて行って、娼婦に筆下ろしを頼むシーンがあるが、男の思春期は、若いグラマー美女の「ピンナップ写真」に、性的な関心を持つ世代である。アントワーヌが通う中学校でも、授業中に男子生徒がビキニ姿の美女のピンナップ写真を回覧板にして教室内で回し合っている。

丁度、ドワネルの席に、ピンナップ回覧板が横から回ってきた時に、黒板で詩を書いていた担任教師が「ドワネル、お前の机の上のものを持ってこい」。
担任は、ドワネルが差し出した回覧板を見るなり、「けしからん。ドワネル、罰として、そこに立ってろ。後で明日までの宿題を出すからな」。
チャイムが鳴り、授業が終わり休憩時間になると、クラスメイトたちは嬉嬉として校庭へ散っていく。しかし、ドワネルだけは、クラス全員の罪を一人で負わされて教室に立たされたままだ。

腹が立ったドワネルは、教室の壁に「ぼくは無実です。先生の不当な罰に抗議します」と書いた。
次の授業で、担任は壁の落書きに気付き、「ドワネル、壁の落書きを消すもの持って来い。早くしろ」。
ドワネルは教室から出て洗面所へ行き、バケツに水を汲んで教室に戻り、絞っていない、水の垂れる雑巾で「抗議文」を消す。
すると、担任は、「ドワネル、お前の消し方は汚い。お前は教室の壁を汚した」と、叱る。
そして、担任がお気に入りの、フランシス・ジャムが書いた「野兎物語」の詩を中々おぼえないクラスの生徒たちに向かって、「(お前らは)頭が悪いばかりか、(敬意を払うべき先生に対して)生意気だ」と激高する。

アントワーヌ少年の家庭での役割分担は、予め母のジルベルトから預かったメモとお金で、小麦粉や玉子、チーズなど食料品の買い出し、ストーブに石炭を焼べて暖房の用意、部屋の掃除、夕食の準備と食器並べを済まして置かなければならない。これらの家事分担は、出産後のアントワーヌを直ぐに里子に出し、2才から祖母に育児を押しつけて、8才まで育児放棄していた母が、今度はアントワーヌを養育する見返りに、母がすべき家事を子供に押し付けたのだった。

父母が帰ってくると、慌ただしい夕食の後、夕食後の皿洗いとゴミ出しに追われ、これから学校の宿題をしょうとした食卓は、夫婦の団欒に取られて、食卓の前で勉強している間がない。夫婦には夜の営みもあるので、ゴミ出しが終わると「あんたは早く寝なさい」と、母から邪魔者扱い。

写真中央が主役の12歳のアントワーヌ・ドワネル(トリュフォーの分身:ジャン=ピエール・レオー)と、左が母のジルベルト、右が義父のジュリアンの家庭で、ダイニング・キッチンで食事している。

ぼくは、フランス映画をよく観るが、フランスの一般家庭は、普段は日本よりも食事が質素で、スープ、パン、おかず一品、ワインで済ましている。フランス人は、毎日フランス料理を食べているわけでは無い。ジルベルトとジュリアンは食事中でも些細な事で口喧嘩する。

そういう家庭事情なので、担任から罰として科せられた宿題を出来なかったアントワーヌは、厳しい停学処分が待っているので、どうせ停学になるのなら、授業をサボってしまえと決断して、翌朝に親友のルネと一緒に学校をずる休みして、公園の遊戯施設やゲームセンター、映画館に行って遊び惚ける。

軍資金は、前日の夜に義理の父のジュリアンから600フランを貰ったからだった。アントワーヌ(※トリュフォーの分身)は、学校の勉強と体育が大嫌いであったが、ジュリアンの父親(義理の祖父)が大手の映画配給会社の仕事をしていたので、映画は大好きで、よく観ていたらしい。
ところが、パリの街中で母が見知らぬ男(勤務先の社長)と抱擁し、熱いキスを交わしているのを発見し、母はアントワーヌが学校に行っている筈なので、昼間から級友のルネと街中をブラブラしているのを見て驚く。お互いにばつが悪いので、もちろん無視した。

学校をずる休みして、丸一日遊び惚けるのは、勉強嫌いでやんちゃな子供にとっては、最大の楽しい日なのである。
学校を休む場合、休み明けに登校する日には、親や保護者が書いた「欠席届」の提出が必要になる。

欠席届には書式があって、男の子の育て方を理解しているルネの親は、数通の「欠席届」をルネに渡していて、日付だけを空欄にして、ルネが困らないように粋な計らいをしている。
アントワーヌの場合は、口喧しい母にウソの欠席届を書いて貰うことを頼めないので、ルネの親が書いた欠席届を貸して貰って、母の字の癖を真似て、自分で欠席届を書くことにするが、何度も書き間違えてしまい、欠席届の提出を諦める

ところが、アントワーヌが居ない時に、裏切り者のクラスメートが暗くなった夕方にやってきて、帰宅していた父親に、
「アントワーヌ・ドワネル君は、病気なんですか?」
これには義理の父・ジュリアンは驚く。その時、母親も帰ってきて、
ジュリアン:「ジルベルト、聞いたか?アントワーヌは、学校に行ってないんだって!」
ジルベルト:「あの子のことでしょう、別に驚かないわ」。

夕食が終って、夫婦の時間・・・、
ジュリアン:「もうすぐ、夏休みだ。ラリー見物に一緒に行こう。ラリーに出れば、自動車好きの知り合いも大勢出来て、俺のビジネスにもなる。でも、子供をどうする?」
ジルベルト:「林間学校があるわ」。

ベッドに寝ころんで、人並に夏休みの家族旅行をちょっぴり期待していたアントワーヌは、母が林間学校に預けるという考えにショックを受ける。母は、ぼくが嫌いなんだ・・・だから、もう母を頼ってはいけないんだ・・・母は死んだと思わなければならないんだ。

翌朝、校庭へ登校してきたドワネルを担任が見つけて、
「ドワネル、昨日は宿題できなかったので、仮病でずる休みしたな。欠席届を見せろ」。
ドワネル:「ずる休みじゃありません」。
担任:「じゃ、学校を休んだ理由は何だ?」
ドワネル:「実は・・・母が死にました」。
担任は驚いて:「・・・本当か、辛いこと言わせてしまったな。教室へ行きなさい・・・」。

その日の午後、義父と母が学校へやって来た。担任は、本当にドワネルの母が死んだのかを、母の勤務先へ電話したのだ。
ジルベルト:「アントワーヌ、あんたは、私を死んだことにして、学校を休んだそうね。本当に酷い子ね。私を死なすなんて!」
義父のジュリアンは、アントワーヌの頬に、往復びんたを食らわす:「お前のやっていることは悪質だ。反省しろ」。

その日、自宅に帰りにくくなったアントワーヌは、親友のルイの計らいで、ルイの父が経営する印刷工場の中でインクの瓶などを入れた重い袋をベッド代わりにして寝泊まりする。寝心地が悪く、寒く、腹も減っているので、中々寝付けない。
早朝、腹の減ったアントワーヌは、菓子店に配達された数ダースの牛乳をケースから1本抜き取って空腹と喉の渇きを癒す。
凍った噴水の氷を拳骨で割って、しもやけになりそうな冷水で洗顔してから学校へ行く。
担任:「ドワネル、あれから、親に何か言われたか?」
(家出していたのを隠している)ドワネル:「いや、全然何も」。
担任:「・・・」。

アントワーヌは、その次の夜もルイの世話になり、今度はルイの父の家にこっそり泊まる。普段は家族が使っていない物置部屋を寝室にした。ルイは、おばあちゃんがお金を隠している宝物入れを鍵で開け、財布に入った札束から1枚を抜き取り、遊興費に充てる。 その夜、アントワーヌとルイは、物置部屋でワイン1本を飲み干し、葉巻をふかしながら、オセロゲームに興じる。

ルネの父がタバコ臭さに気付いて部屋に入ってくると、逃げ遅れたアントワーヌは床に伏せて、頭隠して尻隠さずだったが、アントワーヌの尻を見つけても、ルイの親友だと思った父は息子を咎めず、火の始末に注意しろと言って、部屋を出て行く。

母や義父に何も告げず、二日も家出したアントワーヌに、さすがに薄情な母のジルベルトは心配していた。
金の無くなったアントワーヌが帰宅すると、ジルベルトは初めて母性愛を出して、アントワーヌにシャワーを浴びさせ、頭と体をシャンプーで洗ってやり、バスタオルで体を拭いてやり、何と、自分が寝ている香水プンプンのベッドに寝かす。今までにない、優しい対応である。

久し振りにママとの会話。
アントワーヌ:「ぼくは、まだ眠くないよ」。
ジルベルト:「(まだ12才の半人前なのに)家出なんてバカなことはおよし。今からでも遅くないわ。ちゃんと勉強しなさい。

学校で習う授業には、代数や物理のように一般社会に出て役に立たない科目もあるけど、あんたは、国語(フランス語)をしっかり勉強して、大学へ行くのよ。
パパを見てごらん。大学に行ってないから出世もできず、ズーッと安月給のままなの」と、息子を諭す。

さらに、「今度の作文で、クラスで1位を取ったら、ママは1000フランをプレゼントして上げる。だから頑張るのよ」。
週末は、初めて家族3人が一緒になって、義父が運転する車に乗ってレストランへ行き、食事が済むと映画を観た。
アントワーヌは童心に戻って、久々に笑った。普通の家庭なら、当たり前のことだ。この日ばかりは、アントワーヌは両親の為に良い子らしく振る舞った。
そして、ママの励ましに応えるべく、アントワーヌはバルザックの本を読み、その中の「われ、発見せり」に、感銘を受ける。

学校で作文の発表会が来た。
担任は、「ドワネル、お前の書いた"われ発見せり”は、バルザックの丸写しじゃないか。人の書いた文や詩を丸写しにして、自分が書いたように見せ掛けるのは許せん。あとで校長室に来い。今日から学期末まで停学処分にする」。
すると、級友のルネが「先生、丸写しとは違いますよ」。
担任:「お前も停学だ。後で校長室へ」。

こうして、アントワーヌとルネの二人は学期末まで停学になり、居場所の無くなった二人は悪いことを考えるようになる。
アントワーヌは、二晩家出して外泊したことで、アントワーヌに芽生えた「独立心」に火が点いてしまった。独立すると親を頼れないので、自分でお金を工面する必要がある。そこで、手っ取り早く、窃盗を計画する。

アントワーヌは、以前に行ったことがある義父の働く会社の机に高価なタイプライターが数台置いてあったことを思い出して、タイプライターを盗んで売れば、ソコソコの金になると思い込んで、義父の勤める会社の営業時間が終った後に、オフィスに忍び込んで、タイブライターのかっぱらいに成功する。しかし、12才の子供の力ではタイプライターを運ぶのは重過ぎた。

日本はもちろん、フランスやイタリアにも質屋はあるが、未成年者が持ってきた質草は受け取れない。
換金可能な物品を質に入れる時は、日本でもフランスでも、身分証明になる自動車運転免許証や健康保険証などの提示が必要だ。

それに、タイプライターには、カメラと同じく製品番号(シリアルナンバー)が刻印してあって、警察から被害届けが出ている盗難品のシリアルナンバー・リストとの照合で一致すると、質屋は警察に通報して、盗難品を渡さなければならない。

質屋はダメだったので、闇のブローカーにタイプライターの委託販売を任すことになるが、アントワーヌは、闇屋から高い手数料をぼったくられそうになって、結局、タイプライターをかっぱらった元の場所へ返却することにした。

ところが、また義父が勤める会社に忍び込んで、タイプライターを返しにいったところ、今度は運悪く守衛に見つかって拘束され、義父が呼び出されて、アントワーヌの窃盗容疑が明らかにされる。
義父は、勤務先の会社に対して、面子が丸潰れになって、怒り心頭。アントワーヌを無理矢理引っ張って警察へ連れていく。

普通は子供がこのような犯罪を犯したら、タイプライターは元に戻って来たのだし、親は子供を庇って、警察沙汰にしたくないのが一般的なのだが・・・。

取調官:「ここへ来られたのは、お子さんが会社のタイプライター1台を盗んだということですね?・・・詳しく話してくれませんか」。

義父:「ここにいる息子が、私が勤務する会社にこっそり入って、机の上のタイプライターを盗もうとして、守衛に捕まったのです。
(実際は、かっぱらいを反省したアントワーヌが、タイプライターを返しに来た時に捕まった・・・大人は判ってくれない)

妻と一緒に、この子をしっかり躾ているんですが、親を怖がらず、中々我々の言うことを聞きません。黙って家出をするし、手に負えないこの子をあなた方で監視して欲しいのです」。

取調官:「反抗期ですな。住居不法侵入と窃盗未遂容疑、それに家出の常習(実際は1回)・・・一応、少年審判所送りになりますが」。
義父:「息子にちょっと怖い目をさせて、目を覚ませたいので、荒療法は仕方がありません。妻も歪んだ息子の性根を叩き直して欲しいと言っております」。

取調官:「わたしも、あなたと同じように子供を持つ親です。だから、親の気持ちが判りますが、でも、お子さんは12才の未成年者であり、しかも窃盗未遂の軽犯罪なので、少年審判所へ送って供述調書をとった後は、ご夫婦が引き取ることも出来ますし、少年鑑別所で更正教育を受けさせることも出来ます。どうなさいますか?」
義父:「少年鑑別所で、お願いします」。

取調官:「つかぬことをお訊きしますが、ここにいるアントワーヌ君は、ご主人のお子さんですか?」
義父:「いや、妻の連れ子です」。
取調官:「あぁ、(やっぱり)そうでしたか。じゃ、もしも、少年鑑別所へ入所する場合には、奥様の同意が必要ですよ」。

義父が帰ると、アントワーヌは得も言われぬ不安にかられる。
先ず、警官がやって来て、アントワーヌは警察の留置所(鉄格子で囲まれた部屋)に放り込まれる。
相部屋には大人の犯罪者が先に入っており、しばらくすると、3人の娼婦が入ってくる。
12才のアントワーヌと3名の売春婦が同じ留置房に入れるのは良くないので、アントワーヌは独房に入れられた。

やがて、拘置所へ移送される「護送車」が到着し、アントワーヌも乗り込む。
護送車の小さな窓から見る、鉄格子越しのパリの夜景に、初めて涙がこぼれるアントワーヌ・ドワネル。
これからは先は、ズーッと鉄格子や金網に囲まれた檻の中で過ごすことになる。自由が束縛されるという意味では、動物園に飼われたオオカミやライオンと同じ扱いだ。

少年審判所では、アントワーヌの供述を元に調書がとられ、10指の指紋押捺と顔写真も正面と右横顔を撮られて、いよいよ少年鑑別所に送致される。
鑑別所に入ると、先ず、私服を脱いで制服と着替え。自殺防止のため、ズボンのベルトや靴紐は没収。

そして、入所後に初めての面会日に母がやって来た。
ジルベルト:「アントワーヌ、あんたがパパに送った手紙読んだよ。酷い手紙ね。もう、引き取りに来ないからね。私がパパと一緒になった時、アンタを快く受け入れ、扶養してくれた義理の父を恨むなんて・・・。
パパは、もう、お前の将来に関心が持てないと、こぼしていたわ。わたしもそうよ。もう、あんたとは二度と一緒に暮らせないわ。これからは、あんたの気の向くままに、自由に生きなさいよ」。

両親から勘当されたアントワーヌは、ある日、鑑別所内のサッカーの練習中に鑑別所のフェンスに掘られた穴をくぐって脱出する。監視員はしばらく追って来たが、振り切って撒いてしまう。

そして、アントワーヌは走る、走る、走る。鑑別所から十数キロ走ると、広い大海原が見える。

海の好きなアントワーヌは、モヤモヤしていた気持ちが解れて、これからは、親や学校に頼らず、自分の好きな道を歩む決心をする・・・

FIN

(※実際のトリュフォーは、少年鑑別所からの脱走を数回繰り返すが、いずれも警察に捕まって逆戻り。矯正期間を終えて出所する)

「大人は判ってくれない」という映画は、1959年末にフランスで始まったヌーヴェル・ヴァーグという、その当時の社会で反社会的、或いは反体制的な人物を主人公にした、新しいジャンルの映画でもある。

フランスで始まったヌーヴェル・ヴァーグのトレンドは、ハリウッドにも飛び火し、アメリカン・ニューシネマ(ハリウッド・レジスタンス)を生み、アーサー・ペンは1967年に、大恐慌時代に実在したアベックの銀行強盗(Bonnie and Clyde)を描いた「俺たちに明日はない」を発表し、1969年に映画作家のジョン・シュレシンジャーが華やかな大都会で落ちこぼれていく田舎育ちの青年を活写した「真夜中のカーボーイ」を作った。またイタリアでは、ダーティーな賞金稼ぎを主人公にしたマカロニ・ウェスタンを生むことになる。

2014年2月18日更新 尾林 正利

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