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戦場にかける橋

1957年公開・原作はフランス人作家ピエール・ブールの小説「クウェー川の橋」の映画化

The Bridge on the River Kwai
Directed by Sir David Lean

昭和生まれの日本人男性なら、太平洋戦争時に、硫黄島における日米激戦の様子は、多かれ少なかれご存知の筈だと思う。
太平洋戦争(マレー半島の西側のアンダマン海でも日英海軍の海戦があったので、大東亜戦争と呼ぶのが正しいと思う)という問題になると、すぐに過敏に反応を起こして、日本は軍国主義国だヒステリックに叫ぶ隣国の人もいるが、どの国の主導者でも、国土と国民の命と財産を守るという重責があって、国防を重視している。永世中立国のスイスでも徴兵制があって、国防軍が配備されている。

日本の開国も、アメリカ東インド艦隊のペリー提督の砲門外交(1853年7月8日、旧暦では嘉永6年6月3日、東京湾で脅しの空砲数十発を発射)に、江戸幕府はびびって、ペリーの開国要求に屈服して鎖国を解き、幕府は、日本にとって不利益な条約を丸呑みさせられた。

これを皮肉った狂歌が、「太平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四杯で 夜も寝られず」
"上喜撰"とは、宇治茶のブランド喜撰山(煎茶)に由来か?
"杯"は、船を数える単位で、ペリー提督の4隻の蒸気船(黒船=軍艦)に引っ掛けた狂歌である。

少し前の2006年に、硫黄島の戦没者遺骨調査で、大日本帝国陸軍・小笠原兵団(栗林忠道中将)の将兵たちが、迷路のような洞窟内の地中に埋めた多数の手紙が発見され、それを知ったアメリカ人の映画監督・俳優であるクリント・イーストウッドが日系2世アメリカ人のアイリス・ヤマシタに脚本を頼み、自ら監督して「硫黄島からの手紙」という映画を製作した。

この映画は、アメリカの戦争映画としては、当時は敵国であった日本人からの目線(視点)から初めて描かれ、全編が日本語の台詞で、日本人俳優が日本語で喋るリアリズムを強調した映画だった。エンド・クレジットだけが英語表記である。

アメリカ人の映画監督が日本を描くと、フジヤマ、ゲイシャ・ガール、サムライ、なぜか中国風の音楽が流れる雑な演出の映画が殆どだったのだが、米アカデミー賞最優秀監督賞を数回受賞しているクリント・イーストウッドは、戦時中の日本人の生活と、時代考証に拘り、日本人に対する従来の印象を排除した、ワンランク上の作品に仕上げていた。

太平洋戦争で日本軍と米軍が戦火を交えた映画は、戦後になって、米軍の戦いを正当化したアメリカ目線のプロパガンダ映画が数多く作られ、ドラマよりも、米軍用機の戦闘シーン(ドッグファイト)や米空母に離着艦するシーンに興味があったぼくは、中学生の時によく観たが、戦争映画として印象に残ったドラマは、イギリス人のアリステア・マクリーンの小説を映画化した「ナバロンの要塞(1961年公開)」ぐらいだ。美人の女スパイも登場する。

なお、戦争映画でも、捕虜収容所から脱獄する映画には名作が多い。ジャン・ルノワールの「大いなる幻影(1937年公開)」、ビリー・ワイルダーの「第十七捕虜収容所(1953年公開)」、ジョン・スタージェスの「大脱走(1963年公開)」、そして、デヴィッド・リーンの「戦場にかける橋(1957年公開)」だ。

「戦場にかける橋」という映画は、配給会社のコロムビア・ピクチャーズが製作費を出しているので、米英合作映画であるが、イギリス人監督のデヴィッド・リーン(当作で、アカデミー賞最優秀監督賞を受賞)と主演男優のアレック・ギネス(当作で、アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞)が、共にイギリス人で、映画の演出や俳優の演じ方がアメリカとはかなり違う。演出が玄人好みなのだ。

イギリス人のデヴィッド・リーンは、イギリス色の濃い映画に、軽々しいアメリカ人の出る幕はないと、台詞のある俳優は、正確な英語を喋る英国人にすると発言したので、この映画に280万ドル(1956年当時)も投資することになったコロムビアの社長が怒り、 デヴィッド・リーンに「アメリカ人の俳優を使え!」と、クレームを付けた。

そして、プロデューサーのサム・スピーゲルが、監督を説得して、ピエール・ブールの原作にはないアメリカ軍人が登場するシチュエーションを作り、原作を大幅にアレンジして、当時は非米活動委員会から睨まれていた、スクリーンライターのマイケル・ウィルソンにこっそりと、台本の書き直しを頼んだ。
アメリカ人が出る幕は、シアーズ中佐(実は、米海軍の二等水兵)を演じることになった、ウィリアム・ホールデンである。

ウィリアム・ホールデンは、マッチョな俳優で、殆どの映画で上半身裸になって筋肉美を見せるのが好きなナルシストのようだ。
1953年公開のビリー・ワイルダー監督の「第十七捕虜収容所」でも、ドイツ軍の捕虜収容所から脱走する米陸軍航空軍の軍曹役を演じ、アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞している。この映画はモノクロだが、個人的には面白かった。キム・ノヴァクと共演した「ピクニック」の演技も良かった。

デヴィッド・リーンは、コロムビア社長への当てつけか?アメリカ兵は自己中心で要領がよくてワガママ、イギリス人隊長をプライドの高い、名誉を重んじる頑固な男として描いた。ウイリアム・ホールデンは主役ではないが、この映画で破格の100万ドルの出演料を手にした。

太平洋戦争時に、日本軍が当時の同盟国であったタイのカンチャナブリー県の町に設置した第十六捕虜収容所に、鉄道建設の作業員としてシンガポールのチャンギ捕虜収容所(英軍のセララン兵舎もチャンギの刑務所にされた)から連れて来られた、英軍とオーストラリア軍捕虜の隊長の目線から描かれている。

1942年6月中旬から起工された、当時の日本軍がタイのバンコクとビルマ(現在はミャンマーと改名)のラングーン(現在はヤンゴンと改名)間を結ぶ、泰緬鉄道(たいめんてつどう)という日本軍専用鉄道の架橋工事が背景になった作品である。

この鉄道は、工事に従事した英兵捕虜にも死亡者が多かったので、「Death Railway:死の鉄道」と呼ばれていて、70年前の当時も現在も、インドシナ鉄道標準軌(1000mm)が採用されていて、JR在来線の狭軌ゲージ(1067mm)に近いので、廃車にしたJNRのブルトレなどがタイに譲渡されている。現在は、タイ国鉄のナムトック線(旧泰緬鉄道)は、バンコク・トンブリ駅〜ナムトック駅まで、毎日2往復のディーゼル機関車牽引の客車が運行されている。

この映画のロケーションは、ピエール・ブールの小説にはない鉄橋爆破のシーンがあるので、タイ政府の許可が降りず、残念ながらタイ国内ではなく、景観と樹木がタイと似たセイロン島(スリランカ)で行われることになった。
首都コロンボから東へ80kmほど離れたキトゥルガラ(Kitulgala)というジャングル地帯で、映画関係者の宿泊施設が建てられ、250日掛けて撮影が行われた。

ここに決まったのは、アート・ディレクターのドナルド・M・アシュトンの親戚が、ヌワラエリアで大規模な茶園を経営していたので、デヴィッド・リーンをセイロンに誘ってロケハンし、監督もここで映画を撮ることに同意した。

キトゥルガラに撮影用の線路(軌間610mm)を2kmほど敷き、セイロン国鉄のナローゲージ路線で廃車になった機関車(インドのダージリン・ヒマラヤ軽便鉄道と同形式の中古車)1両と客車4両、後ろから押す補機のディーゼル機関車1両を買い取って走らせ、木製の鉄道橋は、デンマークの橋梁建設会社に依頼し、鉄道橋の爆破シーンは、火薬を扱うイギリスの化学会社のICI社に頼んで、セイロンで行われた。

キトゥルガラはヌワラエリア市の隣でヌワラエリアはセイロン紅茶の名産地である。大阪のインド料理店で食事したことがあるが、食後に飲んだヌワラエリア産の紅茶を使ったミルク・ティーが、メイン料理よりも美味しかった。

泰緬鉄道を建設したのは、元は英国であったが、湿度の高い熱帯雨林のジャングルで、犠牲の多い難工事になったので、道床工事を少しやった時点で中止にした。その跡を大日本帝国陸軍の第15軍(1942年当時の司令官は、飯田祥二郎中将:ビルマ方面担当)が、泰緬鉄道の工事を再開した。

第15軍の配下には、当初は五個師団(凡そ11万人:大日本帝国陸軍1個師団 凡そ22,000人×5)が、ビルマ(ミャンマー)方面に派兵され、その中から1万2千人の将兵が鉄道建設の任務に就き、第25軍(大本営南方軍)がシンガポール作戦で、降伏したパーシバル中将の英軍捕虜(オーストラリア兵も含む)たち6万1千人を泰緬鉄道の建設に動員し、さらに占領地で募集したタイ人、ビルマ人、マレーシア人、インドネシア人、中国人、インド人たち14万人を動員して鉄道が敷設されたと伝えられている。

捕虜には労働の賃金はないが、日本軍が募集した土木作業の労務者には賃金が払われたが、3K(きつい、きたない、きけん)の仕事に、14万人もの労働者が集まるワケがなく、半ば徴用による動員だったらしい。

第15軍が、タイとビルマに敷設した泰緬鉄道とは、タイのノンブラドック駅(バンコク駅から西へ約70kmの駅)〜泰緬国境の峠”スリーパゴダパス”まで263km、ビルマ側のタンビュザヤ〜スリーパゴダパスまで152kmの総延長415kmの鉄道路線で、見積りで60カ月の工期を17カ月で完成し、1943年10月17日から415km の全区間の運用が始まったが、大本営が第15軍指揮官に工事を急がせたため、手抜き工事も多く、開通当初は列車運行中の脱線事故が相次いだらしい。

泰緬鉄道に使う鉄道車両は、1942年2月15日に第25軍(大本営南方軍)の山下奉文中将(やましたともゆき:最終階級は陸軍大将、通称が"マレーの虎")が占領したシンガポールで接収した、英国製の蒸気機関車やボギー台車を履いた貨物車を利用することになった。
運良く、シンガポール〜バンコク間はマレー鉄道(現在はイースタン&オリエント急行も運行)があって、途中駅のノンブラドック駅に車両基地を建設し、この基地にシンガポールの車両を回送すればいいワケだ。

太平洋戦争後は、泰緬鉄道の所有権は、日本から戦勝国のイギリスに移転し、第15軍で生き残れた僅かな日本軍将兵たちは、武装解除されてビルマから撤退し、輸送船で日本へ帰国し、家族のもとに復員していったが、イギリスが日本に代わってビルマを再び占領し、英軍は忌まわしいビルマ側の泰緬鉄道の線路を一部撤去した。
タイ政府は、イギリスから泰緬鉄道を買取り、ビルマ国境近くのナムトックまで泰緬鉄道の線路が保存され、別名で"死の鉄道”と呼ばれた線路の上を現在はタイ国鉄ナムトック支線の列車が運行している。

タイ国鉄の「ナムトック支線」の動画では、泰緬鉄道の今の様子がインターネットに多数アップされている。「前面展望:death railway cab view」のキーワード入力で検索できる。
死の鉄道と言われた所以は、泰緬鉄道の工事で、タイ側の工事だけでも、21カ月間に8722名の死者が出た。タイの2カ所に慰霊碑のある墓地が建設されている。殆どが過労死、栄養失調、脚気、自殺、蚊が媒介する二つの風土病と伝染病(デング熱、マラリア、赤痢など)による病死だと言い伝えられている。

映画の「戦場にかける橋」に該当する橋は、今でも現地に現存するようだが、日本政府が太平洋戦争の戦後賠償として、戦後間もない1950年に、この映画が製作・公開される6年前に、横川橋梁と日本橋梁の二社によって建て替えられたものだ。
その橋がどこにあるのかと言えば・・・、
タイ国鉄のバンコク・トンブリ駅から西北西に138km離れた熱帯雨林に囲まれたところにある、ローカル気動車で、バンコクから約3時間掛かるらしい。

カンチャナブリー県のカンチャナブリー駅の次「River Kwai Bridge駅」を下車して歩いて見学できる、クウェー・ヤイ川に架ける鉄道橋の事である。
現在は鉄道橋の近くが観光地になっていて、資料館も建てられ、日本人観光客の他に、欧米からの観光客も多いらしい。戦時中に架けられた鉄道橋は、現在より100m南に架けられていたが撤去された。

なお、行先を聞くのに、

タイ人に「クワイ川鉄橋はどこですか?と訊かないように。クワイとはタイ語で、男性器のことなので、クウェーと言うように。

この川は、メークローン川という名前だったが、映画でクウェー川として描かれたので、観光客を誘致したいタイ政府は映画に合わせて改名したそうだ。

日本軍が、このような熱帯雨林のジャングルの中に鉄道を敷設した理由は、日本の友好国であったタイ政府の許可を得て、ノンブラドック駅から、軍用鉄道の分岐線を敷設し、日本が一時占領したビルマのタンビュザヤまで、第15軍配下の第15師団(祭兵団)、第31軍(烈兵団)、33師団(弓兵団)の66,062名の将兵や物資を泰緬鉄道で輸送して、印緬国境に近いインパールにある英軍基地や飛行場を破壊し、中華民国国民政府への武器弾薬の供給路になっている中国雲南省の昆明を結ぶ「援蒋ルート」を断つことであった。
さらに、インドの反英独立運動家チャンドラ・ボースのインド国民軍(英印軍の捕虜集団)45,000 余名を支援して、英軍を弱体化させたい目論見もあった。

「戦場に架ける橋」の映画は、英国人の視点から描かれたもので、日本版には、上記のような説明が一切なく、日本の観客に一番肝心な事は省略されている。
つまり、この映画は、実際の泰緬鉄道では全く撮影されず、かといって、娯楽作品でもない。
「戦場に架ける橋」という映画は、人間の狂気を描いた大作なのである。

この映画の原作は、なんとピエール・ブールというフランス人が書いた小説を英国風にアレンジしたものだ。
第二次世界大戦で、1940年7月1日〜1944年8月25日まで、パリはナチスドイツ軍に占領され、フランスの首都はパリから南へ350km離れた町・ヴィシーに遷都して、親独政権のヴィシー政権(1940〜1944年)が誕生し、フィリップ・ペタン主席による新政権が誕生した。

ペタン主席は、ナチス政権のドイツに発足した国家秘密警察"ゲシュタポ"に協力して、フランス人の抗独レジスタンスを厳しく取り締まった。
フランスのドイツ贔屓の警官が、フランスの真の愛国者を逮捕する風潮を嫌った、作家のピエール・ブールは本国を離れ、当時はフランスの植民地であった、印度支那(インドシナ:ベトナム・ラオス・カンボジアの三国)において抗日ゲリラ兵、反ヴィシー政権のゲリラ兵として活動していた。

ピエール・ブールが、実際に日本軍の捕虜になって、捕虜収容所内での体験を書いた原作(英訳本)をカール・フォアマン脚色して映画化されることになったが、デヴィッド・リーンは、フランス語直訳の台詞が気に入らず、マイケル・ウィルソンに頼んで台本を仕上げた。

1942年当時は、日本軍はフランス政府の親独ヴィシー政権との間で捕虜引き渡し協定を結んでおり、ピエール・ブールが日本軍の捕虜収容所にいた期間は短い。
ピエール・ブールは、ヴィシー政権のレジスタンス活動家の収容所で強制労働されていた期間の方が長く、彼が脱獄したときは、母国フランスでは、米英の連合軍によって、パリが解放されていたらしい。

普通の映画監督なら、凡庸な映画になるところを、巨匠のデヴィッド・リーン監督は、従来の戦争映画を超越した作品に仕上げた。

1、日本人の捕虜収容所所長の斎藤大佐とは・・・日本軍に降伏した英軍部隊の将兵は、その瞬間から軍人ではなく、(降伏して切腹しなかった)将校も、二等兵と同様にスコッブを持って鉄道工事の作業を命じる。
武士道の精神と「戦陣訓」が反映。第25軍(大本営南方軍)の司令長官、山下奉文(ともゆき)中将の「喜んで働け」が座右の銘。

2、イギリス人であるニコルソン中佐とは・・・敵軍に降伏しても、将校の名誉はジュネーブ協定27条で守られ、敵のために労働しなくて良いと主張し、斎藤大佐からビンタを食らい、オーブンと怖れられた営倉に入れられる。部下の英兵捕虜たちは、日本人の隊長から命じられてもあほらしくて、真面目に働かない。
クウェー川橋梁の工期は、完成期日が決まっており、工事が一向に進まない斎藤大佐は、ニコルソンの無言の抗議に折れて、クウェー川橋梁の建設は、部下の英兵から信頼されているニコルソン中佐に任す。

兵士の上に立つ将校は、いかなる環境に於いても部下に明確な目標を持たせることが重要だとして、日本人が考えた橋よりももっと凄い橋を造ろうと部下を叱咤激励する。これには、斎藤大佐は驚く。

3、アメリカ人のシアーズ中佐とは・・・シアーズは米太平洋艦隊の二等水兵で、日本軍の攻撃を受けた時に艦が沈み始め、死体になった海軍中佐の帽子や服を脱がせて、米海軍の中佐に成り済ました要領のいい男である。
シアーズ水兵は、捕虜になっても、中佐と詐称すれば、二等水兵よりも好待遇が得られると考えた。しかし、斎藤大佐の前では、捕虜になれば、大将も二等兵も同じ扱いにすると、通じなかった。

第十六捕虜収容所では、自称シアーズ中佐は、死んだ捕虜の墓掘り係を進んで担当し、遺体から金品を掠めて、タバコが欲しい時や仮病したい時の賄賂に使う。熱帯雨林に囲まれた第十六捕虜収容所から脱走すると、99%助からないが、1%に賭けて3人の仲間と脱走し、図太いシアーズだけが生き残る。
しかし、英軍情報部にシアーズの階級詐称がばれて、クウェー川橋梁の爆破隊のガイド役に命じられるようになる。この三人が絡むストーリー展開が面白い。

1943年2月〜5月、タイ西部のジャングルを蛇行するクウェー川に架ける泰緬鉄道の鉄橋工事を巡って、捕虜収容所所長の斎藤大佐、捕虜になった英軍のニコルソン中佐、収容所から脱走した米兵のシアーズが、それぞれの使命を果たすため、誇りを持って闘う。
「戦場に架ける橋」は、汗臭い男ばかりが出る映画ではなく、アメリカ人が好む水着女性の登場シーンもある。

主なキャスト

Shears(シアーズ:米海軍の二等水兵だが、日本軍に捕まって中佐と詐称)・・・William Holden(ウィリアム・ホールデン)
Colonel Nicholson (ニコルソン英軍中佐:捕虜になってもプライドが高い)・・・Alec Guinness(アレック・ギネス)
Major Warden (英情報部将校ウォーデン少佐:316部隊を指揮)・・・Jack Hawkins(ジャック・ホーキンス)
Colonel Saito (斎藤大佐:大日本帝国陸軍第15軍第十六捕虜収容所所長)・・・Sessue Hayakawa (早川雪洲)
Major Clipton (クリプトン軍医:少佐)・・・James Donald(ジェームズ・ドナルド)
Lieutenant Joyce(爆破隊員 ジョイス中尉)・・・Geoffrey Horne(ジェフリー・ホーン)
Colonel Green (爆破隊員 グリーン大佐)・・・Andrè Morell(アンドレ・モレル)
Captain Reeves (橋梁建設技師リーヴス少佐)・・・Peter Williams(ピーター・ウィリアムズ)
Major Hughes (橋梁建設技師ヒューズ大尉)・・・John Boxer(ジョン・ボクサー)
Grogan (グローガン)・・・Percy Herbert(バーシー・ハーバート)
Baker( ベイカー)・・・Harold Goodwin(ハロルド・グッドウィン)
Nurce (セイロン:スリランカにある英陸軍病院の美人ナース)・・・Ann Sears(アン・シアーズ)
Captain Kanematsu (兼松大尉)・・・Henry Okawa(大川平八郎)
Lieutenant Miura (橋梁建設技師の三浦中尉)・・・Keiichiro Katsumoto(勝本圭一郎)
316部隊の爆破隊を支援する数名の女性・・・ビルマの女優(2名は、クレジットあり)

主なスタッフ

監督:Sir David Lean(デヴィッド・リーン)
製作:Sam Spiegel(サム・スピーゲル)
原作:Pierrè Boulle(1952に出版された、ピエール・ブールの小説 Le Pont de la Rivière Kwai)
脚本:Michael Willson, Carl Foreman(マイケル・ウィルソン、カール・フォアマン)
撮影:Jack Hildyard(ジャック・ヒルドヤード)
音楽指揮:Malcolm Arnold(マルコム・アーノルド)
演奏:Royal Philharmonic Orchestra
美術:Donald M. Ashton(ドナルド・M・アシュトン)
ヘアーメイク:Stuart Freeborn, George Partleton(スチュワート・フリーボーン、ジョージ・パートルトン)
編集:Peter Taylor (ピーター・テイラー)
録音:John Cox(ジョン・コックス)
画面:シネマスコープ(1:2.35)、テクニカラー作品
ロケ地:セイロン島(スリランカ)のキトゥルガラ(Kitulgala)
    セイロン島のコロンボにあるマウントラヴィニアホテル(戦時中は英陸軍マウントラヴィニア病院)
製作会社:Sam Spiegel Production, Horizon Picture(ホライゾン・ピクチャー)
配給:Columbia Pictures Corporation (コロムビア・ピクチャーズ)
DVD製作:Sony Pictures Entertainment Japan Inc. (ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント・ジャパン)

ストーリー

中国人や韓国人の映画監督なら、旧日本軍をテーマにする時は、必ず、極悪非道の悪人として大袈裟に描くと思うが、さすがに紳士の国の巨匠は、憎しみや感情論で映画を製作するようなバカなことをしない。反日のプロパガンダ映画になってしまうので、有能な映画作家は中立の立場を貫く。映画を見終わった後に、観客に考えさせるのが、デヴィッド・リーンの映画手法なのである。
この映画を観る前には、若干の予備知識がいる。

1、原作では、アメリカ人のシアーズは登場しないが、映画ではアメリカ軍人が登場する。(この映画に多額の出資をしたコロンビア映画の意向)
2、戦時中に日本軍が架けたクウェー川の鉄道橋は、英軍機からの空襲で橋の一部が損傷したが、英陸軍特殊部隊によって橋が爆破された事実は無い。事実と創作が入り混じった不思議な映画でもある。
3、タイがドラマの舞台なのに、撮影は殆どセイロン島(スリランカ)で行われた。

イギリスでは、映画やテレビで英軍を描く場合は、クレジットに表記されないが、軍の協力と、軍の監修が必要になるらしい。
太平洋戦争の始め、シンガポールを守っていた英軍司令官のパーシバル中将(後に将軍)は、大日本帝国陸軍の山下中将に降伏したことを根に持っていて、日本軍の捕虜になった英軍将兵が泰緬鉄道の建設に労務者として働かされた屈辱には耐えがたくて、この映画の台本を見て気に障り、この映画の製作には、英軍を一切協力させなかったそうだ。

だから、軍用輸送機からパラシュート降下のシーンの撮影は、出資者のコロンビア映画の伝手を頼りに、米軍の協力で行われたらしい。監修はパーシバル将軍以外の英軍高官に依頼し、「イギリスで公開してもよろしい」というお墨付きを貰った。
従って、この作品は英国国民向けに製作された。日本人の中には、違和感を感じる人もおられると思うが、個人的には、さほど抵抗感は少なかった。

この映画のプロローグは、平和を象徴する、大空に舞う鳥のアップから始まり、キャメラがゆっくりとパンダウンすると、タイとビルマ国境のジャングル地帯の俯瞰になる。
だが、実際はセイロン島で撮ったものである。
キャメラはジャングルの中に入り込み、線路脇に立てられた質素な十字架が次々にフレームインしていく。

驚くのは線路の幅で、セイロン島は、インドと同じ広軌(1676mm)鉄道で、唖然とした。タイの国鉄は狭軌(1000mm:インドシナ標準軌)なので、線路の幅を見れば、タイで撮影されていないことが、鉄道ファンならすぐに分かる。一応、大目に見てあげてね。
ここに、シンガポールのチャンギ収容所から大勢の英軍捕虜たちが無蓋貨物車にすし詰めにされて運ばれてくる。(※マレー鉄道もゲージが1,000mm)

1943年1月下旬、タイの西部のカンチャナブリー県の町に設置した第十六捕虜収容所に、泰緬鉄道のクウェー・ヤイ川に架ける橋梁建設の為に、土木作業員としてシンガポールのチャンギ捕虜収容所から数十名の英軍兵士が「口笛」を吹きながら、銃の代わりに鍬を担いで隊列を組んでやってきた。隊長は、ニコルソン中佐である。英軍将兵は、チャンギでの捕虜生活が長いので、軍服はボロボロ、靴は破れてペタペタ、乞食同然の身形だが、英軍の誇りを保っている。



第十六捕虜収容所所長の斎藤大佐(映画上の人物)が英語で挨拶する。
「君たちは、日本軍が建設する、タイのバンコクからビルマのラングーンを結ぶ泰緬鉄道の建設のために、ここに連れて来られた。
君たちにはここのベースキャンプで、将校も兵士同等に働いて貰う。
日本軍は、働かない者には食わせない。
よく働けば、待遇を上げてやる。真面目に働かない者には罰に処する。
君たち英軍は、クウェー川に架ける橋を担当して貰う。やり甲斐のある仕事だ。

次に、脱走の注意を言っておく。ここの収容所には有刺鉄線や監視塔も無い。それは必要ないからだ。ジャングルの孤島からの脱走は不可能だ。ジャングルには食料や水もない、毒蛇(キング・コブラなど)に咬まれ、マラリア蚊に刺されて死ぬだけだ。今日は休んで明日から仕事にかかれ。最後に山下将軍のモットーを教えてやろう。喜んで働け!...解散」。

英軍捕虜のニコルソン中佐(映画上の人物)
「コロネル(大佐)・サイトウ、私の兵隊は全員、あなたの期待に背かないことを保証する。私と他の将校も、責任を持つが、捕虜になった将校が労役に就くことを禁じられているのをご存知か?ジュネーブ条約のコピーをお見せしてもいい」。
斎藤大佐:「それには、及ばん」。


英軍捕虜が到着した日は、捕虜は休んでいいので、将校たちが夕方に集まって会議をする。
ニコルソン中佐:「サイトウは、いずれ英軍の事が分かってくる時がくる」。

米海軍シアーズ中佐(実際は二等水兵):「サイトウのような奴を話の分かる男だとは、冗談だろ」。
軍医のクリプトン少佐:「英語と米語の解釈の違いだ」。
シアーズ:「ここの捕虜生活の終着駅は、100%がここの墓場だ。脱走を諦めろというのは死刑宣告に等しい。敵の収容所にぶち込まれば、脱走を企てるのは軍人の役目だろ?」
ニコルソン:「アメリカ軍の捕虜は、ここに数人しかいない。私には大勢の部下が居る。それに法的な縛りを受けている。私の兵隊はシンガポールで、英軍司令部から、日本軍に対して降伏を命じられた。司令部からの命令だから、脱走は軍律違反になるのだ」。
シアーズ:「では、ここで君の兵隊ががどんどん死んでいっても、司令部の命令を守るとでも?」
ニコルソン:「法律あっての文明だ」。
シアーズ:「そんな、バカな。ここは、ジャングルのど真ん中だ。文明なんてない」。
ニコルソン:「我々が英軍の手本を示して、サイトウに見せつけてやる。兵隊は軍人であって奴隷ではないっていうことを」。
シアーズ:「あなたの兵隊が、ここで軍人のままでおられるといいんですがね。今の私自身は、将校であっても、まさに奴隷そのもの」。
その夜、シアーズは、仲間と3人で捕虜収容所から脱走するが、日本軍の警備兵に見つかって二人が銃殺、シアーズは川に飛び込んで脱走に成功する。

翌朝、斎藤大佐が挨拶する。

「私は、君たちを軍人だと思わない。よく聞け。君たちが降伏の瞬間から軍人では無くなったのだ。来年の5月12日には、橋の工事を終えるのだ。 橋の工事の指揮は、ここにいる技師の三浦中尉がやる。
日数がないから全員が働け。将校もだ。
シンガポールの御前達の司令官は、英雄としてハラキリや玉砕で死ぬより、労働者として生きろと言って、軍人としてのプライドも恥もなく、君たちをここに連れてきた。
だから、全員が労働に就くのは当然だ。昨日ここで注意したが、収容所から、バカな脱走者が3人出た。二人は銃殺され、追われた一人は崖から転落して川に落ちた。即死のようだ。だから、ここから脱走しょうと思うな。生きろ。さぁ仕事だ」。


ニコルソン中佐:「私は中佐だ。私はジュネーブ条約第27条の権利を行使する。8名の将校も従う」。
斎藤大佐は、ジュネーブ条約を口実にサボタージュを要求するニコルソンにビンタを食らわし、ニコルソンは、口の中を切って出血する。
労働を拒んだ将校たちも炎天下に起立させられ、一人が熱射病で倒れる。
そして、将校たちが収容所の広場から逃げないように、マシンガンで狙われる。

翌日も、ニコルソンは同じ態度を取ったため、ニコルソンは、斎藤からオーブンと怖れられる営倉へ放り込まれる。他の将校たちも大部屋の営倉に放り込まれた。
英軍の将校を営倉に入れたことで、捕虜の英兵から一斉にブーイングが・・・。
三浦中尉は現場監督だが、仕事の進め方が合理的でないので、英兵たちはサボタージュをやり始め、日本人技師の下で英兵は働こうとしない。
だから、工事が中々進まない。大本営の命令した日まで橋が完成しないとなると、斎藤大佐には処罰が下る。斎藤大佐は、日本軍人としてのプライドと心得も大事だが、期日までに橋を完成させる方を優先した。





斎藤大佐は迷った挙げ句、営倉に入れられたニコルソンを部下に連れて来させて、態度を一変し、仲直りの食事しながら、ニコルソンの意見を聞く。
ニコルソンは、サイトウがグラスに注いだ、ストレートのジョニ赤(スコッチウィスキーのブランド)に気持ちが揺らいで、一口飲み、

「コロネル・サイトウ、私が躾けた兵隊は、あなたの考えと違って、捕虜になっても軍人のままだ。だから、上官が日本人将校だと真面に働かない。
兵隊は尊敬した将校のためなら、気持ちよく働く。
今、営倉に押し込まれているリーヴスとヒューズの二人は、インドで橋梁工事をやっていたエリート技師だ。
あなたの部下の三浦中尉よりも、橋造りの実績豊富なリーブスの意見を訊いてみたらどうだ。
ヒューズと私は、リーブスを補佐して働く。英軍将校が自ら労働を申し出るのは、ジュネーブ協定の違反にはならない。あなたは、現状に満足か?」

斎藤大佐:「実は、今日は日露戦争の戦勝記念日だ。日本軍にとって目出度い日だ。だから君たちに恩赦を与える。将校には労役に就くことは及ばないことにする。じゃあ、ニコルソン、数日後に会議を開くから、リーヴスとヒューズに橋を調査させてから一緒に所長室に来てくれ」。
英将校全員が営倉から出されて、部下たちは歓声を上げる。ニコルソンの勝ちだった。

そして、敵味方である日英両軍将校が戦場で協力して、クウェー川橋梁の建設工事をディスカッション(討議)する。東京の大本営も、ロンドンの英軍司令部も知らない会議だ。

ニコルソン:「リーヴス、君はこのような橋を造った経験は?」
リーヴス:「インドのマドラスで5回ほどあります」。
ニコルソン:「君が、もし、ここで橋を造るとしたら?」
リーヴス:「私なら、こんなところに造りません」。
斎藤大佐:「なぜだ?」
リーヴス:「三浦中尉が、地盤の最悪な場所を選んだのが致命的な失敗です。兵隊がいくら杭を打っても、橋脚の基礎になる杭は沈んでいきます。今、建てている場所は底なしです。そのような場所に、軽便鉄道とは言え、30トンもある蒸気機関車と荷物を積んだ貨物列車を走らすとなると、列車の重みで橋が沈んで崩壊するでしょう」。
斎藤大佐:「じゃ、君なら何処に?」
リーヴス:「ずーっと、下流の方に両岸の岩盤が固い場所があります。そこなら汽車が橋を渡ってもビクともしない頑丈な橋を架けられるでしょう。いずれにしても、一から立て直した方がいいでしょう。私が考えた設計図面をご覧ください」。
斎藤大佐:「ほーっ、頑丈そうな橋だな。でも、まもなく2月だ。今から5月12日まで間に合うのか?」
リーヴス:「今のやり方では能率が悪く、無理でしょう。でも、工事の分担を班に分け、班に必要な人員を適切に配分すれば、無駄が無くなります。橋の両岸の線路工事班と橋梁工事班と分けた方がいいと思います」。
ニコルソン:「コロネル・サイトウ、我々の兵隊は、橋の建設に全員でかかる。そうなると、鉄道建設の方には手が回らないので、日本兵を貸して貰う」。
斎藤大佐:「手は打ってある」。

会議中に、
クリプトン軍医:「隊長、いいんですか?日本軍の為に、英軍のアイディアと労力で立派な橋を造るなんて。私には中佐の考えに納得できません」。
ニコルソン中佐:「日本軍に我が兵隊を任せたせいで、本隊は無秩序な群衆と化した。ここらで本隊の立て直しが必要だ。幸い、橋を建てるという目標が出来た。我が英軍の高度な技術と優れた能率を日本軍に、まざまざと見せつけよう。僻地なので橋を建設する重機や工具は足りないが、後世に残る橋に挑戦したい」。
クリプトン軍医:「本気ですか?」
ニコルソン中佐:「君は今頃分かったのか?兵隊には目標が必要なんだ。兵隊には、いかなる環境の中でも、自分の仕事に誇りを持たせることが重要だ」。

その一方で、収容所を脱走したシアーズは、ビルマ国境を越え、喉の渇きと空腹で死にそうになったところをビルマ人に助けて貰う。
親切なビルマ人は、シアーズに自分たちが使う手漕ぎのボートをプレゼントし、彼は再び、ビルマ沖のアンダマン海で漂流しているところを英軍の飛行艇に救助され、セイロン島の英陸軍マウントラヴィニア病院に運ばれ、療養中にそこの看護婦と恋仲になる。



捕虜収容所からの脱走の疲れから、しばらく入院療養していたシアーズは、英陸軍中尉の美人ナースとの恋のお陰で元気を取り戻し、二人一緒にセイロン島の浜辺でデートしていると、

ウォーデン少佐:「シアーズさんだね。お楽しみのところ、悪いね。私は英陸軍のウォーデン少佐だ。所属は316部隊という変わった部隊だが、本部はこの近くの植物園の中にある。君が働いていたという日本軍が造っている鉄道のことを知りたい。君なら、我々の知らない貴重な情報を持っている筈だ」。

シアーズ:「私はまもなく傷病除隊し、本国のアメリカに帰るし、救助して貰った英軍情報部には、そのことを含め、全て話した。そっちに訊いて欲しい」。

ウォーデン少佐:「それは、知っている。傷病除隊も米海軍に申請したんだろ。でも、うちの部隊には、そこに行った隊員はおらんのだ。特別な意味(任務)で、君の手助けが欲しい。お手数だが、私のオフィスに来て貰いたい」。

シアーズ:「同じ話でいいのなら、英陸軍病院でお世話になったことだし、行ってもいい」。

ウォーデン少佐:「来てくれるのか。ルイス卿が喜ばれる。ルイス・マウントバッテン卿だよ。」。(※マウントバッテン卿は、実在するビルマ戦線の英軍司令官)


翌日の朝10時にシアーズは植物園に行った。見晴らしの良い素敵な場所だ。ここでは、特殊任務に就く英陸軍の特殊工作隊が迷彩服を着て、ナイフで殺し合う練習をしていて、ウォーデンも背後からタックルされて、喉元にナイフを突きつけられる。これは、シアーズの格闘能力のレベルを見極めるテストだった。
シアーズも米海軍でそのような訓練をしていたので、相手のナイフを押さえつけた。冷静沈着だった。合格だ。

ウォーデン少佐:「ところで、(ジャングルと、植物園の格闘テスト)脱走おめでとう」。
シアーズ:「生き延びられたのは、イギリスの救助艇のおかげだ」。
ウォーデン少佐:「地図を見よう。ここだ。タイとビルマの国境が線路で繋がるが、我々の飛行機からの調査では、まだ日本軍の泰緬鉄道は完成していないようだ。シンガポールのチャンギ捕虜収容所から、ニコルソンの部隊が鉄道建設に加わっているらしい。ジャングルから脱走した君なら知っているだろ」。
シアーズ:「ニコルソンがどうした?彼は、日本兵から銃口を向けられても平然としていた。でも、所長のサイトウは、話が分かる男だと言ってた。私にはそうは思わんが」。
ウォーデン少佐:「我々の弱点は、そこにある。英軍の捕虜たちがジャングルの中で今、何をしているか・・・そこへ行くには、どう行ったらいいのか知りたいんだ」。
シアーズ:「私は彼等が捕虜収容所にやってきた晩に脱走したので、ニコルソンとは、少し話ししたが、後の事は何も知らん。私は捕虜収容所で軽い仕事専門だった。キツイ仕事はイヤだから、死んだ捕虜の墓掘り役だったが、毎日誰かが死ぬんで、忙しいんだ」。

ウォーデン少佐:「私の担当は、チームを組んで、日本軍が造った橋を爆破することなんだ。ニコルソンの部隊は、橋を架けるために送られたのだろう」。
シアーズ:「頑張れ」。
ウォーデン少佐:「君は、英軍のことを他人事(ひとごと)みたいだな?この戦争での英米は、連合軍だろ?一つ、質問していいか?あそこに戻るのは嫌か?」
シアーズ:「戻る?何で?」
ウォーデン少佐:「戻るんだ。君にとっては愉快なことではないだろうが、君だけしか知らない知識が我々には必要だ。そこへ我々の爆破隊をガイドして欲しいのだ」。
シアーズ:「悪い冗談だ。逃げてきたばかりの所へ戻れというのか?私は、英陸軍所属でなく、米海軍所属だ」。

ウォーデン少佐:「そう言うだろうと思ってな、実は、英陸軍のグリーン大佐が米海軍と話しを付けてある。米海軍は承知し、昨日、米太平洋艦隊のハワイ司令部から"一時転籍許可"の電報が来た」。
シアーズ:「Oh My God ! ウソだろ?本当のことを白状すれば、私は米海軍中佐ではない。下級将校でもない。ただの二等水兵だ。私の乗っていた艦が日本軍の攻撃で沈みかけた時、死んだ中佐の帽子と服を脱がせて着替えたんだ。どうせ捕虜になるのなら、二等水兵よりも中佐の方が待遇がいいと思ったからだ」。
ウォーデン少佐:「戦場での咄嗟の思いつきだから、狂うこともある」。
シアーズ:「でも、サイトウのところでは、扱き使われた」。
ウォーデン少佐:「戦時中には、予想もしないことが起きる」。
シアーズ:「私は、中佐を演じることによって、自分が中佐だと思い込むようになった。ここの病院へ入るとき、兵士と将校では、待遇が全然違う。だから、中佐のまま過ごそうと思ったのだ」。
ウォーデン少佐:「もう、諦めたまえ」。
シアーズ:「シアーズ中佐は、幻の人物だ。これがニミッツ太平洋艦隊司令長官にばれると、階級詐称でアメリカへ強制送還になり、軍法会議で全てがパーになる。傷病除隊で、そこを突っ込まれたら、ジャングルでの捕虜生活で頭が錯乱していたと主張する」。
ウォーデン少佐:「それには、及ばん。君の写真を見ろ」。
シアーズ:「えーっ、これをどこから?」
ウォーデン少佐:「米海軍は、君のことが分からなかった。君の履歴書が米海軍から送られてきた。君の写真も一緒に。指紋まで送ってきた。見るか?」
シアーズ:「ノー・サンキュー」。
ウォーデン少佐:「我々は、一週間前に君の真相を知った。勿論、階級詐称もだ。米海軍は、君の処遇に困っていた。君はジャングルの中の日本軍の捕虜収容所から脱走した英雄だが、帰還した時に、階級詐称した者を英雄と称えるわけには行かない。だから、アメリカ海軍は喜んでこっちに譲ったんだ」。
シアーズ:「そんな、バカな!ニミッツ(米太平洋艦隊の司令官)は、俺を厄介払いか」。
ウォーデン少佐:「いや、そんなことはない。英軍は実績重視だ。我々が行けないジャングルから君は脱走できた。君を高く評価したい。君の現在の階級は大目にみよう。316部隊では、私と同じ少佐待遇にしてやろう」。
シアーズ:「少佐待遇か・・・それなら、入隊を志願する」。
ウォーデン少佐:「グッド・ジョブ、よく言ってくれた。君は偉い、頼むぞ」。


タイのクウェー川に架かる鉄道橋は、急ピッチで工事が進んでいた。
軍医のクリプトン:「隊長はなぜ立派な橋を造れと?この橋を造るのが良い考えだと思いますか?」
ニコルソン中佐:「君は軍医だろ、兵隊の目を見給え。彼等は士気が上がり、規律や健康を取り戻した。食事も良くなり、サイトウは、英兵を大切に扱うようになり、兵隊も喜んでいる。君は、一体何を考えているのか?」
クリプトン:「我々のしていることは、敵を利するどころか、英国に対する反逆行為ですぞ」。
ニコルソン中佐:「バカ言うな。捕虜に労役拒否の権利は無い」。
クリプトン:「しかし、真面目に働く必要が?なぜ、敵が造る橋より立派なものを?」
ニコルソン中佐:「君は、我々の軍隊の規律や評判はどうでもいいのか?後世に、この橋を渡る人は思うだろ。この橋を建設した英軍は、囚われの身になっても、奴隷に身を落とさなかったことを・・・君は立派な軍医だが、軍隊のことを知らない」。

シアーズが入隊した316部隊では、
ウォーデン少佐:「空中偵察によると、橋の工事が行われているクウェー川の下流に、敵に知られずパラシュート降下ができる場所を見つけた」。
グリーン大佐:「シアーズ君、君はパラシュート降下の経験は?」
シアーズ:「私は海軍出身なので無い」。
グリーン大佐:「無い?それなら、直ぐに練習だ」。
部下:「現在は練習する飛行機がありません」。
グリーン大佐:「じゃ、ぶっつけ本番だな。初回降下での成功の確率は?」
部下:「50%です」。
ウォーデン少佐:「これはエルという新薬だ。苦痛が無くて直ぐ死ねる。捕虜になった時に飲め」。



316部隊の爆破隊4名は、ダグラスC-47輸送機に乗せられて、早朝のタイのジャングルの上空を飛び、隊員4名と、無線機や食料や武器の入ったケースをパラシュートを使って降下する。
一人が高い樹木に引っ掛かって、首つりになり隊員一人が死亡した。パラシュート降下地点には、ヤイというビルマ人の工作員が待機していて、美しいビルマ女性4名連れて荷物運びさせる。
なぜ、女性になったのかというと、ビルマの男たちが、日本軍の泰緬鉄道の建設に出稼ぎに行ってたから。
(※実際は、セイロンロケで、ビルマの若い女優がオーディションで来ていて、デヴィッド・リーンが気に入った女性を出演させたらしい)

16部隊の爆破隊、ジョイス中尉は一番若くて、水泳が得意なので橋の爆破要員に選ばれたが、今まで人を殺した経験はない。そこが、ちょっと気掛かりのところである。
クウェー川の鉄道橋まで数キロまで近づいた時に、美しい滝で、休憩の水浴びをしていたら、日本兵の姿が・・・。2名を射殺したが一人がジャングルの方へ逃げた。
シアーズ、ジョイス、ウォーデンは、逃げた日本兵を追い掛け、突然、ジョイスの目の前に逃げた日本兵が現れた。ジョイスがナイフで殺そうと躊躇っていると、日本兵は銃を構えたので、ウォーデン少佐は背後から日本兵をナイフで刺したが、日本兵が銃でウォーデンの左足の踝を撃ち、ウォーデンは骨折し、一人で歩くことが困難になった。
隊の指揮は、米軍から英軍に転籍したシアーズ少佐に任される。

ニコルソンの方は、指定された日よりも早くクウェー川の鉄道橋が完成し、橋に木製のプレートが掲げられた。
This Bridge was designed and constructed by soldiers of the BRITISH ARMY.
FEB-MAY 1943
Col. L. Nicholson Commanding.
(1943年2月〜5月、この橋は英陸軍が設計して建設した。工事責任者 ニコルソン中佐)



5月13日は、日本軍関係者が乗車した祝賀列車が橋を渡る目出度い日になる。前日の夕陽は美しかった。
ニコルソン中佐は一人で、橋の中央の欄干からジャングルに沈む夕陽を眺めていた。そこへ斎藤大佐が一人で現れる。

ニコルソン中佐:「(夕陽が)ビューティフル!」
斎藤大佐:「(橋が)ビューティフル!全く素晴らしい。こんなに立派に出来るとは・・・」。
ニコルソン中佐:「明日は、私が軍隊に入って28年目だ。その間、国に居たのは10カ月だった。だが、良い人生だった。私はインドが好きで、インドの近くのビルマやタイで働くのにも、不満はなかった。
だが、時々、人生の終わりが近づいていることに気付く。自分自身に問うんだ。私の人生は何だったのか?私の存在が何かにとって少しでも意義はあったのかと?・・・とくに、他の人と人生を比べてみる。それは健康的な考えではないが、正直なところ、そういうことも考える事が時々あった。しかし、今夜、やっと・・・皆が(私の人生で総仕上げの)催し物をやってくれる。

斎藤大佐はニコルソンの言葉を黙って聞いていた。斎藤大佐は、ニコルソンを蒸し暑い営倉に3日間閉じこめたことを反省したのか?英軍捕虜を虐待したことを恥じたのか?・・・斎藤大佐は、その晩に、遺書を書いて頭髪を封入する。日本軍には、お祭りムードはない。
捕虜収容所では、女装した兵士のラインダンスが始まって盛り上がる。
余興が終って、日本軍の捕虜収容所に英国国歌の合唱。信じられない。

ニコルソンは部下に訓辞を述べた。
「私にとっても、君たちにとっても、今夜は楽しい夜だ。
君たちの大部分は、明日、新しい収容所へ去る。橋の渡り初めも見ないまま。しかし、喜んでくれ。この鉄道の開通によって、傷病者を新しい収容所へ汽車で送り届けられるのだ。私と軍医、傷病兵を連れていくことを斎藤大佐は許可してくれた。
橋が完成して気の抜けた者も居るだろう。この戦争も必ず終わる。あと、1ヶ月先か、1年先に運良く帰還できた時は、君たちは誇りに思う日がくる。
大きな苦難と闘いながら成し遂げた仕事は、全てイギリス人の手本となるものだ。君たちは、この僻地での敗北を勝利に変えた。おめでとう。

ニコルソン中佐が訓辞しているとき、鉄橋の下では、英陸軍316部隊の爆破隊による、信管とワンセットになったプラスチック爆弾(自由な形にできる粘土状の爆薬で煙は有毒)による仕掛けが、シアーズとジョイスの手で、コッソリと行われていた。
プラスチック爆薬と信管を橋脚に取り付け、信管と接続した長い導線の先にスイッチボックスと接続させ、爆弾から離れた場所から手動でスイッチを入れる方法だった。



5月13日の朝、英軍捕虜たちの殆どは、次のベース・キャンプまで徒歩で橋を渡ってビルマ側へ行進していった。橋はいつ爆破しても良かったのだが、ウォーデンは機関車ごと爆破した方が心理的効果があるとして、祝賀列車を待つ事にした。しかし、朝は上流にあるダムが放水を止めたので、クウェー川の水位が下がり、プラスチック爆弾の仕掛けた場所が丸見えになった。

さらに、導線も見える。
ニコルソンは、英軍捕虜を見送った後、祝賀列車が間もなくやってくる時間になったので、一応、橋の異常点検を目視で行うと、橋脚に導線が張られているのを発見する。斎藤大佐も傍にいたので、
ニコルソン中佐:「コロネル・サイトウ、ちょっと、一緒に来て欲しい。橋の様子がおかしい。汽車が来るまでに調べよう」。
二人は川岸に降りる、流木に引っ掛かった導線を引っ張ると川岸の岩場の隠れた場所に繋がっている。
爆薬のスイッチを押すのは、ジョイスの役割である。

君は誰だ?ジョイスは、「英軍からの命令です。我々は橋を爆破にきた決死隊です」






その時、祝賀列車の汽笛と走行音が聞こえてきた。
対岸で銃を構えていたシアーズはジョイスに、「俺たちの仕事を邪魔するニコルソンを早く殺してしまえ」と命令するが、人を殺したことのないジョイスは、英軍中佐を殺すことにためらってしまう。
ジョイスはスイッチを押しにいくが、ニコルソンが止めにいく。シアーズは背後から斎藤大佐をナイフで刺し、シアーズとジョイスは、駆け付けた日本兵に撃たれた。そのときウォーデンの撃った迫撃砲の弾がニコルソンの近くに着弾して破片が四散した。
ニコルソンは虚ろな目で空を見上げた「私は、何のために・・・」。





破片で負傷したニコルソンは、点火スイッチの上に倒れ、体重でハンドルを押したので、橋脚に仕掛けられたプラスチック爆弾が破裂し、橋を渡りかけていた祝賀列車とともに橋は崩壊した。

対岸の高い場所で見物していたクリプトン軍医は、
「Madness ! Madness ! Unbelievable !(バカな、バカな、信じられん)」。



同じく、316部隊のウォーデンは、怖がる女性ガイドたちに、
「怖がることはない。我々は、ここに来て間違ったことをしてない。場合によっては破壊するのも、戦争では正しい選択なんだ」。

爆発の瞬間は、5台のキャメラで撮影された。カメラは少しずつ、崩壊した橋梁の引きの画面になっていって、プロローグの大空に羽搏く鳥のアップになって、The End

橋梁爆破の時、スイッチボックスにニコルソン中佐がわざとらしく倒れるシーンは、監督、脚本家、撮影監督らが激論して、決まったものだ。
1、爆破隊のジョイス中尉が爆破のスイッチを押せば、ジョイス中尉とニコルソン中佐は日本軍の誰かに殺される。そうなれば、観客は日本軍を悪者扱いにしてしまう。
2、ニコルソンが迫撃砲の破片で負傷し、激痛で半分気を失った状態でスイッチを押せば、観客から偶然にそうなったと納得が行く。
3、ニコルソン中佐は、国に反したことをやっているのを最後にやっと気付いて、自発的に爆破のスイッチ自分で押した。

人間は色んな妄想をするが、そもそも、ピエール・ブールの原作「クウェー川の橋」には、爆破のシーンがないことから、当作に余計な詮索をしないほうがいいだろう。

戦争とは、後世に残そうとする知恵と努力の成果を一瞬に破壊すること・・・人間は賢いが、愚かでもある...。

2013年9月3日 尾林 正利

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