禁じられた遊び
フランソワ・ボワイエの小説を1952年に映画化:1952年公開(日本では1953年公開)
Jeux Interdits
un film de René Clément
フランス映画の代表作といえば、個人的には、やはり、1952年にルネ・クレマンが監督した「禁じられた遊び」になるだろう。
当サイトでは、ルネ・クレマン監督の「居酒屋」と「太陽がいっぱい」を既に2作品を紹介しており、これで三回目になる。
「禁じられた遊び」は、映画の出来も良いが、この映画の為に作曲された、テーマ曲が素晴らしく、この映画を観たことがない方であっても、メロディーなら聞き覚えがある筈だ。
そのメロディーとは、スペインのギタリスト、ナルシソ・イエペスが25歳の時に作曲したギター曲、「愛のロマンス(Romance de Amur)」である。
この映画は、フランス人のフランソワ・ボワイエの同名の小説を脚色して映画化された。
小説は独立した文学作品なので、作家によっては映画になることを前提にして書かれていないので、それを映画や演劇にするときは、ヴィジュアル面の演出を加えたシナリオ(脚本)にリライトしなければならない。サスペンス小説では、イアン・フレミング原作の「007シリーズ」のように、映画になることを前提にして書かれた小説も多い。
小説では、1940年6月のドイツ軍によるフランス侵攻で、パリ市内から逃れて田舎へ疎開中のフランス人の避難民の列に、ドイツ軍の急降下戦闘爆撃機が容赦ない爆撃と逃げ回る避難民に機銃掃射を浴びせ、大勢亡くなったことが書いてあるらしい。
映画のプロローグでも、機銃掃射に被弾して倒れていく人々の凄惨なシーンはあるものの、原作に書かれた、近くの農夫等がボランティア活動で道端に穴を掘って数百人の遺体を埋めたという凄惨なシーンは無い。
そういうショッキングなシーンをリアリズムを追及しすぎて、冒頭にカットインしてしまうと、映画の観客は、「あっ、この映画は反ナチの反戦映画やな」と、思い込んでしまって、観客は、作品全体を「ドイツに対する憎悪」というプロパガンダ作品として映画を観てしまう。
そういう特定の国家に対し、憎しみを増長するような誤解を避けるために、凄惨なシーンは最初の1シーンだけだ。
穴を掘って人間の遺体を埋めるのは、ドレ家の長男が馬に蹴られて重傷を負い、寝たきりのままで病死した葬式のシーンしかない。
この映画を見終わった個人的な感想は、 ルネ・クレマン監督の狙いは、戦時中の「ドイツに対する憎悪」にフォーカスするのではなく、この作品は戦時中における、切ない子供たちの「恋愛」を描いた作品だと思う。避難生活中に性の目覚めを書いたアンネの日記のようなものである。「そんな、バカな」という識者は、偏った観念に染まってしまったのだろう。
日本では、ぼくらのような戦時中に生まれた世代では、子供同士の恋愛は文通なら良いが、学生服を着て公衆の面前でいちゃつくのはNGだと、古い教育で押し付けられてきたが、発育の正常な子供たちは、小学生になれば、好きな異性を意識するのは当たり前。ただ、男児の場合は、僅かながら男の子としての面子があって、軽々しく、好きな子の前で「好きだ」というのが照れ臭く、恥ずかしいので言えないだけだ。
空襲から奇跡的に生き延びて孤児になった、パリ育ちのお洒落で可愛い5歳のポレットは、下流へ流される死んだ愛犬・ジョッグを拾いに川へ下って迷子になる。
そこへ、逃げた牛を追いかけてきた貧農の息子・10歳の少年ミシェルと出会い、ミシェルは、可愛いポレットに一目惚れして、両親に頼んでポレットを家に置いて貰う。
数日経つと、ポレットも田舎暮らしに慣れ、ミシェルを兄として慕い頼るようになる。頼りにされたミシェルは、可愛いポレットに恋心を抱き、彼女にキスして貰うために、ポレットが欲しがる教会の祭壇にある十字架を盗んで神父さんに見つかり、悪事がばれてしまう。
ポレットがドレ家にやって来るまでは、ミシェルは品行方正な真面目少年だったのだが、ポレットが来てから、ミシェルが盗みやウソを吐くようになって、不良になっていく息子に両親は心配し、家計が苦しいこともあって、ポレットを戦災孤児院に引き渡すことに同意し、二人を別れさせてしまう。
出会いと、愛と、別れ・・・波乱に富む感傷的な恋愛劇・・・メロドラマなのである。
原作ではポーレットは9歳の少女という設定だったそうだが、ポレット役を新聞広告で公募し、キャメラテストのオーディションで、5歳のブリジット・フォッセィ(1947年〜)が監督の目に留まり、5歳の少女ポレット役に抜擢され、5歳の少女の目線から見た作品に台本が手直しされた。
「禁じられた遊び」で、一躍、世界中に名が知られるようになったブリジット・フォッセィだったが、21歳になってアラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンが共演したジャン・エルマンが監督した1968年公開の「さらば友よ」と、30歳の時にフランソワ・トリュフォーが監督した1977年公開の「恋愛日記」にも出演して、それぞれの映画を観たが、個人的な印象では「禁じられた遊び」ほどのインパクトはなかった。
一方の、ミッシェル役を演じた、ジョルジュ・プージョリー(1941〜2000)は、16歳の時に、1957年に公開された、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」に、殺人と窃盗を犯す不良少年のルイ役で出演している。25歳の時にルネ・クレマン監督の「パリは燃えているか」に出演した後は、アメリカ映画のフランス語吹き替え専門の声優になった。
最近の洋画は、日本語吹き替え版の上映が当たり前になっている。
外国語が判らなくても、できれば、原語で鑑賞したいものだ。
例えば、 オードリー・ヘプバーンの特徴のある英語を日本語に吹き替えたら、 声優さんには申し訳ないが、映画の値打ちが半減してしまう。
ミュージカルの「サウンド・オブ・ミュージック」で、美声のジュリー・アンドリュースの「ドレミの歌」の
"Doe-a deer, female deer(ドーは鹿です。牝鹿です)
Ray- a drop of golden sun(レイーは、輝く夕陽の光)
Me- a name I call myself(ミーは、私を呼ぶ時のこと)・・・"を、園児が歌うように、ドは、ドーナツのドなんて歌われたら、ひっくり返ってしまう。
ドレミの歌を作詞したオスカー・ハマースタイン2世に失礼だろう。DVDやブルーレイを買ってきたら、一度は、英語は判らなくても、原語で洋画を鑑賞して欲しいものだ。
ぼくが邦画よりも洋画好きになったのは、高校生時代にラジオで映画音楽の番組を毎週聴いていて、洋画にはミュージカル映画以外にも、映画音楽が素晴らしい作品も多いことが判って、お金を払って映画を観る時は、洋画館に通うようになった。字幕は殆ど気にならない。
先日、「男はつらいよ」で有名な山田洋次監督が、音楽家の久石譲氏との会話で、洋画の映画音楽は「なぞるだけだ」と、ご批判されておられたが、「なぞるだけだ」というご発言に、ぼくは疑問を感じた。
「禁じられた遊び」の音楽を担当した、ナルシソ・イエペスは、スペインの作曲家、ホアキン・ロドリゴ(Joaquin
Rodrigo)が1939年に作曲した 「アランフェス協奏曲(Concierto de Aranjuez)」をギターで演奏して実力が認められ、世界的なギタリストになった。
ルネ・クレマン監督は、この映画の映像制作費だけで見積が限度になり、映画音楽の演奏にオーケストラが使えなくなった。スペインのギタリスト、ナルシソ・イエペスが監督の窮地を救って、ギーター1本で演奏できる譜面を書いて演奏した。
外国映画の映画音楽のどこが、ただなぞるだけ、なんだろうか?
主なキャスト
Paulette(パリ育ちの5歳の少女ポーレット)・・・Brigitte Fossey (ブリジット・フォッセィ)
Michel Dolle(パリから離れた貧しい農家のドレ家の三男、10歳のミシェル少年)・・・Georges Poujouly(ジョルジュ・プージョリー)
Michel's Father(ミシェルの父:)・・・Lucien Hubert(ルシアン・ユベール)
Madame Dolle(ミシェルの母)・・・Suzanne Courtal(シュザンヌ・クールタル)
Geirges Dore(ドレ家の長男、ジョルジュ・ドレ)・・・Jacques Marin (ジャック・マラン)
Berthe Dolle (ドレ家の長女ベルテ・ドレ)・・・Laurence Badie (ローランス・バディー)
Francis Gouard (ベルテの恋人、隣家グアール家のフランシス)・・・Amédée(アメデー)
主なスタッフ
監督:René Clémennt(ルネ・クレマン)
脚本:Jean Aurenche,Pierre Bost,(ジャン・オーランシュとピエール・ボスト)
・・・ René Clémennt(監督もシナリオに共同執筆)
音楽:Narciso Yepes(ナルシソ・イエペス)
撮影・Robert Jullard(ロベール・ジュイヤール)
美術:Paul Bertrand(ポール・ベルトラン)
編集:Roger Dwyre(ロジャー・ドワイア)
製作:Paul Joly(ポール・ジョリ)
製作会社:Silver Films(シルヴェル・フィルム)
配給:コロナ(フランス)日本版は、東和映画(当時)
上映時間:87分 画面サイズ:標準サイズ4:3
白黒作品
DVD販売元:(株)ファーストトレーディング
ストーリー
時は、1940年の6月に遡る。第二次世界大戦で、ナチスドイツ軍のフランス侵攻が始まり、フランスの首都であるパリが、ナチス・ドイツ軍に攻撃されて、フランスの臨時首都は「ヴィシー」へ移転した。
和平派のペタン元帥が、6月22日に独仏休戦協定を結ぶまでは、大勢のパリ市民が身の危険を感じて、家財道具を自動車や馬車に積んで、パリ郊外の農村地帯へ向かって避難民の集団疎開が始まっていた。
理不尽な長旅で疲れ果て、苦痛で顔が歪む避難民の長蛇の列に、ドイツ軍の急降下戦闘爆撃機が容赦のない爆撃と 機銃掃射を浴びせ、大勢の人々が次々に倒れて死んでいく。
街道の 橋の上で、銃撃に驚いて逃げ出した愛犬のジョッグを追う5歳の少女、ポレット。
愛娘を守るために、必死に娘の後を追う父母も銃撃に遭うが、ポレットだけが奇跡的に生き延びて助かる。助かったのはいいが、5歳の少女が一人で、両親の死、愛犬の死という悲しみを乗り越えて、生きていくには、想像を絶するものがある。
すると、ポレットは、ジョッグがひとりぽっちでは、淋しくて可哀想だと言いだしたので、ミシェルはポレットの願いを聞いてやりたくなり、ネズミやモグラ、ミミズ、カエルなどを殺して、水車小屋に墓穴を掘って埋葬し、十字架を立て墓碑を置くとポレットは大喜び。
その可愛い笑顔にミシェルは、ポレットに恋心を抱く。そして、ご褒美にキスして貰う。やがて、二人の遊びはエスカレートし、水車小屋をお墓で一杯にしょうと思い立つようになる。
これが、生き物を殺して地中に埋め、十字架を盗んで飾るという、禁じられた遊び にエスカレートしてゆく。
ポレットがドレ家にやってきて数週間後、落馬で重症を負った長男のジョルジュは、病状が急変して病死した。
村の教会で葬儀のお祈りにミシェルとポレットも参列し、ミシェルは十字架欲しさに、父が頼んだ霊柩車の屋根に取り付けた十字架を抜き取って盗む。これは父が気付いてミシェルに問い質(ただ)すが、ミシェルは「隣のグアールせいだ」とウソをつく。
ポレットは、キスをすれば、自分の言いなりになるミシェルの耳元で、教会中央に置かれた、豪華な金色の十字架が欲しいと言い出す。
葬式から数日後、ミシェルは人の気配のない教会に侵入して、ポレットがねだった金色の十字架を盗もうとして、神父さんに見つかって叱られ、追い出される。
ドレ家から戦災孤児の救護施設に収容するために連れ出されたポレットは、修道女に預けられる。
そして、孤児の名札を首から吊され、 駅の待合室で列車か来るのを待たされる。戦時中なので、列車本数が少なく、駅は大混雑だ。
修道女が所用で席を立った時、雑踏の中から「ミシェル」、「ミシェル」と呼び声がする。ポレットは、それに気付いて、声の方向に歩き出すが、その声は雑踏に消えていく。
そして、自分を守ってくれるママがいないことに気付き、道路に置き去りにしてきたママを探して、雑踏の中に消えて行くのだった。
あとがき
原作では、ドレ家から連れ出されたポレットは、父母が亡くなった街道の方へ向かって走り出すシーンで終わるそうなのだが、映画では、ポレットが駅の雑踏の中に消えていくシーンで終っている。
これは、監督の演出センスであろう。
この映画を観ると、女の子は幼児の頃から、自分の言いなりになる男を見抜く能力があるようだ。ポレットが欲しがったのは金色の十字架(亡くなった両親を暗示)で、ポレットにねだられて、年上のミシェルは、ポレットの為なら盗みも平気でやってしまう。見返りはほっぺにキス。現在では、女の子の欲しい物は、グッチやヴィトン、エルメスと言ったところか・・・惚れた彼女にねだられて、どんどんエスカレート!
戦争さえなければ、ポレットの両親は健在で、両親は愛娘に愛情を持って育て、ポレットもお墓には異常な興味を示さなかった筈だ。そういうところに、戦争がもたらす尋常でない狂気が幼い子供に派生していく様子が見事に描かれていると思う。
2013年2月14日・尾林 正利