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アラビアのロレンス

1962年公開、日本では1963年公開

Lawrence of Arabia
Directed by Sir David Lean

Disk1:前篇〜INTERMISSIONまで(後篇は別ページに掲載)

「アラビアのロレンス」は、ぼくが写専(当時は、日本写真専門学校:大阪市阿倍野区)に入学した年の1963年2月に、日本でも公開された。
ぼくが子供の頃から、2013年までに観てきた映画の中では、一番大きなカルチャーショックを受けた映画である。

しかし、映画には様々なジャンルの優れた作品が多数あり、観客の年代層とか男性の好みや芸術に対する価値観が女性とは異なるので、どの映画がNo.1の作品だと決めつけられないが、邦画・洋画・近隣の外国映画を問わず、ぼくの中では、断トツのNo.1にしている映画だ。

当作品は、1988年になって、シーンの一部に、ロレンスが右手に腕時計をはめているカットが見つかり、ネガを「裏焼き(左右反対)」の状態でプリントされているのが判明して、修整されることになった。その際に、1962年の初公開時にプロデューサー(サム・スピーゲル)の意向でカットした重要なシーンも復元し、主演のピーター・オトゥールが26年振りに録音スタジオに呼ばれて、ボイス撮りし、227分(前篇139分と後篇88分)の映画に再編集された。1988年以後に製作された227分のDVDや上映用プリントは、「完全版」として販売されている。

但し、「アラビアの英雄」と美化されたロレンス個人の評価は、1917年〜1918年にかけて、米新聞記者のローウェイ・トーマス(映画ではジャクソン・ベントリーの名前に変更)が、ロレンスの功績を新聞にセンセーショナルに書き立てて、それを信じ込まされた大衆の認識なのだが、現在のアラブ諸国はオイルマネーで豊かになって、アラブを中核としたOPEC加盟国の国際的発言力は強い。

近年では、イスラム圏に高まる原理主義復帰の影響もあって、95年前に、アラブ民族の独立戦争にアラブ軍を率いて活躍したキリスト教徒であり、コーランも理解する英国人を「アラブの英雄」だと素直に認めることには、プライド的に抵抗感があるようだ。

さらに、ロレンス個人の評価についても、彼と一緒に仕事した人の立場によっては、毀誉褒貶が付き纏うが、英雄の光と闇を描いた映画の出来映えは見事だと思う。
この映画は、単なる娯楽作品(エンタテインメント)ではない。

監督したデヴィッド・リーンは、原作に基づいたアラビアの英雄の事跡と心の中で渦巻く葛藤から発する狂気を描いた「叙事詩」だと発言されている。

アラビアの英雄とは、どんな人物なのか?
トーマス・エドワード・ロレンス(Thomas Edward Lawrence:1888年〜1935年)という、身長165cmの小柄なイギリス人(ケルト系のウェールズ人)の考古学者である。

ケルト人という民族(ウェールズやアイルランドに多い)は、農耕や牧畜を生業として、グレート・ブリテン島やアイルランド島の先住民族であったが、5世紀頃から、ローマ帝国の衰退によって、ヨーロッパ大陸から、文化の発達したゲルマン系サクソン人のブリテン島への移住者(アングロ・サクソン人)が急激に増えて、ケルト人はグレート・ブリテン島の山岳地帯やアイルランド島に追いやられ、サクソン人はサセックス王国(Sassex:SouthとSaxonの造語)を建国した。因みにLondonはエセックス(Essex)王国に編入。

さらに、フランスのノルマンディー地方を征服していたスカンディナヴィア半島のノルマン人(ヴァイキング)によるノルマン王国のウィリアム1世にも、1066年にイングランドを征服されたので、ウェールズやアイルランド生まれの人々は、征服民族に対して反体制的な考えを持つようになった。
T.E.ロレンスがオスマン帝国に支配されていた、アラブ民族の独立戦争に指導的な情熱を注いだのは、ケルト系民族の血統が影響していたのだろうと思う。

1888年、T.E.ロレンスは、グレート・ブリテン島の中西部の海岸にある、ノース・ウェールズのトレマドグ(North Wales,Tremadog Gwynedd)に生まれた。
彼は、貴族の父であるトーマス・ロバート・チャップマンの非嫡出子(婚外子)として生まれたので、未婚の母であるセアラ・ロレンスの姓を名乗った。

彼は、1907年にオックスフォード大へ進学し、1907年と1908年の夏休みには渡仏して、何と自転車でフランス国内の古城を観て回ったらしい。 1909年には、中東のレバノンの首都ベイルートに渡って、徒歩で十字軍遠征(1095年に始まったキリスト教国によるイスラム教国からの聖地エルサレムの奪還戦争)の遺跡調査(移動距離1600km:本州の下関から青森までの高速道路距離に相当)をして、1910年に実地調査をまとめた卒論を書いた。

そして、大学卒業後も、アラビア語を習得するため、レバノンのビブロス(ここの十字軍要塞遺跡は世界遺産)に長期滞在した。
1911年には、大英博物館の遺跡調査隊に参加して、考古学者のレオナード・ウーリー(Sir Charles Leonard Woolley)と一緒に、トルコとシリア国境のカルケミシュでヒッタイト王朝時代の遺跡(紀元前16世紀〜12世紀頃)の発掘調査に従事した。
この頃に、同じ考古学者の学位を持つ、英外務省の女性諜報部員のガートルド・ベル(Gertrude Margaret Lowthian Bell:1932年にイラク王国の建国に尽力したが、謎の睡眠薬自殺を図る)と知己を得る。

ウーリーとロレンスは、ヒッタイト遺跡の調査で、中東に長期滞在してアラビア語が堪能になり、ベドウィン族と寝食を共にしてアラブ民族の気質、コーランの知識、中東方面の地理に詳しいことから、英陸軍からネゲブ砂漠の調査依頼(水源地の調査)を頼まれ、現地に出張して軍用地図を作成した。
1914年(大正3年)に第一次世界大戦が始まり、ロレンスは英陸軍に召集され、陸軍省作戦部地図課に配属になった。ここまでのロレンスなら、映画のネタにはならない。

やがて、欧州や中東で戦火が拡大し、ドイツやオーストリー=ハンガリー帝国と同盟を結ぶオスマン帝国(1924年にトルコ共和国として独立)の攻撃に備えて、イギリスにとっては、スエズ運河の防御を固める必要性から、英陸軍はオスマン帝国が支配していた中東に、中東情報に詳しいロレンスを中尉に昇進させて、エジプトのカイロ英陸軍司令部に情報将校として転属させた。

映画で描かれるのは、ここからだ。この映画のエピソードを少し紹介すると、
ロレンスが、第一次世界大戦(1914年〜1918年)中に、アラブ民族の独立戦争にアラブ軍を指揮して闘ったことを書き留めた「知恵の七柱(Seven Pillars of Wisdom)」で、1926年に215部刷られた予約販売の「私家版」の映画化権を映画製作者のサム・スピーゲルが、版権相続者であった末弟のアーノルド・ロレンスから買い取って、脚本家のロバート・ボルトとマイケル・ウィルソンが脚色し、映画化されたものである。
映画は原作通りでは無い。登場人物の実名が伏せられる人もいる。 物語の内容は、このページをスクロールして、ストーリーを参照して頂きたい。

「アラビアのロレンス」は、アラブ民族の独立の過程を描いた作品なので、ロケ撮影の場所はアラビアが中心になった。
1960年から始まったオーディションのテスト撮影は、本番撮影のメインになるヨルダンの砂漠地帯で行われた。
ヨルダンでは、国王の協力で、砂漠警備兵3万人とベドウィン族1万5千人が動員され、本物の武器を集め、数千頭のラクダや馬を集め、銃の撃ち方やラクダの乗り方の指導、砂漠にテント生活をする600名の撮影スタッフの食料品や飲料水、医薬品の調達、変電所や電話局の設置、砂漠のロケハンのために空軍機も用意された。

モロッコ政府もこの映画のために、ロケ場所の提供とラクダ集めやエキストラ集めに国王が協力した。 邦画では、このような異国での大掛かりな撮影は不可能だ。
もし、T.E.ロレンスがアラブ民族の独立に貢献したのがウソであれば、1915年のフセイン=マクマホン協定(※後述)で、いくらイギリスには恩があるヨルダン国王でも、この映画の製作には協力しなかっただろう。

デヴィッド・リーン監督は、撮影監督のフレディー・ヤング、セットデザインのジョン・ボックスとロケハンした結果、エルサレム、ダマスカス、カイロ、アカバの4都市は、第一次世界大戦から40年以上も経っていて、往時のイメージが殆ど無かったので、エルサレム、ダマスカス、カイロ、アカバのシーンは、イスラム建築が今でも数多く残るスペインのアンダルシア州のセビリア県とアルメリア県で行われた。

イギリス映画(配給はアメリカのコロムビア:現在はソニー)なのに、イギリスで行われたロケは、ロンドンのセントポール大聖堂と、ロンドン郊外の西にあるサリー州コバム(Surrey County,Chobham)で、ロレンスの葬儀シーンと、バイクの事故シーンが撮影された。

この映画の助演役のキャスティングは、名立たる名優が早く決まったが、主役のT.E.ロレンス役の人選には時間が掛かった。
監督は、米俳優のマーロン・ブランドに声を掛けたが、ラクダに乗るのは厭だと断られた。
欧米男性の俳優で、身長165cmの男優を探すのは難しい。
最終的にロレンスと顔つきが似ていた身長188cmの舞台俳優、ピーター・オトゥールが主役に抜擢された。
ピーター・オトゥールは、この映画のクランクインになる3カ月前から、ヨルダンでベトウィン族と一緒にテント暮らしをして、同じ食事を摂り、ラクダに乗り慣れる訓練をした。

また、原作には登場しないハリト族の首長アリ役に、エジプト人俳優のオマー・シャリフが起用された。 オマー・シャリフはエジプト人なのにラクダに乗れなかった。
オマーは、コロムビア映画と複数年契約を条件にアリ役を承諾し、ラクダに乗り慣れる猛練習をした。
アカバ襲撃のシーンは、俳優たちがラクダや馬から落ちないように鞍と足を紐で結んでいたらしい。

ファイサル王子には、アレック・ギネス・・・「戦場に架ける橋」で、日本軍の捕虜になったニコルソン中佐役を演じたこの人の個性的な演技力は凄い。当作品ではアラブ王族の衣裳が似合っている。目の演技も良い。

気性の荒いベドウィン族の首長アウダ・アブ・タイ役にアンソニー・クィンが出演している。
アンソニー・クインは、メイキャップアーチストが作った鉤鼻を付けて特殊メイクを施し、アラブ部族の首長の衣裳を着て、監督と初めて会った。サプライズである。
監督は、アンソニー・クインだと気付かず、マネージャに、クインが此処に来たら、もう、用が無くなったから帰国するように伝えてくれと話したそうである。

シカゴ紙の新聞記者ジャクソン・ベントリー役には、本物のローウェル・トーマスが演じる予定だったが、俳優のアーサー・ケネディになった。クラシックカメラの操作が上手い。

特筆すべきは、この映画の為に、スペイン南部のアルメリア(Almeria)近くのカルボネラス(Carboneras)海岸に、砲台のあるアカバの港町に似せた、オープンセット工事が行われ 約300棟の市街地や防波堤が建設され、丘の上には口径30cmの対艦砲も設置された。

日中は50℃を超える灼熱砂漠では、スーパー パナビジョン撮影機用の65mm幅の生フィルムや露光済みフィルムの扱いには、フィルムの温度管理にかなり苦労したようである。
最初に撮ったマスツラの井戸のシーンは、画面のセンターに帯のような滲みがついているが、これは65mm幅カラーフィルムのセンター部分に熱が溜まって、膜面の温度差によって、エマルジョンのカラーバランスが崩れ、画面中心部が変色したものである。このシーンは困難な撮影だったので、撮り直しができなかったらしい。

灼熱の太陽アップのシーンは、フィルムに穴が開き、実写が無理なので、絵の複写になった。
灼熱の砂漠での撮影では、スーパー パナビジョンの巨大な65mmフィルムマガジンの上に、氷を入れた大きな水枕を載せてフィルムを常温の20℃に冷やしながら撮影したそうだ。
日本の新聞社もヨルダンへ飛んで、「アラビアのロレンス」の撮影現場の様子を新聞で報道していて、当時19歳だったぼくは、この映画の完成をワクワクして期待していた。

第一次世界大戦を時代背景に、前代未聞の異色の英雄を描いた映画で、男尊女卑のアラビア圏でも上映するために、女性が主演や助演で登場しない映画(回教国に配慮)になっているので、女性たちにとっては馴染めない映画かも知れない。
この映画では、女性の登場シーンが僅かにある。モスレムで無い女性や少女がイスラム僧侶の許可を得てベドウィンの女性として、ヒジャーブ(Hijab)を着用して出演している。

この映画を脚色したロバート・ボルトは社会主義者で、アラビアのロレンスの撮影中に一時帰国して、ロンドンのトラファルガー広場で、反戦の実力行使のデモに参加してロンドン市警に逮捕され、事情聴取の書類にサインしなかったので、簡易裁判所から1ヶ月の禁固刑が科せられた。

映画製作者のサム・スピーゲルはボルトの勝手な行為に激怒し、監獄へ行ってロバート・ボルトに強引にサインさせ、2週間で出獄させた。ロバート・ボルトは、傲慢なサムとは二度と口を利かなかったそうである。

しかし、ロバート・ボルトは、1965年にデヴィッド・リーン監督の「ドクトル・ジバゴ(Doctor Zhivago)」、1966年にフレッド・ジンネマン監督の「わが命尽きるとも(A Man for All Seasons)」で、アカデミー脚色賞を2年連続で受賞したのだった。

主なキャスト

Thomas Edward.Lawrence(ロレンス:考古学者だが、アラブ民族の独立戦争に活躍)・・・Peter O'Toole(ピーター・オトゥール)
Sherif Ari(アリ:ハリト族の首長:架空の部族。原作ではメディナ豪族のナースィル)・・・・Omar Sharif(オマー・シャリフ)
Prince Feisal(ファイサル王子:フセイン・イブ・アリーの3男で、イラク国王になる)・・・Alec Guinness(アレック・ギネス)
Auda Abu Tayi(アウダ・アブ・タイ:ハウェイタット族の首長で、気性は荒いが勇敢)・・・Anthony Quinn(アンソニー・クィン)
General Allenby(アレンビー将軍:人を見る目のある将軍)・・・Jack Hawkins(ジャック・ホーキンス)
Turkish Bay(トルコ軍司令官のベイ:男色の軍人)・・・Jose Ferrer(ホセ・フェラー)
Colonel Brighton(ブライトン大佐;軍の規律や訓練に固執する将校)・・・Anthony Quayle(アンソニー・クェイル)
Mr.Dryden(ドライデン:英外務省アラブ局の諜報顧問で、とぼけた顔をしていて悪賢い)・・・Claude Rains(クロード・レインズ)
Jackson Bentley(シカゴ紙の記者、英雄をスクープし、自分も有名になって大儲け)・・・Arthur Kennedy(アーサー・ケネディ)
General Murrey(マレイ将軍:短気な司令官で、アラブを軽視)・・・Donald Wolfit(ドナルド・ウォルフィット)
Gasim(ガシム:ロレンスに助けられて、ロレンスに処刑される)・・・I.S.Johar(I・S・ジョハール)
Majid(マジド:)・・・Gamil Ratib(ガミル・ラティブ)
Farraj(ファラジ:ロレンスの召使いになる少年・鉄道爆破作戦中に死亡)・・・Michel Ray(マイケル・レイ)
Tafas(タファス:ベニサレムのハジミ族のガイド)・・・Zia Mohyeddin(ジア・モヘディン)
Daud(ダウド:ロレンスの召使いになる少年、流砂に呑まれる)・・・John Dimech(ジョン・ダイメック)

主なスタッフ

Directed by Sir David Lean(監督:デヴィッド・リーン:Sirは英国における騎士の称号)
Produced by Sam Spiegel(製作:サム・スピーゲル)
Screenplay by Robert Bolt,Michael Wilson(脚色:ロバート・ボルト、マイケル・ウィルソン)
Director of Photography / Frederick A. Young,B.S.C.(撮影監督:フレディー・ヤング)
Music Composed by Maurice Jarre(映画音楽の作曲:モーリス・ジャール)
Editor/Anne V. Coates(編集:アン・V・コーツ)
Production Designed by John Box(セットデザイン:ジョン・ボックス)
Art Director John Stoll(美術:ジョン・ストール)
Costume Designer/Phyllis Dalton(衣裳:フィリス・ダルトン)
Photographed in SUPER PANAVISION 70(スーパー・パナビジョン65mmカメラ使用・上映用は70mmプリントで、専用映写機で上映 上映時のアスペクト比1:2.2)
HORIZON PICTURE(製作会社:ホライゾン・ピクチャー)
Columbia Pictures Industries, Inc.(配給:コロムビア映画)
Manufactured by Sony Pictures Entertainment(Japan)Inc.(DVDの販売元:(株)ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)

ストーリー(前篇から、INTERMISSIONまで)

スクリーンの幕が開き、映写機の窓を閉じて映像無しで、サウンドトラックの音声だけを活かした、ロンドン フィルハーモニックの序曲演奏が凡そ4分間流れる。
黒い画面の中に、46歳の若さで亡くなった退役後のロレンスの様子が、映画では省略されている。それは、アラビアでの出来事ではないからだ。

1918年に、ロレンス名誉大佐は、中東のダマスカスから失意のまま帰国して、英陸軍を退官した。最終階級は中佐であった。
その後、1921年に英植民地省大臣のウィンストン・チャーチル(Sir Winston Churchill)に頼まれて、カイロ会議に参加して、一旦は表舞台にカムバックしたが、その後は、「知恵の七柱」とそのダイジェスト版の「砂漠の反乱」の執筆活動に入った。

その傍らで、1923年〜1935年まで、実名や経歴を詐称して英空軍に一兵卒として入隊した。その理由は不明である。
やがて定年で除隊したT.E.ロレンスは、イングランド南部ドーセット州にあった自宅で暮らしていた。アラブの英雄は一生独身で、スピードの出せるバイクが好きだった。

1935年当時は、バイクのロールスロイスと云われた、ブラフ・シューペリア製の愛車ジョージ号に跨って、自宅近くの道を走り回っていた。
ジョージ号の意味は、第一次世界大戦の時に英首相になった、デヴィッド・ロイド・ジョージ(David Lloyd George)の名に因む。

この映画のプロローグは、画面がフェードインして、タイトルロールがスタート。
1935年5月13日、その日は晴天だった。ロレンスは、いつものように愛車のジョージに跨って、新緑の農道でアクセルを噴かして時速100キロ近くで飛ばしていると、前方の上り坂に少年が乗るフラフラした2台の自転車を発見、避けようとして急ブレーキを掛けたので、バイクがスリップし、路肩のブッシュ(低木の茂み)に突っ込んだ。
バイクから投げ飛ばされたロレンスはヘルメットを被っておらず、ゴーグルが枝に引っ掛かり瀕死の重傷を負い、陸軍病院に救急搬送された。

持ち物から身元はショーという名の男だったが、元英植民地省の大臣であったウィンストン・チャーチルは、ショーという男は、かっては自分の部下で、1921年のカイロ会議で同席した、アラビアの英雄・T.E.ロレンスだと気付いて、国王専属の外科医と内科医を陸軍病院に派遣して、救命治療を懸命に行ったが、5月19日に永眠した。

彼の銅像は、ロンドンのセントポール大聖堂(聖パウロ大聖堂)に建てられ、アラブの英雄と知己のある方々を多数招いて本葬が行われた。

大聖堂の司祭:「あなたは、ロレンスさんとお知り合いですか?」
ブライトン大佐:「私の戦友です。並外れた人物でした」。
大聖堂の司祭:「しかし、この立派な大聖堂に、銅像を飾るに値する人物だったのでしょうか?」(※彼はコーランも信じていたので・・・)

ロンドンの新聞記者:「閣下、故ロレンス大佐について一言・・・」。
アレンビー将軍:「又、質問かね。砂漠の反乱は、我が中東戦線において決定的な役割を果たした」。
新聞記者:「大佐個人については?」
アレンビー将軍:「いや、ワシは彼のことをよく知らん」。
新聞記者:「ベントリーさん、故人について何か一言を」。
ベントリー記者:「私は大佐の知遇を受け、彼を全世界に紹介した。彼は詩人であり、学者であり、偉大な戦士だった」。
新聞記者;「ご協力、ありがとうございました」。
ベントリー記者:「同時に、恥知らずな自己宣伝家だった」。
傍にいた英軍医:「君は何者だ?」
ベントリー記者:「ジャクソン・ベントリーだ」。
英軍医:「何者であれ、今の発言は聞き捨てならん。彼は偉大な人間だ」。
ベントリー記者:「大佐とお知り合いか?」
英軍医:「親しい仲とは言わんが、ダマスカスで握手した」。

映画は1916年10月に戻る。場所はエジプトのカイロ英陸軍司令部地図課で、ロレンス中尉はアラビア半島のヒジャーズ地方(紅海に面した方のアラビア半島の地域)の地図製作を行っていた。

ロレンス:「ハートレー伍長、ここは狭くて汚い部屋だ。我慢できないね」。
ハートレー伍長:「塹壕よりマシです。中尉は戦士になれませんよ」。
ロレンス:「伍長、今日の新聞のヘッドラインを見ろよ。ベトウィン族、トルコ軍を攻撃・・・司令部の連中は、この動きを知るまい」。

ロレンスはタバコを吸う時、マッチの火を消すのに親指と人差し指で炎を摘んで消すマゾヒストなところがあり、同僚から変人だと見做されていた。
ロレンスは、英外務省カイロ諜報庁アラブ局(Cairo Intelligence Department Arab Bureau)の諜報顧問のドライデンと英陸軍カイロ司令部のマレイ将軍に呼び出され、特命を受ける。

第一世界大戦に参戦したイギリスは、オスマン帝国がドイツやオーストリア=ハンガリー帝国と同盟国だったので、オスマン帝国(中心はトルコ)とも闘うことになった。
イギリスは、先ず、インドに拠点を置く英東洋艦隊がペルシャ湾へ出動して、石油が採れるイラクのバスラを攻撃して占領した。
当時のオスマン帝国は、アラビア半島のほぼ全域を領有しており、遊牧民族のベドウィン族や定住民族のアラブ人を支配していた。

当時は、アラブの有力王族であったスンナ派でハーシム家のフセイン・イブン・アリー(メッカの太守)は、アラブ人によるヒジャーズ王国建国(現在はワッハーブ派でサウード家のサウジアラビア領)のために、トルコ兵を中心としたオスマン帝国軍にゲリラ攻撃を仕掛け、しばしば散発的な軍事行動を起こすようになっていた。

1915年にカイロで、英外務省エジプト駐在高等弁務官のヘンリー・マクマホンとフセイン・イブン・アリーとの間に、フセイン及び4人の息子の軍隊が、トルコに対して反乱を起こすと、イギリスが武器供与の支援をする約束と、フセイン王の悲願であるヒジャーズ王国の独立を認める密約「フセイン=マクマホン協定」を結んでいたが、イギリス軍部は、アラブ民族の民度が低いことやアラブ兵の戦力を軽視して、この協定には反対していた。


エジプトのカイロにあった英陸軍司令部のマレイ将軍の執務室で、(実際のロケは、スペインのアンダルシア州セビリアのスペイン広場の建物)

ドライデン:「閣下、地図課のロレンス中尉を外務省アラブ局のスタッフとして、ファイサル王子(ハシーム家フセイン王の3男)の所へ派遣させたいのですが」。
マレイ将軍:「何の為に?」
ドライデン:「我々の状況把握の為です」。
マレイ将軍:「君に言っておこう。陸軍幕僚の見解だが、ベドウィン族を援助しても無駄だ。奴らは羊泥棒に過ぎん」。
ドライデン:「メディナを攻撃しました。今朝の新聞をどうぞ」。
マレイ将軍:「知っておる。でも、トルコ軍に粉砕されて占領できなかったじゃないか。彼らの戦は軍事行動と言うより余興だ。英軍の真の敵はトルコではなく、ドイツであり、真の戦場は中東ではなく、西部戦線だ。君の言う、ベドウィン軍などは、余興のまた余興にしか過ぎん」。
ドライデン:「大事は小事から始まります」。
マレイ将軍:「君は、事を荒立てたいのか?(イギリスが支援する)アラブがトルコと闘えば、戦後処理が厄介だぞ」。

ロレンス中尉が将軍の部屋に入ってくる。
マレイ将軍:「ロレンス中尉、アラブ局のドライデン顧問が君のアラブ派遣を望んでおる。ワシには分からん。君は日常の任務もきちんと果たせんのに」。
ロレンス:「楽器は弾けずとも、大国の統治はできる」。
マレイ将軍:「何のことだ?」
ロレンス:「ギリシャの哲学者の名言です」。
マレイ将軍:「博学をちらつかすな・・・気障(キザ)な奴だな。だが、アラブを旅すれば、性根が入れ替わるかも知れん。君をアラブ局に6週間預ける」。
ドライデン:「閣下、今回のアラビア派遣は、大冒険旅行です。カイロから紅海を下ってエンボ(Yembo:ヤンブーとも発音する。メディナから西100キロの紅海沿岸の港町)へ行き、エンボでガイドを雇ってアラブの本拠を見つけるのに僅か6週間とは?」
マレイ将軍:「じゃあ、2カ月やる」。
ドライデン:「3カ月必要です」。

マレイ将軍は渋々認めた。ドライデンはロレンスを自室に連れて行く。
ドライデン:「ハーシム家のファイサル王子(ファイサル・イブン・フセイン)を探せ。王子がどんな人物で、彼の意図は何なのかを探れ。当面の意図を探るのは、ブライトン大佐に任せろ。君が探るのは、アラブの将来をファイサル王子がどう導くかだ」。
ロレンス:「王子の居場所は?」
ドライデン:「メディナから半径500キロ以内だ。ベトウィン族は1日に100キロも移動する」。
ロレンス:「楽しい旅になりそうです」。
ドライデン:「ロレンス、ピクニックじゃないぞ。砂漠を楽しめる者は二つしかいない。ベドウィン族と神々だ。それ以外の者には、灼熱地獄に過ぎん」。
ロレンス:「私には楽しみです」。
ドライデンはタバコを口にしたので、ロレンスはマッチを掏る。役目を終えたマッチの火を息で消すと、エンボの砂漠のシーンに変わる。



エンボから道案内と護衛のエスコートに、ハジミ族のタファスを雇って、二人はワジ・サフラ(ワーディー・サフラ)の王子のテントに向けて出発する。
(アラビア語のワジ(ワーディー)は、涸れた川を意味し、メディナは町を表す) SUPER PANAVISION 70(メトロ65キャメラ)で撮った砂漠のシーンが美しい。

エンボ出発から二日目に、ハリト族(映画上の部族)のマスツラの井戸に到着し、二人はラクダを降りて水を汲み、喉の渇きを潤わせ、井戸端で休憩する。
しばらくすると、蜃気楼で揺れる地平線の彼方から、黒い服をまとったベドウィン族がやってくる。
ガイドのタファスはハリト族だと気付いて、ロレンスから貰ったピストルを構えるが、ラクダに乗ったハリト族の男から小銃で射殺される。

ロレンスは親切なガイドを殺されて、怒り心頭...
ロレンス:「なぜ、殺すのか?」
ハリト族のアリ首長:「私の井戸だ」。
ロレンス;「私も飲んだぞ」。
アリ首長;「イングリッシュ、あんたは、いい。ハジミ族がこの井戸の水を飲むことは禁じられている。私はハリトのアリだ。君は誰だ。何しに来た」。
ロレンス;「君の名は聞いている。ファイサル王子に会いに来た」。
アリ首長:「カイロから来たのか?」
ロレンス;「そうだ」。
アリ首長:「私はカイロの学校に通った。英語も読み書きができる。王子の所には、イングリッシュがいる。あんたの名は?」
ロレンス:「私の名は、友達しか教えない。人殺しの友達はいない」。
アリ首長:「短気なイングリッシュだな」。
ロレンス:「アリ首長、アラブが部族同士で争う限り、いつまでも無力で愚かな民族に過ぎないぞ。貪欲で野蛮で残酷だ。君のようにな!」
アリ首長:「来い。ファイサルの所へ案内する」。
ロレンス:「君とは、一緒に行かない」。
アリ首長:「ワジ・サフラまで丸1日掛かる。見つけ難いし、迷ったら死ぬぞ」。

ロレンスはコンパスを取り出す。「必ず見つける。これでな」。
アリはラクダの鞭で、コンパスを取り上げる。「ほーっ、精巧なコンパスだな。私が取り上げたら?」
ロレンス:「泥棒になるぞ」。
アリ首長:「怖くないのか?イングリッシュ」。
ロレンス:「余計なお世話だ」。
アリ首長はコンパスを返す。「サラーム(神のご加護を)」。

ロレンスは、エスコート無しでワジ・サフラに無事到着し、砦の入口ではブライトン大佐が待っていた。
大佐はファイサル王子からイギリスの将校がやってくるのを聞かされていた。

ブライトン大佐:「君は誰だ?(王子のテントには無線機器がない)」。
ロレンス:「名前はT.E.ロレンスです。現在は外務省アラブ局の所属です」。
ブライトン大佐:「陸軍じゃなくて、アラブ局の所属?そんな部署から何の為に派遣されたんだ?」
ロレンス「王子の情報把握という漠然とした任務です」と、惚ける。
ブライトン大佐:「それなら、簡単だ。ここの情勢はまさに最悪。アラブ人の士気は皆無に近い。トルコ軍の最新式曲射砲(榴弾砲)で粉砕された。脱走兵が続出だ。
君に一言、注意する。 誰に派遣されたにせよ、ここではイギリス将校として、上官(俺)の命令に従え。ファイサルの陣地に着いたら、君は終始、口を閉じていろ。分かったか?」
ロレンス:「お言葉は、分かりました」。
ブライトン大佐:「視察が済んだら、カイロへすぐに帰れ」。

ロレンスは、中尉という軍籍がありながら、外務省の代理(文官)として、なぜ王子へところに派遣されたのかが理解できた。軍人や武官を頼りに外交を行えば、武力解決に傾いて国策を誤ることもある。敵と闘わずにして勝つ。これが外交の奥義だ。



その時、ファイサル王子の陣地がトルコ軍の陸上戦闘機(複葉機)から機銃掃射と爆撃を受ける。
ブライトン大佐:「またか、もう、沢山だ。だから、王子に忠告したんだ。ここではトルコ守備隊のいるメディナに近くて爆撃を食らうと・・・アラブは近代兵器の威力を理解せん」。



ワジ・サフラに設営した王子のテントに、ブライトン大佐とロレンスが呼ばれる。ハリト族のアリ首長も呼ばれた。ファイサル王子がコーランの「光明の章」を暗誦する。

スンナ派の僧侶:「白昼の光明にも 夜間の暗黒にも アッラーは汝を見捨てず 心より迎え給う」。
ファイサル王子:「汝の行く手には 過ぎし日より恵まれ・・・」、
ロレンス中尉:「最後には アッラーの慈しみを受け 汝は満ち足るべし」。
ファイサル王子は喜んで:「中尉、コーランをご存知か!」
ブライトン大佐は少し咳払いして、「早急に、ご決断を」。
ファイサル王子:「エンボまで退却する事か?」
ブライトン大佐:「ここでは、戦況不利です。我が国からの補給が困難です」。
ファイサル王子:「アカバ経由なら可能だ」。
ブライトン大佐:「アカバ?港を占領できればですが、今は無理です」。
ファイサル王子:「占領したまえ」。
ブライトン大佐:「と、いうと、イギリス海軍で?敵がアカバに30センチ砲を備えているのをご存知か?」
ファイサル王子:「知っておる」。
ブライトン大佐:「諦めて下さい。海軍には他の重要な任務が」。
ファイサル王子:「スエズ運河の防衛だろ。貴国にとって運河は重要かも知れんが、我々にとっては意味がない」。
ブライトン大佐:「スエズ運河は、本作戦の重要拠点です。お分かりの筈だ。王子殿、我が国とアラブは一心同体ですぞ」。
ファイサル王子:「恐らくな」。
ブライトン大佐:「恩知らずなご発言だ。エンボまで撤退すれば援助が来ます。兵器も助言も訓練も・・・」。
ファイサル王子:「大砲もか?」
ブライトン大佐:「最新式の小銃を全員に」。
ファイサル王子:「小銃より、大砲だ。トルコ軍が持っているような曲射砲が欲しい」。
アリ首長:「そうだ、大砲と砲撃訓練が必要だ」。
ブライトン大佐:「今、アラブの兵士に必要なのは、大砲より兵士の訓練です。イギリスはアラブよりも小さい。人口も多くない。なぜ大きな国になったのでしょうか?」
アリ首長:「大砲がある!」
ブライトン大佐:「訓練のお陰です」。
ファイサル王子:「海軍のお陰。海軍の力だ。イギリスは攻撃したい国を軍艦で攻撃して大国になった」。
ロレンス中尉;「そうだ」。
ブライトン大佐:「黙れ、ロレンス。君は軍事顧問ではない」。
ファイサル王子:「ここは、私のテントだ。中尉の意見も聞いてみたい」。
ロレンス中尉:「私の考えでは、コーランの教えは正しい。砂漠はオール(oar:櫂)を使えぬ大海なり。ベドウィンは、この大海をラクダで自由に行き来する。それが戦法であり、全世界に名を轟かせました。今もその戦法が良い」。
ブライトン大佐:「君の言っていることが分からん」。
ロレンス中尉:「大佐は間違っています。エンボに撤退すれば、王子の軍はイギリスの一部にされます」。
ブライトン大佐:「中尉、君は祖国を売る気か?」
ファイサル王子:「大佐、それは違う。若さと情熱が言わせたのだ。抑えきれずに・・・より賢明な立場からすれば、大佐のご意見が正しい」。
ブライトン大佐:「では、早く行動に移りましょう」。
ファイサル王子:「もう遅い。今夜はこれで御開きにしょう。決断は明日の朝だ」。

ファイサル王子は、ロレンスだけを引き留める。
ファイサル王子:「我が軍をイギリス軍の配下に置くのが大佐の狙いかね?」
ロレンス中尉:「その通りです」。
ファイサル王子:「やむを得ない。トルコ軍には最新式の曲射砲がある。しかし、私はイギリスと共同で闘うのは心配でならん。イギリスは荒れた土地にも貪欲だ。アラビアも欲しいらしい」。
ロレンス中尉:「拒否すべきです」。
ファイサル王子:「君はイギリス人だろ。祖国に忠誠心はないのか?」
ロレンス中尉:「私は祖国にも、アラビアにも忠実です」。
ファイサル王子:「イギリスを愛し、アラブも愛する・・・そんな器用なことが、できるのかな? 君も、砂漠を愛するイギリス人の一人だな。
我々アラブ人は砂漠を愛さん。砂漠には何もない。
君らは、アラブを無力で愚かな民族で、貪欲で野蛮で残酷だと思って軽く見ているが、ロンドンがまだ農村であった頃、イスラム帝国のコルドバ(イベリア半島)には街灯が灯っていた。9世紀も前の話だ」。
ロレンス:「今や、再興のチャンスです」。
ファイサル王子:「父のフセイン・イブ・アリーは、そのためにトルコに宣戦した。 しかし、父は老齢だ。父はメッカにヒジャーズに王国を求め、私は消えたコルドバの花園を求める。そのために父も私も兄弟もトルコと闘わねばならない。
ヒジャーズ王国の建国には、大砲と砲撃技術を持っているイギリスの力が必要だ。アラブの復興には人力の及ばぬ物が要る。つまり、奇蹟だ」。

その晩のロレンスは一睡も出来なかった。ロレンスはファイサル王子の望を叶えたかった。「アカバを占領したまえ」という切実な言葉が、頭から離れなかった。そして、翌日には、結論を出した。

ロレンス中尉:「アリ首長、話がある。不利な戦況を打開するには、撤退よりも、ダマスカスに近いアカバを陸から攻め落とさねばならん」。
アリ首長:「我々がアカバを攻撃?...君は正気か?ここからアカバへはヒジャーズ山脈を避けて、灼熱のネフド砂漠を横断してU字状に迂回せねばならん。ネフドは神が造った最悪の土地だ。コンパスでは歯が立たんぞ」。
ロレンス中尉:「渡ってみせる。ネフドの事は知らんが、私は十字軍の城塞調査でレバノンの砂漠を1600キロも歩いた。自分に賭けてみる。50名貸せ」。
アリ首長:「たった50名で、アカバを攻撃?」
ロレンス中尉:「砂漠を突破すれば、味方が50名増える。ハウェイタット族(実在)がいる。
アリ首長:「奴らは盗賊だ。金でしか動かん」。
ロレンス中尉:「だが、勇敢だ」。
アリ首長:「ハウェイタットは、確かに勇敢な部族だ。しかし、大砲には勝てんぞ」。
ロレンス中尉:「心配するな。アカバ港の大砲の向きは海に向けられている。港を守る大砲で、内陸に向けたものはない。そこに敵の油断がある。我々はそこへ行くだけで、アカバは奪える」。
アリ首長:「君は、正気じゃない!」ロレンスは、強引にアリの兵隊を借りる。

ファイサル王子:「中尉、私の部下を連れてどこへ行く?」
ロレンス中尉:「これから奇蹟を起こしに行きます」。
ファイサル王子:「アリから聞いた。アリが告げ口したと思わんでくれ。神への冒涜は悪運をもたらす」。
ロレンス中尉:「これから、エンボへ退却ですか?」
ファイサル王子:「仕方がないだろ。他に道が?君に50名の部下を貸そう。アカバ攻撃の話はブライトン大佐に報告したのか?」
ロレンス中尉:「いいえ。アカバ攻撃隊は、ファイサル王子の名で出発したと主張できます」。
ファイサル王子:「認めましょう。ロレンス中尉。だが、本当に私の名かね?」

ワジ・サフラ(原作では紅海沿岸のワジュフ)からアカバまでの行軍は、凡そ600マイル(960キロ)に及ぶ。
ロレンス中尉とアリ首長が率いるアカバ攻撃隊は、ヒジャーズの山岳地帯を避けトルコ守備隊に見つからないように、遠回りの迂回ルートで行かなければならなかった。
1917年5月9日に、ロレンス等のアカバ攻撃隊は、紅海沿岸港町のワジュフ(Wejh:エンボから260キロ北北西)を出発して北東に進み、オスマン帝国がメッカへの巡礼客用に敷設したヒジャーズ鉄道を横切って、ネフド砂漠(Nefudh Desert:原作では涸れた川沿いのファジュル砂漠:Wadi Fajr)に入り、ワーディー スィルハーン(Wadi Sirhan)のアルファジャ(Arfaja)で進路を北西に取って進み、ネブク(Nebk)で南西に進路を変え、再びヒジャーズ鉄道の線路を横切ってアカバ港の東に到着するコースであった。
1917年5月9日に出発して、アカバ攻撃は1917年7月6日で、58日(凡そ二ヶ月)も掛かっているが、映画では一週間ぐらいでアカバに着いたような印象を受けた。

映画ではカットされているが、原作ではワーディー スィルハーン地域の塩分を含むオアシスの水辺には、水を飲みに来る鳥や小動物を狙って毒蛇がウジャウジャいて、ロレンスは大の蛇嫌い。隊員数名はアラビア半島に棲息するサバククロコブラ、砂に潜って獲物に飛びかかるツノクサリヘビ(猛毒で両目に上に角が生えている)などに咬まれて数名が命を落とした。

少年のファラジとダウドはロレンスの召使いになったが、ふざけてロレンスにコブラを嗾(けしか)け、ロレンスは危うく咬まれそうになって、命を落としそうになった。また、アルファジャで野営していると、ラクダに乗った20名近くの盗賊に遭い、格闘になって傭兵隊員の一人が死亡。

ロレンスはアカバ進軍の2カ月前に、この地方に発症しやすい赤痢に罹り、一旦は治ったが、ワジュフを出発して間もなく、赤痢の後遺症が再発し、さらに、原因不明の激痛を伴う腫れ物にも苦しみ、休憩を多く取ったのでアカバ到着がかなり遅れた。長時間のラクダの騎乗で股擦れが酷く、行軍を止めた日も数日ある。

映画では、ネフド砂漠(実際はワーディー ファジュル)横断中にラクダから落ちたガシムを救う感動的な救出シーンはあったが、この時のロレンスの体調は最悪でヘトヘトだったのだ。
ガシムの救出は事実なのだが、ロレンスにはファラジやダウド以外にも数名のエスコート(衛兵)がおり、ロレンスの神懸かり的な行動を表現するために、一人でガシムを救ったという演出がされた。その他の道中のアクシデントは殆どカットされている。

ロレンスは、夜のネフド砂漠を渡っている途中で居眠りして、ラクダから落ちた仲間のガシムを助けるために引き返し、早朝に見つけて救ったことで、運命を切り開いたと男として、アリ首長から、ハリト族のベニ・ウェジのシャリーフの衣裳と刀が与えられる。(原作ではファイサル王子からワジュフで貰ったプレゼントだった)
名前もロレンス中尉から、エル オレンス 又は、オレンスと呼ばれるようになった。

やがて、オレンスが率いるアカバ攻撃隊は、ハウェイタット族の縄張りであるワーディー ラム(原作ではイーサーウイヤ:Isawiya)に入った。
ロレンスが、ベドウィン族の首長の衣裳を纏って悦に入っていると、ハウェイタット族(実在)の首長アウダ・アブ・タイ(実在)がロレンスの様子をジーッと眺めていた。

アウダ・アブ・タイ:「おい、イングリッシュ、こんなところで変な格好して、何をしている?」
オレンス(ロレンス中尉):「そういう、あなたは誰だ?」
アウダ・アブ・タイ:「俺は、ハウェイタットのアウダ・アブ・タイだ。お前は、俺の井戸水を盗んだ奴らの仲間か?」
オレンス:「私の知っているアウダ・アブ・タイは、ネフドを渡ってきた者を歓迎する筈だ」。
アウダ・アブ・タイ:「ほーっ、俺とは違うアウダかも知れん。息子よ、この男の服は、どこ部族の物か分かるか?」
アウダの息子:「はい、父上。ハリト族でベニ ウェジのシャリーフの衣裳ですが、着ている男はイギリス人です」。
アウダ・アブ・タイ:「良くできた。ハウェイタットの井戸水を盗んだ、質の悪いハリト族に、注意して来い」。
まだ、十歳ぐらいの息子は、馬に乗って、アリのキャンプに向かって馬を走らせる。


結局、アウダはロレンス一行をワーディー ラム(原作ではイーサーウィーヤ)の野営テントで3日3晩、ヒツジの丸焼き料理で歓待し、毎晩宴会が催される。
宴会もたけなわ・・・、

アウダ・アブ・タイ:「お前らは、トルコ軍のおるアカバ攻略が狙いか?」
アリ首長:「ファイサル王子の為だ。ハリトは金だけでは動かん」。
アウダ・アブ・タイ:「もし、誰かに仕えるなら、ファイサル王子は悪い主人ではない。だが、ワシは誰にも仕えん」。
オレンス:「トルコをアカバにのさばらせるつもりか?」
アウダ・アブ・タイ:「そうだ。俺の楽しみの為にな」。
オレンス:「攻撃は王子の為だけではない。アラブの為だ」。
アウダ・アブ・タイ:「アラブ?ハウェイタット、アジリ、ルアラ、・・・そうそう、お前とこのハリトもな。だが、アラブって何族なんだ?」
オレンス:「奴隷民族だ。トルコの奴隷だ」。
アウダ・アブ・タイ:「それは、他の連中だろ。ワシはハウェイタットだ」。
オレンス:「トルコから金を貰えば召使いだ」。
アウダ・アブ・タイ:「皆、聞け!ワシは誰かに仕えたか?」家来に向けて大声で訊く。
家来たち:「仕えてない」。
アウダ・アブ・タイ:「ワシは誰かの家来か?」
家来たち:「家来ではない」。
アウダ・アブ・タイ:「ワシは多くの敵を蹴散らし、家畜も奪った。トルコがワシに大金を貢いでも、ワシは貧乏だ。なぜか分かるか?部下に湯水の如く施すからだ。
家来たち:「その通りだ」。
アウダ・アブ・タイ:「イングリシュ、分かったか。これでも、まだ召使いと言いたいのか?」
オレンス:「違う」。
ハリトの副官:「だが、アウダも年老いたようだ。戦いを避けるようになった」。
アウダ・アブ・タイ:「よくも、ワシのテントでぬけぬけと言ったな。この腰抜けめ」。
アリ首長:「腰抜けでも、トルコには身売りせん」。
アウダ・アブ・タイ:「お前らなんぞは相手が買わん。トルコが俺に払った金を教えてやる。召使いの給料か答えてみろ。彼らは毎月欠かさず払う。金貨で100ギニーの大金だ」。
オレンス:「正確には150ギニーだ」。
アウダ・アブ・タイ:「誰に、聞いた?」
オレンス:「私の耳は長い」。
アウダ・アブ・タイ:「舌も、さぞ長いんだろ」。
オレンス:「100ギニーでも200ギニーでも、端金(はしたがね)だ。比較にならん大金が彼らの金庫に入っている」。
アリ首長:「アカバのな!」
アウダ・アブ・タイ:「アカバに?お前らは悪女のようだ」。
オレンス:「うまい話があっても、アウダは、アカバに行かない」。
アウダ・アブ・タイ:「・・・」。
オレンス:「金貨や王子のためにも、アカバに行かない。トルコ軍撤退のためにもアカバに行かない。だが、自分の楽しみならきっと来る」。
アウダ・アブ・タイ:「イングリッシュ、お前は魔女の息子か?」

このようにして、アウダ・アブ・タイは、ロレンスが目論んだようにアカバ攻撃の仲間に加わる。
とはいっても、未だ50名の軍勢しかない。王子の軍と併せても100騎だ。アカバには凡そ1000人のトルコ兵が町を守っている。
それで、アウダ・アブ・タイは、周辺の好意的な部族に働きかけて、500名の兵士をアラブ軍の傭兵としてかき集め、最終的には1000名(原作では2000名)の軍勢になった。

1917年7月6日、2000名のアカバ攻撃隊は、アカバ港を騎馬隊とラクダ隊の波状奇襲攻撃を仕掛け、トルコ軍守備隊の300名が死亡、700名が捕虜になった。アラブ軍の死者は、たった2名だった。
アカバ奇襲攻撃のシーンは、この映画最大のハイライト(見せ場)になっている。本物の砂埃を立てて騎馬隊が疾走するシーンは大迫力だ。

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アウダ・アブ・タイの兵士たちは、トルコ軍の基地内を破壊し、電話や電信機も破壊したので、ロレンスはカイロの司令部に電信できなかった。
さらに、トルコ軍の金庫の中には紙幣ばかりで、金貨は無かった。
アウダ・アブ・タイは、ロレンスに怒り、「金庫の中には紙屑(紙幣)ばかりで金貨がないじゃないか?どうしてくれるんだ。嘘つきめ」と、喚(わめ)き出す。
ロレンスは、イギリス国王がアウダに金貨で5000ギニー払うという証文を書いて、アウダに渡す。十日待って欲しいと言い、これからカイロのアラブ局に報告に行くと言った。

アリは不安に怖れ、ロレンスを敬愛しながら、「君は、アカバ攻略を自分の手柄にしたいんだろう?」と卑屈に言った。
ロレンスは、「アリ首長、バカなことを言うな。君らがアカバを攻略したとカイロの司令官に言っても、頑固なマレイ将軍は信用せん。私が直々に報告しないと、アラブ民族独立のために武器や金貨は調達できん。これから、シナイ半島を横断してカイロに行く」。

アウダ・アブ・タイ:「そんなガキを連れて?」
オレンス「そうだ。モーゼもお伴を連れてシナイを渡った」。

原作では、7名がラクダに騎乗してシナイ半島を49時間で縦断した。
映画では3人連れだが、少年のダウドが流砂に呑まれて死亡し、ロレンスと少年のファラジがカイロの英陸軍司令部1階の将校バーに行く。ロレンスはベニウェジの首長の衣裳を纏っていたが、シナイ半島で砂嵐に遭い、前身埃まみれだった。

英陸軍カイロ司令部に到着したオレンス(ロレンス中尉)は、埃塗れのベトウィン族の姿だったので、仲間から蔑まれてジロジロ見られる。

英陸軍カイロ司令部の衛兵:「おい、君、ここは将校専門のバーだ。そんな汚い格好で来ちゃいかん。よく見ると、ロレンス中尉じゃないか」。
周囲の将校たちは、「ゲタウト(Get out of here)出て行け」と、口々に言い出す。バーテンからも、「Get out!」
ロレンス中尉:「構わん。アラブも同じ人間だ。喉が渇いた。バーテン、レモネードを大きなコップで2杯くれ」。


騒ぎを聞いて降りてきたブライトン大佐は、「ロレンス中尉じゃないか。その格好はどうしたんだ?事情を説明してくれ」。

ロレンス中尉:「アカバを占領しました。電話や電信機が壊されたので、シナイ半島をラクダで渡って報告に来ました」。
ブライトン大佐:「アカバを占領?信じられん。誰が?」
ロレンス中尉:「我々の軍と味方の軍が・・・アラブ人が占領しました。指揮は私が...」。
ブライトン大佐:「敵はどうなったんだ?」
ロレンス中尉:「まだアカバにいます。トルコ軍守備隊全員を捕虜にしましたが、相当数殺してしまい、それが悔やまれます」。
ブライトン大佐:「考えられん。新司令官のアレンビーに報告しろ」。
ロレンス中尉:「司令官が代わった!それは一歩前進ですね。先ず、休める部屋を二つお願いしたい。この子と私の部屋を」。

アレンビー将軍の部屋で、アレンビーはロレンスの経歴書を見ていた。
アレンビー将軍:「・・・軍規を守らず、時間不正確、身嗜み悪し、でも、文学や音楽を愛好し、数カ国語を話して博学・・・君は、面白い男のようだね。だが、誰がアカバの占領命令を下したんだ?」と、怒った。
ロレンス中尉:「誰も」。
アレンビー将軍:「中尉、上官には敬語を使え。では聞くが、なぜアカバを占領したんだ?」
ロレンス中尉:「アカバはトルコにとっても、イギリスにとっても戦略的な要衝です。ここを我々が抑えれば、エルサレムの右背後になり、英軍にとっても有利です。又、メディナはアカバに近い」。
アレンビー将軍:「メディナの英軍をアカバに移せと?・・・ワシがエルサレムを攻めると思うのか?」
ロレンス中尉:「そのように思います」。
アレンビー将軍:「君は、上官に報告せず、独断で攻撃した」。
ロレンス中尉:「臨機応変の処置も、時には必要でしょう」。
アレンビー将軍:「チョット待て。それは、極めて危険なことだ」。
ロレンス中尉:「はい、分かっております」。
アレンビー将軍:「君を今日から少佐に任命しょう。任地に戻ってさらに活躍して欲しい」。
ブライトン大佐:「彼には勲章を受ける資格があります。無謀な作戦であったとしても、正に輝く武勲です」。

一階の将校バーにて、アレンビー将軍とベドウィンの服を着た二人の姿に、将校たちは驚く。

アレンビー将軍:「皆、楽にしたまえ。今回の主役は、ワシの隣にいるロレンス少佐だ。彼はアカバを攻略した」。

1階のバーにいた将校たちが彼らを遠巻きに囲む。 アレンビー将軍、ロレンス少佐、ブライトン大佐、諜報顧問のドライデンが中庭で語り合う。

アレンビー将軍:「ロレンス少佐、1000人のアラブ兵で、よくトルコを制圧できたな」。
ロレンス少佐:「1000人のアラブ兵は1000本の刀。ラクダに乗れば、アラビアを敵より速く横断できます。これからは、敵の鉄道を破壊し、修理の間に次を破壊します。13週間で、アラビアは大混乱します」。
アレンビー将軍:「また、任地に戻ってやってくれるか?」
ロレンス少佐:「はい閣下、勿論です」。
アレンビー将軍:「敵もバカではないぞ。アラブ兵の正体が山賊の小部隊と知ったら無視するだろう」。
ロレンス少佐:「それは、有り得ません。トルコが我々のアラブ軍を軽視すれば、オスマン帝国はアラビアを永遠に失うから必死になると思います」。
アレンビー将軍:「それは、どうかな」。
ロレンス少佐:「アラビアは、アラブの国土。私はそう説いて来たし、アラブもそれを信じて闘っています」。
アレンビー将軍:「尤もだ」。
ロレンス少佐:「彼らの唯一の気掛かりは、トルコの後釜にイギリスが座ることです。私は、そのような野心は無いと宣言しましたが、閣下はありますか?」
アレンビー将軍:「ワシは軍人で、政治家ではない。ドライデン顧問、君はアラビアに野心があるのかね?」
ドライデン顧問:「(即答できない)難しい質問です」。
ロレンス少佐:「閣下のお名前で、保証して頂きたい。野心を抱いていないことを」。
アレンビー将軍:「よろしい。書こう」。

ロレンスは、小銃5000丁、機関銃と機関銃取扱の指導員、装甲車、野砲、金貨で2万5千ギニーを要求する。
用件を終えたロレンスは、シナイ半島横断の体の疲れを休ませるために、ブライトン大佐の秘書が手配したホテルに向かった。

ドライデン顧問:「閣下、本当に、アラブに野砲も与えるのですか?」
ブライトン大佐:「一度与えたら、もう取り戻せません」。
ドライデン顧問:「アラブに独立を与えるのと同じです」。
アレンビー将軍:「取り消せば、よかろう」。
ドライデン顧問:「閣下次第です」。
アレンビー将軍:「いや、ワシは政治的な命令には、素直に従う身だ。だが、ロレンスは違う。引っ込みがつかん」。
ドライデン顧問:「我々は、抜かりなく」。
(カイロの英陸軍司令部のロケは、スペイン・アンダルシア州セビリアのスペイン広場の建物や回廊で行われた)

前篇の終わり 途中休憩・・・INTERMISSION〜(ENTR'ACTE:幕間音楽) へ

2013年4月22日 尾林 正利

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