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ジャンヌ・モローの顔が捲れているように見えますが、ブランデーグラス越しの写真です。
パッケージのジャンヌは、カラー写真ですが、映画はモノクロです。


エヴァの匂い

1962年公開で、原作名は、エヴァ

EVA
mise en scene de Joseph Losey

洋画(欧米の映画)には、プロローグから、いきなり旧約聖書や新約聖書の宗教観が描かれていることがある。
例えば、スペクタクル映画の「ベン・ハー」でも、タイトルバックに、旧約聖書の「アダムの創造」と、プロローグにローマ帝国の圧政からエルサレムの民を救うメシア(救世主)の降臨、イエス・キリストの誕生が荘厳に描かれている。

つまり、ベン・ハーという映画を観るには、先に、キリスト教とはどんな教えなのかを少しは予備知識として理解しておく必要がある。でないと、この映画を監督したウィリアム・ワイラーの意図が伝わらない。但し、映画で描かれている話を信じるか信じないかは、個人の自由である。

神道や仏教信者が多い日本人には、キリスト教に対しては馴染みが薄く、この映画は旧約聖書に由来する演出がなされているようだ。

旧約聖書には、天地創造の終章に現れたエホバ神が、創世記の始めに、初めて人間のアダム(男)をお創りになられ、食用に適した実のなる「命の樹」と「善悪の知識の樹」を植えた「エデンの園」に住まわせたということが書かれてある。

エホバ神は、人間のアダムに「善悪の知識の樹(禁断の木の実)」だけは食べないように厳命し、アダムに誓いを立てさせた。
その後、アダムの肋骨からイヴ(エヴァ:女)が創造されて成人になり、やがて、エデンの園に侵入した蛇がイヴに近づき、「善悪の知識の木の実」を食べるようにそそのかし、イヴは禁断の木の実をアダムにも勧め、アダムも食べたところ、目が開いてお互いが裸であることに気付き、慌てて、イチジクの葉で腰回りを覆い(男女の違いである)陰部を隠した。

禍(わざわい)をもたらした蛇は、エホバ神から永遠に地を這う生き物にされる罰が与えられ、神との誓いを破り、過ちを犯したアダムとイブ(人間)は、エホバの神から衣が与えられてエデンの園から追放される。

なぜ、こんなことを書いたのかと言うと、「エヴァの匂い」のプロローグとエピローグに、イタリアのヴェネツィアにあるサンマルコ広場に建っているドゥカーレ宮殿南西角のアダム像とイヴ像が2回もアップで写されており、この映画の主役になる、悪女エヴァと、エデンの園から追い出された創世記のエヴァが観客の頭の中でオーバーラップするような演出がなされているからである。

プロローグでは、この映画に登場する作家のタイヴィアン・ジョーンズが、ドゥカーレ宮殿のイチジクの葉で陰部を隠したアダムとイヴ像を見て、 「(創世記の)男と女は裸だったが、羞恥心は無かった」と呟(つぶや)いている。

この映画の原作は、英国の作家、ジェイムズ・ハドリー・チェイスが、1945年に英国で発売した「悪女エヴァ」を脚色して映画化したものである。
エヴァという女の職業は、禁断の木の実を食べてエデンの園を追い出された女の祖先・エヴァと同名の、ローマの高級娼婦だ。
主にローマやヴェネツィアの高級ホテルのカジノ・バーなどに出入りする上客を相手にするが、やっていることは普通の娼婦と大して変わりはない。客になる男を自分の目で選べられるか、選べられないかの違いはある。

この映画は、ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」をプロデュースしたロベール・アキムとレイモン・アキムの兄弟によって製作された。監督はジョセフ・ロージーである。
ジョセフ・ロージーは、1950年〜1954年のマッカーシズム旋風で、米国議会や官庁から過激な共産主義者の収監や国外追放が行われ、言論が自由な筈のハリウッド映画界もコムニスト達が排除された。ジョセフ・ロージーは、ハリウッド10(テン)ほどの扱いではなかったが、証人喚問のブラックリスト(要注意人物)に挙げられて、下院の非米活動委員会の聴聞会に呼び出される前に米国から脱出して、ヨーロッパで映画製作の仕事をしていたところ、回り回って「エヴァ」を監督する仕事が巡ってきた。

この映画の原作では、舞台設定(ドラマのシチュエーション)は、アメリカのハリウッドになっていたが、監督がハリウッドから追われた身なので、脚色で書き直され、映画ではヴェネツィアやローマを舞台にしたドラマとして変更されている。

プロデューサーのアキム兄弟は、この映画のフィルム編集に手出しして、同じくディレクターのロージーも編集にもタッチして、演出を巡って意見が対立して揉めたらしいが、すったもんだの末に公開試写に漕ぎ着けた。
公開試写会では、招待した観客の評判はイマイチで、業界で言う「転(こ)けた」作品になったが、カンヌ映画祭出品の期限に間に合わなかった不幸が結果的に幸いし、監督や主役俳優が納得ゆくまで撮り直しして、編集も手直しして良い作品に仕上がった。

ジョセフ・ロージーは才能のある監督で、とくに「召使」という映画は秀作なので、当サイトに紹介している。
ところで、「エヴァの匂い」の"匂い"とは、日本公開時に付けられたタイトルであるが、原作のタイトルよりは良いと思う。エヴァという女が放つ、男を惹きつけるエロチックなフェロモンを連想しても的外れではない。

エヴァという女から発散するフェロモンには、他の女が持っていない毒があり、男がその毒を嗅いでしまうと、男たちは我を忘れてエヴァの虜になって狂い、理性の箍(たが)が緩んで破滅してしまう。
エヴァを演じるのは、悪女役がピッタリ填る、フランスの名女優、ジャンヌ・モロー(1928年〜)だ。

ジャンヌ・モローは、ルイ・マルが監督した「死刑台のエレベーター」で、商社社長の妻、フローランス・カララを演じ、夫シモン・カララの腹心の部下、美男子のジュリアン・タヴェルニエを愛人にして、愛人に夫を殺させる魔性の女を見事に演じて、一躍、大女優になった。

因みに、ジャンヌの現在(2014年)は、86歳の高齢になられ、さすがに往年のイメージから遠のいたが、持論の人生観や映画観を宣うのは、今も頭脳明晰でご健在のようである。1950年〜2008年まで58年も映画に出演した名女優である。
ジャンヌの父はレストランを経営していたフランス人で、母がイギリス人のダンサーだった。だから、ジャンヌは英語もペラペラで、「黄色いロールスロイス(1964年製作)」のようなハリウッド映画にも出演している。

1957年に、ジャンヌと一緒に仕事をしたルイ・マル監督は「ジャンヌの凄いところは、たった数秒で、表情をパッと変えられるところなんだ」と語っているが、ジャンヌは、映画関係者からプロの俳優と言われるのを嫌ったらしい。

ジャンヌは与えられた役に成りきるために、その役の職業を調べて、特別なトレーニングするようなことはしなかったらしい。その場の雰囲気やその時の緊張感を感じてアドリブを交えて演じていたようだ。 米国アイオワ州の片田舎で暮らす農婦の役から、英国のサッチャー首相の役まで器用に演じる、メリル・ストリープとは逆の考えを持つ女優さんである。

監督を引き受け、キャスティングが決まったジョセフ・ロージーは、主役に魔性の女を演じて貰う、演出家としてのイメージを直に伝えるために、パリから遠く離れたジャンヌ・モローの自宅を訪ねたらしい。

映画監督という職業は、自分の映画に起用する主演女優を理解するために、私生活を知ることも重要な仕事なのだ。私生活に入り込み過ぎると、恋愛感情が生まれる。
だから、女優を妻にしているような映画監督は、外国でも日本でも非常に多い。
ジャンヌ・モローは、アメリカのモダンジャズが大好きだったらしく、とくに、黒人女性のボーカリスト、ビリー・ホリデイのLP盤が部屋に沢山あって、ポータブル電蓄でよく聴いていたらしい。これが「エヴァの匂い」に、充分活かされている。

この 映画を観ているとよくわかるが、ジャンヌの自宅にLPレコード盤が沢山あったというのは、コレクションが目的ではない。 他の部屋、友人の家、映画撮影スタジオ、ロケ現場、ロケバス、別荘、宿泊するホテルなど、携帯電蓄とレコード盤をどこでも持って行けるように、同じアルバムのレコード盤を20〜30枚ぐらいストックいて、シャリシャリ音がでたら、ゴミ箱に捨ててしまう。イライラしているときはレコード盤を投げ飛ばして割ってしまう。だから、ジャンヌには、レコードの購入費が普通の人よりも20倍も30倍も高く付くワケだ。今なら、Apple社のWeb Sitesから、iTunesで好きな曲をダウンロードすれば、iPod一台で済むのだが・・・。

この映画ではビリー・ホリデイが歌っていた2曲が使われている。
この映画のワン・シーンで、
「エヴァ、此の世で一番好きなのは何だ?」
「お金」
「その金を何に使うんだ?」
「レコードを買うの」・・・ぼくは笑ってしまった。ジャンヌが、無意識にレコードのA面B面をチラッと確認して、ポータブル・レコードプレヤーに、レコード盤を掛ける時の仕草がとてもいい。

ジャンヌがかなりのジャズ好きなことから、監督は映画音楽の担当に、アメリカからモダンジャズの帝王、マイルス・デイヴィスを呼ぶつもりだったが、作曲料と演奏料が折り合わず断念し、まだ経験の浅かったミシェル・ルグランが映画音楽を担当することになった。

ルグランは1964年に、フレンチミュージカル(歌詞だけでなく、台詞部分も歌うレチタティーヴォ形式)の「シェルブールの雨傘」の歌曲を担当し、一躍有名作曲家になった。1968年に「華麗なる賭け」の主題歌「風のささやき」でアカデミー歌曲賞を受賞し、親日家で、自主的に作った曲をテレビCM用としてサントリーや資生堂など、数社に提供している。

ジャンヌ・モローは、ルイ・マルの「死刑台のエレベーター(1957年)」、ジョセフ・ロージーの「エヴァの匂い(1962年)」、フランソワ・トリュフォーの「突然炎のごとく(1962年)」、ルイス・ブニュエルの「小間使の日記(1964年)」、などに主演し、男を誑(たぶら)かせて(惑わせて)、挙句の果てに破滅させる悪女(運命の女:ファム・ファタール)役が多い。彼女はモノクロ映画への出演が多く、フランス映画には欠かせない存在感のある女優だ。
エヴァの衣裳は、1962年当時、ジャンヌと交際していたピエール・カルダンが提供している。

「エヴァの匂い」に描かれるエヴァは、恋愛は御法度。 恋愛はしないが、狙った男をしばらく引き留める為には、ある程度貢がせてから、一度は男と寝る。エヴァの職業柄、床上手なので、男は「エヴァは俺に惚れている」と騙される。
しかし、エヴァは、情夫(バカラ賭博のイカサマ師)以外は、自分が選んだ客の男と寝るのは一回か二回だけで、その後は「私に恋しては駄目よ」とキッパリ言って、男の肉欲を拒否し、男を焦らし続けて、貢ぎ物の金額やデート代がエスカレートしていく。敢えて俗っぽい表現をするなら、「やらず、ぼったくりの女」で、エヴァが悪女と呼ばれる所以だ。

エヴァが活動するテリトリーは、ローマやベネツィアのホテルにあるカジノ・バーである。高級娼婦として、プロの女賭博師として、悠悠自適の暮らしをしている。
カジノにはケチな男は出入りしない。苦労しなくても大金が入ってくる大会社社長のお坊ちゃん御曹司とか、成金の男たちが散財しにやってくる。

この映画では、悪女エヴァに翻弄されて、破滅していく成金の新進作家のタイヴィアンを描いている。
イタリアの観光地ヴェネツィアが主な舞台になっている。
ベネツィアという水上都市を舞台にした名作は、デヴィッド・リーン監督の「旅情(1955年)」、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す(1971年)」、そして、今回紹介する(1962年)の「エヴァの匂い」である。

「旅情」と「ベニスに死す」は、カラー作品だが、「エヴァの匂い」はモノクロ作品である。
「エヴァの匂い」の撮影監督は、ヴィスコンティの「揺れる大地」で、オペレーターを務めたジャンニ・ディ・ヴェナンツォである。
雨の降りそうな曇天の日ばかりを選んで、モノクロで撮った、ヴェネツィアの湿り気のある空気感の描写は、フォトジェニックだった。

因みにヴェナンツォは、「ベニスに死す」、「イノセント」、「カルメン」を撮った、名手パスクァリーノ・ディ・サンティスの師匠だった。この映画では、キャメラオペレーターとして、パスクァリーノ・ディ・サンティスもキャメラを回している。映像が良いのは、なるほどと思った。
この映画では、揺れ動くゴンドラ、揺れ動く水面(みなも)、鏡の中の反射像を利用した撮影がお洒落。

主なキャスト

EVA (エヴァ: カモにした男を残酷な愛で破滅させる魔性の娼婦)・・・Jeanne Moreau(ジャンヌ・モロー)

Tyvian Jones (タイヴィアン・ジョーンズ:英国ウェールズ出身の、なりすまし小説家)・・・Stanley Baker(スタンリー・ベイカー)

Francesca(フランチェスカ:プロデューサーのアシスタント)・・・Virna Lisi(ヴィルナ・リージ)

Sergio Branco (セルジョ・ブランコ・マッローニ:映画のプロデューサー)・・・Giorgio Albertazzi(ジョルジョ・アルベルタッツイ)

主なスタッフ

製作:Robert Hakim,Raymond Hakim(ロベール・アキム、レイモン・アキム)
監督:Joseph Losey(ジョセフ・ロージー)
原作:James Hadley Chase (ジェームス・ハドリー・チェイス)
脚色:Hugo Butler,Evan Jones(ヒューゴ・バトラー、エヴァン・ジョーンズ)
撮影:Gianni di Venanzo(ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ)
音楽:Michel Legrand(ミシェル・ルグラン)
美術:Luigi Scaccianoce,Richard McDonard(ルイジ・スカッチアノーチェ・リチャード・マクドナルド)
編集:Reginald Beck,Franca Silvi(レジナルド・ベック、フランカ・シルヴィ)
画面:ヨーロッパ・ビスタ1:1.66 モノクロ作品
製作年と製作国:1962年フランス・イタリア合作
DVD製作:(有)マーメイドフィルム
販売元:紀伊國屋書店

ストーリー


プロローグは、世界遺産の水上都市、アドリア海に面したイタリアのヴェネツィア(日本では、ベネチアとかベニスと表記)にある酒場(パブ)の店内から始まる。
英国の小説家のタイヴィアン・ジョーンズ(以下、タイヴィアンと省略)は、酒を飲みながら、周りの客に自分の身の上話を語っている。
故郷は、ウェールズ(グレート・ブリテン島の中西部)の生まれで、厳格な父のことや、炭坑夫の兄のことをペラペラと喋っている。
彼の自慢話を聞いた年配のご婦人は、「面白い人ね。この方は、ヴェネツィアにやって来た観光客のガイドをして暮らしているイギリスの作家よ」と、皮肉をいわれている。

そこへ、一人の紳士が現れた。映画プロデューサーのブランコだった。
「お前は、ここにいるワケを忘れたのか?恥知らずめ」と言われると、タイヴィアンは、バブからこそこそと逃げ出す。



そして、タイヴィアンは、これまでの人生の絶頂期であった、2年前のことを思い出す。
風光明媚なヴェネツィアの沖(アドリア海)で、水上スキーを楽しむタイヴィアン。
タイヴィアンは、「地獄の異邦人(映画上の小説)」という小説を書いてベストセラー作家になり、しかもそれが映画化されて裕福になり、一躍、時の人になって、ベネツィア映画祭に招待されたのだった。

ヴェネツィア(ベネチア)映画祭の会場は、サンマルコ広場にあるドゥカーレ宮殿で式典が行われる。
彼は晴れがましい会場で、一際目立つ英国製の白いディナー・ジャケット(夜会用のタキシード)を着てマスコミに囲まれ、原作者としてインタビューを受けていた。

下の写真は、左から映画プロデューサーのブランコ、ブランコの秘書フランチェスカ、原作者のタイヴィアン、脚本家のマコーミック(後ろ姿)が集まる。タイヴィアンは、若くて美しいフランチェスカと婚約していた。

映画プロデューサーのセルジョ・ブランコが、タイヴィアンを招待した理由は、彼のベストセラー小説を映画化した「地獄の異邦人」もヒット作になったので、気を良くし、彼に早く新作の小説を書いて貰って、そのシノプシス(ドラマのあらすじ)を依頼するためであった。
タイヴィアンはフランチェスカから、ボスが3万ドル出すと言っていたと聞いて、新作のシノプシスの制作を引き受ける。

タイヴィアンは、婚約者のフランチェスカが映画祭の後で、ボスと一緒に急いでローマに帰ってしまうのを不快に思っていた。
ブランコも、容姿端麗なフランチェスカと結婚したい気持ちがあるのを知っていたからである。
しかし、仕事の方が大事だと行って、タイヴィアンはフランチェスカにローマに帰るように言ってしまう。


左から、映画プロデューサーのブランコ(ジョルジョ・アルベルタッツイ)、
プロデューサー秘書のフランチェスカ(ヴィルナ・リージ)、
小説家のタイヴィアン・ジョーンズ(スタンリー・ベイカー)

シーンは、ガラッと変わって、激しい雨が降る夜のヴェネツィアの運河。
男と女の乗ったモーターボートが操舵を誤って舵を破損し、操船不能になって、ある岸辺に着く。
そこはヴェネツィアの中心から少し離れたトルチェロという農場干拓地だった。水上タクシーが接岸できる岸辺の近くに一軒の家があり、二人は無人の一軒家の扉の硝子を割り、解錠して侵入する。

女が先に入って室内のライトを点けると、リビングルームの壁面には若い女のポートレート写真、本棚には同じ本が二十冊ほど乱雑に並べてある。その奥には梱包された同じ本が30冊ほどある。
そう、ここは、タイヴィアンが、ローマの喧噪を避けて、風光明媚な静かなヴェネツィアで物書きするために、農家から借りた家だったのだ。

女はケース型のポータブル電蓄を暖炉のある居間のテーブルに寝かせてカバーを開け、電源コードをコンセントに差し込んで、好きなレコードジャケットからビリー・ホリデイのLP盤を乗せ、スタートボタンを押してピックアップを下ろす。部屋に流れる「柳よ泣いておくれ」。
この不貞不貞しい(大胆不敵な)女は、カモにした初老の成金男を従えて、タイヴィアンの家に不法侵入し、2階にある広いバスルームの浴槽にお湯を張って、一人でフロに入りご満悦だ。

そこへ、この家の持ち主であるタイヴィアンが帰ってくる。
無人の筈の自宅に人の気配がする。入口の近くで見知らぬ男が暖炉に薪を焼べて部屋を暖めていた。
「お前は何しにきた。ここは俺の家だぞ!」と怒鳴る。

初老の男はピエリと名乗り、船が突然故障して操縦不能になり、予約していたホテルに行けず、雨宿りで止むを得ず、連れのオリヴェリ夫人とここで泊まることにしたと弁解する。

ということは、連れの女がここに居ることなので、タイヴィアンは女を見るために、演奏中のレコードを停めると、オリヴェリ夫人は何食わぬ顔で、バスルームのある二階から無言で降りてきて、レコードのピックアップを下して、再びビリー・ホリデイが歌い出すと、今度はガウンを着るためタイヴィアンの寝室に戻る。
傍若無人な女に呆気にとられるタイヴィアン。

タイヴィアンは、今まで出会ったこともない妖艶な女に一目惚れして、興味を持ち、二人の不法侵入者の扱い方を考える。
ピエリという男は厚かましく、今夜こそはオリヴェリ夫人と一緒のベッドに寝たいとタイヴィアンに頼む。

ピエリという男は、オリヴェリ夫人には今まで高額な絵画の贈り物と、ローマ〜ヴェネツィア観光のファーストクラスの往復飛行機代と高級ホテルのスイートに宿泊費に大金を払ったから、その見返りに、今夜はこの女と寝る権利があるというのだ。だから、「金はいくらでも出すから、タイヴィアンのベッドを貸してくれ」と、懇願した。

俗っぽく言うと、物品やおこずかいをプレゼントし、食事代やホテル代を払って、その見返りに女を抱く、援助交際のデラックス版のようなものである。しかも、オプション付きの最高級コースだ。
フロから上がってサッパリし、寝室のクローゼットからタイヴィアンのガウンに着替えたオリヴェリ夫人は、「私はオリヴェリ夫人じゃないわ。本当はエヴァなの」。

タイヴィアンは、「エヴァ、君には、ぼくの寝室やガウンを自由に使っても良いが、ぼくのベッドだから、傍にいても良いだろう」と、女を抱く権利を主張して口説きだす。 すると、ピエリは、「俺の女に手を出すな」と威嚇したので、タイヴィアンはピエリを殴り、「お前は今夜、船の中で寝ろ」と言って外に追い出してしまう。

自分がそっちのけで、二人の男が好き勝手な権利を言うのを黙って聞いていたエヴァは、怒り心頭。エヴァの魔性が覚醒する。
タイヴィアンは、エヴァに肉体関係を強引に迫ろうとすると、エヴァは手で隠し持っていた分厚いガラスの灰皿で頭を一撃されて転倒。獣欲を丸出しした、がさつなタイヴィアンは、翌朝まで気絶して倒れたままだった。



上は、ボートが故障して、タイヴィアンの家に不法侵入した、エヴァと彼女が見つけた客のピエリ。ピエリは、エヴァには、大金を貢いだので「抱く権利がある」と主張。
中は、バカな男の会話を黙って聞くエヴァ(ジャンヌ・モロー)
下は、タイヴィアンが「無断で俺の家に入り、俺のベッドを使うからには、抱く権利がある」と主張し、エヴァはご立腹。

高級娼婦のエヴァに数百万円払って、一度も抱けなかった哀れなピエリは、タイヴィアンから追い出された時点でドラマから消えたが、タイヴィアンは、婚約者で理知的な美しさがあるフランチェスカよりも、不思議な女の色気が漂うエヴァの方がだんだん好きになって、しつこく追い掛ける。
タイヴィアンが、プレゼント持参でしつこくデートに誘う作戦が功を奏し、エヴァは心のブレーキを少し緩め、ローマ市内のエヴァの「自称・自宅」に招くようになった。

エヴァは、自分の夫はエンジニア(本当はプロの賭博師を情夫にしている)で、今はアフリカでダム建設の仕事のために出張しているとか、さらに自分の生い立ちも語り始める。
「私の母は洗濯女だったの。母が亡くなり、幼かった私たち姉妹が頼る身寄りが無かったので、上の階に住んでいた5人家族の夫婦が姉と私を養ってくれたんだけど、亭主は厭らしい男だった。そいつが、私が11歳になった時、私を・・・」と、言ってニタッと笑い、「あんたは、人の話を直ぐに信じる質ね。バカ!」

娼婦になるような女は、本名を隠して「源氏名」を使い、両親や兄弟姉妹、配偶者などの身の上話を客の前で言う場合は、出鱈目が99%なのだが、タイヴィアンは風俗嬢には無知で、エヴァの作り話を真に受けて、自分の職業や家族のことをペラペラと話してしまう。

すると、エヴァはベッドに、世間知らずの無毒なタイヴィアンを誘い、体を許す。
「今まで俺を避けていたのに、なぜ、俺と寝る気になった?」
「私のために、プレゼントを一杯してくれたからよ」



タイヴィアンがエヴァと愛し合ったのは、2年間の交際期間中にたった二回だった。
タイヴィアンが、ローマで悪名高い女と付き合っていることをプロデューサーのブランコが気付き、不審に思った彼は、タイヴィアンとフランチェスカと別れさせる為に、身銭を切って探偵を雇い、英国のウェールズ(グレート・ブリテン島の中西部の地域)にあるタイヴィアンの出身地に派遣した。

タイヴィアンがローマからベネツィアにあるトルチェリの仕事場兼自宅へ戻ると、フランチェスカが来ていた。
フランチェスカが「どこへ行ってたの」と訊くと、タイヴィアンは、ローマで女と会っていたんだと答える。
すると、フランチェスカは、「付き合う女は、一人に決めて!」と泣き出して表に飛び出す。

外には、ブランコが待っていて、
「お前が小説家だというのは、怪しいもんだ。現在、お前のことを徹底的に調査中だ。フランチェスカに、お前の正体を暴いて、お前と結婚させないからな」。

ブランコがタイヴィアンを怪しいと睨んだのは、アシスタントをしているフランチェスカから、タイヴィアンが借りた、小説を書くためのトルチェロの部屋の様子を聞いていたからだ。

タイヴィアンが小説を書くために借りた家には、小説家に必要な、文章を書くための情報源になる取材記録のノートや新聞記事などを切り抜いたスクラップブック、年鑑、辞書や史書、イラストや写真集、図鑑や地図、旅行ガイド、旅行記、時刻表や経済誌、新聞や雑誌、ボイスレコーダ、原稿用紙やタイプライターが無いのを知っていたからだ。

近年は、小説やエッセイを書くのにパソコンやワープロを使う人も多いが、一昔前の作家の書斎は、床に書き間違えて丸めた原稿が、あっちこっちに散らばっている筈。タイヴィアンの家を見渡すと、物書き屋の部屋という感じが全くしない。



上は、エヴァはタイヴィアンが成金作家だと気付いて、デートの場所をヴェネツィアの高級ホテルのスィートルームを予約させ、徐々にタイヴィアンから金銭をむしり始める。
下は、タイヴィアンから、3万ドルの仕事をフィにしたと聞いて、「あんた、バカ」と、軽蔑する。

その後は、再びエヴァはタイヴィアンを突き放すようになり、どうせても私に逢いたかったら、週末にヴェネツィアの最高級ホテル、ホテルダニエリの最上階展望室を予約して欲しいとごねる。
ホテルダニエリはヴェネツィアに実在し、由緒ある元総督邸を高級ホテルに改装しており、水上バスを利用する。展望の素晴らしい屋上レストランがセールスポイント。

タイヴィアン:「君との約束通り、一番いい部屋だ。このために、俺は友達と、3万ドルと、仕事をフィにした。炭坑夫出身の俺が、ヴェネツィアの最高級ホテルの特等室に泊まるなんて、上出来じゃないか」と自画自賛。
エヴァ:「あんた、バカじゃない。友達や3万ドルをフイにするなんて」。

エヴァの目的は、ここでタイヴィアンと寝るつもりはなく、プロの相方(情夫)と組んで、カジノでバカラゲームをする為だった。それと同時に、カジノで財布のヒモが緩い、大金持ちで孤独な初老の客を見つけることである。タイヴィアンは、手持無沙汰だったので、バーで飲み過ぎ、ホテルの廊下で倒れ、エヴァが足を引っ張って部屋に引き入れる。
タイヴィアンは酔いから覚めて、気がつくと、エヴァはベッドに寝ころんでいた。
酔いが少し覚めたタイヴィアンは、エヴァを抱こうとするが、エヴァに断られる。

すると、タイヴィアンは子供のように泣き声になって、
「実は、俺は小説家じゃ無いんだ。”地獄の異邦人”は兄貴が書いんだ。俺じゃない。
俺には、まともな文章なんて書けないよ。
兄貴は性格が繊細で、顔が青白く、体もひ弱いので、長生きしないのは判っていた。
兄貴は俺を信用して、これを売って金にしろと言ってたので、兄貴が死んでから、本を出版社に見せる時に、俺が著者の名前を書き換えたんだ。
映画のシノプシスもそうだ。兄貴から聞いた話をそのまま書いただけだ。
兄貴の魂を横取りしたので、今まで作家面(さっかづら)していたのを心の中で恥じていた」。

エヴァ「じゃあ、あんたは泥棒ね。でも、そんなことは、誰も知らないんでしょ。黙っておけばいいじゃない。・・・もう、あなたとの週末はこれで終わりよ」。
タイヴィアン:「えっ、終わり...何で」
エヴァ:「そうよ、私との週末のデート代、今すぐキャッシュで払って頂戴」。
タイヴィアンは、数十枚のお札を払い、エヴァは勘定する。

エヴァ:「バカにしないでよ。私と週末を過ごしたデート代は、たったこれっぽっちなの?他には?」
タイヴィアンは、純金製のシガレットケースやライター、リストウォッチなど差し出す。
エヴァ:「返すわ。こんなお金要らない。あんたは男の恥よ。情けない男ね。あんたが、酒浸りになって寝ていた時は、私はカジノで、これ以上稼いでいたわ。そこで、新しい客も付いたわ。

・・・あなた、3万ドルもフィにして困っているんでしょう。これから、どうするのよ?
あなたがお兄さんの善意を踏みにじって稼いだ汚いお金は、(娼婦の)私でも受け取れないわ。持って帰りなさいよ。この部屋から、サッサと出てお行き」。
すると、タイヴィアンは、成金男のプライドが傷つけられて、返金された札をエヴァが寝ているベッドの上に散蒔(ばらま)いた。




上は、タイヴィアンは、エヴァを諦め、フランチェスカとヴェネツィアで結婚式をする。
中は、ヴェネツィアのゴンドラで水上結婚式して幸せそうなフランチェスカ。
下は、エヴァは、タイヴィアンに、「なぜ、私も呼んでくれなかったの?」と電話するが、電話するエヴァはウェディングドレスを着ていた...実は、悪女にも女の子らしい結婚願望があった。

タイヴィアンは、しばらくエヴァと別れ、意を決してフランチェスカとヴェネツィアでゴンドラ船上で結婚式を挙げる。
その水上結婚式の様子をエヴァは、ホテルダニエリから眺めていた。

結婚式後、新作の記者発表会があって、フランチェスカをローマに呼ぶため、ブランコがトゥルチェリにやってきた。
ブランコは、タイヴィアンの身元調査の報告書をフランチェスカに渡そうとする。フランチェスカは、見るのが怖くて受け取れない。
「フランチェスカ、タイヴィアンがどんな男であっても、これからの結婚生活には、悔いは無いんだな?」

ブランコが一人で帰ってしばらくすると、電話が鳴った。電話を取ったのがフランチェスカだった。普通なら、「Yes Jones」と答えるのがマナーだが・・・、
エヴァ:「タイヴィアンなの、ホテルからあんた達の結婚式見たわよ。
素晴らしい式だったわね。わたしはヴェネツィアに居たのに、何で呼んでくれなかったの?
どうしたの?何とか言ってよ。彼女に、お兄さんの話したの?
あんたには、もう用はないんだけど、そうそう、あんたがホテルで散らかしていった汚いお金、最低。ローマのあなたの自宅に書留で送っておいたわ。アハハハ、アハハハ」。

電話を受けたフランチェスカは、不安に駆られる。タイヴィアンに、私たちは夫婦になったんだから、隠し事は止めましょうと抱きつく。
(上の写真では、ロージー監督は、「恋愛はダメよ」という娼婦のエヴァでも、結婚願望があると信じ、エヴァにウェディング・ドレスを着せて電話させている)




上は、フランチェスカはタイヴィアンに、「二人の間で、隠し事は止めてね」。
中は、フランチェスカの留守中に、フランチェスカのネグリジェを着たエヴァが...。
下は、エヴァは、バラの花を持って、タイヴィアンの新妻を挑発。

タイヴィアンは、結婚しても、エヴァへの未練が断ちがたく、フランチェスカが留守の時は、カジノに出掛ける。
バカラ賭博で遊び終ったエヴァをタイヴィアンは自宅へ誘う。
タイヴィアンの自宅へ着くと、エヴァはベッドに寝ころんで,ワザと挑発するが、タイヴァンがその気になると、傍にある棒などを持って反撃し、タイヴィアンを寄せ付けない。

ローマで新作の記者発表が終えると、フランチェスカはトゥルチェリへ帰宅した。扉を開けると、部屋が散らかって居間でタイヴィアンが酔い潰れて寝込んでいた。
二階のフランチェスカの部屋で、自分のネグリジェを着たエヴァの姿をみてフランチェスカはショックを受け、乗ってきたボートで去るが、運河に停泊していたサルベージ船に激突してモーターボートは大破、フランチェスカは即死だった。自殺とも取れる死だった。



上は、エヴァの姿をみたフランチェスカは、悪女への嫌悪感と、タイヴィアンの不倫にショックで、追い掛けるタイヴィアンを振り切って、モーターボートを急発進させ、自殺のような事故で、即死。

下は、ヴェネツィアのゴンドラで水上結婚式をして、1年も経たない内に水上葬式...フランチェスカを愛していたブランコの怒りは収まらない。

フランチェスカとタイヴィアンの水上結婚式が終わってから、間もない水上葬儀だったので、フランチェスカを密かに愛していたブランコは、水上葬儀に参列して、喪主のタイヴィアンに激しい怒りに震えていた。

タイヴィアンは、愛妻のフランチェスカを死なせたエヴァに復讐しょうと、エヴァの自宅に侵入して、熟睡している無防備なエヴァを両手で絞め殺そうとするが、惚れた未練で殺すのを躊躇っていた。すると、エヴァが目覚め、エヴァは起き上がって壁に掛けた乗馬用の鞭で反撃し、タイヴィアンは顔面は血だらけになって、エヴァの家から追い出される。

フランチェスカが亡くなってから二年経った。
新妻のフランチェスカは死に、友人のブランコはベネツィアを去った。
早く立ち去りたいのだが、愛するエヴァがいる。

ブランコと不仲になって、シノプシスの件は完全にポシャった。
映画化で貰った金は底を突いたが、それでもタイヴィアンには、小説の印税が定期的に入るので、相変わらずヴェネツィアで賭博と酒浸りの自堕落な生活を送っている。但し昼間は、ヴェネツィアでイギリス人やアメリカ人の観光客のガイドをしている。
ひたすらエヴァを待ち続けて。

早朝で人の往来が少ないサンマルコ広場に、初老のギリシャ人カサカスとエヴァが座っている。ダニエリのカジノ・バーで知り合った男だった。

タイヴィアンは、エヴァに近づいて、「ぼくは君を愛している。いつまでも、いつもの所で待っているからね」。
エヴァ:「これから、ギリシャへしばらく観光旅行に行くの。もし、ここへ戻れたらね。・・・あんたは、あわれな男ね」。
ギリシャへ観光に行く二人は、ポーターを連れて水上バスの乗り場に向かう。
初老のカサカスも、エヴァの我が儘を辛抱できなくなったり、エヴァに貢ぐ金が尽きれば、ポイと捨てられる。




悪女エヴァに翻弄されたタイヴィアンは、気がつけば、仕事仲間から孤立していた。
サンマルコ広場のドゥカーレ宮殿南西角にアダムとイヴ像が建っている。それを見ながら、
タイヴィアンは、
「エデンの園の東方で、炎の剣を手にした智天使たちは、生命の樹を守り抜いた」とポツリ。
ラストシーンを見終わって、魔性の女に人生を翻弄された男の悲哀が漂う映画だった。

2014年2月11日更新 尾林 正利

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