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ローマの休日

(1953年公開・原作の意味は"ローマ人の休日")

Roman Holiday
Directed by William Wyler

昭和生まれの洋画ファンなら、女優のオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)が24歳の時に、欧州某国の"アン王女"役と一般女性の"アーニャ・スミス"役の一人二役で出演した「ローマの休日」という映画は、誰でも一度はご覧になった筈だと思う。
日本では、本作のテレビ用に編集されたコンテンツが、各局から何回もオンエアーされているが、民放の場合はドラマがCMで中断される。できれば一度は映画館か、もしくはノーカット版のDVDで、じっくりと視聴したいものだ。

映画というのは、持論ではあるが、十代、二十代、三十代、そして五十代に同じ作品をみると、人生経験の積み重ねによって、今まで見過ごしていたところに、なるほどと気付いたり、逆に演出や編集の拙さを感じたりするが、何回も繰り返して観たくなるような映画は、そう多くはない。

個人的な印象では、ヌーヴェル・ヴァーグの映画がそうだった。奇を衒って革新を謳ったモノは、その模倣が次々に現れたり、次の革新が現れると、急激に色褪せる。フランスでは、1960〜1970年代にヌーヴェル・ヴァーグ映画がもてはやされたが、やはり、原作が良くて脚本がよく練られた、オーソドックスな映画である「ローマの休日」は、時を経ても色褪せず、何回も観たくなる映画の一つである。

この映画で見受けられるオードリー・ヘプバーンは、モノクロ映画ではあるが、B級映画の主役から、初のハリウッド映画の出演に、いきなり主演女優に抜擢されて気合いが入り、若さに輝いて美しく、笑顔がとてもチャーミングだった。
オードリー・ヘプバーンと言う名は、1953年にパラマウント社と専属契約した時の芸名らしく、本名は、Audrey Kathleen Ruston:オードリー・キャスリーン・ラストンと言うらしい。

彼女は、1929年にベルギーのブリュッセルで生まれたが、ベルギー人ではない。
父がイギリスの保険会社(※1)に勤務するイングランド人と、母はバロネスと呼ばれた男爵家系のオランダ人という恵まれた夫婦の家庭に生まれたらしい。(※1:父が貿易商だったという説もある)

オードリーと父母は、5歳の時に父方の「ヘプバーン家」の実家があるイギリスのケント州(ドーヴァー海峡に近い州)に移住して、幼いオードリーは、ロンドン郊外の寄宿学校へ入学し、イギリスの上流家庭が話す英語をマスターした。

しかし、両親の離婚によって、オードリーは母親が養育することになって、10歳の時に母方の「ヘームストラ家」の祖父が住んでいるオランダに移住し、オランダで義務教育を受けながら、6年間オランダのバレエ学校に通ってトレーニングに励み、バレリーナとして出演できるようになった。

ところが、オードリーが12〜13歳の時に、オランダはThe World War 2(第二次世界大戦)に巻き込まれて、ドイツ軍に占領されたので、オードリーという名前はイギリス女性の名前なので、ゲシュタポ(ドイツの秘密警察)に知られると、イギリス人は捕虜として収監される不安があったので、母のエッラは、オードリー・ヘプバーンの名を一時、"エッダ・ファン・ヘームストラ"とオランダ風に改名した。

エッダは、戦火の中で、反独レジスタンス運動(自由オランダ義勇軍支援)の資金集めの為にバレエを踊ったり、ファッション・モデルの仕事をして生計を立てた。16歳の時(1945年)はオランダの病院で、ボランティアのため、医療の知識や実技を学んで傷病兵を看護するナースの仕事もした。この経験は後に「尼僧物語」の演技に活かされる。

オードリーは、「アンネの日記」を書いたアンネ・フランクと同い年で、戦時中はお互いにオランダに住んでいたが、アンネの家族はアムステルダムにある町工場の屋根裏に隠れて暮らしていたので、二人は会ったことがない。

しかし、オランダの叔父の家で、ゲシュタポが家宅捜査にやってきて、オードリー(エッダ)の母方の叔父と、母親エッラの従兄弟たちが抗独レジスタンスだと見抜かれ、16歳になったエッダの目の前で、全員銃殺されるという不幸に見舞われたそうだ。オードリーもアンネと同じように、オランダで、恐ろしい体験をしたのだった。

戦後の1959年に「アンネの日記」という映画がジョージ・スティーヴンス監督によって製作されることになり、主役のアンネ役には、オードリーに白羽の矢が立った。しかし、30歳になったオードリーは15〜16歳のアンネを演じるのは難しいと丁重に断り、実際は辛い経験を思い出したくなかったようだった。それで、オードリーと顔が少し似たミリー・パーキンスがアンネを演じた。

オードリーは、15歳でバレリーナになったものの、身長が170cmと長身だったが、白人女性にしてはバストが小さかった。それは伸び盛りの時が戦時中の食糧難で、一時期はオランダ名物のチューリップの球根を煮て食べて飢えを凌ぎ、酷い栄養失調に掛かって抵抗力が落ち、重い感染病にも患った。母は戦争で品薄だったペニシリンを必死に探し、貴重なペニシリンを注射したお陰で、オードリーは一命をとりとめたらしい。
結局、オードリーは19歳になった1948年に、母と一緒に退路を断って渡英し、生活が苦しい中でロンドンのマリー・ランバート・バレエ学校(ポーランド人の女性舞踏家が指導)に通った。

やがて、ロンドンでエージェント(芸能プロ)を通じて映画出演の仕事を探し、イギリス映画界で女優の仕事をしているときに、南仏のリヴィエラ(フランスとイタリア国境付近の地中海沿岸の高級リゾート)を舞台にした「モンテカルロへ行こう」という映画に主役で出演し、ロケ撮影先で、フランス女流作家のコレット(シドニー=ガブリエル・コレット)の目に留まり、コレットの後押しで、ブロードウェイ・ミュージカルの「ジジ」の主役を後押しされて、1952年にニューヨークに渡って舞台に立った。
これが、オードリーにとって運命を変えるビッグチャンスになった。ある日、観客席にハリウッドの映画監督のウィリアム・ワイラーと俳優のグレゴリー・ペックがいて、主役のオードリーの演技を観ていたのである。

オードリーは、男優のグレゴリー・ペックにスカウトされ、「ローマの休日」に出演し、アン王女役と一般人になりすましたアーニャ・スミス役の一人二役を見事に演じきったことで、1953年のアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞し、一躍、ハリウッドの映画界から注目される大女優になった。もちろん、映画を観た若い女性たちからも注目された。

さて、「ローマの休日」という映画は、1953年に製作されて公開されたが、すんなりと映画が作られたワケではなかった。
丁度、1953年当時のアメリカは、朝鮮戦争(1950〜1953年)の最中で、緊迫した東西冷戦の最中にあり、軍事大国の米ソが、お互いに核兵器の量産と命中度の高いICBM(大陸間弾道ミサイル)の開発に躍起になっていた軍拡競争の時代であった。

第二次世界大戦後1946年〜47年頃は、自由主義体制の西欧の経済力が落ちて、フランスやイタリアにおいては、ブルジョワ層が支持する保守政党が低迷し、プロレタリア層が支持する共産党勢力が伸びた。
スターリンが統治するソ連と、毛沢東が統治する中国が中ソ友好条約を結び、アメリカ合衆国は、西欧とアジアに資本主義が後退し、共産主義の台頭に脅威を感じるようになった。

アメリカは、ソビエト連邦社会主義共和国(現ロシア)との歯止めのない軍拡を巡って、一触即発の核戦争突入の危機があったので、当時のアメリカ政府与党(民主党)は、米国民の気を引き締めるために、下院に非米活動委員会を立ち上げ、国会議員はもちろん、政府機関の公職者や地方公務員、ハリウッドという映画界において赤狩り(共産主義者や社会主義者を職場から追放)を強行し、とくに左翼思想の作家が多く集まる映画界にはマッカーシズム旋風が,ビュービューと吹き荒れていたのだ。

極端に言えば、「アメリカの映画界(ハリウッド)は、資本主義体制を批判し、共産主義体制や社会主義体制を礼賛するような映画を作ってはならない」と、アメリカの議会で決まったワケである。

「モダンタイムス」などで、アメリカの資本主義社会を風刺した(皮肉った)チャップリン(イギリスの映画作家で俳優)は、大衆からは大受けしたが、1947年にアメリカで公開(日本では1952年に公開)された、米映画「殺人狂時代」の中で、"一人の殺害は犯罪者を生み、百万人の殺害は英雄を生む"の台詞に、米大統領のハーリー・S・トルーマン(民主党)は激怒し、チャップリンは、大統領侮辱の見せしめに20年間(1952年〜1972年)もアメリカから追放され,再入国を阻まれた。

1953年当時のハリウッドでは、脚本から当局の検閲が入って、自由に映画を製作し辛くなっていた。
共産主義者ではないが、 赤狩りに反対した、リベラルな映画人である監督のウィリアム・ワイラー、俳優のグレゴリー・ペックや女優のキャサリン・ヘプバーンは、アメリカを離れて、映画を製作しやすい国へ渡って仕事をしなければならなかったのだ。それがイタリアのローマだった。

ハリウッドの大女優、キャサリン・ヘプバーンは、ハリウッド映画の主役を3年間干され、1955年にヴェネツィアへ行って、デヴィッド・リーン監督の「旅情」に主演して、オールド・ミスのジェーン・ハドソン役を好演した。
キャサリンは、1955年のアカデミー賞最優秀主演女優賞にノミネートされたが、赤狩り反対女優のせいか?投票者の心証が悪くて、「バラの刺青」で、セラフィナを演じたイタリアの大女優アンナ・マニャーニにオスカー像を持っていかれた。

赤狩り反対で、ハリウッドで仕事を干された、監督のウィリアム・ワイラーと俳優のグレゴリー・ペックは、ローマで映画を撮らざるを得なかった。
ローマに相応しい映画「Roman Holiday」のシノプシス(原案)は、すでに出来上がっていて、フランク・キャプラ監督が、アン王女役にはエリザベス・テーラー、新聞記者のジョー役にケーリー・グランドまで決まっていたが、キャプラのプロデューサーが出した製作見積が高額すぎてパラマウントの社長は契約書にサインせず、社長はウィリアム・ワイラーに声を掛けた。ワイラーはグレゴリー・ペックと組んで共同出資の独立プロを立ち上げ、主演女優に新人を起用する条件を出して、製作費150万ドル(当時は1ドル360円の固定為替)でサインした。

当時のイタリアには、戦前にファシスト党代表のベニート・ムッソリーニの指導で「チネチッタ」という大きな"映画都市"がローマ郊外に完成していた。
ファシスト党のプロパガンダ映画を製作するための施設だったが、ここには、室内撮影スタジオ、録音スタジオ、主に史劇の衣裳室や化粧室、楽屋、会議室、事務所、オープンセットスタジオ、照明機材倉庫、大道具倉庫、フィルム現像所、フィルム編集室、試写室が完備し、イタリア国立映画学校も併設されている。

ローマ市が、戦後復興の観光客誘致PRの為、この作品の撮影に全面協力し、ワイラーはローマの観光名所をカラーで美しく撮る予定をしていたが、パラマウントからクランクインの直前に撮影隊に届けられたフィルムは、何とモノクロだった。
パラマウント社の社長は、ハリウッド映画で主役初出演のオードリーの人気急上昇を予測できなかったので、この作品にあまり期待していなかったのだろう。
しかし、「ローマの休日」はモノクロのスタンダード映画でも、当作品は大ヒットし、ハリウッド映画界の常識(マリリン・モンローのような、バストの豊かな金髪のセクシー女優を使うと映画がヒットするという定説)覆して、後世に永遠に記憶される名作になったのである。

この映画は創作(フィクションのドラマ)であるが、原作者の名は長い間伏せられていた。
というのは、原作者はハリウッド・テンの一人だった、ダルトン・トランボ(ドルトン・トランボ)である。
ハリウッド・テンとは、下院の非米活動委員会の証人喚問に応じなかった元アメリカ共産党員だった脚本家や監督10名のことで、彼等は出廷しても黙秘権を行使したので、法廷侮辱罪の刑事罰としてハリウッドの映画界から追放されたり、禁固刑が決まって投獄された。
日本でも知名度の高いハードボイルド作家のサミュエル・ダシール・ハメット(Samuel Dashiell Hammett)などに対する保釈金は懲罰的に加算されて高額だった。ハメットが書いた「血の収穫」は、ジョン・ヒューストンによって「マルタの鷹」、黒澤明によって「用心棒」として映画化され、イタリアで黒澤の「用心棒」を観た、セルジオ・レオーネは「荒野の用心棒」を製作して、アメリカで大ヒットさせた。

脚本家で映画監督もした、ダルトン・トランボは、知人のイアン・マクレラン・ハンターの名義を借りて、Roman Holidayの原案(シノプシス)を書き、パラマウントのプロデューサーに送り、フランク・キャプラ監督はシノプシスを読んで気に入った。
実は、この映画の元ネタは、1934年にフランク・キャプラが監督した、「或る夜の出来事」をヒントにしたものである。

「或る夜の出来事」は、アメリカ映画やテレビのホームドラマのベーシックなストーリーである「Boy Meets Girl」または、「Girl Meets Boy」に沿ったもので、ハッピー・エンドで終わる、ありふれた内容だ。
毎月のように、編集デスクから給料を前借りする、パッとしない薄給の社会部の新聞記者(クラーク・ゲーブル)が、ある日長距離バスで旅行中に、隣の席に座ったワケありの家出をした若い女(クローデット・コルベール)に出会って、車内で話している内に、お互いに打ち解けて惹かれる。しかし、好きになった女が大富豪の令嬢で、警察から捜査の手が...。新聞記者はお金が欲しくて、スクープにしょうとするが、愛が芽生えて、家出女性を庇って結ばれるという、お伽噺(おとぎばなし:非現実的な夢物語)である。

しかし、ワイラーは、ローマの休日を「Boy Meets Girl」にするつもりはなかった。新人ヒロインを誰にするのか?その当ても無かった。
「ローマの休日」の出演が既に決まっていたグレゴリー・ペックは新作のヒロイン探しに協力し、1953年当時は、まだ無名に近かった、ブロードウエイ・ミュージカルの舞台女優、オードリー・ヘプバーンをスカウトしたが、ハリウッド映画の主演女優になると、キャメラの前で演じるには、それなりのトレーニングが必要だった。

この映画を観ると、例えば、ローマ市内のスペイン広場で、アン王女(オードリー・ヘプバーン)が堅苦しい王宮内の生活から解放されて、アーニャという一般人になりすまして、露店でジェラート(イタリア発祥の氷菓)を買ってなめる、有名なシーンがあるが、業務用ハンディカムを使ったテレビドラマのロケなら1時間ぐらいでOKになるところを凝り屋のワイラー監督は、たった2分間ほどのシーンの撮影に、何と6日間も費やしたそうである。
そのため、スペイン広場のある教会の大時計が1シーン目が、14時40分、2シーン目が16時55分,3シーン目が15時50分とバラバラになっていた。現在ならCGで修整できるが。つまり、背景の時刻を気にすると不自然。

だから、オードリー・ヘプバーンは、2シーン目からは、コーンだけ持ってジェラートを食べているふりをしていた。ローアングルなので、ばれにくい。
もちろん、スクーターに乗るシーンを6週間も掛けて撮影が行われたらしい。
撮影は真夏のローマ市内で行われ、撮影用メイク(ドーラン)が汗で流れて大変だったそうである。

ところで、この映画の題名は、Roman Holidayになっていて、何と「ローマ人の休日」と言う意味になっている。
この映画の原案(シノプシス)を書いた、脚本家のダルトン・トランボは既に亡くなられたので、Roman Holidayの真の意味が不明である。
客観的な意味の「ローマの休日」と、主観的な意味の「ローマ人の休日」では、全然意味が違う。

この映画で言うところのローマ人というのは、今から1933年前(AD80年)のローマ市民のことである。
AD80年と云えば、キリストが処刑された年月日が、史学的にはAD30年4月7日の金曜日らしいから、その50年後になる。日本がまだ弥生時代の中期で、言葉はあったが、文字の無い頃だ。その頃のローマには5万人収容のコロッセオが完成していた。

AD80年のローマ市民の最大の楽しみは、コロッセオ(Colosseo:円形闘技場のイタリア語、英語ではコロシアム)が完成して、そこで行われる、奴隷出身の剣闘士(グラディエーター)同士の試合や、剣闘士と猛獣との試合見物(5万人収容のコロッセオでは、AD80年〜AD681年まで開催)であった。現在のイタリア国民の見たい格闘技は、カルチョ(Colcio:イタリア語でサッカー)に向いている。
ハラハラドキドキするような話題に、観客は食いつくということで、この作品もハラハラドキドキする作品に仕上げられたが、原作を書いた作家の意図は別のところにあるようだ。

「ローマの休日」では、アン王女と民間人のどうにもならない身分格差の恋を描き、王女と新聞記者(ジャーナリスト)の悲恋を通じて、王女の自由な恋愛を阻んでいた当時の封建的な君主国家体制に対する疑問を描いた作品でもある。
だから、「ローマの休日」は、陳腐なラブロマンスの映画ではない。
この映画が作られてから、世の中が半世紀も進み、現在の各国王室は、日本の皇室も含め、信じられないほどに国民に開放的になっている。

だから、この映画では、映画作家が王室というアンタッチャブルな世界を描いているので、ラストシーンの演出を三通りメイキングされたらしく、興行用はどれにするかで揉めたらしい。結局、日本版では、原案が選ばれ、エピローグの、煮え切らない空しい記者会見が、それを雄弁に物語っている。
つまり、"お伽噺"のハッピーエンドに出来なかったのだ。結果論になるが、今から考えるとハッピー・エンドにしても問題はなかったが、その場合は、アン王女がご降嫁されるシーンが必要になるだろう。

そのオードリーも、1989年にスピルバーグの映画「オールウェズ」にHapと呼ぶ天使の役で出演した後は、映画界から去って、ユニセフ親善大使に就任して、ソマリア難民救済のボランティア活動をされていたが、1993年にスイスで永眠された。満63歳であった。

昨年(2012年)に某テレビの旅番組で知ったのだが、現在は、スイスのレマン湖畔にあるモルジュ市(Morges:ローザンヌの西隣)に、お店を構えるお菓子屋さんのパッケージや袋にだけ、オードリー・ヘプバーンの名前と顔写真の肖像権使用が認められているらしい。

その理由は、オードリーは、モルジュ市中心から1Km離れたトロシュナ(Tolochenaz)村に自宅があって、散歩の時に、そこのお菓子やケーキをよく買っていたそうで、店主と仲が良かったらしい。なお、トロシュナ村でオードリーが暮らしていた自宅は現存するが、所有権が移転して、現在は別の人が住んでいるようだ。

昨今は、お顔がきれいでプロポーションのいい女優さんは、内外の芸能界に大勢いるが、オードリー・ヘプバーンのような気品があって、圧倒的な存在感のある女優さんは極めて少ない。

主なキャスト

Princess Ann, Anya Smith(アン王女と一般人に変装したアーニャ・スミスの一人二役)・・・Audrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)
Joe Bradley(ジョー・ブラッドリー:アメリカン・ニュース社のローマ支局の記者)・・・Gregory Peck(グレゴリー・ペック)
Irving Radovich(アーヴィング・ラドヴィッチ(ジョーと友人で、スタジオ自営のカメラマン)・・・Eddie Albert(エディ・アルバート)
Mr.Hennessy(アメリカン・ニュース社ローマ支局のヘネシー支局長:ジョーの上司)・・・Hartley Power(ハートレイ・パワー)
Ambassador(アン王女が宿泊する、ローマ駐在イタリア大使館の大使)・・・Harcourt Williams (ハーコート・ウィリアムズ)
General Provno(プロヴィノ将軍。王女のエスコート役)・・・Tullio Carminati(トゥリオ・カルミナティ)
Countess Veleberg(コンテス・ヴェレベルグ:アン王女の世話をする侍従長)・・・Margaret Rawlings(マーガレット・ローリングス)
Mario Delani(マリオ・デラーニ:アン王女の髪をカットしたローマの美容師)・・・Paolo Gerlini(パオロ・ジェルリニ)
Taxicab Driver(アン王女とジョーが乗ったタクシーの運転手)・・・Alfredo Rizzo(アルフレード・リッツオ)
Charwoman(ジョーの部屋で、シャワーを浴びていたアン王女を叱る掃除婦)・・・Paola Borboni(パオラ・ボルボーニ)
Giovanni (ジョバンニ:ジョーが住んでいるアパートの管理人)・・・Claudio Ermelli(クラウディオ・エルメッリ)

スタッフ

監督・・・William Wyler(ウィリアム・ワイラー)
原案・・・Dalton Trumbo(ダルトン・トランボ)
脚本・・・Dalton Trumbo,Ian McLellan Hunter,John Dighton(ダルトン・トランボ、イアン・マクレラン・ハンター、ジョン・ダイトン)
イタリア版脚本・・・Suzo Cecchi D'Amico (スーゾ・チェッキ・ダミーコ:イタリアで著名な女性脚本家)
撮影・・・Henri Alekan, Franz F.Planer(アンリ・アルカン、フランツ・プラナー)
音楽・・・Georges Auric,Victor Young(ジョルジュ・オーリックとヴィクター・ヤング)
美術・・・Hal Pereila,Walter Tyler(ハル・ペレイラ、ウォルター・タイラー)
衣裳・・・Edith Head(エディット・ヘッド)
ヘアーメイク・・・Wally Westmore,Albert De Rossi(ウォーリィ・ウエストモア、アルベルト・デ・ロッシ)
編集・・・Robert Swink(ロバート・スウィンク)
録音・・・Joseph De Bretagne(ジョセフ・ド・ブルターニュ)
製作・・・William Wyler's Production(ウィリアム・ワイラー プロダクション)
画面・・・モノクロ、1:1.33のスタンダードサイズ
配給・・・Paramount Picturesパラマウント映画
DVD制作・・・パラマウント ジャパン株式会社

ストーリー

この映画のプロローグには、パラマウント社提供の「NEWS FLASH」がセンセーショナルに流されるが、ニュース映画のイントロ(導入)から本編のドラマに入っていく歯切れの良い巧みな演出がなされている。

ヨーロッパにある某王国の世継ぎになる運命を背負い、二十歳になったばかりのアン王女(オードリー・ヘプバーン)が、大使や王女身辺警護の将軍、女性侍従長や侍医長、私服の警備員を引き連れてヨーロッパ主要国へ親善外交の公務に就いて、ロンドン、アムステルダム、パリ、ローマ、アテネ(予定)に旅行することになった。


4カ国目の訪問国になった王女の滞在先は、イタリアのローマの大使館(映画上の大使館;ローマにあるブランカッチョ宮殿)だったが、毎回、形式張った謁見という儀式の繰り返しに、王女は緊張しぱなっしの旅の疲れから、公務が終った後に、ご機嫌が斜めになる。
夜の10時になれば、もう、就寝の時間だ。

王女のお世話をする侍従長には、未亡人になったヴェレベルグ伯爵夫人が、アン王女に帝王学を教育する女官として任命されている。
侍従長は王女がまだお若いので小娘扱いだ。お茶目な一面があるアン王女は、封建的な因習に拘り、躾に厳しい侍従長を姑さんのように感じて気に食わない。
王女の寝室に、子供が飲むミルクと、熟年女性が着るようなネグリジェを持ってきて着替えさせる。

アン王女:「イヤなネグリジェね。こんなの着たくない。下着もよ」。
侍従長:「どれも、王室御用達の立派なものですよ」。
アン王女:「私は、お婆さんじゃないわ。パジャマを着て寝てみたいの。着るのはパジャマの上だけよ。下は穿かないの。何も着ずに寝る人もいるのよ」。
侍従長;「まぁ、なんてことを・・・さようなことは、存じません」。
アン王女:「ねえ、聴いて、聴いて、イタリアの音楽だわ」と言うなり、自慢の長い髪を梳かしていたアン王女は、ベッドから飛び降りて、裸足で窓辺に走り、カーテンを開けて外を見ると、ローマの夜景が見えた。街にいる人が楽しそう。
侍従長;「スリッパを履きなさい。素足でフロアを歩くなんて、はしたない」。
アン王女:「いいの」。
侍従長:「あなたは王女様ですよ。それを常に心掛けるように。さぁ、ミルクですよ。お飲みなさい。よく眠れますよ」。
アン王女:「いつも、健康的な飲み物ね。・・・でも、今夜は舞踏会で疲れ過ぎて、眠れそうにないわ」。
侍従長:「御休みになられる前に、明日のスケジュールです。8時30分に大使館員と朝食、9時にローマ近くの自動車工場へ見学に行きます。ここの工場で、自動車が贈られます」。
アン王女:「光栄です」。
侍従長:「ご辞退あそばせ。10時30分に、食料品会社へ視察。ここでは、オリーブオイルが贈られます」。
アン王女:「結構です」。
侍従長:「お受けあそばせ。11時15分には”孤児の家”の地鎮祭で、この前と同じ演説を・・・。そして、11時45分から、新聞社の共同記者会見を行います。1時からローマ滞在の外交官と懇親会の昼食に出席します」。
アン王女:「服は白のレースで、花束は小さなピンクのバラの花束ね」。
侍従長:「そうです。3時に絵画の贈呈式があります。4時に、イタリア軍の騎馬警察隊の視察へ行きます。5時には、・・・」。
アン王女:「止めて、もう止めて。もう死にそうだわ」。
侍従長:「いつものご病気ですね。侍医長のバナクホーヘン先生を呼びますから」。
アン王女:「一人で、安らかに死なせて」。
侍従長:「滅相もない」。

侍従長は、将軍と侍医長を呼び、侍医長は、鎮静剤を注射した。
しかし、バナクホーヘン先生が使った新薬の効き目は、即効性ではなく、しばらく経ってからなので、アン王女は逆に神経が高ぶって目が覚めた。
3人が下がると、独りぽっちになったアン王女は思い切って外出を決心する。夜明けまでに大使館に帰れば、外出したことは一般に分からないし、8時30分から始まる大使館員との食事会には間に合う。

そこで、イヤなネグリジェを脱いで、クローゼットからブラウスとロングスカートを取り出して急いで着替え、大使館からこっそり抜け出す。
都合がいいことに、1階の業者通用口に、大使館に出入りするレストランの幌付き小型オート三輪トラックが停まっており、運転手がいない時に、アン王女は洗濯するテーブルクロスやコック服などが入った洗濯袋の山に潜り込んで隠れ、大使館の正門(ロケで使われた門はバルベルーニ宮の正門)を出た。




王女は私服で一般人に成り済まして、夜のローマの街中に出たものの、鎮静剤が徐々に効いてくる。


アン王女は、”ダイハツ・ミゼット”のような小型のオート三輪トラックの荷物室から、ローマ市民を間近に観た。スクーターに乗ったアベックに、王女から先に手を振った。
何でもない演出だが、普段は王女から一般人に対し先に手を振るようなことはない。つまり、このシーンから、貴いアン王女は、"アーニャ"という一般女性になりすましたワケだ。

シーンは変わって、ローマの記者クラブの空き部屋で、仕事が終ったり、当直の新聞記者仲間が8人集まって、4人がポーカーゲームをやっている。
この日は、CRフォトサービスという写真スタジオを自営しているカメラマンのアーヴィング・ラドヴィッチ(アービーと記述:エディー・アルバート)が大勝ちしたが、アメリカン・ニュース・サービス社のローマ支局通信員(新聞記者)のジョー・ブラッドリー(ジョーと記述:グレゴリー・ペック)は、ポーカーの負けが込んで、この日は"7のスリーカード"の好札を持ちながら、アービーの"ストレート"に負け、6500リラも損した。
今月の給料前の残高が、5000リラ(1953年当時の1000リラ=1.5ドル=540円:大阪市のタクシーが初乗り70〜80円の時代)で、スッカラカン。


仲間が集まって、ポーカーゲーム。写真右奥がカメラマンのアービー、中央の奥が記者のジョー。

アービーは仲間を見渡して悪戯っぽく、
「もう一勝負して、皆をスッカラカンにやっつけたいのだが、明日の仕事は朝が早いんだ。もう、帰らなくっちゃ」といって、勝ち逃げしょうとする。
ジョー:「何の仕事だ?」
アービー:「王女の記者会見の写真を撮りに...」。
ジョー:「それは、11時45分だろ。君だけが早く着いて、われわれを出し抜く気か?・・・アービー、冗談だよ。僕も帰る。もう、5000リラしかない。5000リラは絶対に手放さないぞ。じゃ、明日は王女様の顔見せで会おう」。
ジョーは、マルグッタ通り51番A室の自宅(現在は映画とは関係のない住人がいる)アパートへ先に帰る。記者クラブからトレビの泉付近まで歩き、そこでタクシーを拾うことにした。

アーニャは、オート三輪トラックが停車したので、荷台から降りたが、しばらく歩くと侍医長が注射した鎮静剤が効いて、歩道の端にある低い石垣の上に眠り込んでしまう。
そこへ通りかかったのが、ジョーだった。どこの都会でも若い女の夜の独り歩きは危険だ。ジョーは見知らぬ若い女が酒に酔っ払って寝込んでいると思った。
ジョーは酩酊した見知らぬ女(アーニャ)に声を掛けてみた。



ジョーは、起こそうと思って、寝転んでいるアーニャの腕を動かした。
ジョー:「君、君、こんな所で居眠りしちゃダメだよ。起き給え。まだ、警察に連行されるような年(成人)じゃないだろ」
アーニャは意識がもうろうとして、「ケイサツ?ふふふ・・・2時15分に帰って着替え、45分に・・・」。
ジョー:「未成年は、酒を飲んだらダメなのに、調子に乗って飲むから、この有様だ」。
アーニャ:「この身は死すとも かの世にて 君がみ声を聞かまほし・・・この詩をご存知?」
ジョー:「ふーん、シェリーの詩か。君は誰だか知らんが、少しは学があるようだし、身形(みなり)もいいのに道端で居眠りか。何かご意見は?」
アーニャ:「世界に必要なことは、青春時代の希望を取り戻すことです」。
ジョー:「ご高説は尤もですがね。道端で居眠りしちゃダメですよ。タクシーで帰りなさい。呼んであげるから。お金を持っているの?」
アーニャ:「わたしは、普段からお金を持ちません」。
ジョー:「悪い習慣だ。仕方がないな。タクシーで君の家まで送ってやろう」。


ジョーは、近くを通るタクシーを拾った。
タクシードライバー:「どちらまで、行かれるんで?」
ジョー:「君、君、家は何処だ?」
アーニャ:「・・・うーん、コロッセオよ」
タクシードライバー:「コロッオセオ?入口が閉まった今の時間に。冗談じゃないよ。あっしは、これからウチへ帰るところで、逆方向なんだよ。あっしは女房持ちで、チビが3人も待っているんですぜ。もう帰らないと」。
ジョー:「じゃ、マルグッタ通り51番まで行ってくれ」。
ジョーは、アーニャを仕方なく自分の家に泊める。




鎮静剤を打たれ、王女が朦朧として一般女性に成り済まして見知らぬ男のアパートに一泊。

ジョーのアパートに着くと、
アーニャは、「ここは、何処なの?エレベーターなのね」という台詞が面白い。
ジョー:「ここは、僕の部屋だよ」。
アーニャ:「どうも失礼。めまいが酷くなって。ここで寝ていい」。
ジョー:「しょうがないだろ」。
アーニャ:「バラの蕾を刺繍した、絹のネグリジェを」。
ジョー:「これで、我慢してくれ。ちゃんと洗濯してある」。
アーニャ:「まぁ、パジャマだわ。じゃ、ブラウス脱ぐのを手伝って」。
ジョーは、アーニャの首に巻いたスカーフを解き、ちょっと戸惑ってから、「あとは、自分でしたまえ」と突き放す。そしてワインを飲む。

アーニャ;「あら、わたしにも、一杯頂戴」。
ジョー:「ダメだ」。
アーニャ:「わたしにとっては、珍しいことだわ。服を着た時も男性と二人きりは無かった。それが、服を脱いだ時に、ふふふ・・・でも、(あなたなら)不足はないわ。あなたは、どうなの?」と、見知らぬ女はジョーを挑発。

ジョーはアーニャの挑発に乗らず、近くのカフェに夜食を食べに行く。
ジョー:「ぼくは、少しの間、外に出掛けるが、君はそこの寝椅子で寝給え。パジャマを着て寝るんだよ」。
アーニャ:「下がって、よろしい」。

ジョーが10分ほどで帰ってくると、アーニャは長椅子じゃなく、ジョーのベッドで寝ていた。これって、ひょっとしたら・・・一緒に寝たいサインなのか?個人的には、そう思うが・・・ジョーは自分の邪心と、見知らぬ女の厚かましさに怒って、アーニャを長椅子に寝かす。

その一方で、深夜の3時ごろ、某王国の大使館は大パニックになっていた。
侍従長:「館内のどこを探しても王女が見つかりません」。
将軍:「この件は、絶対に口外してはならん。王女は、いずれ、王位を継がれる貴い御方だ」。
大使:「まさに、我が国最大のクライシス(危機)だ。内密に。・・・両陛下にご報告せねば」。
しかし、5時間後の朝からは、王女のスケジュールが時間刻みに決まっており、苦渋の決断で「王女は急病でご療養中」というニュースが、大使館から友好のある各国政府やローマに本支社を置く報道メディアに発表された。

朝、ジョーが目を覚ますと、目覚し時計のベルのスイッチを入れ忘れて、何と正午の12時だった。
ジョーは、アーニャを起こさず大急ぎで、支局へ出勤する。
支局に行くとデスクのヘネシーが、

支局長:「ジョー、ウチの会社は8時半始まりだぞ」。
ジョー:「そんなことは、知っていますよ」。
支局長:「じゃ、今まで何してたんだ?」
ジョー:「僕はアン王女の会見を・・・」
支局長:「もう、済ませてきたのか?」
ジョー:「今、帰りです」。
支局長:「それは、それは、失敬したな」と、ニヤリ。

支局長は咳払いして、
支局長:「ここに共同記者会見での質問状のコピーがある。君も質問しただろ。王女は、欧州各国の経済的連携について、どんな発言を?」
ジョー:「もちろん、連携についてはご賛成です。直接的な効果と間接的な効果があると」。
支局長:「直接的と間接的だって?どっちかハッキリせんな・・・王族というのは、中々の芝居上手でな・・・で、記者会見での王女の服装は?」。
ジョー:「王女の服装ですか?...えーっと?」。

支局長:「君は知らんようだな。王女は今朝3時、突然高熱を出されて、今日のご予定は全てキャンセルになった。ブラッドリー、君は王女と会見してきたと言うが、ローマ中の新聞にデカデカと出ている。これを見ろ」。
ジョー:「誰でも、寝過ごすことはありますよ」。
支局長:「たまには早起きして、朝刊も読んで貰いたいね」。

ジョーは、支局長から渡された数紙の朝刊を見て驚いた。アン王女の写真は、ジョーの自宅で寝ているド厚かましい見知らぬ女(アーニャ)とクリソツ(そっくり)。
ジョー:「この人が、アン王女ですか?」
支局長:「蒋介石のご婦人(宋美齢)に見えるか?」

ジョーは急いで、公衆電話に走り、アパートの管理人のジョヴァンニに、アーニャが自宅で寝ているかどうかを確認させる。居ると分かると、自室に他人が入らぬように、彼女を外出しないように見張らせる。

ジョー:「支局長、我が社のローマ通信員が、他紙を出し抜いて王女の独占インタビューに成功したら、そのスクープの値段は?」
支局長:「共同記者会見のようなものなら1000ドルだな」。
ジョー:「たった1000ドルだって?彼女のプライベートな独占スクープを支局長はお気に召さないようですな?」



ジョーは「僕は体温計に化けて大使館に潜り込みます」。「正気か?」と驚く支局長

ジョーが部屋から出ようとすると、
支局長:「ジョー、戻って来い。王女に恋を語らせるのだな。そんな特ダネなら、写真込みで5000ドルで売れる。でも、どーやって、大使館に潜り込むんだ?」
ジョー:「体温計に化けて、大使館に入ります」。
支局長:「ホーッ、面白い。自信満々だな。そんな賭けなら俺にも入らせてくれよ。スクープした場合は、5000ドル払ってやる。ポシャった場合は、逆に500ドルの罰金だ。ワシはポシャった方に賭けるぞ。君には既に500ドル貸しているから、もうすぐ1000ドルだ。それを忘れるな。王女はローマ訪問の次は、明日にはアテネに発たれる。どうせ、君の負けだ」。
ジョー:「大スクープ取材には、進行費が」。
支局長:「ド厚かましい奴だな、君には500ドルも貸したままだ。今のサラリーじゃ、直ぐに返せる見込みもない。もう、ダメだ。出せん」。
ジョー:「大スクープをものにしたら、ぼくは、ニューヨーク行きの切符を買って、こことおさらばして、アメリカ本社に戻ります。支局長、もう苛める相手が居なくなって、寂しくなりますよ」。

ジョーが自宅に帰ると、アーニャは未だ寝ていた。新聞のアン王女と目の前のアーニャを見比べると、同一人物だった。
ジョーは慌てて、寝椅子で寝ていたアーニャをを抱えて、ベッドに移し替える。
そして、アーニャは目を覚ました。

アーニャ:「ここは、どこ?」
ジョー:「僕の安アパートさ」
アーニャ:「あなたは、誰?」
ジョー:「ジョーだ。ジョー・ブラッドリー。君は?」
アーニャ;「・・・アーニャよ。アーニャと呼んで」。
ジョー;「よく眠れたね」。
アーニャ:「なぜ、私がここにいるの?怪我でもしたの?・・・あなたが無理やりここへ・・・」。
ジョー:「怪我はしてないし、その逆だよ。君が厚かましく、ここへ」。
アーニャ:「私が着ているこのパジャマは?」
ジョー:「ぼくのだ。きれいに洗ってあるパジャマなんだ。ぼくが外出している間に、君が自分で着たんだよ」
アーニャは、右手をこっそりとお尻に触れ、ショーツをちゃんと穿いているかを素早くチェックした。ここの演出は鋭い。




正気に戻った王女が、操を守れたのでジョーを信頼した。「私は、アーニャよ」。

ジョーは、アーニャの仕草で、何を確認したのかは判っていたが、敢えて...
ジョー:「何か、無くしたものでも?」意味深なクェッションである。
アーニャは、ショーツを穿いていたのが手探りで分かり、操が守られたことに安心してジョーを信頼した。

アーニャ:「私、あなたにウソを言ったわ。実は、昨日の晩に学校(某王国の大使館)からこっそり抜け出して来たの」。
ジョー:「先生(大使)とはぐれたんだね。ワケがある筈だ」。
アーニャ:「1〜2時間の外出のつもりが、睡眠薬のせいで、こうなったの。あなたに迷惑を掛けてしまったわ。でも、車で帰るわ。
でも、こうなったら、(こんなチャンスは二度とないから)もう少し市内を遊び回ってからだけど」。

大スクープには、証拠の写真が必要だ。ジョーは、すぐに相棒のカメラマン、アービーに電話した。アービーは、自分のスタジオで、子供を使ったコマーシャルフト(広告写真)を撮影中だった。

ジョー:「アービー、すぐにロンのカフェに来てくれ。電話では言えないが、世紀の大スクープなんだ。写真が要るので、このスクープに君も乗らないか?例のライター・カメラが要るんだ。それと、ぼくは今、文無しなんだ。取材進行費として数万リラ貸してくれ」。
アービー:「今日は、目が回るほど忙しいんだ。今やってるスタジオ撮影がもう少し掛かるし、今日の夕方には彼女とデートの約束もあるしな・・・4時頃ならロンの店に行ける」。

ジョーは慌てて自宅へ帰る。
アーニャが風呂に入っている時に、掃除のおばちゃんがやってくる。風呂場から音がするので、おばちゃんがドアをあけると、風呂場には若い女がシャワーを浴びていた。

掃除婦さん:「まぁ、なんてこった。ジョーは、真面目な男だと思っていたけど・・・ほんとに男って油断できないわね。あんた、誰なの?結婚前の男の家にこっそり泊まるなんて!ここから出ていきなさい。ふしだらな娘(こ)ね。あんたのマンマは悲しむよ」。(※ここはイタリア語で、字幕無しだが、ぼくの想像で書いた)

アーニャは、掃除婦の剣幕に驚くが、そこは強心臓の王女・・・風呂から上がって着替え、バルコニーから、ローマの市街を見ていた。
アーニャ:「私は、もう帰ります」。
ジョー:「もー帰るって、お金は?」
アーニャ:「お金?持ってないわ。貸して下さる?あとで郵便で返しますから。宛先は?」
ジョー:「ローマ市マルグッタ通り51番(00187 RM, Roma,Via, Margutta, 51)、ジョー・ブラッドリーだ」。
ジョーは、1000リラ札一枚を渡す。(1953年当時の1000リラ=1ドル50セント=540円)マルグッタ通り51番から、タクシーで学校(某国大使館)には充分行ける金額だ。



アーニャはお金で物を買ったことがない。
ジョーから借りた1000リラ(1ドル50セント)でサンダルを買う

ジョーは、アーニャを見失わないように少し離れて尾行する。
アーニャは露店で、露天商のおばさんにサンダルを勧められて、靴を履き替えた。
そして次は、アーニャが一番気に入った店は、トレヴィの泉に近いマリオ・デラーニの美容室(映画上の美容院)だった。

店に入ったアーニャは、マリオに自慢のロングヘアーを耳の下までカットして欲しいと注文した。
マリオは、心配しながら、アーニャの髪をバッサリ短くカットしたが、アーニャは小顔なのでショートヘアでも良く似合う。



一般的に独身女性はロングヘアーを好むが、小顔の人はショートカットも似合う。

 
 

マリオは、女性が自慢のロングヘアーをカットするときは、ワケありなので心配し...
マリオ:「あなたは、音楽家か芸術家でしょう?画家かな?分かったモデルさんでしょ。だから、ショートカットにしても大変お似合いです。素晴らしい。お客様のお名前は?」
「アーニャと呼んで」。
「アーニャ、もし良ければ、今夜9時からサンタンジェロ城前のテヴェレ川の川船で、生バンドのダンスパーティがありますから、私と一緒にダンスしませんか。月光と音楽、ロマンティックな素敵なひとときを楽しみましょうよ」。

たった1000リラ(1ドル50セント)のお金で、サンダル代と整髪代が収まるのかは、演出に疑問が残るが。ま、そんな細かいことは大目にみよう。
アーニャが美容院にいる時、ジョーは、御忍び観光中の王女のスナップを撮るカメラが欲しくて、トレヴィの泉へ遠足に来ていた小学生の女子生徒から、カメラを貸して欲しいと強請ったら、生徒が泣き出し、怖い女の先生がに叱られてしまう。ジョーの気持ちは分かるが。



王女が一人でローマ市内を歩いて、露店のジェラートを買って食べる。教会の時計に注目

髪をショートにして気分がスッキリしたアーニャは、ローマにあるスペイン広場にやってくる。ここで、アーニャは露店でジェラートを注文する。

ジョーは、ここで偶然出会ったようにアーニャに声を掛ける。
ジョー「アーニャ、髪を短くしたね。似合っていて、かわいいよ」。
アーニャ:「ありがとう。うれしいわ」。
ジョー:「学校の先生(※大使館の大使)は、そのヘアースタイルをどう思うかな?」
アーニャ:「驚いて気絶するわ!ジョー、お仕事の方は?」
ジョー:「今日はお休みにしたんだ。君が学校に帰るまで、一緒にローマで遊び回ろう。ぼくが良いところを案内するよ」。
アーニャ:「でも、ローマに居るあなたにとっては、いつでも見られるので退屈でしょ。いいのかしら?」
ジョー:「オープンテラスのお洒落なカフェへ行こう。ロカの店(実在するカフェ・ノテーゲンでロケ)なんだ」。

ロカの店につくと、アーニャは、一番高いシャンパン(ドン・ペリニョン)を一杯注文する。
持ち金がスッカラカンのジョーはドキッとして、コールコーヒーを注文。

ジョー:「アーニャは、いつもお昼からシャンパンを飲むの?」
アーニャ:「毎日じゃないわ。シャンパンは、おめでたい時に飲むものよ。この前飲んだのは、父の40回目の記念日だったの。つまり、40回目の永年勤続表彰の記念日(※国王即位40周年)なの。私にとって、今日は特別な日だから」。
ジョー:「アーニャ、聞きにくい話だけど、お父さん(国王陛下)のお仕事は?」
アーニャ:「どういっていいのかしら・・・一種の渉外係よ」。

そこへ、カメラマンのアービーがやってくる。
ジョー:「アービー、待ってたぞ。ライター持って来たな?」
アーヴィー「うん。ジョー、金が要るらしいな。持ってきたぞ。スクープって何なんだ?」
ジョー「しーっ・・・!まぁ、座れよ」。
アーニャ:「ジョー、この人は、あなたのお友達なの。お仕事は?」

その時、店の近くを観光馬車が通って馬が啼く。馬=馬糞=肥料・・・。
ジョー:「・・・僕と同じ肥料会社に勤めているアービーなんだ」。
アービー:「ジョー、この美しい人は誰なんだ?紹介しろよ。・・・髪がもっと長ければ、ア〜」。



アーニャは替え玉の意味が分からず「私をカエダマと呼んで頂いてうれしいわ」。驚くアービー

ジョーは、自分とアービーが新聞記者とカメラマンだとバレれば、アーニャが一気に警戒して大使館へ駆け込むので、大スクープは一気にポシャる。
そこで、アーニャが王女とそっくりだと気付いたアービーを蹴飛ばしたのだ。アービーは転んでどこかを擦り剥いた。

アービー:「俺を呼んどいて、蹴るなんてひどいじゃないか?俺が邪魔なら消えるよ。この人が替え玉に見えたからだよ」。
アーニャ:「私が、カエダマ?」
ジョー:「素晴らしいという意味だよ。アーニャ、ここでちょっと待ってて。アービーの擦り剥いたところを消毒と治療してくるから」。
アーニャ:「わかったわ」。

ジョーは、アービーと一緒にロカの店内へ入って、誰もいない場所で事情を説明する。
ジョー:「さっき、蹴ったのはすまん。大スクープはアーニャなんだ。君が気付いたように、ホンマの王女様なんだ。今朝、王女が突然急病になって、記者会見がキャンセルになっただろ。
その理由はなっ、ここの店のテーブルでシャンパンを飲んで寛いでいるからさ。
御忍びの外出だから、アーニャに、王女様と絶対言うなよ。ばれたら大スクープが、パーになってしまう...」。
アービー:「まじかよ?急病じゃないんだな。
ジョー、御忍びの外出って凄いニュースじゃないか。王女が大使館を抜け出したことは、誰か知っているのか?」
ジョー:「ウチの支局長以外のマスコミは知らん。これは、滅多に無い大スクープだ。君への分け前は、5000ドルの25%だ。電話で頼んだ大スクープの取材進行費3万リラを今借りるぞ」。
アービー;「3万リラって、45ドルじゃなないか。そんなに要るのか?」
ジョー:「そうだ。アーニャが注文したドンペリ代が払えん」。
アービー「よし、俺もこの話に乗った。じゃ、3万リラ渡すよ。」。

ジョーとアービーは笑顔で戻ってきた。
アービーは席に着くとタバコを取り出し、日本製のライター・カメラ・エコーエイト(Echo8:6×6mm判・20枚撮り)の火を点けた。映画を観ていると、アービーは、火を点ける前に構図を決めてシャッターを切り、炎が出ている時にフィルムを巻き上げてシャッターをチャージしていた。目の前の人に気付かれないように撮るスパイカメラだが、ヨーロッパでは結構売れたらしい。8ミリ映画のフィルム使うので、大きくは引き伸ばせないと思われる。
欠点は、タバコを吸う人でないと扱えないスパイカメラなのだ。

アーニャは、タバコにも興味を示し、タバコを吸いたいといって、アービーからタバコを貰って吸う。
それも、ライター・カメラでパチリ。
さらに、サンタ・マリア・イン・コスメディアン教会にある「真実の口」にも行った。
ここは、グレゴリー・ペックの咄嗟のアドリブで、ワンテイクで撮影が終了した。この映画の最大のハイライトシーンである。

ジョー:「アーニャは、ウソを吐(つ)いたことはあるかい?」
アーニャ:「少しはあるわ。どうして、そんなこと聞くの?」
ジョー:「これは海神のトリトーネの顔なんだ。トリトーネの口に手を入れて何もなかったら、アーニャは正直者。でもウソつきだったら、手をガブッと噛まれるという言い伝えがあるんだ。試してごらん」
アーニャ:「怖いわ」。
ジョー:「女性は、手を下唇に軽く触るだけでいいんだ。さぁ、やってごらん」。
アーニャはおっかない手つきで、海神の唇に触れたが噛まれなかった。

アーニャ:「あぁー、良かった噛まれなくて・・・次は、ジョーの番よ」。
ジョー:「僕はウソつきじゃないから、口の奥まで手を入れても、へっちゃらだよ」。
ジョーも恐る恐る手を入れ、大きな悲鳴を上げる。
ジョー:「ワオーッ、手を噛まれた。痛いよー。手が千切れた!」

アーニャ:「ジョー、私が悪かったわ。しっかりするのよ。早く手を引き出しなさい」。
ジョーは戯(おど)けて、袖から手を隠し、手が無くなったフリをすると、アーニャはジョーに抱きついて泣いた。
そして、袖から右手を出してアーニャを驚かした。
アーニャ:「私を、騙したのね。ひどいわ」。といって、また抱きついた。ここで、二人の恋が芽生えた。

アーニャ:「ジョー、実はね、私の髪をカットしていただいたマリオから、川船でのダンスパーティに招待されているの。パーティが終われば、私はカボチャの馬車に乗って消えるわ。何も言わず、それまで付き合ってね」。
ジョー:「もちろんだよ」。

シーンは変わって、某王国大使館は、大使が王女の失踪に大慌て。
王女が失踪して見つからない状況になれば、大使、将軍、侍従長は職務怠慢の責任を取らされて罷免は確実だ。
そこで20名ほどの私服警官を本国から召集して、空路でローマに呼び寄せた。ローマ市内で王女が居そうな場所に張り込んで、ローマ警察に知られないように、王女を連れ戻す作戦を実施した。


一方、スクープの撮影の為、ジョーは道端に停めてあったスクーターを持ち主に黙って拝借して、アーニャを後ろに乗せて、ローマ市内をツーリング。
当時はヘルメット着用の義務は無かった。二人が乗ったスクーターの前をアービーのクルマが走り、アービーは運転しながら、時々振り向いて35mm判の距離計式カメラで、二人の写真を撮った。

ジョーが信号無視で交通巡査に呼び止められて注意されている時に、好奇心旺盛なアーニャは、免許もないのにスクーターを運転して走り出す。
ジョーは慌てて後ろに飛び乗り、ブレーキの掛け方を教えるが、アーニャの運転はハンドルがフラフラして、そこらじゅうにぶつかって、やっと停まり、被害が出る。

当時のローマ市警のパトカーは、米軍から供与されたMP用のジープだった。交通警察官の乗った二台のバイクと、二台のMPジープがサイレンを鳴らして、二人が乗ったスクーターを追跡・・・二人はローマ警察に捕まって、警察署に連行され、尋問される。売り物を壊された市民も弁償して欲しいから警察へつめかけ、大変な事になった。

ジョーは、咄嗟の機転を利かし、署長に新聞記者の身分証明書を出し、署長に懇願したが、イタリア語なので字幕が出ない。個人的に勝手に解釈して書いてみた。

ジョー:「署長さんですか、この度はご迷惑をお掛けしました。実は、新聞発表では今朝急病だと発表されている王女様が、ローマ滞在中に御忍びでローマ見物を楽しみたいので、王女と面識のある僕にガイドを仰せられたんです。リムジンに乗って儀礼的にローマを視察するのではなく、ローマ市民の足になっているスクーターに乗って普段のローマ市内を見て回りたいとのご希望で・・・。だから、今回の件は無かったことにして、公にしないで欲しいんです。もし、公にすれば、王女の親善訪問にひびが入ってしまいます」と、話した。不安そうなアーニャはイタリア語は分からない。

物分かりのいい署長は了承した。詰めかけた市民の前で、
「皆さん、聞いて下さい、今、ローマにご滞在中の王女のご姉妹が御忍びで、今日、ローマを非公式にスクーターに乗って観光された。我が国のスクーターを大変気に入られて、試しに乗っている時に物損事故を起こされた。幸いにも怪我人はいないようだし、お許して上げようじゃないか。若い王女と姉妹は友好親善のためにイタリアに来られたのだから・・・」。
ローマ市民は納得して、笑顔で引き揚げていった。
漁箱をひっくり返され、鮮魚を台無しされたおじさんは、アーニャの唇にキッス。さすが、イタリアの男。

アーニャ:「ジョー、ケイサツの人、私たち許してくれたようね。なぜなの?」
ジョー:「アメリカの新聞社の名前を出せば、大目にみてくれるんだ。君との結婚式に急いでいて事故ってしまったと、言ったんだ」。
アーニャ:「いつ、プロポーズしたの?そんな話、わたし聞いてないわ」と、御冠。

その夜、サンタンジェロ城前のテヴェレ川に浮かんだ川船では、ダンスパーティが始まっていた。アーニャは普段着であるが、ジョーとワルツを踊った。
美容師のマリオも喜んで、アーニャと踊った。
その時、王女のシークレットサービス(私服警官)が川船を取り囲んだ。

カメラマンのアービーは、これが最後の撮影なので、4×5インチ判の報道写真用のプレスカメラ、スピグラ(グラフレックス社製で、スピードグラフィックの略)を携えて川船にやってきた。もちろんスピグラにはフラッシュガン付きである。
パーティが盛り上がったところで、シークレットサービスの警部がアーニャにダンスを申し込み、耳元で囁いた。

「王女様、川岸に車を待たせています、私と一緒に、このまま帰りましょう」。
アーニャ:「人違いよ。私ではありません」。
アーニャに化けたアン王女は、自分の意志で大使館へ帰りたかったので、お迎えのクルマを断り、ジョーを呼んだ。
「ジョー、助けて。この方は無理に私を連れ出そうとするの!」

ダンスパーティは乱闘に一変した。アーニャはギターでシークレットサービスの頭をギターで殴った。



川船のダンスパーティに王女のシークレットサービスが連れ戻しに・・・ジョーに加勢するアーニャ

アービーは、スピグラを構え「決定的瞬間」を撮った。
そして、気の利いたアービーは、自分の愛車を「カボチャの馬車」用に、エンジンキーをジョーに渡した。
シークレットサービスの追手が迫った二人は、テヴェレ川に飛び込み泳いで逃げた。そして、ジョーはアーニャをアービーのクルマに乗せてマルグッタ通り51番の自宅アパートへ戻った。

二人は上着や下着が濡れて、アーニャはシャワー室で洗濯して乾かした。ジョーは自宅なので着替えはあるが、アーニャはジョーのパジャマを着た。
アン王女が パジャマを着たい念願は叶った。

アーニャ:「お料理させて下さい。私はこう見えても料理は得意なの。お店が出せるぐらい。お裁縫もよ。でも、それを、してあげるチャンスがないの。ジョー、何が食べたい?」。
ジョー:「アーニャ、気持ちは嬉しいが、アパートにはキッチンが無いんだ。だからいつも外食なんだ」。
アーニャ:「それは、残念ね。でも、今日は本当に楽しかったわ。私のために、いろいろ親切にして下さって。でも、そろそろ学校に戻る時間よ」。
ジョー:「じゃ、馬車に乗ろう」。

ジョーは苦しんだ。恋してはいけない女性に恋してしまったのだ。そして、王女への愛情からではなく、5000ドルの大スクープという金儲けの為に、心の純粋な王女をローマ観光に連れ出した自分の邪心に恥じた。




アーニャはアン王女、結ばれない愛に泣く。ジョーも同じ。

二人は某国大使館の前に来た。
二人はここで別れたら、心の中で深く愛し合っていても、一生キスしたり抱擁することはない。アーニャも同じ。
元のアン王女に戻れば一般人を愛することは許されない。
二人は抱き合って熱いキスを交わし、アン王女に戻ったアーニャは小走りに大使館に駆け込んで行った。もう、ジョーの手の届かない、遠い世界の女(ひと)である。



御忍びのローマ見物で、自立心が芽生えた王女。

大使館では、大使、将軍、侍従長はアン王女を睨んでいた。
ヴェレベルグ夫人:「昨夜から今までの24時間に、何も問題は無かったと仰るのですね?」
アン王女:「何も、問題はありません」。
ヴェレベルグ夫人:「両陛下に何とご報告なさいますか?」
アン王女:「病気だったが、今は回復したと」。
大使;「私には、大使としての責任があります。王女様にも義務があるように・・・」。
アン王女:「義務の話なら、心配に及びません。もし、私が義務を弁(わきま)えていなかったら、ここに戻って来なかったでしょう。これから先も。これからは忙しい日程が続きますから、もうお休みなさい。もう、下がって結構」。

翌日の朝、支局長が目を輝かせてジョーの自宅にやってきた。
支局長:「ジョー、撮れたか?」
ジョー:「何を?」
支局長:「惚(とぼ)けるな。王女の特ダネだよ」。
ジョー:「ダメでした」。
支局長:「何だと。君から王女の話を聞いた後で、王女は病気ではなく、ローマの街中にいるという噂だった」。
ジョー:「根拠のないデマを信じるとは呆(あき)れますな」。
支局長:「噂はまだある。船の上のダンスパーティで、某王国の秘密警察と客が乱闘して、ローマ市警に逮捕された事実もある。それに今朝発表された、王女の奇蹟的な病気回復・・・話の辻褄がピタッと合う。勿体振っても値段は上げんぞ。約束は約束だ。フェアプレーでやろう」。

そこへ、アービーが喜び勇んでやってきた。
アービー:「スミッティー(※)の傑作が出来たぜ」。(※アービーが付けたアーニャ・スミスの渾名)
ジョー:「アービー、この写真と記事は、今、出すことはできない」。
アービー:「なぜだ?もっと、いい売れ口があるのか?新聞社と雑誌社なら、皆が欲しがるしな。凄い特ダネなのに」。
ジョー:「アービー、君が写真を売りたければ、止めはしない。ぼくには、書けないんだ」。
アービー:「どうしたんだ、ジョー・・・(スミッティーに恋したんで、庇いたくなったんだな)」。
支局長:「ジョー、せめて、今日の記者会見には行ってくれ」。
支局長は、落胆して何も言わず帰っていった。

アービーの撮った写真は傑作そろいだった。8mmのライターカメラ、35mm判距離形式カメラ、シノゴ(4×5インチ判)のスピグラで撮ったナイスショットに二人は見出しを付けて盛り上がる。アービーは、自分にも恋人のフランチェスカがいるので、相手の立場を重んじるジョーの考え方を尊重した。

共同記者会見の時間がやってきた。
アン王女の表情は穏やかだったが、記者団の中にジョーとアービーが来ているのを見て、少し動揺していた。
ある記者から、
「王女は、ロンドン、アムステルダム、パリ、ローマの4カ国の都市にご訪問されましたが、どの都市が一番お気に召されましたか?」と、意地悪な質問がされた。アン王女は返答に詰まった。後ろから侍従長が小声で「いずれの国にも・・・」と、助太刀した。

アン王女:「いずれの国にもいい所があって、どことは申せ・・・」。王女は記者団の中にいるジョーを見つめながら、
アン王女:「ローマです。私はこの町の思い出をいつまでも懐かしむでしょう」。会場がどよめく。王女の発言に、大使と将軍、侍従長は気絶しそうだった。
記者:「王女は、ご病気で御静養されていたようですが」。
アン王女:「そうです」。



王女はジョーの職業を公式に知り、アーニャがアン王女であったことを明かす。

そして、王女の思し召しで、異例の記者謁見が行われた。王女が階段を降りて記者の前に一人ずつ挨拶を交わす。
予定にはない、”御降嫁”を暗示するような前例の無い謁見だった。
アービーは、封筒に入った傑作写真を王女に渡す。そして、王女はジョーとしっかり握手した。王女の目が潤んでいた。
謁見が終わると、王女は王室のカーテンの奥に消えた。
ジョーは最後まで残って、アン王女とアーニャと一緒に過ごした、結ばれない運命(さだめ)の愛のもどかしさを噛み締めていた。

2013年7月28日 尾林 正利

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